山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

風評被害の犯人はどこに

2011-04-15 03:53:40 | その他

  東北南部及び関東一円の農家は、現在そしてこれから甚大な人災をこうむり続けることになるのではないかという非常なる心配があります。これはもしかしたら農家にとってTPPを超えるほどのものとなる危険性があります。それは風評被害と呼ばれているものです。

今回の原発事故によって、大気中に放出された放射能物質がどれほどの量になるのか見当もつきませんが、はっきりしているのは間違いなく放射性物質が地面まで降ってきており、その量も確実に増え続けているということでしょう。なぜなら、放射性物質を発生させているその根源の原発施設は依然として深刻さを増し続けているのですから。

今日(4/13)の新聞に載っている頭狂電力のトップの言では、今回の事故に対して現在まで適切な対応をし続けてきたということのようですが、大変な信念の人だなと思う反面、何とまあビジネスライクの人間知らずの人としか思えません。成り行きに任せて右往左往の処置をとり続けることが、適切な対応ということになるのであれば、どのような想定外の大問題が起きても心配ご無用となってしまうことになり、(げ)に恐ろしき判断と思わずにはいられません。原発というのは、従来の既存ビジネスの発想を超える問題(=危険性を)(はら)むものだということを改めて感じています。

一般的にビジネスの世界では事故(=アクシデント)というのは初めに罪ありの問題事項と捉えられます。それゆえ問題解決において重要なのは、起きた問題の事後の処置ではなく、その問題を起こした要因の追求とその対策による問題発生の予防ということになるのですが、今回の頭狂電力のトップは、そのことには言及しないことを厳守しているように思えます。大衆の見えない世界でのしがらみががっしりと取り巻いているのだと思います。

ところで、今回のテーマは風評被害ということなのですが、そもそも風評ということばが私は大嫌いです。こんないい加減なことばはありません。正体不明でありながら被害を及ぼすというのは、卑怯者の行為です。その卑怯者が風ということになると、これはもう手の打ちようがありません。こんなバカなことがあって良いのかと心底腹が立ちます。

それで、今回の農産物や海産物に対する風評被害の犯人はどこにいるのかについてあれこれ考えてみました。風ならば、その正体を科学的に分析できるかもしれませんが、その風を誰が起こし、使っているのかとなると、これはもう至難の解明となります。私の分析はもしかしたら見当違いなのかもしれませんが、何も考えずに風評に乗っているよりは少しはマシなように思っています。

先ず真犯人は、これはもう誰にでも明らかです。放射性物質を撒き散らしている事故の震源地に真犯人がいることは明白でしょう。何よりもこの事故を収束させ、放射能物質の飛散を止めることが最緊急の対処必要事項であることは間違いありません。しかし、風評災害そのものは、この収束に対する期待の前に広がっており、これには幾つかの原因が絡んでいると思われます。

風評被害の源となる要因を幾つかあげると、次のようなものが係わっていると思われます。

①放射性物質の測定のあり方

②出荷制限指示のあり方

③流通プロセスにおける関係者の動向

④消費者の購買行動

⑤マスコミ等の報道のあり方

野菜や海産物が吸収した放射能が、人体にとって危険であるかないかは、いわゆる基準値というバロメーターに拠るわけですが、そもそもこの数値がどれほどの信憑性(しんぴょうせい)を持つものなのか一般人には判断できず、学者先生たちの正義の味方としての安全値なのだと思います。ま、その数値は良いとして、問題はモニタリングといわれる測定のあり方です。どのエリアで、どれほどの規模で、どのような測定機器を使用しての調査なのか、どうもはっきりせず一般人には信用してよいのかどうかが判りません。たとえば測定の場所が限定された狭いエリアであるとか、或いは任意の点的な地点に限られているとしたならば、残された広範囲の汚染状の確認は不確実なものとなるのは当然ですし、測定機器の精度に狂いがあったとしたら、極めて細かな数値である以上、その信憑性は極めて多大な不安を含む感じがします。これらの調査測定の条件が相当満たされていない限り、とても一時的なデータ判断結果そうだなどと思いこむわけにはゆかず、不確実なデータによる判断が風評の根源となる可能性は大きいように思われます。

次に政府による出荷制限の指示のあり方ですが、前項のモニタリングの結果の妥当性と相俟って、その制限の指令と解除のタイミングのあり方が一層に風評被害を拡大させているように感じます。現在の政府の出荷制限指示とその解除のあり方は、極めて曖昧だと言わざるをえません。なぜならば、同じ土地に同じ時期に生育した野菜をある時は出荷を制限し、しばらくして大丈夫と制限を解除しているからです。たとえば、ホウレン草やカキ菜を取り上げて見るなら、制限の対象となったものと解除となった物とは同じ野菜であるからです。3週間ほどで以前と違う新しい物を出荷できるほど野菜の生育は早くはないからです。同じタイミングで育った野菜をある時は制限対象にし、3週間経ったら数値が基準値を下回ったから出荷してもOKというのですから、消費者サイドから見れば、どちらの方を信用して良いか判らないことになります。この論理で行けば、風評災害は政府自らが積極的につくり出していることになります。

