山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘15年 佐渡一国を味わう旅 レポート <第13回>

2015-06-13 08:20:21 | くるま旅くらしの話

【今日(6/13)の予定】 

  道の駅:芸能とトキの里 →  日中は牛尾神社の例祭の神事見物など→ 道の駅:芸能とトキの里(泊)

 

【昨日(6/12)のレポート】     

<行程>

 道の駅:芸能とトキの里自 → 両津エリアのコインランドリーで洗濯 → 道の駅:芸能とトキの里 → 牛尾神社宵宮・薪能&鬼太鼓奉納見学(夕刻) → 道の駅:芸能とトキの里(泊)

 <レポート>

天気が怪しい。昨日までのいい天気は一変して朝から今にも雨が降り出しそうな空が広がっていた。予報では今日は夕方近くまで雨。夕方になって曇りということだった。天気予報が外れることはめったにないから、雨は諦めるとして、せめて夕刻からの曇りの天気だけは外れないようにと願う。というのも、今夜は19時から近くの牛尾神社の例祭の宵宮があり、そこでの神事として薪能が奉納されるのである。また、薪能の他にも地元の保存会の人たちによる鬼太鼓(おんでこ)も奉納されるのである。

朝食の8時頃はもう雨が降り出した。その後たちまち本降りになり、予報は狂ってはいなかった。夕刻までどうして過ごすか。午前中は先ずかなり溜まっている洗濯ものを処理することにして、両津郊外に見つけてあるコインランドリーに行くことにした。行ってみると少し料金が高いので、もう一つ見つけている佐和田地区にあるコインランドリーも見てみることにした。雨なのでソーラーが効かないので、念のため少し走って充電しておこうという思いもあった。それで、佐和田の方に行ったのだが、こちらは店構えの見かけとは違って機械が古く、料金も変わらず且つフル活動をしていて割り込めない。元に戻ることにして両津の方引き返す。それから2時間ほど洗濯に取り組む。

終わって、もう一度道の駅に戻って昼食とすることにして出発。途中、先日給油したスタンドの脇を通りかかったら、相棒が軽油が120円で販売しているという表示を見つけた。前日は129円だったのにどういうことかと疑念を感じたが、相棒が戻ってみたらというので、引返して寄って給油することにした。守谷市辺りでは経由は100円台なのだが、佐渡では殆どが店頭表示をしていないし、している店も安くても127円ほどである。それが120円とは、まあ何と思いきったものだなと思った。しかし給油が終わってレシートを見ると看板に偽りありで、130円となっていた。納得できない相棒が店の方に行き問いただすと、しばらくごそごそやっていた人たちの中から一人が出て来て、昨夜遅く価格表示の改訂をした際にマグネットが外れて、それに気づかぬままに営業していたので、130円が正しいのだという。お詫びらしきタオルを1本持って来て、130円でお願いしたいとのこと。こうなると相棒は後にはひかず、マグネットことはそちらの話で、自分たちは価格の表示を見てわざわざ引返して給油したのであり、先ほどの店員の方も120円を認めた話をしていたのに、納得できないなどと頑張っていた。じゃあ、どうすればいいのかなどと開き直られて、店の人は再び引っこんで相談していたらしいけど、このような思いきりの悪い商売の仕方の店には、これ以上関わっていても仕方ないと決め、そのまま立ち去ることにした。教訓。安いと喜ぶような買い物には必ず何かの解せない要素が潜んでいる。340円を損する結果となる。店の名前は書かない。

道の駅に戻り昼食は温かいそうめん。その後は夕刻まで先ずは午睡とすることにした。牛尾神社は、この道の駅から歩いて5分ほどの場所である。もう運転作業は不要なので、ちょっぴり地酒の眠り薬を注入して、目覚めたのは15時半ごろだった。どうやら雨は降るのを止めたようで、このままこの空が続いて欲しいと願う。17時半ごろまでTVや資料などを見ながら過ごす。

17時半過ぎ神社に向かう。牛尾神社は杉の大木などに取り巻かれた中に社殿と能舞台があり、神社も能舞台も立派なものだった。これは初めて道の駅に泊った翌朝に確認していることである。既に暗くなりだした坂道を上って、境内の広場に着く。社殿にも能舞台にも灯かりが点り、準備に係る人たちが慌ただしく行き交っていた。見物の人たちはまだ数人来ているだけのようだった。ここの薪能は椅子席がなく、全部ブルーシートの上に敷かれたゴザだけだった。坐るのは苦手なので、持参した椅子を用いることにした。今回が3度目となり、今までは正面の席ばかりだったので、今日は横から観てみることにした。

