山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

消えた木立

2010-02-13 04:14:02 | 宵宵妄話

このところ寒かったので、川沿いの歩きのコースは避けてなるべく林の中などを選んで歩いていたのですが、今日(2/11)は雨模様だけど風はなさそうなので、久しぶりに小貝川のコースを歩いたのでした。小貝川のコースの方は、守谷市内というよりも、その殆どが隣のつくばみらい市のエリアといった方がよく、川の堤防の下には旧谷和原村の田んぼが広がっており、その田んぼから5~600mほど離れた所が段丘になっており、そこには雑木林と民家の屋敷林が点在しています。春の終わり頃に田植えが終ると、水の満たされた田んぼは小緑の色に染まり、やがてその緑が濃さを増し、夏が過ぎて秋になると、黄金の美田が朝日に輝く景観となります。これらの中には幾筋もの農道が造られており、そのどの道を通っても散歩者には満たされる風景となるのです。

冬の今頃の田んぼは、ただもの哀しいだけの殺風景な景色が広がるだけであり、田んぼの縁に見える僅かな緑の中にタンポポの花が見つかり、オオイヌノフグリの楚々たる青紫の花が、寒さにもめげずに小さな春を告げているのが見出されるくらいなのですが、それでも季節の変化を楽しむには不足はありません。

その田んぼをしばらく歩いて小さな段丘の細道を登ってゆくと、関東鉄道の小絹という駅に近付くのですが、そこはもう住宅が立ち並び、明らかに都市化の波が押し寄せてきているのを実感できるエリアとなります。今日もその丘の道をその方向へ歩いていったのですが、何だかいつもと景色が違うのです。最初は気付かぬままに坂を登っていったのですが、ふと頭を上げると、瞬間的にいつもとは何かが違う景色がそこにあったのでした。えっ、何だこれはと思いました。木立がないのです。木立の向うにあった駅前の家々がやけにはっきり見えるのです。

直ぐに気づきました。犯人というのか共犯者というべきか、ショベルカーが置いてあり、その近くに伐り取られた杉の木の残骸が積まれていたからです。50本近くあった杉の木立はもう無くなっており、スッポンポンの空間が現出していたのでした。

  

ここにあった杉の木立は消滅していた。左は伐採の共犯者(?)右は伐り取られた杉の木の切り株と残骸。向うに見えるほどの規模の木立だったのに。残念。

それまでは、駅から100mも離れていないのに、良くもまあこの場所に杉の木立が残っているものだと、不思議に思うくらいでした。でも、とうとう都市化の波は本格化し出したようで、一瞬にして100年近く育った杉の木たちを処分してしまったようです。駅の向こう側のすぐ近くを通る国道294号線沿いに、最近大型の家電販売店が出現し、それだけで一挙に付近の景色が変わってしまったのですが、どうやらその余勢を駆って開発のエンジンがこの木立やその向うに広がっていた耕作放棄地らしき原野風の空き地の加工を始めたようです。

やむを得ないこととはいえ、私は都市化のための開発行為をあまり嬉しくなく思っています。自分が住んでいる場所も同じ開発行為によって出来上がっており、そのおかげで守谷に住めるようになったのですから、随分と又ご都合主義の勝手を言っているというのは、承知しています。しかし、出来る限り樹木たちの生命は数を減らすことなく残しながら開発をして欲しいと願わずにはいられません。無造作に樹木が伐採され、今まで見たこともないような景色が出現するのを楽しいとはどうしても思えないのです。

私は植物というのはすべて生き物だと思っており、それは動物と同じようにある種の意思を持って生命を養っているのだと考えています。その中でも特に樹木については、草などとは違った存在感を感じています。どのような人でも、例えば屋久島に行って、縄文杉や大王杉などの前に行けば、大樹の意思を感ずるはずです。守谷にも何本かの巨木がありますが、どの樹にも共通した生命の存在を感じさせられます。生命というのは、動物だけのものではないのだということを考えるならば、開発行為の中では、できる限り樹木を残すことを願わずにはいられません。

  

守谷市内にある市指定天然記念物の榎。二十三夜尊堂の境内に植えられている樹齢300年ほどの大木。左は全景、右は根元の逞しさ。しっかりと大地を掴む力は、相撲取りの力の比ではない。

