未唯への手紙
未唯への手紙
OCR化した15冊
『リスクマネジメントの本質』
リスクマネジメントとファミリー・リスクマネジメント
経済主体とリスクマネジメント
リスクマネジメントのサイクル
リスクの一般的分類
リスクマネジメントのひろがり
家庭危機管理への展開
危機管理の始まり
家庭危機管理の意義
家庭危機管理の充実
葛藤リスクと家庭危機管理
家庭カウンセリングとリスク・コーディネイション
『黒海の歴史』
クリミア戦争
『スティーブ・ジョブズ』
アラン・ケイ
MAXC
アラン・ケイ
FLEXマシン
ダイナブック
未来を予測する最良の方法
スモールトーク
ダン・インガルス
アデル・ゴールドバーグ
ラリー・テスラー
アラン・ケイの獲得
『「都市」の世界史』
英雄たちの夢と挫折の都 カイロ さまざまな民族が入れ替わり支配者として君臨した
ナイル川の豊かな恵みは他民族に狙われた
カイロ誕生前のフスタートという都市
シチリア生まれのヨーロッパ人がカイロを建設した
フスタートが焼かれ、クルド人の王朝が樹立される
十字軍の侵略からカイロを守ったトルコ系の美女
マムルーク朝初代スルタンは美貌のシャジャル
モンゴル襲来を防ぐためにバイバルスを呼び戻す
今もカイロに伝説が残る人気者バイバルス
三度スルタンになった男が最盛期をつくる
「バフリー・マムルーク朝」から「ブルジー・マムルーク朝」へ
ナポレオンのエジプト遠征とムハンマド・アリー朝の誕生
スエズ運河の株を連合王国が入手する
連合王国はエジプトを事実上の保護国にしてしまう
ついに「エジプト人」がカイロの支配者となる
ナーセルのエジプト統治から二十一世紀に至るまで
古い街の隣に新しい街をつくってきたカイロ
『場所でつながる/場所とつながる』
人はなぜ場所に集まるのか--都市空間とコミュニティカフェ--
コミュニティか、集まりの場か
集まりの場の増加
コミュニティカフェが人の流れを変える
公共広場と住まいのシェア
集まりの機能とは
これはコミュニティの再生なのか
消費空間の集まり--ショッピングモール研究
都市空間のコミュニケーション--盛り場研究
2 コミュニティカフェは「コミュニティ」を再生しているのか
コミュニティカフェの概要
コミュニティカフェとは
コミュニティカフェの機能とは
イベント参加や情報収集活動
コミュニティカフェに対する期待
メディアの視線
研究者の視線
コミュニティカフエと「コミュニティ」
人びとのつながり
つながりを規定する要因とは
コミュニティカフェの場所の意味づけ
媒介的な空間として
『全国鉄道事情大研究 北海道篇』
JR富良野線 旭川空港へのアクセス線としても機能させるべし
ポイント
概要
沿線風景
車両
ダイヤ
将来
『転回期の政治』
民主政より独裁政へ
民主政の凋落と独裁政の興隆
政治観とタブー
独裁政と民主政
言論の自由
科学の自由
宗教の自由
タブーの再生
『現代広告論』
インターネット広告戦略
インターネット広告とは
インターネット広告の概略
インターネット広告の分類
インターネット広告の定義と4分類
インターネット広告の分類①:フォーマットと運用形式
インターネット広告の分類②:リスティング広告と運用型ディスプレイ広告
インターネット広告の分類③:ディスプレイ広告とネイティブ広告
インターネット広告の分類④
アドネットワーク
アドエクスチェンジ
RTB(リアルタイム入札)
第三者配信(3rd party ad serving [3PAS])
DSP (demand-side platform)
SSP (supply-side platform)
インターネット広告戦略
インターネット広告の効果
インプレッション効果
トラフィック効果(レスポンス効果と呼ばれることもある)
レスポンス効果(アクション効果)
インターネット広告の料金体系
インプレッション保証型
期間保証型
クリック保証型
成果保証型
インターネット広告戦略
ターゲティング戦略
リーチとフリークエンシー戦略
『図書館制度/経営論』
公共機関・施設の経営方法と図書館経営
経営とは何か
公共機関・施設の経営方法
公立図書館の経営
お経営の理念と運営
NPMの手法導入の妥当性
マーケティング
危機管理
図書館の組織・職員
図書館協議会
図書館協議会の任務
図書館協議会の活性化
図書館を支える住民団体
図書館ボランティア
図書館の管理形態の多様化
管理運営.業務の外部化
業務委託
指定管理者制度
PFI
市場化テスト
『哲学していいですか?』
哲学の始め方
ソクラテスと異邦人の目
例外者のための哲学?
