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ハンガリー1956、そして1989年を経て50年

1989年の引き金としての1956年のハンガリーが今、話題になっている。ネットで調べたら、本当にホットですね。こういうことも会社では禁止されています。今日もインターネットの個人利用の警告が回ってきました。本当に人間は歴史を知らなくてもいいのでしょうか? それを総務が判断してもいいのでしょうか。

金曜日に借りた本の中に1956年のハンガリー動乱(教科書では、そう表現しています。これは西側の矮小化の結果です)をテーマにした本が2冊ありました。『ハンガリー1956』234.7アンと『1956年のハンガリー革命』234.7リトです。50年前の1956年11月4日にソヴィエト軍が15機甲師団、戦車6000台をハンガリーに投入した。反革命として、徹底的な弾圧を行った。

第1次介入時には、ハンガリー人に同情したので、言葉が通じない地域の兵士を集めてきて、人と触れないように戦車で押さえ込んできました。

デンマーク・フィンランドでの環境学習からの帰りのフランクフルト便の左隣が外人でした。最初の1時間は右隣のJURさんと話していたが、眠たそうだったので、その外人と話を始めました。彼はハンガリー人の理工系教授で、岐阜大学へ行く途中でした。

会話の中で一番印象に残っているのは、「どこの都市がいいか」と聞いたら、一番がブタペストで、二番もブタペストだと言っていました。3番目にやっとウィーンが出てきました。何しろ、ブタペストが大好きだそうです。国を愛するレベルは生半可ではないです。

数学者のピーター・フランクルもハンガリー人と知っていたので、数学教育などについても聞いてみました。そのあとは例によって、「ブタペストの図書館はどこにありますか」です。そうしたら、大学の図書館は自分たちが作ったと言ってました。1956年の革命が成就したのは1989年だから、その後に作り上げて言ったのでしょう。

何しろ、今のハンガリーの人口よりも多くの人が海外に出ているし、アメリカの理論物理学の世界では、『「宇宙人」はもう地球に来ている。彼らはハンガリー人と名乗っている』というぐらいに名を上げています。それもこういう歴史があったからこそです。
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