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新しいケータイが入りました

会社のケータイが今日から変わりました。今まで、ケータイは避けてきました。だけど、今回は様々な偶然が重なったので、ケータイに本格的に入り込んでいくことにしました。

偶然その1:今回のケータイにはWebへのアクセスとか、パワーポイントを見るための仕掛けがありました。「未唯への手紙」のパワーポイントも表示できます。これを使えば、パワーポイントの資料がなくてもすみます。

偶然その2:『ケータイのある風景』361.45マツを先週借りてきた。ケータイについて、かなり細かく社会学的なアプローチを行っています。特に主婦とか家庭にとってのケータイの社会学的な考察は珍しいです。

偶然その3:来週、KDDIとSa-ポータルのWeb表示をケータイに出す検討が決まった。Sa-ポータルのブログサーバー活用とかスケジュール管理では必須だと思っています

auにGoogleが入った時点で、ビジネス用のケータイの時代が近づいている気がしています。元々、2004年に「女子高生の文化のケータイ」が限界を迎え、ドコモがつぶれて、2005年から本当にビジネスに役立つ、コミュニティを成立させるケータイになっていくという仮説が1年遅れたところから始まっていきます。

家に帰ってからも、奥さんに「届きました」の入力の方法を習っていました。奥さんの先生である、未唯には壁紙などを設定してもらいました。

水曜日はマニュアルを見ながら、様々なセットをしていました。本当に色々な機能が適当においてあるという感じです。Sa-ライブラリはSa-ポータルにしようと思っていたが、ケータイならではの機能を使って、販売スタッフが活用できるイメージをイントラとインターネットで作り出しましょう。

ウェブの中でもブログでの表現はかなり使えそうです。これをケータイのポータルとして、どこまで拡大できるかがポイントになりそうです。
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「未唯への手紙」とブログとの関係付けを終えました。

「未唯への手紙」のパワーポイントと1月から11月15日までのブログとの関係のチェックと終えました。ブログの毎日の内容に、「未唯への手紙」でカテゴリーをつけました。

先週のイントラ・ブログのセミナーで、今後、必要な機能は「カテゴリー(分類)」「検索」「RSS機能(変更通知)」ということを確認しました。ブログにもカテゴリーは必要です。このブログの中で実験していきます。来年になっても、Yahooの機能が変わらなければ、カテゴリー付のブログサイトに切り替えましょう。

あわせて、Web上で検索できる機能も確認します。RSSにも開放して色々な実験をこの中で行いながら、「未唯への手紙」の完成を目指します。

とりあえずは、「未唯への手紙」にあって、今までブログで述べていない項目についてブログ側に順番に上げていきます。

1.私では『1.2.02「もう一人」の自分と孤独の中にいる』「1.4.02 伝える人の組織化」「1.4.03 自然に伝わる仕組み」

2.数学では「2.1.03 ゼロから考える訓練をしてきた」「2.2.01 部分は全体より大きい」「2.2.02 原因と結果のスパイラルからの脱却」「2.3.04 複雑性での社会の設計」「2.4.01 新しい数学を構築しよう」「2.4.02 新しい数学を展開していこう」「2.4.03 新しい数学のための具体的方策」

3.社会では「3.1.01 カウンセリングから始める」「3.1.04 ファーストフードも様々」「3.1.06 環境問題へのきっかけ」「3.1.07 ボランティア活動へのきっかけ」「3.4.01 地域・家庭・個人の心理分析」

4.歴史では「4.2.05 政治へのアプローチが可能か」「4.3.02 どの視点から歴史を見ていくのか」「4.4.01 数学から歴史をまとめよう」

5.仕事では「5.1.01 データベース技術を習得した」「5.1.03 1年単位でひとつずつ構築してきた」「5.1.08 梁山泊としてのF3E」「5.3.07 ファシリテーターでまとめる」「5.4.05 夢を持つこと、カタチにすること」

6.本では「6.4.03 新しい図書館のイメージを確立」

7.生活では「7.1.01 ひとりぼっちで生きてきた」「7.2.02 1週間の時間の使い方」「7.4.2 理数系アプローチでの生活の提案」
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「美しい国へ」はマイン・カンプになりうるか