過去、例えば庄川桜のように、御母衣ダム(岐阜県高山市・旧庄川村)の水没から救われて、数百年の生命を今尚そのダム湖の縁に花咲かせているのがあるように、全ての開発行為の中にそのような植物の命の延長を織り込む条件を付加してもいいのではないかと思うのです。それは開発の効率を邪魔するには違いないのですが、少しでも昔と現在、未来をつなぐために、人間の自然破壊の代償行為として義務付けられてもいいように思うのです。今日の木立の伐採だって、全部を伐り払ってしまうのではなく、可能な限り残しておけば、後何年か経ったときにこの地がその昔どのような所だったかを偲ぶ大きな証となるに違いないからです。

しかし現実はそのようなことはお構い無しに、事業計画が決まり、予算が確保できれば、あっという間に一木一草も残さず剝き出しの土地となり、そこに砂利が敷かれ、コンクリートが流し込まれて、人間のエゴだけが固まった平面や空間が出現してしまっています。小絹の駅付近がこのあとどのように開発されてゆくのかは見当もつきませんが、コンクリートの建造物が増えないことを願わずにはいられません。

小絹駅前付近の開発は、隣町の話ですが、我が守谷市の守谷駅前のその後の開発状況を見ていると、夢が削られてゆく町という感じがしています。当局の方は住み易さを強調して、何やらの調査では住み易い町として全国ナンバーワンだったとか、今でもベストテンに入っているとか強調していますが、私の見るかぎりでは、守谷駅前のまちづくりは、駅の東西の広場にだけは頭を使ったようですが、それ以外の場所は住む人のというよりも土地所有者の勝手な思惑だけが剝き出しになっているだけで、住み易さも町としての景観も味わいも何も無い、夢を削り続けている無策の為れの果てのような感じがしています。今のところは駐車場ばかりが乱立している感じで、いずれはそれぞれの土地に何かの目的があるのでしょうが、このような状態では、都市化された田舎町のどこにでもある風景が現出するだけではないかと思っています。ま、これは自分が何もしているわけではなく、ただ勝手にコメントしているだけですから、無力・無責任な話なのだと思いますが、夢を抱きながら移り住んできた者にとっては、淋しい限りです。

それでも守谷には緑がまだたくさん残っているのが救いです。何しろヤマトタケルがこの地を通った時に、あまりにも見事な森の景観に、森哉!と思わず称賛の声を発したというのが地名の始まりだというような説もあるそうですから、この緑は大事に保存できるように、しっかりと行政が力を発揮して欲しいものだと思います。

ちょっとオーバーな話となりましたが、旅の中でもこのような感慨に打たれる町や村がたくさんあるのです。まちづくりだとか村おこしだとかいう場合には、その軸というか芯となるものがしっかりしていないと、あっという間に一時の夢の残骸が残るだけになってしまいますので、為政を担当する人たちには特に心して欲しいなと思っています。

 

「山本馬骨のくるま旅くらし読本」発行のご案内

この度、前著「くるま旅くらし心得帖」の続編として、自作による「山本馬骨のくるま旅くらし読本」を刊行しました。副題を「60歳からのくるま旅くらしの楽しみ方」として、くるま旅くらしの意義、考え方、楽しみ方の理屈や事例などを紹介することにしました。又付録として、くるま旅くらしに関する何でもQ&Aを付加しました。これからくるま旅くらしを始めようとされる方には、これ一冊で旅の要領の凡そがお解かり頂けると思います。手作りですので、初版は20冊です。1冊1000円(送料・振込手数料込み)でお頒けいたします。

ご希望の方は、メール(pdl-taku.9930@themis.ocn.ne.jp)にて〒、住所、氏名、冊数をご記入の上お申し込み下さい。お支払いは、同封の振込用紙にて最寄の郵便局にてお振込下さい。メールのPdllはLの小文字です。

※より詳しく内容をお知りになりたい方は、私のホームページ「山本馬骨のくるま旅くらし元帳」にアクセスしてご覧下さい。アクセスはこのブログの右側にあるブックマーク欄から出来ます。

 

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