山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

筑波山登山の記(第5回)

2013-07-24 05:22:21 | 筑波山登山の記

 <第5回 登山日 2013年7月22日(月)>

 なかなか毎週登山というわけにはゆかず、気づけば前回から12日も経ってしまっていた。今回は男体山に登ることにしている。こちらへは3度目の登頂ということになる。そろそろコースを変更してみようかと思っているのだけど、なにしろ暑いので、コースを替えた場合、道に迷うようなことがあるかも知れず、迷っていいのは秋になってからだと思っているところがあって、新しいコースにチャレンジするのをしばらく伸ばそうと思っている。今のコースがどれほど厳しいのかは比べられないので不明だけど、もう少しゆっくり歩けるコースがあってもいいのではないかとは思っている。秋になるまでにあと5回ほどはこのコースを登ることになるのかもしれない。

さて、今回はより早く登山を開始しようと考え、3時少し過ぎには家を出発した。まだ夜明けからはかなり早い時刻であり、走っている車の少なさは前回を上回っていた。夜間に走っているのは、殆どがトラックで、今の季節はこの時間帯の方が走り易いのかもしれない。それにしても、もう少しスピードを落として走って欲しいなと思った。後続のトラックに煽られるようにして走らされてしまい、まだ暗さが残る4時少し前にいつもの駐車場に着いてしまった。ヘッドランプなどは用意してはおらず、暗さに少し不安を覚える気持ちもあったが、歩いている内に明るくなるのは決まっていることなので、足元が見える限りは大丈夫だろうと思いながら出発の準備をする。

4時に駐車場を出発して、商店街を歩き、筑波山神社に向かう。今日はいつもと違うのは、ひぐらし蝉が鳴いていることだった。神社の境内だけでなく、その後ろにある登山道を包む杉林の中でも、一斉に鳴き声を張り上げていた。ひぐらし蝉は体内に光の量を感知するセンサーが仕込まれているのか、黄昏(たそがれ)時でなくても、一時の暗さにも反応して、一斉に鳴き出す。丁度今の夜明けのこの一時が、彼らの本能を引き立たせ騒がすのであろう。それにしても、守谷の辺りにはひぐらし蝉の鳴き声を聞くことは無くなってしまった。昔からの農家の屋敷林は広大で、大木の混ざった林の中ではセミたちが自在に生き長らえるように思えるのだけど、この頃はひぐらし蝉やミンミン蝉の鳴き声を聞くことは滅多になくなってしまった。この筑波山麓には神社があって、彼らを守っているのかもしれない。

4時25分、神社脇の登山口を出発する。足元に注意しながらゆっくりと歩を進める。今日はいつもとは違って、膝のサポーターを1枚しか着けていない。いつもは緩いサポーターを嵌めた上にもう一枚少しきついものを嵌めているのだけど、登山や歩行鍛錬で膝の調子が少し良くなってきている感じがするので、無理やり締め付けなくても大丈夫ではないかと、試してみるつもりになった次第。登山は登りよりも下りの方が膝の負担が大きいので、帰路は要注意だけど、登りながら調子を見てみることにしている。いつもと同じようなペースで1時間ほど歩いて男女(みなの)川の源流地点を通過する。ここまで来ればケーブルカーの頂上駅がある御幸ヶ原はもう少しである。源流付近は水場となっているが、未だ一度もここの水を飲んだことはない。携帯している水も頂上に着くまでは口には入れない。途中で休憩したり、水を飲んだりすると身体を労わり過ぎて、気合いが抜けてしまう気がするので、今回までの登山で途中休憩と水飲みは禁物だと思っている。高低差は700mほどあるけれども、歩行距離はたったの2.2kmしかない。いつも7km以上は歩いているので、それに比べたら大したことはないと思っている。ただ、この標高差が問題で、足場が悪いから歩数が多くなるのだと、そのような考えでいるのだけど、これはほんの一面の真理しかついてはいない。その高さが問題であり、それが平地とどう違うかは、自分の身体だけが解っていることなのだ。そのような屁理屈を考えながら、大汗をかき間もなく御幸ヶ原へ。

