山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

信州・霧ケ峰・美ヶ原の初秋の花たち(9月中旬)<その3>

2013-09-26 04:37:21 | 旅のエッセー

<ワレモコウ>

                     

この季節、この花は花屋などでおなじみだと思う。守谷市内の空き地などにも何ごともないように咲いている。しかし、この花はやはり高原に咲くのが相応しいように思う。秋の高原にはこのような色をした花が少ない。赤というべきか紫というべきか、花の名は「吾亦紅」と書けば、これは赤の部類なのかもしれない。又「吾木香」とも書くらしいけど、この花に特別の香りがあるとは思えない。丸い花穂はちょっと見には花なのか実なのか判らない気がするが、虫眼鏡などで覗いて見ると、小さな花の集合体であることが判る。美しいというには無理がある花の姿だけど、何だか存在感があるように思えて、この野草のことは子供の頃に一度覚えたら忘れられないものとなった。八島湿原では、芒の生い茂る草むらの中に集団でその存在感を示していた。

 <ヤマラッキョウ>

                    

ラッキョウといえば、漬けものの定番の一つで、これは人によって得手不得手があるようだ。臭いが気に入らないとのご仁が多いようだけど、自分的には味は臭いと一緒に味わうべきものと思っているので、何の抵抗もない。酒の肴としても重宝している。

ところで、あのラッキョウにこんな綺麗で美しい花が咲くなんて、信じられるだろうか。勿論このラッキョウは食用ではなく、野の草の一つであるから同じとはいえないけど、鱗茎の部分は大小の差はあれ、基本的にはやはりラッキョウなのだと思う。鱗茎を持つ野草は美しい花を咲かせるものが多いようだ。山の麓の草むらなどにこの花を見つけた時は、とてもラッキョウなどとは思えないのだけど、我々は普段ラッキョウというものを土中の部分しか見ていなくて、誤解しているようだ。

それにしても、食用のラッキョウにはどのような花が咲くのだろうか。一度見てみたいものだと思う。本当に花が咲くのだろうか。俄然、興味を持ってしまった。ネットで調べたら、この山ラッキョウと同じ様な花が咲くことが判った。今度山陰方面へ行くことがあったら、ラッキョウの花時(多分秋になるのではないかと思うけど)に訪ねてみたい。鳥取県は、砂の畑を利用したラッキョウの名産地であると聞いている。是非一見したいものだ。

 <オミナエシ>

                 

オミナエシといえば、秋の七草の一つである。秋の七草は、オミナエシを初め、尾花(=ススキ)、クズ、キキョウ、ナデシコ、フジバカマ、ハギがそれらであるけど、今の時代どうもしっくりこない花がある。例えば、ナデシコやキキョウは咲き終わっているように思うし、フジバカマだって終わりかけている時期ではないか。温暖化が進んだのか、或いはどんな時期でも花を咲かせてしまう技術が進んだのか、季節感が失われて来ている花が多いようだ。秋の七草の時代は、栽培種などは入ってはおらず、皆野の草の花として当たり前に考えられていた、季節の代表的な花だったのだと思う。そのような野の花を愛でる情緒を、現代はぶち壊し続けている感じがする。

オミナエシは、野には少なくなってしまった。生け花用に栽培されているものが結構多くなっているようだ。消え去っていない分だけ救われる感じがするが、季節感を無理やりつくり出そうとする不自然さがどうも気に入らない。この写真の花は正真正銘の野の花である。草むらの中にきりっとした立ち姿を見出した時はうれしかった。野の花はこうでなければならない。

 <リンドウ>

                  

リンドウは自分のあこがれの花の一つである。どうしてかというと、子供の頃、近隣の山に入って遊んだ時に、藪の中に見つけてその紫色の鮮やかさに感動したのを思い出すからである。懐古の花なのである。野草の中では、際立って印象に残っている花であり、この花を見ていると、遠い昔のあの感動を思い起こして、そこに戻ることが出来るからである。

リンドウは今ではこの季節といわず、花屋さんに並ぶ顔ぶれの中でもトップクラスではないかと思う。しかし、栽培種となってしまったリンドウには、あの昔の山の麓で見た澄んだ紫の美しさが足りないようだ。野生のものとはどこか違うのである。

八島湿原や美ヶ原の高原美術館の周辺にはかなりの数のリンドウを見ることが出来て嬉しかった。開花してからどれくらい花が持つのか判らないけど、どの株にも花の先が枯れ始めているのが付いているのが、せっかくの紫の気高さを汚しているようで残念だった。でもこれらを見ていると、ここへ来て本当に良かったと、嬉しくも安堵するのである。

リンドウにも何種類かあって、北海道のベニヤ原生花園(浜頓別町)にはエゾリンドウの花がみごとだった。又、熊本県を走るやまなみハイウエイの瀬の本高原にあるドライブインの横の草むらに見つけたフデリンドウも印象に残っている。芝生のような丈の短い草むらにフデリンドウが小さな群落をつくって咲いていた。今の季節には、あの妖精たちは、さて、どうなっているのだろうか。

<ヨツバヒヨドリ>

                  

ヨツバヒヨドリは、「四つ葉鵯」と漢字で書く。ヒヨドリと呼ばれる草には何種類かあるけど、これらが何故鵯(ひよどり)なのかは解らなかった。調べてみると、鵯が山から下りてくる頃にこの花が咲き出すので、ヒヨドリと名がついたとか。しかし、今頃の鵯は山になどにはあまり棲まなくなっているようで、どうやら都会に近い森などが気に入っているようだし、この花との関連は極めて希薄となって来ているように思える。

ヒヨドリ草の仲間はキク科フジバカマ属であり、このヨツバヒヨドリも秋の七草の一つのフジバカマと姿も花もそっくりである。名前にヨツバとある様に、葉の付いている箇所を見ると葉が4枚輪生している。花はフジバカマよりも赤みが濃くて派手な感じがする。前回(7月)ここへ来た時には、未だ蕾のものが多かったけど、今は殆どが花を咲き終えており、このような姿で残っているのは数少なかった。

北海道へ行くと、道端や牧場の脇などの至る所にこの花が群れをなして咲いている。元々少し涼しい場所というのか、冬が厳しいエリアを好む草なのかもしれない。その花の棲んでいる環境の1年間をずっと継続して観察するなどして思いを巡らさないと、花を咲かせている野草の気持ちは解らないのかもしれない。花の咲いている時期だけを見て、その花の全てを決めてしまうのは人間の思い上がりだと思う。生け花などというのは、この点どのように考えているのだろうか。ふと疑問に思ったりした。自分的には、生け花は作為的であり、その花の本当の美しさを表現していないように思えるのだ。野の花が一番だと思っている。

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