山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

町づくりの失敗

2009-10-05 05:00:00 | 宵宵妄話

守谷市に引越して来てから6年目を迎えている。守谷市は茨城県の南西部に位置し、利根川と鬼怒川、それに小貝川という3本の川に接する、たった36k㎡にも満たない茨城県では最も面積の小さな市である。

この地は、元は北相馬郡守谷町と呼ばれていた所である。北相馬郡というのはわかりにくいと思うが、「相馬」という地名は、福島県にある相馬市(「野馬追いで有名」)と深い関わりがあると聞く。福島県の相馬市は、元々この守谷市近郊を統治していた相馬氏が鎌倉時代あたりに移ってつくった町であり、そのルーツがこの辺りだったとのことである。相馬市のホームページを見ても江戸時代の頃のことばかりしか書かれていないけど、もっと昔を訪ねれば茨城県と千葉県にまたがるこの地のことが出てくるはずである。余計なことだけど、平成の合併騒動で、北相馬郡という郡部を冠する町は、取手市に接する利根町という千葉県寄りの町一つしかなくなってしまった。この町が市に昇格するのは時間の問題のような気がするので、そうなれば北相馬という地名は消え去ってしまうことになる。元相馬氏の統治下だったという歴史の匂いも消え去ってしまうことになる。どうやら新しい歴史というのは、古い名残りを一つずつ消していって、成長なのか没落なのか、その道を辿ってゆくものらしい。

さて、今日は守谷市の歴史談義をしようとしているのではない。町づくりに対する失望の話をしようとしているだけである。守谷に越して来た6年前は、未だつくばエクスプレス(略してTXと呼ばれている)は建設の最終段階で、営業が開始されていなかった。TXは、研究学園都市のある茨城県つくば市の中心部から東京都心の秋葉原を結ぶ新しい鉄道路線であり、守谷はその中間地点にあって、車両基地も抱えている。守谷から秋葉原までの電車の本数は、守谷からつくばまでの倍近くあり、その利便性は今のところ常磐線の走っている隣の取手市よりも勝っているように思う。TXは新しく開発された車両が走っており、そのスピードも乗り心地も、常磐線の揺れの大きい電車から比べると、遙かに高いレベルなのである。それにも拘らず、守谷駅から浅草まで行くのに30分も掛からないということを知っている人は、まだ意外と少ない。

つまり、都心への通勤条件などが優れており、新規開発エリアとしての穴場が守谷市であるということだ。引越し以来どのような新しい町づくりが行なわれるのだろうと、大いに期待していたのだが、5年間を経過したこの頃になって、駅前やその他の町中の変化状況を見ていると、次第にその失望感が膨らんできている。市報や市勢要覧などを見ると、良いことづくめの内容ばかりだが、実態はその半分にも満たない感じがするし、将来はそこいら辺の堕落した多くの商業主義(=コマーシャリズム)の町同様になり下がるのは明白のような気がしている。

例えば、市勢要覧には、守谷市の個性・特徴の3つのキーワードとして①文化都市②交流都市③産業都市を挙げ、「つなぐ『未来』」というテーマで、①安心して暮らせるまちづくり②安全でうるおいのあるまちづくり③豊かな心を育むまちづくり④快適でゆとりあるまちづくり⑤活力とにぎわいのあるまちづくり⑥心と心がふれあうまちづくり、というようなことが掲げられ、或いは「暮らし再考」というテーマでは、①TXを生かしたまちづくり②水と緑のあふれるまち③笑顔かがやく子育て環境などという項目が掲げられている。

どれも実に美しいことばである。勿論夢や理想を述べているのだから美しくなければ変である。しかし、ここ5年間のまちづくりの現実はその実現に向っているよりも、破壊に向かっている方が多いように思える。こちらの方がもっと変だなと感じている。

その個々の現実について述べることは止めるけど、例えば2、3挙げるとすれば、人口6万人を突破したというのに警察署がない。あるのは交番が三つだけである。安全で安心だから今は不要なのだということなのだろうか。警察は県の行政の範疇であって、市としては署の新設に関しては無力ということなのだろうか。だとしたらこのテーマは無責任だと思う。只のお題目に過ぎない。6万人の市民の暮らしの安全を守るのに、他の町に本拠を置く警察の出先機関の交番だけで間に合うほど世の中は甘くはない。

又TXを生かしたまちづくりとあるが、それをどう生かすかなどの施策は何も無いようで、駅前などは只通勤の利便性を貪ってマンションや戸建ての住宅が乱雑に建て増しされているだけであり、残っている土地は様子見の貸し駐車場が点在するばかりである。文化の香りなど全く無い。少しは垢抜けしたように見えた駅舎周りの景観も新たな建物が増えるにつれ、急激に新鮮さを失って行く感じがする。これがTXを生かしている現状だとすれば、それはまちづくり行政などではない。

或いは又、水と緑のあふれるまちとあるが、確かに現在の守谷市はそうだと思う。しかし毎日歩いている身からまちの景観の経緯をふり返ってみると、その自慢の緑は少しずつ減ってきているというのが現実のように思う。樹は切り倒され、畑は荒れて雑草が蔓延り出し、都市化の波は緑を減らす方へ向かっている感じがする。

私は単に批判だけしようとしているのではない。終の棲家と考えているこの地が、日本国中の外にどこにも無い優れた特徴を持った素晴らしい街であって欲しいと願っているからである。だけど現実はありふれたどこにでもある、そこに住む人びとのむき出しの欲望に任せただけの街になり下がってゆくように見えるのである。

恐らく一般の住民には見えない所で、もう街の未来は決まってしまっているのかも知れない。市勢要覧に書かれていることを実現するための、まちづくりの条例等は当然作られているのだと思うが、出現している町の姿は、何とも解せないつまらない景観となってきている。TXが営業開始するとうの昔に、周辺の土地は買い占められ、行政が今更出来ることといえば、せいぜいその後の買占め者の良心に期待しての、美辞麗句を並べた夢物語を市民にアピールすることぐらいなのかも知れない。後から訳も知らずに転居してきた者には言って欲しくはないセリフだと思うけど、現在の駅前周辺やふれあい道路と呼ばれるメインの道路周辺の開発状況を見ていると、やっぱり言わずにはいられない気持ちになるのである。

町づくりというのは、妥協を許さない先見性に支えられたものでなければならないと思うが、そのような大それたことを考えるのは、多くの地主と利権に群がる人たちを御さなければならない現実の中では、到底無理だったのかも知れない。この町の行政の実態は、妥協の連続だったように思う。もっとも今の世の中の行政一般のあり方といえば、様々な欲望に溢れかえっている得体の知れない国民大衆に迎合して、あわよくばその利益の一端を自らも享受してしまおうなどという輩が多く係わっているのであるから、理想を高く掲げ、妥協無しでその実現に邁進するなど夢のまた夢なのかも知れない。

考えてみれば、偉そうに斯く言う自分自身も妥協の連続に中にここまでの人生を運んできている。とすれば、守谷市のまちづくりの失敗を責める資格などあるはずも無く、あの世からのお迎えが来るまで、ほどほどに満足しながら変わりゆく町の姿を楽しむのが肝要なのかもしれない。最後は我が身の反省で締めくくるしかないようである。

   

TX守谷駅前の景観。超高層のマンションを含めた大小のマンションの他に雑多なビルが芽を出し、その周辺には低層住宅が乱れ建ち、残っている空き地の殆どは駐車場か雑草の蔓延るただの更地である。我が国の他の多くの大都市圏のまちづくりと変わらぬ寛大さに溢れている。

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