山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘15年 佐渡一国を味わう旅 レポート <第15回>

2015-06-15 07:55:36 | くるま旅くらしの話

【今日(6/15)の予定】 

  道の駅:芸能とトキに里 → 羽茂本郷:草刈神社駐車場 →(羽茂まつり見物→夕刻草刈神社での薪能鑑賞)→ 小木港駐車場(泊)

 

【昨日(6/14)のレポート】     

<行程>

道の駅:芸能とトキの里 → 妙宣寺参詣 → 佐和田地区にて買い物 → 金井能楽堂(狂言&文弥人形上演鑑賞) → 道の駅:芸能とトキの里(泊)

<レポート>

今日も夕方の狂言と文弥人形の上演開始までにはかなりの時間があり、ほぼ静養日と同じになってしまう。それで、午前中は道の駅に止まることにして、午後からは新潟県内で唯一五重塔をもつ島内の妙宣寺というのに参詣し、その後買い物などをして金井地区にある能楽堂に早めに行くことにしした。

朝食前、外に出て給水などをしていたら、少し離れた森の方でギャオ~というような鳥の鳴き声がしたので、その方を見たら空のかなり高い所を白っぽい羽根を広げたトキらしい鳥が飛んで消えていった。この近くは鳥獣の保護区になっており、田んぼなどで餌を求めたトキたちが帰ってゆくのかなと思った。そうだ、この先の山の方へ行けば、もしかしたらトキたちに会えるかもしれないと思い着き、歩きに出かけることにした。ついでに佐渡の自然の様子なども見てこようと思った。

以下は、散策の所感である

道の駅から牛尾神社の裏参道入り口までは200mほどなのだが、その中間くらいの所に長安寺というお寺へ行く道があり、お寺までは3kmという案内板が掲出されている。この道は小佐渡の山裾に向かっているので、トキ君たちも安心して住んでいるのではないかとそう思い、お寺まで往復してみようと思った。牛尾神社の入口あたりからは棚田風に田んぼが連なって見えるのだが、直ぐに森に邪魔されてその先の様子は判らないのである。少し歩くと坂道となり、左右に竹林があって、少し大きくなり過ぎたタケノコが何本も首を長くしていた。タケノコの様子を見ると、どうやら真竹ではなく淡竹(はちく)のようである。生長した竹は真竹と変わらぬほどの丈があり、区別が難しいなと思った。坂を上って行くと間もなく平地となり、何軒かの立派な家屋の農家が道脇に点在していた。佐渡の農家の住宅は大規模である。黒っぽい瓦の屋根の家は住まいが建坪50坪以上ある二階建てが殆どで、その他に大きな納屋と蔵などが併設されている。その昔は養蚕なども行われていたのかもしれない。今の時代では広過ぎてもてあますのではないか、などと余計な心配をするほどだった。農家の向こうには下の方とは違った広い水田が開けていて、これだけの田んぼなら専業の米作りでも食べていけるのだろうと思った。田んぼの一区画の大きさはそれほど大きくはなくせいぜい三反歩程度だった。守谷の辺りの田んぼは一区画1町歩を超えるものがありそれと比べると小さいのだが、この辺りは少しずつ段丘の坂となっているので、大きめの棚田が連なっている感じがした。それらの田んぼのどこかにトキ君たちがいないかと見渡して探してみたが、それらしきものは何も見えなかった。更に歩いて行くと、下り坂となり右側の崖に木イチゴがたわわに実っているのを見つけた。子供の頃、裏山の田んぼ脇にたくさん木イチゴの木があり、それを食べるのを楽しみにしていたのを思い出し、童心に帰ってそれらの実を口に含んだ。甘いほのかな香りがして、ああ、佐渡には、まだまだ昔の普通の自然が残っているのだなと嬉しく思った。

  

木イチゴの実。誰もこれほどの豊な実りがここに潜んでいるとは気づかないようだ。

その近くにナツハゼのかなり大きな木があり、びっしりと細かい実をつけていた。秋になるとこの実が膨らんで小粒のブルーベリーのような黒く熟れた実となるのである。坂を下りた所で引き返すことにした。帰り道は、同じ道を今度は、霞んで見える大佐渡の金北山連峰を見ながらゆっくりと歩き戻った。佐渡の本当の味をチョッピリ味わったいい時間だった。