ここから男体山の頂上まで300mくらいだろうか。少しホッとしながら、休まずに更に頂上を目指す。ウグイスの鳴き声が耳に届いた。ここまでの途中、何回か澄んだ小鳥たちの鳴き声を聞いたが、それが何という鳥なのか判らない。姿を見せてくれれば図鑑などを見て見当をつけられるのだが、皆樹木の中で鳴いているので、声だけでは調べようがない。しかし、ウグイスだけは大丈夫である。ホーホケキョという正統派の鳴き声ではなく、ホーホキョケというような鳴き方の奴が、盛んに警戒音の鳴き声(=谷渡り)を交えながら喚いていた。山頂近くの平和を乱す鬼が一匹やって来たぞ!という合い図なのかもしれない。ウグイスは我家近くにもたくさんいて、茨城の地方なまりで囀っているのが多いのだけど、皆人間どもを良く観察しているようで、我々の動向には注意を払っている様だ。この山頂近くのウグイス君も、十二分に鬼ならぬ自分を意識して鳴いているのが判った。

間もなく男体山の頂上に到着。5時50分。まだ6時前であり、下界の我が家では女房どのは白川夜船の浅瀬の中なのかもしれない。これで今日の天気が快晴ならば、一人快哉を叫びたくなる気分なのだろうけど、今日の山頂は霧の中で寒い。山頂の神社の御本殿以外は何も見えず、隣の今は使われていない測候所の無人の建物が殺風景である。上下半身汗でびっしょりとなった身体を拭く。誰もいないので、半ズボン以外の下着の全てを着替える。面倒な靴を脱いで、大急ぎの着替えだった。70歳を超えたジジイであっても、素っ裸を他人様に見せ給うというのは避けるべきであろう。ま、神社のご神体様にはお許しあれ。水筒の水を半分ほど飲んで、山頂に来た証拠にと御本殿の写真などを撮る。間もなくどこかの御夫婦が登って来られて挨拶を交わす。早く着替えを済ませておいてよかったと思った。間もなく下山開始。

   

霧の筑波山・男体山頂上の御本殿の景観。今回も登山をした証拠として写真に収めることにした。

山頂から何も見えないという登山は、少し満足感に欠けてしまうのは仕方が無いことだ。これで終わりではないので、ま、こんな時もあるということであろう。そう思いながら間もなく御幸ヶ原に下りて、本格的な下山を開始する。今日の下りはサポーター着装のテストのようなものであり、要注意である。前回は2度ほど滑って尻もちをつきそうになっているので、そのようなことが無いように気をつけながらの一歩一歩だった。幾つもの踏み段と大小の石の混ざった道を慎重に下る。この時間帯になると、登って来る人も多くなる。皆ほぼ同世代の人たちばかりである。自分と同じように週に1回ほどの登山を実践されている人たちなのかもしれない。ラジオを鳴らしながら登って来る人も何人かいた。静けさよりも人間界の喧騒を大事にしているのかと思った。筑波山にラジオは必要なのかなと思った。また、いつもそうだが中高年男女の会話は傍若無人の傾向があり、途中立ち止まって際限もなく話しているのを見ると、がっかりしてしまう。ま、今回も似たような人的景色を体験しながら、登山口まで下って、時計を見たら何と50分で来てしまっていた。早ければ良いというものではないけど、いつもは60分は掛かっていたのが、かなりペースが上回っていた下山だった。膝の方も特に異常はなく、少し慣れて来たということなのかもしれない。

その後はゆっくりとニイニイ蝉の鳴き声などを聞きながら駐車場に向かう。その途中に筑波山大御堂というお寺があり、これは坂東三十三観音の一つに数えられている。元々は筑波山神社と同体のものであったとか。筑波山では神様と仏様が本来一緒であったものを、明治初めの神仏分離令が引き離したものらしい。神様でさえ、人間どもの時の政治に振りまわされるというのが、人間の信仰というものらしい。その大御堂の脇を通る道の先は、只今側面の大補修工事が行われており、巨大な石垣が積まれようとしていた。完成までにあと1年くらいはかかるのではないか。もう何度もここを通っているのだけど、いつも同じ状態が続いているように見える。大工事というのは、一見遅々として進まずといったように見えるということなのかもしれない。駐車場到着7時20分。今まででは一番早い登山終了時刻だった。再度上衣だけを着替えて車に乗り込む。来た時は、駐車場一番乗りだったが、その後登山者の車は増えて、駐車場はほぼ満車に近くなっていた。茨城県以外からのナンバーも散見され、筑波山は結構人気のある山なのだなと改めて思った。8時20分、我が家に着いて、何ごともなかった様にその日の暮らしを再開した。

 

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