「ただ知っていること」の力
成長している実感と哲学の苦しさ
世界が奇妙な場所に見えるとき
他者の言葉を使ってみる
孤独と哲学
哲学の態度
相互理解の不可能性
「このわからず屋が!」の裏側で
わからなさが増大する
先生に説明してもらおう!
正解を求める心
哲学の仕事
嫌われたって平気
「哲学の勇気」を下支えする
哲学の習慣
移動するアゴラ
『図書館情報学を学ぶ人のために』
知識が活性化する場所
図書館に求められる新しい役割
大学図書館によるアクティブラーニンダ支援
学生にとっての「ラーニングコモンズ」
気づきを誘発する「武蔵野プレイス」
建築が果たす役割・可能性
知識はとこにあるのか
知るということ
知識の外在化
外在主義と内在主義
双子地球の思考実験
言語による伝達
言語論的転回
外に現れたものとしての知識
記録による知識共有
世界の知識に到達するシステム
電子図書館の夢
ディスカバリサービスの登場
図書館の本質
ドキュメントによる知識共有現象
未来の図書館
『勉強の哲学』
アウトライナーと有限性
『エネルギー政策の新展開』
地球温暖化問題と日本
地球温暖化問題の科学と国際政治
地球温暖化とは何か
地球温暖化の科学的不確実性
地球温暖化による環境影響の不確実性
2℃目標とはどのようなものか
京都議定書からパリ協定へ
日本の温暖化対策
計画及び見通し
法制度の省庁毎の分担
省エネルギー法等
地球温暖化対策税とエネルギー諸税・環境・安全規制等
経団連低炭素社会実行計画
長期的な見通し
日本政府の技術開発戦略・ビジョン
日本の戦略
『「おもてなし」という残酷社会』
過剰・感情労働時代のストレスとの付きあい方
客となってストレスを発散する社会
リフレーミングの必要性
自己開示できる場をもつ
腹が立つこと、ムシャクシャすることをノートに書き留める
注目されるレジリエンスという心の性質
どうすれば、レジリエンスを高めることができるか
肯定的な意味づけの力を高める
感情労働の一要素である「探索的理解」
ある程度の自律性をもたせるような仕事のやり方を模索する
日頃の生活を充実させる
「おもてなし」の勘違いに気づく
『よくわかる環境社会学』
環境を守る/創るたたかい
地域に根ざした視点が守る/創る
環境を「守る」から「創る」`
地球環堺問題の時代の環境運動
「地球環境問題」の時代を追い風にして
環境を守る新しい手法
環境と市民参画
地域に根ざしたグローバルという視点
社会運動としてのNPO・ボランティア
社会運動とは何か
NPO・ボランティア
日本におけるNPO・ボランティアの現状と課題
環境に関わる市民活動とNPO/NGO
市民活動NPO/NGOとは何か
環境に関わる市民活動・NPO/NGO
市民活動(市民運動)の「制度化」と「事業化」の課題
環境NPOとコミュニティ・ビジネス
環境コ芝ュニティ・ピジネスとは
リユース食器を貸し出す:事例1
市民風車で自然エネルギーをつくる:事例2
福祉にもつながった「葉っぱビジネス」:事例3
環境コミュニティビジネスの意義と可能性
自治体の環境政策とコミュニティ
「身近な地域から行動する」ことの大切さ
日本の自治体環境政策の歴史:公害対策から環境自治体まで
持続可能な地域づくりと住民による環境自治
実践としてのまちづくり/地域づくり
「まちをつくる」とはどういうことか
生活実践に基づく住民の権利
まちづくりに関わるということ:実践コミュニティの発想
リスクマネジメントとファミリー・リスクマネジメント
経済主体とリスクマネジメント
リスクマネジメントのサイクル
リスクの一般的分類
リスクマネジメントのひろがり
家庭危機管理への展開
危機管理の始まり
家庭危機管理の意義
家庭危機管理の充実
葛藤リスクと家庭危機管理
家庭カウンセリングとリスク・コーディネイション
『黒海の歴史』
クリミア戦争
『スティーブ・ジョブズ』
アラン・ケイ
MAXC
アラン・ケイ
FLEXマシン
ダイナブック