さて、その後は午前中は早くも昼寝などをしながらちんたらと時を過ごす。相棒は道の駅の駅舎(若干の展示などをしているスペースがある)の方へ行ってそこの人と話をしているらしく、目覚めた時は不在だった。午後になって、能楽堂に行く前に、先日大膳神社や国分寺を訪ねた際に見ていなかった妙宣寺に寄って行くことにして出発する。妙宣寺には佐渡、いや新潟県でも唯一という五重塔がある。それを写真に収めておこうと思った。

妙宣寺は、大膳神社と国分寺に挟まれたエリアにあって、特に大膳神社とは何やらの縁があるらしい。というのも、このお寺の開祖はここに墓のある鎌倉時代の流人だった日野資朝という人を援助したひとであり、それは又日野資朝の一子が親の仇討ちに係った際に大膳神社に祀られる大膳坊という人があの仇討ちを助けたという関係にあるとのこと。これは、この後の文弥人形の檀風というストーリーで知ったこで、参詣の際には知らないことだった。五重塔は江戸時代の後半に造られたらしい。やや小ぶりのきりっとした佇まいの建物だった。境内をゆっくり散策して、日野資朝の霊廟にもお参りをした。このお寺の本堂は瓦葺きだけど、庫裏は茅葺の重厚な造りであり、一段と貫禄を示していた。

  

妙宣寺仁王門の偉容。このお寺の中では最も古い1600年代後半に建てられたという。

  

五重塔。このような建物はカメラに収めるのに苦労する。樹木に囲まれているのでなお一層難しい。

参詣の後は佐和田地区のスーパーなどに行き少なくなっていた飲料水を買い入れるなどの買い物をして、15時過ぎ金井能楽堂に車を止める。今夜の演芸のタイトルは、「鷺流狂言と文弥の夕べ」というもので、狂言は先日大膳神社で観た「柿山伏」という演目で、文弥人形の方は、2題あって一つは「山椒大夫」もう一つは「檀風」というものである。文弥人形を見るのは初めてである。約3時間待って、ようやく18時の開場となる。開演は18時30分からである。

やがて時間が来て主催者側からの挨拶や解説などがあり、上演が開始された。先ずは文弥人形の「山椒大夫」である。文弥人形というのは、浄瑠璃の一つで、佐渡で生まれ発展したのだが、その後すたれ、今再び復活の兆しが生まれているとか。自分はこの種の演芸には今まで殆ど無関心で、浄瑠璃なども一回も観たことがなかった。老人になって、すこし考えが変わってきたのかもしれない。今日は素直に鑑賞に専念することにした。

山椒大夫は、森鴎外の作品にもあり、安寿と厨子王の話はそれなりに知っていたので、凡そのことは見当がつく。床を激しく打ちたたく音が上演の始まりで、その後黒幕の陰から安寿が出て来て、盲いた母と再会するも目の見えない母は娘とは知らず悪戯子供のからかいだと誤解して娘を打ち叩く。その結果娘は瀕死の傷を負ってやがて死に至るのだが、その前に母も我が娘だと知り、相嘆くというシーンが拡大されて演じられていた。演じている人形遣いの息遣いと目線が厳しく届いて来て、感動の連続だった。

  

文弥人形芝居。山椒大夫の一場面。夫々の人形が生きているというほどではないにしても、かなりの熱演だった。

その後は館内に設えられた立派な能楽堂で、狂言「柿山伏」が上演された。これは大膳神社の薪能の際にも演じられた同じ演目であり、しかも同じシテとアドによる演技なので、つまりは同じものを2回見るということになった。しかし、今回は屋外とは違い雰囲気も別という感じがして、又面白かった。20分ほどの上演はたちまち終わってしまった。

次は再び文弥人形が上演され、これは「檀風」という演題で、檀というのは植物のマユミのこと。この物語は、往時の鎌倉幕府に背いて天皇の謀反に加担したとして佐渡へ流された日野資朝郷の一子が、殺害された親の仇を討とうと佐渡へ入り、仇の縁者を切って半ば木体を果たすというストーリーで、檀風というのは秋に紅葉したマユミに吹く風のことであり、それは日野資朝が詠んだ歌にちなんだものである。詳しいことはもっと調べてみる必要がある。舞台では刀を振りかざして動き回る阿新丸(くまわかまる)とそれを追いかける武士たちとの乱闘の場面などがあり、相当に迫力のある内容だった。

20時半に全ての演目が終了し、帰途に就く。今日の宿も又道の駅。9時少し前に戻り、一杯やって寝床に入ったのは10時頃だった。少し文弥人形のことを考えながら、間もなく何も忘れた。

コメント
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