山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

国とは何か

2011-04-20 00:58:54 | その他

  今回の大震災に係わってマスコミなどで飛び交うことばの中で、今一つ曖昧な感じがしているものの一つに「国」というのがあります。日本国というのがその「国」なのですが、実のところこの言葉は曖昧で、この国に住む人は、それぞれが勝手に国というもののコンセプトを思い描いて受け止めている感じがするのです。

災害への対応に関して、その補償や救済に対して国がそれを引き受けるとか、原発事故に関して20km圏の避難を指示するとか、いろいろな場面で国ということばが出てきますが、これは政府ということなのか、法律で規定された対応を実現する官僚を指しているのか、或いは住民に対して直接実務を担当する地方公共団体を指しているのか、かなり曖昧な感じがするのです。

今回の東日本大震災に関しては、国という場合は「政府」を指しているようです。しかし、政府というのはそのメンバーが固定されたものではなく、特にこの頃は年がら年中交代ばかりしており、総理をはじめ各大臣も就任した途端に退任の話題が直ぐに生まれるという塩梅ですから、もし国ということばが政府を意味するということになると、何だか信用が置けない感じがしてしまうのは私だけではないような気がします。

国が補償するという場合、それは単なる口頭の約束などではなく、しっかりした法律に裏付けられたものという理解がありますが、果たして本当にそうなるのかの疑念をぬぐい得ません。特に何でも安易にええ格好しいの、約束にもならない宣言をしているような政党に対しては、心を許せない感じがします。「巧言令色鮮仁」(こうげんれいしょくすくなしじん)は論語の言葉ですが、やたらに耳触りの良いことばかり言っている人間には、人としての本当の心遣いが足りないのだというような意味だと思いますが、調子のいい人間というのは、己のその調子に乗ってしまって我を忘れがちになり、物事の真実をきちんと見極められない傾向があるように思います。

今回の大事件に対する政治家の人たちの動きは今一はっきり伝わってきません。政治家といわれる人たちは当然のことながら国を動かしているわけですから、もう少し政党であれ、個人であれ、何らかの行動指針なりを明確にした動きを国民に対して新たに示すべきではないかと思います。選挙の時にマニフェストなるものを掲げるだけで良いものなのか、未曽有の国難に際してはそれをどう乗り越えるかの指針を示して然るべきではないかと思うのです。

今の国会などで何が行われているのか。本当にこの震災の復興に心血を注いでやっているのか。口先だけの大して意味もない論戦ばかりに無駄な時間を費やしているのではないかと思えてしまうのです。国会中継や新聞などを見ると、政治家の発想と行動パターンは相変わらずで、自己主張と相手の弱点批判、もしくは追従といった内容が多く、真(しん)に時宜を見た建設的な提案による論議が殆ど見られないように感じています。国会の論戦は、相手案の否定や非難ばかりではなく、そのテーマに関してのベストを求めての提言や提案の合戦であるべきと思うのですが、この一大事に及んでも、相変わらずの締りのない議論ばかりであり、本当にこのようなことで復興が叶うのだろうかと心配は増すばかりです。

国という場合、どうやら実質的には官僚の動きがそれを決めていると思えてなりません。政治家の人たちよりも官僚の力の方が一段と上なのではないかと思うのです。官僚を悪視するという発想は誤りでしょう。悪視すべきは筋道の通らない官僚の行動や横暴な振る舞いであり、天下りなどもその一つに入るものでしょう。しかし是々非々で考えても、官僚が実質的に国を動かしておることは明白であり、政治家はこの力をもっともっと活用すべきです。官僚に使われているという実態は政治家の力不足を意味しており、意味のない悪視は滑稽ともいえる現象のように思えます。官僚の思い上がりを抑えるのは、政治家の実力しかありません。そして政治家の実力というのは、如何にして国民の渇望を正確にとらえ、そこから目指すべき指針や目標を明確化するか、ということにあるのではないでしょうか。それに基づいて具体的なプランを立案するのが官僚の役割だと思うのです。指針や目的も定められないような政治家は、政治家などと名乗るのはおこがましいというべきです。

この国難の時に、国を体する役割を担う人たちは、本当に国民を裏切らないようにお願いしたいと思います。もとはといえばそのような心もとない人を選んだ国民の側に問題があり、天に唾するようなものかもしれませんが、仮に巧言令色に騙されたとしたら、それはやはり騙した側の方に一段大きな罪があるのだと思います。ま、そのようなつまらない議論はどうでもいいことですが、国難は口先だけでは決して救えないのですから、国を動かす人たちは全員が、まさに絶体絶命の覚悟を持って、これからの己の仕事に全力を傾注して欲しいと思います。

コメント
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