未来を予測する最良の方法
スモールトーク
ダン・インガルス
アデル・ゴールドバーグ
ラリー・テスラー
アラン・ケイの獲得
『「都市」の世界史』
英雄たちの夢と挫折の都 カイロ さまざまな民族が入れ替わり支配者として君臨した
ナイル川の豊かな恵みは他民族に狙われた
カイロ誕生前のフスタートという都市
シチリア生まれのヨーロッパ人がカイロを建設した
フスタートが焼かれ、クルド人の王朝が樹立される
十字軍の侵略からカイロを守ったトルコ系の美女
マムルーク朝初代スルタンは美貌のシャジャル
モンゴル襲来を防ぐためにバイバルスを呼び戻す
今もカイロに伝説が残る人気者バイバルス
三度スルタンになった男が最盛期をつくる
「バフリー・マムルーク朝」から「ブルジー・マムルーク朝」へ
ナポレオンのエジプト遠征とムハンマド・アリー朝の誕生
スエズ運河の株を連合王国が入手する
連合王国はエジプトを事実上の保護国にしてしまう
ついに「エジプト人」がカイロの支配者となる
ナーセルのエジプト統治から二十一世紀に至るまで
古い街の隣に新しい街をつくってきたカイロ
『場所でつながる/場所とつながる』
人はなぜ場所に集まるのか--都市空間とコミュニティカフェ--
コミュニティか、集まりの場か
集まりの場の増加
コミュニティカフェが人の流れを変える
公共広場と住まいのシェア
集まりの機能とは
これはコミュニティの再生なのか
消費空間の集まり--ショッピングモール研究
都市空間のコミュニケーション--盛り場研究
2 コミュニティカフェは「コミュニティ」を再生しているのか
コミュニティカフェの概要
コミュニティカフェとは
コミュニティカフェの機能とは
イベント参加や情報収集活動
コミュニティカフェに対する期待
メディアの視線
研究者の視線
コミュニティカフエと「コミュニティ」
人びとのつながり
つながりを規定する要因とは
コミュニティカフェの場所の意味づけ
媒介的な空間として
『全国鉄道事情大研究 北海道篇』
JR富良野線 旭川空港へのアクセス線としても機能させるべし
ポイント
概要
沿線風景
車両
ダイヤ
将来
『転回期の政治』
民主政より独裁政へ
民主政の凋落と独裁政の興隆
政治観とタブー
独裁政と民主政
言論の自由
科学の自由
宗教の自由
タブーの再生
『現代広告論』
インターネット広告戦略
インターネット広告とは
インターネット広告の概略
インターネット広告の分類
インターネット広告の定義と4分類
インターネット広告の分類①:フォーマットと運用形式
インターネット広告の分類②:リスティング広告と運用型ディスプレイ広告
インターネット広告の分類③:ディスプレイ広告とネイティブ広告
インターネット広告の分類④
アドネットワーク
アドエクスチェンジ
RTB(リアルタイム入札)
第三者配信(3rd party ad serving [3PAS])
DSP (demand-side platform)
SSP (supply-side platform)
インターネット広告戦略
インターネット広告の効果
インプレッション効果
トラフィック効果(レスポンス効果と呼ばれることもある)
レスポンス効果(アクション効果)
インターネット広告の料金体系
インプレッション保証型
期間保証型
クリック保証型
成果保証型
インターネット広告戦略
ターゲティング戦略
リーチとフリークエンシー戦略
『図書館制度/経営論』
公共機関・施設の経営方法と図書館経営
経営とは何か
公共機関・施設の経営方法
公立図書館の経営
お経営の理念と運営
NPMの手法導入の妥当性
マーケティング
危機管理
図書館の組織・職員
図書館協議会
図書館協議会の任務
図書館協議会の活性化
図書館を支える住民団体
図書館ボランティア
図書館の管理形態の多様化
管理運営.業務の外部化
業務委託
指定管理者制度
PFI
市場化テスト
『哲学していいですか?』
哲学の始め方
ソクラテスと異邦人の目
例外者のための哲学?