   

牛尾神社能舞台。牛尾神社は、1200年以上の歴史を持つ神社であり、能舞台もそれに相応しい風格を持っている。ここでの薪能は今までの2か所よりも一つ多い3か所の篝火が用意されていた。

18時50分ごろに牛尾神社の宮司さんからの挨拶があったが、女性の宮司さんの挨拶は歯切れ良く心に届いた。先日の大膳神社の観光協会の挨拶とは雲泥の差があるなと思った。その後火入れの儀あがあり、巫女が松明でかがり火に火をともし、能の上演が始まった。今日の演目は「羽衣」である。

  

火入れの儀が済み、能の上演開始を待つ人たちの様子。一瞬の静寂が到来し、篝火の弾ける音だけが境内に響く。

これは勿論天女伝説に題材をとったものであり、そのあらすじは次のようである。 

「春のあけぼの、漁師の白龍は、三保の松原の景色にうっとりしていると、松枝に美しい衣がかかっているのが見える。白龍がその衣を持還ろうとすると美しい天女が現れ、それは私の衣ですので返してほしいと告げる。

白龍は天人の物ならば国の宝として地上におくべきだと言い、衣を返すことを拒む天女は衣が無ければ飛んで天上に帰ることができず、天上界を思い出しては嘆き悲しむ。白龍はその姿を不憫に思い衣を天女に返すことを告げる。

ただし、天の舞いを舞って欲しいという。天女は喜ぶが、衣を着ないと舞えないので先に衣を返して欲しいと告げる。白龍は、衣を返せば舞わずに昇天するつもりであろうと言い、又拒む。

 疑いは人にあり、天に偽りなきものを

白龍は天女の言葉に自らを恥じ、衣を天女に返した。

天女は衣を着て舞い始める。その姿は雨に濡れた花のような美しさであった。この十五夜の空に輝く満月のようになって富士山の高値に登ってゆき、天空の霞みの中に姿を消してゆく」

 

先ずワキの漁師が釣り竿を背に表われ、松枝に架かる衣を見つける場面から始まり、そのあとシテの天女が橋懸から静々としかも慌てた風情をかもしながら出て来た。それから後何度かのやり取りがあり、やがて天女の舞に至るのだが、3度目の観能となると、多少は筋書きも読めるし、所作も謡の文句も理解できるようになってきた気がした。ぱちぱちと火の跳ねる音と混ざり合って謡の声が響く景観は、能ならではのものだと改めて思った。1時間余りが経過して、やがて天女は富士のお山の空高くに上り消え去っていった。解りやすいストーリーである。

  

暗闇の中に浮かび上がる演能の舞台は、なんとも言えない厳かな雰囲気を漂わせている。場面は羽衣を返して貰った天女が舞を始める前の頃辺りか。

観応の所感は全て後の仕事として、今は控えることにしたい。能の後は鬼太鼓の出番である。佐渡の鬼太鼓は有名で、何度もその名は聞いているけど、本物を見たことは一度もない。今日はどんなのが見られるのか楽しみだった。この神社に奉納される鬼太鼓は、佐渡の鬼太鼓の発祥に係るものだという宮司さんからの紹介があって、そのあと潟上地区の保存会と吾潟地区の保存会の鬼太鼓が披歴された。どちらも黒髪を振り撒く鬼と白髪の鬼が、叩き続けられる太鼓の前で勇壮に踊るという、若者の踊りのように見えた。その軽快な動きには鬼の怖さよりも爽快感のようなものを感じた。計4匹の鬼の踊りが終わり、21時近く宵宮の神事は終わりとなった。

足元を懐中電灯で照らしながら、疎らな石段の坂みちを下り、車に戻る。駐車場には観光バスなども数台留っており、今夜も200名を超す観客が観能に訪れたのをしった。そのあと、ご飯を炊いて遅い夕食をとる。今頃卵かけご飯を食べている奴などいないだろうなどと言いながら、観能の興奮を鎮めつつ、間もなく寝床の人となる。

コメント
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