『美しい国へ』310.4アベをやっと手に入れました。図書館に予約を入れてから、2ヶ月ぐらいです。全然、買うつもりはありません。

感想は「適当な本」です。思想もなく、目次だけで十分な本です。単なる感想です。いい訳です。

第一章 わたしの原点 デモ隊に囲まれた祖父の家、サラリーマンから大臣秘書官に、千万人といえども吾ゆかん、たじろがず、批判を覚悟で臨む ⇒ ジュニアの論理

第二章 自立する国家 自由を担保するのは国家、国はわたしたちに何をしてくれるのか、はたして国家は抑圧装置か ⇒ 国家は市民の上に立つ

第三章 ナショナリズムとはなにか 「君が代」は世界でも珍しい非戦闘的な国歌、曾我ひとみさんが教えてくれたわが故郷、国民のために祈る天皇 ⇒ やはり、天皇でしょう

第四章 日米同盟の構図 九・一一はアメリカを変えたか、日本とドイツ、それぞれの道、憲法前文に示されたアメリカの意志、自衛隊が独自に戦線を拡大したか、自衛隊が日本人を守れない現実 ⇒ 憲法を変えて、戦争をしましょう

第五章 日本とアジアそして中国 なにが中国を発展させたのか、中国社会の理想と現実、「中国専門家はだれもが中国と恋におちる」、日、印、豪、そして米国と連携 ⇒ 中国は大したことはない

第六章 少子国家の未来 人口が減っても生産性を上げることはできる、払った額の二倍受け取れる厚生年金、戦争ですべてを失った国民を救うためにはじまった、健康寿命と平均寿命はちがう ⇒ 国民を救うのが役割。そのために戦争もしましょう

第七章 教育の再生 国にたいして誇りをもっているか、ダメ教師には辞めていただく、学力回復より時間がかかるモラルの回復、「大草原の小さな家」にみる家族、「家族、このすばらしきもの」という価値観、映画「三丁目の夕日」が描いたもの、日本は格差社会になったのか、警戒すべきは格差の再生産、再チャレンジの可能な社会ヘ ⇒ 昔の家族はよかった。

こんなものを信用していいのか。また、こんな社会でいいのか。ヒットラーも国民に受けるものであれば、右だろうが、左だろうが、全ての「政策」を入れ込んだ。投票してもらうのが目標だから。我々にとって必要なのは、言葉とかイメージを信用するのではなく、本当にどうしていったらいいのかということを自分の頭で考えることです。論理的な思考と複雑なものを複雑なまま考える忍耐力を持って。
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Zimbra調査

ビジネスブログの底辺にある、Zimbraをイエのパソコンで調査していました。会社のパソコンだと、ブログ関係だとすぐに、制約がかかります。総務主体の会社ですから、本当に情けないです。

Zimbraはオープンソースで作られている。機能としては、電子メール、アドレス帳、スケジューラーなどを標準装備している。今年前半はメールとスケジュールをSa-ポータルにどう組み込むのかを検討して、結局、先送りして開発を行ってきています。

やはり、インターネットの世界では、こういうものがあるのですね。検討していた時には、従来型のやり方のメーカーを中心にやってきたので、見つからなかった。Web2.0的なアプローチをするとあるものです。これの検証をして、"取ってつけたみたいに"つけましょうか。

これが物にならなくても、アイデアはものになります。こういうものがあると言う世界を知りだけでも励みになります。やはり、情報収集は行かないと得られないですね。今回も、まあ、あまりめぼしいものはないから、早い便で福岡に行って、一人で屋台のおでんでも食べようかと思ったけど、最後までいて、本当によかった。

この会社にいると、情報収集ははかどります。一つのアイデアに対して、全国の販売店に行くことも、パソコンで全ての手配ができるし、講習会も前日に決めても行くことができます。私の場合、色々な開発を行ってきたので、札幌から鹿児島までの販売店で、頼めば、相談に乗ってくれる人ができました。

こういう調査も、結局は偶然を生かしながら、仮説実証していくやり方で、将来を決めていくしかありません。そのための偶然を増やすことをやっている気がします。当然、私でなければ、違う偶然になるでしょう。その先では、多分一緒になっていると思います。偶然は歴史を変えられないと信じています。
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Sa-ライブラリの良さは分かってもらいました

朝、9時に地下鉄で福岡空港へ行き、名古屋から到着したパートナーさんと待ち合わせて、空港そばの販売店を訪問して、Sa-ライブラリの説明。

5月18日にSa-ネットの説明をしたばかりだったので、Sa-ライブラリは分かりやすかったみたいですが、自社のシステムとの対比で、自社にあって、Sa-ライブラリにない機能ばかりの説明になってしまいました。いいところを話したかったけど、どうも元気がなさそうでした。

博多で博多名物「通りもん」を買いました。今回も「のだめカンタービレ」を持って行きました。気分やすめで読んでいました。その11巻にのだめがパリの音楽学校の教授のところに持っていったお土産が、この博多名物「通りもん」でした。だから、偶然を感じて、博多でしか売っていない「通りもん」を買いました。きっと何かいいことがあるはずです。