「ただ知っていること」の力
成長している実感と哲学の苦しさ
世界が奇妙な場所に見えるとき
他者の言葉を使ってみる
孤独と哲学
哲学の態度
相互理解の不可能性
「このわからず屋が!」の裏側で
わからなさが増大する
先生に説明してもらおう!
正解を求める心
哲学の仕事
嫌われたって平気
「哲学の勇気」を下支えする
哲学の習慣
移動するアゴラ
『図書館情報学を学ぶ人のために』
知識が活性化する場所
図書館に求められる新しい役割
大学図書館によるアクティブラーニンダ支援
学生にとっての「ラーニングコモンズ」
気づきを誘発する「武蔵野プレイス」
建築が果たす役割・可能性
知識はとこにあるのか
知るということ
知識の外在化
外在主義と内在主義
双子地球の思考実験
言語による伝達
言語論的転回
外に現れたものとしての知識
記録による知識共有
世界の知識に到達するシステム
電子図書館の夢
ディスカバリサービスの登場
図書館の本質
ドキュメントによる知識共有現象
未来の図書館
『勉強の哲学』
アウトライナーと有限性
『エネルギー政策の新展開』
地球温暖化問題と日本
地球温暖化問題の科学と国際政治
地球温暖化とは何か
地球温暖化の科学的不確実性
地球温暖化による環境影響の不確実性
2℃目標とはどのようなものか
京都議定書からパリ協定へ
日本の温暖化対策
計画及び見通し
法制度の省庁毎の分担
省エネルギー法等
地球温暖化対策税とエネルギー諸税・環境・安全規制等
経団連低炭素社会実行計画
長期的な見通し
日本政府の技術開発戦略・ビジョン
日本の戦略
『「おもてなし」という残酷社会』
過剰・感情労働時代のストレスとの付きあい方
客となってストレスを発散する社会
リフレーミングの必要性
自己開示できる場をもつ
腹が立つこと、ムシャクシャすることをノートに書き留める
注目されるレジリエンスという心の性質
どうすれば、レジリエンスを高めることができるか
肯定的な意味づけの力を高める
感情労働の一要素である「探索的理解」
ある程度の自律性をもたせるような仕事のやり方を模索する
日頃の生活を充実させる
「おもてなし」の勘違いに気づく
『よくわかる環境社会学』
環境を守る/創るたたかい
地域に根ざした視点が守る/創る
環境を「守る」から「創る」`
地球環堺問題の時代の環境運動
「地球環境問題」の時代を追い風にして
環境を守る新しい手法
環境と市民参画
地域に根ざしたグローバルという視点
社会運動としてのNPO・ボランティア
社会運動とは何か
NPO・ボランティア
日本におけるNPO・ボランティアの現状と課題
環境に関わる市民活動とNPO/NGO
市民活動NPO/NGOとは何か
環境に関わる市民活動・NPO/NGO
市民活動(市民運動)の「制度化」と「事業化」の課題
環境NPOとコミュニティ・ビジネス
環境コ芝ュニティ・ピジネスとは
リユース食器を貸し出す:事例1
市民風車で自然エネルギーをつくる:事例2
福祉にもつながった「葉っぱビジネス」:事例3
環境コミュニティビジネスの意義と可能性
自治体の環境政策とコミュニティ
「身近な地域から行動する」ことの大切さ
日本の自治体環境政策の歴史:公害対策から環境自治体まで
持続可能な地域づくりと住民による環境自治
実践としてのまちづくり/地域づくり
「まちをつくる」とはどういうことか
生活実践に基づく住民の権利
まちづくりに関わるということ:実践コミュニティの発想
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地政学から配置への変換
腰が痛くて、座ってられない
