またゲーム好きの若者が事件を起こしました。土浦での事件です。青少年による凶悪犯罪が起こり、加害者がゲームにはまっていたことが報じられることは、これまでも何度かありました。そしてそのたびに、ゲームが青少年のこころを歪める元凶のような言い方がされてきました。 きっと今回の事件についても、ゲームの影響を論じる識者の方がいらっしゃることでしょう。私は自分がゲームをしないし身近にする人もいないので、ゲームがこころに何らかの悪い影響を与えるのかどうかは分かりませんが、自分の子供の頃の遊びや、まだまだゲームをする年齢ですらありませんが、自分の子供にせがまれて一緒に遊んだりしていることと比較してみて思うのは、ゲームには役割期待が働いていないということです。普通、友達と遊んだり仲間で集って何かをする時には、必ず役割期待が存在します。それは、まだまだ幼い私の子供でも同じです。例えばままごとには、自分のなりきりと同時に相手への要求がありますし、当然相手からの要求もあります。子供は小さい頃から、遊びや集団活動の中で役割期待をされたり、それに応えようとしたり、あるいは期待される役割との葛藤を経験したりしながら、だんだんと社会性やアイデンティティといったものを身につけていくのだと思います。ところが、ゲーム遊びでは役割を期待されることがありません。ひたすら指先の反応速度や正確性を高めることと、ヴァーチャルな世界で自己を肥大させていくだけのように思えます。世に流布しているゲーム悪玉論みたいになってしまうのは避けたいところですが、少なくともゲーム遊びに熱中すればするほど、役割期待を受ける機会を失うことになります 。それはとりもなおさず、社会性やアイデンティティを育てる契機を奪われることにもなります。土浦の事件の報道に触れて、私たちが当たり前のように経験し、また今も日々経験している役割期待に、彼は充分にもまれてきたのだろうかと思いました。
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