それから、ツバメで熊本まで行き、販売店の専務にSa-ライブラリの話をしました。15分ぐらい早く着いたのに、玄関で待っていました。帰りも店長が我々のタクシーが見えなくなるまで、見送りをしていました。本当に「お客様第一」がしっかり身についている販売店です。

5年ぐらい前に我々が作り上げたグループウェアのデモをした直後に、「これが欲しかった」と言われました。その言葉に勇気付けられて、100販売店に展開しました。その拡張機能を持つ、Sa-ライブラリについても、経営者の立場から感想が欲しくて、忙しいところを時間をとってもらいました。

パートナーの説明に対して、「期待しています」と言ってもらいました。言ったことをキッチリと実現することにします。

その後に、ほぼ、最終便で中部国際空港へ行き、23時に家に着きました。
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ビジネスブログとイントラブログ

東京・大手町で「Business Blog & SNS World」のセミナーを受けてきました。Sa-ポータルの中の「社内メール」のままでは、販売店でのブログに機能アップしていくのはムリがあるので、別にブログ用のサーバを設置することになると読んでいます。

今回のセミナーで分かったことは、私が狙っているのは「イントラブログ」というジャンルになると言うことです。

イントラブログでは、ブログそのもの以外に、RSS機能〔変更通知〕、検索機能、カテゴリ機能〔分類〕が必要であり、それらとブログがマッチするような、色々な試みがされていること、その元になる「ブログ」そのものの一つずつがデータベースであるということを理解しました。これを使えば、販売店に多様性と自由度を渡せるような気がします。ここまで分かれば、あとは私のワールドでいくらでも展開できます。

セミナーに参加された多くの人は、マーケティングに用いる「ビジネスブログ」に関心が持っていることも分かったけど、その会社として、いかにブログ的な文化を使いこなすかという「イントラブログ」での成功なしには、「ビジネスブログ」はうまくいかないと思いました。B-Bの世界を経て、B-Cを始めることで、実際の担当者の知恵が働くものです。最終的にはそれらをつなげれば、B-B-Cを実現できる。これを目指しましょう。会場にいて、私に気付きながら声をかけてくれなかったWATさん。うまく作り上げましょうね。

しかし、講演のあったVOX(www.vox.com/go/jp)に会社でアクセスしたら、警告が出てきました。またしても、監視と管理の世界。こんなところで、知恵を出せるのか! 本当にストレスがたまる世界です。

その後に、羽田空港経由で福岡に向かいました。着いたのは10時半ぐらいです。新幹線とは1時間ぐらいの差です。
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販売店にTGAL発想ができるか

今、Sa-ライブラリを焦って計画しています。何となく、残された時間が少ないような気がしてしょうがありません。ISO室長がいなくなっても、組織が変わってもできそうにもないし、私自身の2010年問題もあります。それまでにカタチに出来るかどうかです。

この最近、ISOさんとは話が合いませんね。これを辿ってみると、父のお通夜の時に来なかったことがずっと、私の中にあります。名古屋に来た時に、名古屋の人は弔辞に対して真摯であると感じた。その時に、父の葬儀(その当時は私の方が先と思って、やらないですむかなと思っていたけど)にも、当然、名古屋の人は来てくれると思っていた。

実際になってみると、GMだけでした。私が一番貢献した室長は来なかった。KDDIのSUZさんは10時過ぎに来た。だから、彼には恩義があると思っています。

今日もSa-ライブラリの実現のために苦労しているのに、「そんな茶飲み話をいつまでしているのか」という発言。東富士の後半に研究部から管理部担当になったKAT重役のような変わり身です。こう考えると、販売店にTGAL(Think Globally, Act Locally)の考えを適用できるのか不安になります。

だけど、「偶然」は「未来」を作ると思い、やれるところまでやります。今日でも、4時半の会議だったら、富山までGMの父の葬儀に出向いた!室長も会議に出席できたのだから。
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「のだめ」と中野さんのサックス

ここのところ、「のだめカンタービレ」にはまっています。月9を見るだけでなく、壁紙も「のだめ」に替えました。少女コミックは2回目を読んでいます。

はまった理由をよく考えると、東富士のNAKさんを彷彿させる為かもしれません。NAKさんの集中力と変人〈私の方が変わっていたけど)ぶり、そして、サックスにかける情熱。

