山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

予告(安達巌鎮魂の旅)

2010-02-26 02:08:31 | くるま旅くらしの話

昨日は眠り爺の話となり失礼しましたが、毎年春先のこの季節は、私にとっては真に憂鬱な日々が続くときです。思考能力が消え去って、残るのは涙とくしゃみだけといった感じです。そして薬を飲めば眠り姫ならぬ、眠りジジイに成り果てるわけでして、何とも早や救いようがありません。

そのようなこともあって、只今はちょっと心穏やかにものを書くという心境になれないものですから、明日からは過去の旅の記録の中から未発表のものを取り出して何回かに分けて掲載させて頂きたいと思います。

ところで過去の記録の内、どれを何時発表したのかが良く判りません。チエックすれば良いのでしょうが、整理がついておらず、それを実行するのは困難です。今までのブログは書きっ放しなものですから、うっかりすると二重の発表となってしまう心配があります。幾らなんでもそれは避けなければならないと思って、これはずっと発表すまいと思っていたものを、思い切ってその禁を解くことにしました。

私の畏友(いゆう)の洋画家安達巌は、2006年の9月にこの世を去りました。このブログでも何回か書かせて頂きましたし、とくに昨年の10月には、奥様の必死の尽力による遺作展が、大阪の上本町の近鉄デパートで開催され、大反響を呼びましたのでお耳にされている方もいらっしゃるのではないかと思います。奥様は只今亡き夫の自叙伝を書こうと取り組んでおられますが、その完成が楽しみです。遺作展の反響の大きさなどから考えますと、私がこの旅の記録を発表しても特に問題はないのではないかと考え、その気になった次第です。

彼が亡くなった年の秋に、彼の鎮魂の思いを胸に、家内と二人で小さな旅をしました。家を出てから大阪に向かい、彼の位牌の前で冥福を祈った後、彼も縁のあった高野山に参詣しました。この旅の中で、彼の生い立ち、来し方を想い、そのことを書き止めることにしました。よって、この記録は普通の旅の記録とは異質のものだと私自身は思っています。5冊の記録を作成し、3冊を安達家に、2冊を我が家に保管することにし、それ以外は作成も配布もしないということに決めています。それは今も変わらないのですが、旅の内容については、オープンにしても特に困るようなことはないと思いますので、今回思い切って発表することにしたわけです。

人生にはいろいろの出来事がありますが、大切な友を喪うことは、肉親を喪うのと変わらぬほどに悲しみは深いものです。安達巌は絵描きでしたが、その絵は生命(いのち)を削ってのものでした。その絵は、両手を失うという障害を持つ人が描いた絵とは思えぬ、細密で力強さと優しさの溢れる絵でした。しかし、私は絵の出来具合の素晴らしさよりも、彼の人間としての偉大さに心を奪われてきました。辛酸を嘗め尽くして、茲まで大きく人間というものの可能性を証明した人は、私の知り合いの範囲の中では、彼以外には一人もおりません。大きな大きな存在でした。それ故に畏友なのです。

その鎮魂の旅の記録を明日から掲載することにします。4年も前の記録ですので、内容の中には今となっては遠い過去となってしまっていることも含まれています。改めて4年という時間の過ぎる速さを、この記録を読み返しながら気づかされて、驚いています。

記録は、日中は普段のくるま旅、夜間は安達巌の生い立ちや来し方の回想などを記すことにしています。明日から掲載を開始します。

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