花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

‘on demand’化と「安楽」への全体主義

2006-09-23 22:28:37 | Weblog
 先日の「‘on demand’化と自分探し」のブログを打っていて、以前読んだ、ある文章のことを思い出した。その文章とは、「藤田省三著作集6 全体主義の時代経験」(みすず書房刊)に収められている『「安楽」への全体主義』である。その中に、‘on demand’的なお手軽欲求充足の対極の姿として、次のようなことが書いてある。「必要物の獲得とか課題や目標の達成とかのためには、もともと避けることの出来ない道筋があって、その道筋を歩む過程は、多少なりとも不快な事や苦しい事や痛い事などの試練を含んでいるものである。そしてそれら一定の不快・苦痛の試練を潜り抜けた時、すなわちその試練に耐え克服して道筋を歩み切った時、その時に獲得された物は、単なる物それ自体だけではなくて、成就の「喜び」を伴った物なのである。そうして物はその時十分な意味で私たちに関係する物として自覚される。すなわち相互的な交渉の相手として、経験を生む物となる。「大物主の神」とも呼ばれ、「物語り」とも称せられて来た、そういう「物」は、明らかに唯の単一な物品それ自体ではなくて、様々な相貌と幾つもの質を持って私たちの精神に動きを与える物なのであった。そして成就の「喜び」はそうした精神の働きの一つの極致であった。」 藤田さんの言を私なりに敷衍すれば、‘on demand’化とは成就の「喜び」の放棄であり、「自分探し」とは「経験」の無さを穴埋めするための悪あがき、となるのかもしれない。