山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

どこも大体同じという旅

2010-02-22 01:26:44 | くるま旅くらしの話

先日TVを見ていたら、日本全国を旅して回ったというお婆ちゃんがいて、その方の感想が「大体皆同じ」というものでした。これを聞いていて、少なからず驚きました。大体皆同じという感想の旅とは、一体どのようなものなのだろうか、と。

私どもは毎年夏の北海道を訪れてもう10年以上になりますが、10回行っていても大体同じとはとても思えないからです。毎回似たようなコースを取ったりしているのですが、必ず何か新しい発見や出会いがあり、似たようなものといえば、食べている物と飲んでいる物くらいで、その他は全部違うように感じています。

旅というのは、勿論旅をする人の思いや目的に叶っていればいいことで、その感想が皆同じようなものでも、或いは全く違っているということでも、それは自由であって一向差支えないのですが、くるま旅こそが現代の旅の本命なのではないかと考えている私から見ると、何だか気の毒で可哀想のように思えてしまうのです。もしかしたらこれは私の思い上がりなのかも知れませんが、どこへ行っても同じようなものという旅の仕方は、少なくともくるま旅をされておられる方には、語って欲しくない感想のように思いました。

日本全国を回るという旅を、最短の時間で実現しようと思えば、いろいろな旅行社が企画されているパックツアーを、各エリアごとに1週間程度で回るなら、合計十数回で全国を見て回れるいう計算になるかもしれません。例えば北海道だって5日間で一周するという企画が行なわれているのですから、そのペースならもっと短時間で日本一周が実現できると思います。しかし、それが本当の旅といえるのかどうか、私には疑問が残ります。勿論旅には違いないのですから、文句などいうつもりは全くありません。ただ、疑問があるというのは、私の考えている旅の中身というか、形からはかなり違っているということなのです。

私の亡き父母も、父の退職後は何度か国内の旅に夫婦で出かけておりましたが、その殆どは旅行社の企画したツアーで、忙しない日程の中での観光の旅でした。それまでなかなか夫婦で旅などする余裕のなかった父母の人生の中では、それなりに満足のゆく旅だったと思います。でも恐らくどこへ行ってもスケジュールに追いかけられて、もう少し見たかったとか、ゆっくりしたかったという思いがあったのではないかと思います。決して不満など言うはずもないとは思いますが、もしかしたら父母に感想を聞いたなら、まあ、どこへ行っても大体同じようなもの、というような感想だったのではないかと、ふと思ったのでした。

旅の思い出を強く刻むためには、ただ景色や食べ物や温泉入浴を楽しむというだけでは、足りないものがあるように思うのです。それだけなら、感想は恐らく、大体同じようなものとなってしまうような気がします。では何が必要かといえば、やはり新しい発見や出会いなのです。既存のツアーの旅の中には、残念ながらこれが少ないように思えます。もし、ツアーの旅の企画の中に、最初から参加者のために様々な出会いや発見の材料が組み込まれていたとすれば、恐らく新種のツアーとして脚光を浴びるかも知れません。しかし、今のところそのような旅のメニューは殆ど用意されていない感じがします。

くるま旅は、そしてくるま旅くらしは、このツアーやパック旅行の限界をいとも簡単に突き破り、乗り越えた旅の形だと私は思っています。そしてこの旅を実現できる条件は、現役の方たちよりもリタイア後の世代にこそたっぷり可能性が与えられているのです。私が同世代の方たちに向かってくるま旅くらしを提唱しているのも、旅を通しての人生の確実な喜びを本当に味わえるからと考えるからなのです。

先日のキャンピング&RVショーの中で開催されたフォーラムの中で、旅が健康にもたらす効果というか、健康に大きく寄与するという考えが披瀝されていましたが、まさに我が意を得たりの感じでした。高齢者が元気になれる要素をくるま旅はたっぷり含んでいます。発見や出会いの感動という刺激は、人生を大きく健康化します。それは若者たちだけではなく、高齢者であっても何ら変わることはありません。

TVのお婆ちゃんが、皆どこも同じ、と言われた内容が、私の誤解であって、どこのへの旅も皆素晴らしかった、という意味の同じであれば、何の疑問もないのですが、是非そうであって欲しいと思っています。今日は旅について、ちょっと気になったことを書きました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする