山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

自衛隊の活躍に感謝する

2011-04-06 02:18:54 | その他

  昨日被災地の公務員の皆さまの無我の活躍に感謝と敬意のエールを送らせて頂いたのですが、もう一つ甚大災害時における自衛隊の皆さんの活躍を忘れることはできません。自衛隊員も紛れもないれっきとした国家公務員です。

 今回の東日本大震災では自衛隊からの派遣員数は10万人を超える規模となっているとのことですが、陸に海に空にと、その国と国民を守る働きは、どなたかがおっしゃるような暴力装置などとはとても思えません。もしこの国に自衛隊が無かったら、このような非常事態にどう対応するのか、政府は国としてどう責任をとるのか。国を守るための手段や組織を持たない平和などは、災害一つをとってみてもあり得ないということを思い知らされます。

 しかし私は戦争を肯定する者でも憲法における交戦権を認めるべきという立場でもありません。シビリアンコントロールの範囲の中で、国を守る強い力が無かったら、日本国は成り立ってゆくはずがないということを、国民の全てが強く認識すべと考える者です。確かに自衛隊が暴力装置だとしたら、これはかつての軍部のようなリーダーが輩出した時には危険な存在となると思いますが、そのこと以上に平和という名の無手勝流で、虚の安全を確保しうるという考え方の方がはるかに幼稚で危険だと思います。現実の自衛隊は、暴力装置などではなく、むしろかなり制限された条件の中で、国と国民を頑張って守っていると思います。

 さて、今日言いたいのは自衛隊のあり方などではなく、隊員として派遣されている人たちの寝食を忘れた働きに対する感謝と激励のエールです。津波の残した惨憺たる現地・現場の中で、がれきの中から手探りで行方不明の人を探し、その亡骸を見出しているのは、自衛隊の人たちの力に依存している部分が大きいのです。隊員といえども同じ人間です。民間人の心と何も変わらないのです。

新聞の報道によれば、若い隊員が遺体で見つかった母親とその子を収容するのに、泣きながら取り組んでいる姿が載っていました。自分の親兄弟姉妹のことを思えば、仕事とはいえどんなに辛いことなのだろうかと、その気持ちが分ります。過酷な環境の中で、様々な悲しい事態にぶつかりながらも、懸命に世の中人のために働いているのです。

現地の混乱状態の中で、被災された人々が最も心強く頼みにしたのは、自衛隊の活動ではなかったかと思います。政府の指令を受けて、現地で活動するのは当たり前のことかもしれませんが、そこで働く第一線の隊員たちは、現地被災者と同じ気持ちになって、政府関係者が考えている以上のことを使命として果たしているに違いないと私は思っています。

私の知り合いにも何人かの自衛官の人がおりますが、昔の軍人のような人は一人もおりません。皆さん謙虚な平和論者です。平和を唱えながら暴力に訴えるような悪辣な思想の持ち主など一人もいません。私は日本の自衛官というのは、健康な人達の集まりだと思っています。だから今回のような非常時に本物の力を発揮できるのだと思います。

それでもなお批判などをしたがる人もいるのかもしれません。そういう人間の多くは、現場を知らない、本当の姿を知らない、人間の本当の心や気持ちを知らない、ただの観念論者に違いありません。観念だけで世の中が動くなどということはあり得ません。どんなに理屈やアイデアを振り回しても、被災現地の救援や復興は現実の心のこもった行動・実践が無ければ寸歩も前進することはできないのです。

その意味において、私は過酷な現場第一線で懸命に汗を流して仕事を続けておられる自衛隊の隊員の皆さまに敬意を表すると共に、大きなエールを送りたいと思います。

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