花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

おぼつちやま

2007-09-12 22:57:14 | Weblog
 今朝、朝日新聞の天声人語を読んでいたら、世の中が変わるにつれて慣用句の基となっている事象の姿も変わり、その慣用句に誤用がみられるようになった例が紹介してあった。文化庁の国語世論調査によると、「そうは問屋が許さない(卸さないが○)」は24%、「出る釘(杭が○)は打たれる」は19%の人が使っているとか。流通革命で問屋の立場が弱くなったり、最近では杭を打つところを見かけないなど、世の移り変わりを反映しての誤用だそうだ。
 でも、言葉の誤用は世の中の変化だけが原因でもなさそうである。今日、辞任を表明した安倍首相が良い例だ。使う人の資質のよっても、言葉は生きたり死んだりする。記者会見に臨んだ安倍首相の弁を夕刊で読んで、そう思った。「全力を尽くして、職を賭していく」の「全力を尽くす」とは党首会談を申込む程度のことであり、「職を賭していく」とは会談を断れたことくらいでくじけてしまうことを言うのか。また、「テロとの戦いはきわめて重要であり、私の約束であり、国際公約であります。それをはたしていく上では、そこで私が職を辞すことで、局面を転換する方がむしろよいだろうと判断しました」とおっしゃるが、誰か他の人に後始末を押しつけるのって、それは約束をはたすとは言わないんじゃないか。
 佐賀県出身の元厚生官僚で内閣官房副長官を8年半も務めた古川貞二郎氏の著書「霞が関半生記」(佐賀新聞社刊)で、氏が次のように述べている箇所がある。「日本で一番重要と思うことは?」との問いに対する答えである。「『権限と権利が乖離している。その結果、言葉が軽くなっているのが一番の問題』と日ごろの考えを述べた。自分が深く心に思い、努力しようという気持ちもなしに、その場に合わせて発言する言葉は軽いということだ。」安倍首相の言葉は何も心に響かないばかりか、「そんな言い方ってあるのか」と後味の悪い違和感が残るが、古川氏の言葉は胸の奥まですぅーっと染み込んでいく。