3番目は、生産から消費に至るプロセスの中で、一体どこが、誰が風評の生み出しに力を入れているのかという問題です。これには生産者を除くすべてのプロセスに係わる人たちが関与していると思われますが、私が思うのには、最大の犯人は農家に対する野菜の発注者の立場にある者ではないかと思っています。消費者でも販売者でもなく、仲介業者として農家に対して野菜の買い上げを担当する発注者の立場にある者です。具体的にどのような人がそれに該当するのかは現在の市場の細かな仕組みを知りませんので、何とも言えませんが、一口でいえばバイヤーという役割を担う連中だと思っています。この人たちは常に消費者の味方を自認し、生産者の思いなどは無視する傾向があります。生産者がつぶれるよりも消費者の不要な満足までをも満たすことを考えてばかりいる輩が多く、日本の野菜がだめならば、海外から輸入すればそれで事足りるなどと考えている連中です。この連中にかかると消費者は誤った購買行動に駆り立てられ、知らず愚か者に(おとし)められることが多いように思われます。特に今回の風評災害ではその傾向が強く表れている感じがします。つまり、消費者が買わないだろうという勝手な思い込みから、安全といわれるレベルでもその野菜や魚の不買行為に走るからです。その結果消費者は買うこともできず、又その理由を知れば一層危険なのだと判断し同じように不買の心理が働くのは当然です。

4番目は消費者の購買行動ですが、私はある意味で消費者は風評被害の加害者側ではなく被害者側にいると考えても良いのではないかと思っています。消費者というのは一般大衆であり様々な価値観を持つ個々人の集合体ですから、購買行動における選択の自由が保障されるのであれば、どのような商品であっても買う買わないは常時消費者の自由なのです。この中から買わない者を犯人と決め付けるのは不可能です。むしろ自分の信念よりも周辺の歪んだ情報に踊らされて不安を覚えて買わないというのは当たり前と考えるべきと思うのです。先にむしろ被害者ではないかと言ったのは、現在風評被害の対象となっている野菜類の直売所には、大勢の人が押し掛けてそれを買っているという現実があるのですから。購買者が風評被害をつくっている側にあるよりも、その野菜を売らないようにしている連中の被害を受けていると考えてよいと思うのです。

最後にマスコミ等に登場頂くことになります。私はマスコミの報道は、それがどんなものでも注意を持っての受け止めが大切だと思っています。マスコミというのは正義の味方を語らって、己の意図の下にある時は被害者の側についた報道を、ある時には加害者の弁護に走る報道を行うことがあるからです。その内容は作り話ではなく、現実の事実に基づくものなのだと思いますが、視点(=意図)を変えれば同じ真実は毒にも薬にもなるという扱いを平気で行うからです。マスコミの報道には、常に相対的とか客観的とかいう内容扱いの考え方が付随していると思いますが、それをどう使い分けてゆくかはあくまでも報道主体の意思や意図によって為されてゆくわけですから、これを見抜かずに受け止めると、何でもマスコミの言う通りと信ずるご都合主義者になってしまいます。風評被害についていえば、マスコミは野菜に含まれる放射能の値が基準を超えたという時点で生産者の味方よりも消費者に(くみ)し、それが解除されると今度は気の毒な生産者に味方する記事を増やすということになります。しかも自らが風評作りに加担していることなどはそよ風が吹いているくらいにも思わず、次のステージでは風評被害の批判を書くといった次第です。我々はこれに踊らされることに馴れて来てしまっている感じがします。要注意だと思います。

ざっと風評被害の犯人の潜んでいると思われる5つの要因について述べましたが、そのどれもがひと癖ありそうなものばかりです。推理小説風にいえば、この5者が複合して犯行を行っているということになるのでしょうか。つまりは生産者を除く社会の全ての人々が何らかの形で犯人の一端を担っているということになるのかもしれません。実に難しい出来事です。

これからの人生の残りの時間を野菜作りなどの農耕作業により多くふり向けようと考えている自分には、野菜作りを生業(なりわい)としている生産者の被害者としてのやりきれない無念の気持ちがじくじくと伝わってきます。風評被害は、自分自身犯人であないいう厳粛って物事真実見極努力ず、ベスト選択す。

それにしても真犯人には、1日1時間1分1秒でも早い根本原因の収束をお願いしたいものです。直接間接に現場で大変な危険にさらされながら作業に従事される方々のことを思いながら、そしてこれから先新しい風評被害などが生まれてこないことを願いながら、一先ずこれを書き終えることにします。

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