サックスでは全国アンサンブルで銅賞をもらったのを知ったのは、沼津市民会館へ富士通沼津楽団のコンサートに行ったときです。その後、調べたら、雑誌にもコメント付きで写真が載っていました。格好良かった。

仕事は集中したら、女性も男性も大学院出の研究員も会ったものでなかった。ダメなものはダメ、みたいな。この時ほど女性の能力を信じたことはありません。

それから、私はフルートを始めました。未唯の結婚式の時に吹きたいというのもあったけど、少しでも会話ができるために続けたような気がします。5年間続けました。

今はそんな情熱をかけるものがありません。だけど、図書館にしても、市民参画活動にしても、契機となった女性はいます。
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パートナーの選び方

P社の技術者へSa-ライブラリの考え方の説明を行っていました。その時に、新しいシステムを作るときのパートナーの選び方を感じました。

私の場合は、やることに対して、作るだけ人をいりません。当然、管理とか監視の人もいりません。思いを一緒にして、知恵を出してくれ、考えてくれる人をパートナーにします。

20年前の東富士のときに、データ解析システムを改善するために、その頃は、まだバークレー版とスタンフォード版の規格が統合されていないユニックスをY社のSAT課長が提案してきた。だから、彼とパートナーを組みました。実験室と設計室をつなぐ光回線を有効活用して、一気にTCP/IPの世界に持っていきました。

その後に、名古屋に来て、その後進性には驚きました。何しろ、F社とN社しかなく、彼らができることしかしていなかった。その上、彼らは言われたものを作るだけの会社で、作ったものが悪いと使わないユーザーが悪いということですましてきた。

F・Nから脱却しようとしたら、彼らからの助言で基幹システムの開発から外されました。彼らはホッとしたでしょう。私のミッションをネットワークとパソコンをベースとしたシステムの開発に切り替えました。そこでは自分でパートナーを見つけることにしました。衛星配信の時もコンビニ配信の技術を流用しているシステム会社をパートナーにしました。

今回のSa-ポータルは、なぜかU社です。彼らはF・N社と同じ体質を感じています。だから、Sa-ライブラリに対しては、まともなパートナーを探しています。そのために色々な方面に声をかけています。

今回、P社にお願いしているのは、Sa-ライブラリのエッジサーバのアイデアに彼ら自身の価値観で乗れるかどうかです。そこに自社のニーズを感じるかどうか、その将来が見えるかどうかです。このエッジ・サーバは私がThink Glonbally, Act Locallyの考えに基づいて設計したのは確かですが、その考えを拡大できるかどうかにかかっています。
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ハンガリー1956、そして1989年を経て50年

1989年の引き金としての1956年のハンガリーが今、話題になっている。ネットで調べたら、本当にホットですね。こういうことも会社では禁止されています。今日もインターネットの個人利用の警告が回ってきました。本当に人間は歴史を知らなくてもいいのでしょうか? それを総務が判断してもいいのでしょうか。

金曜日に借りた本の中に1956年のハンガリー動乱(教科書では、そう表現しています。これは西側の矮小化の結果です)をテーマにした本が2冊ありました。『ハンガリー1956』234.7アンと『1956年のハンガリー革命』234.7リトです。50年前の1956年11月4日にソヴィエト軍が15機甲師団、戦車6000台をハンガリーに投入した。反革命として、徹底的な弾圧を行った。

第1次介入時には、ハンガリー人に同情したので、言葉が通じない地域の兵士を集めてきて、人と触れないように戦車で押さえ込んできました。

デンマーク・フィンランドでの環境学習からの帰りのフランクフルト便の左隣が外人でした。最初の1時間は右隣のJURさんと話していたが、眠たそうだったので、その外人と話を始めました。彼はハンガリー人の理工系教授で、岐阜大学へ行く途中でした。

会話の中で一番印象に残っているのは、「どこの都市がいいか」と聞いたら、一番がブタペストで、二番もブタペストだと言っていました。3番目にやっとウィーンが出てきました。何しろ、ブタペストが大好きだそうです。国を愛するレベルは生半可ではないです。

数学者のピーター・フランクルもハンガリー人と知っていたので、数学教育などについても聞いてみました。そのあとは例によって、「ブタペストの図書館はどこにありますか」です。そうしたら、大学の図書館は自分たちが作ったと言ってました。1956年の革命が成就したのは1989年だから、その後に作り上げて言ったのでしょう。

何しろ、今のハンガリーの人口よりも多くの人が海外に出ているし、アメリカの理論物理学の世界では、『「宇宙人」はもう地球に来ている。彼らはハンガリー人と名乗っている』というぐらいに名を上げています。それもこういう歴史があったからこそです。
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