山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

余震の日

2011-04-12 02:41:00 | その他

 東日本大震災から丁度1カ月が経ちました。あっという間です。しかし残念ながら一向に事態は収まってはいません。被災の全容も未だ判っていませんし、原発事故の成り行きも不明です。

 それなのに今日は追い打ちをかけるように余震という奴が何度も襲ってきています。今日は明らかに余震の日です。特に午後からはその強さや回数が悪化の途をたどっている感じであり、不気味さを加えています。関東以西に住まわれる方にはピンと来ないかもしれませんが、関東以北に住む人には今日は異常日だということは誰もが実感しておられるのではないでしょうか。

地震の怖さは、世の中の怖さの中でも第一等のものだというのは、「地震、雷、火事、親父」という世の真面目な戯言(ざれごと)の中に明らかです。地震の怖さは何の前触れもなく突然やってくるところにあります。原因が判るのはすべて後になってからであり、事前にはさっぱり判りません。雷も火事も親父も怖さも、その前触れには原因があってある程度は見当がつきますので予め防ぐとか覚悟するのもしやすいのですが、地震だけはどうにもなりません。地震の予知というのは普段の暮らしの中では全く当てにならない感じがします。

今日は何度も震度4レベル以上の地震が起こっていますが、ふと思うのはもしかしたらこれは余震などではなく、何か新しい大地震発生の前触れなのではないかということです。今回の大地震が引き金になって、別の断層が動き出しているのではないかという恐ろしい予感のようなものを感じています。

学者先生方の話は皆本当のことだと思うのですが、それらの理論理屈は理解できても、そのことがいつどこでどのように起こるのかという、我々が一番知りたい具体的な事柄は何一つ明らかにはなりません。起こりそうだという話は、東海大地震などの話が毎年9月1日の防災訓練の際などに話題となり、プレートがどうとかの話が出ますが、それが明日なのか1週間先なのか、ということになると何の明示も不可能です。要するに大自然の動きには人間の能力は遠く及ばず、計算では計り知れない何らかの力が秘められているということなのでしょう。

日々を動物として生きている我々人間には、コンセプトレベルの理屈では安全や安心をものにすることは不可能なようです。未来を正確に予知することは、人間の力では無理があるようです。大ざっぱにならできるとしても、それは限られた小さな範囲の中のことであり、総合的には無力に等しいような気がしてなりません。

ま、このようなことを言うと、科学者の方たちからはその無知を(わら)われるのは必定なのだとは思いますが、私としてはこれだけ毎日住まいを揺さぶり続けられると、科学の力などよりも大自然の力の方に圧倒されて、もう恐れ入るしかないように思うのです。

それにしても、不気味です。これを書いている今も2度ほど机が揺れ、窓ガラスが震えました。日本沈没というSF小説がありましたが、もしかしたらまさに今それが起こりかけているのではないかと思うほどです。東北から関東にかけての大地震が引き金になって、次に東海沖での大地震が起こり、更には南海沖でというふうに連続して大地震が起こらないという可能性はないとは言えないような気もしてくるのです。

もしこうなったなら、もはや国内のどこへ逃げたって無駄というものでしょう。国外へ逃げられる人は限定されますから、私などは最初からそのようなことは考えないことにしています。今、東日本大地震で被災された方々と同じ状況起こらないとも限らないのです。なんともはや不気味な一日でした。もうこれ以上の悲劇が起こらないことを祈るばかりです。

コメント (1)
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