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私にとって市民参画とは

市民参画は自分を変えることです。そして、市役所を変えて、社会を変えることです。

久しぶりの市民会議でそう考えていました。だけど、今回のメンバーはそういうことを言っても全然通じようもないです。定年リタイアの支持待ちの方は、従来の延長線上の感覚を持たないでもらいたい。

内容は2年前の繰り返しです。そうなることは分かっていたので、私は「通りすがり」で済ましました。一切のコメントは発しません。単に空しさが横切ります。

では、この2年間が無駄だったかと言うと、有意義だったし、まだまだ続きます。私が得たものは大きかった。T-GALsでの実験はたのしいものです。T-GALsは永遠だと思っています。

デンマーク・フィンランドへの環境学習の海外視察以降の、この3年間で私の思考はかなり変わってきました。全体がどうなっているかが分かると同時に、自分のミッションがハッキリしてきました。

まあ、その分だけ、孤独と孤立の度合いが深まったかもしれません。社会へのいらだちも増えてきています。社会もかなり、悪くなっています。それをどうしたらいいのかも深まってきました。

さっき、リリー・フランクリーの詩集を見ていたら、気持ちを何か言葉に換えたくなっています。自分を深く表現できそうな気もします

そんな、こんなで社会活動を開館までつなげていこうと思います。市役所も、NPOも期待できないけど、それゆえに、自分でしかできないことがあるような気がしています。この会社の監視と管理の世界にそれなりに逆らって生きている自分ならできることをやりましょう。

その時に、気負いも反駁も必要ない。このままでは、市役所もNPOもだめになり、最後に市民がダメになると言うことの社会学的、数学的なアプローチを冷静に見ようと思います。これも気負いすぎだから、とりあえずは「通りすがり」の数学者でThink Globallyしましょう。皆がAct Locallyできるように。
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