また、腰が痛くなっている。座ってのパソコン入力は最低限しかできない。と言う言い訳です。未唯宇宙を急がないと。
民主主義でのハイアラキー
民主主義ゆえに中央集権と中途半端なハイアラキーがあります。徹底したハイアラキーですぐに全体主義になります。それがいやなので、本来の民主主義は下から積み上げないといけない。日本にはこれに持って行く基礎はできていない。市民の覚醒が求められる。つまり、何故、そこにいるのかの自覚です。
4.2「国民国家」
4.2「国民国家」。要するに国家という枠が合わなくなっている。地域との関係、多様化とか自由との関係、という内の問題。そして、グローバル化という外との関係で揺すぶられている。
4.6~4.8
4.6と4.7は同じことを言っている。それぞれの階層における動きです。4.6は過去との関係、4.7は内なる変化を示している。それぞれが観点で様相が変わってきます。歴史と言うよりも、各階層の変革です。四つの階層はハイアラキーでなくて配置なので、内にあろうと外にあろうと、それぞれ別個に起こります。
過去に起こったこと、今、起こっていることをその中に持ち込んでシナリオを作っていこうというものです。つまり、内なる世界で起こっていることと外tの関係。この流れで4.8「未来への形」を述べていきます。
地政学から配置への変換
地政学が力を持たなくなっています。日本と朝鮮と日本とトルコ、日本と南米の関係は同等になっていく。それよりも同一回背負うでの連携が影響してくる。バラバラなものがくっついてきます。
地政学で、尖閣諸島がどうのこうのというような課題は一つ上の階層で解決されます。その時に、国家の比重は軽くなってきます。いかに国家という枠を破るのか。
上の超国家と下の地域に国家は挟まれてしまう。同様なことは地域に対しても、国家と市民の間に挟まれてしまう。この場合は、国家よりも超国家の方が力を持つことになる。これはパートナーが見出した三段階ロジックが適用される。その際に、国家の形態があまりにも閉鎖的な日本は最後になるでしょう。
歴史の中核も考えていきたい
こう考えると、歴史の中の階層論(構造論)になってくる。歴史の中核ではなく、端の方の話になってきている。トルストイのように歴史の本質を探りたい。
ヘーゲルにしても、あの膨大な資料、明晰な頭を持ってしても、「自由」という軸でしか書けなかった。。
4.8「新しい構造」で一端、止めて、落ち着かせるのではなくて、そこで言いたいことを述べよう。
また、腰が痛くなっている。座ってのパソコン入力は最低限しかできない。と言う言い訳です。未唯宇宙を急がないと。
民主主義でのハイアラキー
民主主義ゆえに中央集権と中途半端なハイアラキーがあります。徹底したハイアラキーですぐに全体主義になります。それがいやなので、本来の民主主義は下から積み上げないといけない。日本にはこれに持って行く基礎はできていない。市民の覚醒が求められる。つまり、何故、そこにいるのかの自覚です。
4.2「国民国家」
4.2「国民国家」。要するに国家という枠が合わなくなっている。地域との関係、多様化とか自由との関係、という内の問題。そして、グローバル化という外との関係で揺すぶられている。
4.6~4.8
4.6と4.7は同じことを言っている。それぞれの階層における動きです。4.6は過去との関係、4.7は内なる変化を示している。それぞれが観点で様相が変わってきます。歴史と言うよりも、各階層の変革です。四つの階層はハイアラキーでなくて配置なので、内にあろうと外にあろうと、それぞれ別個に起こります。
過去に起こったこと、今、起こっていることをその中に持ち込んでシナリオを作っていこうというものです。つまり、内なる世界で起こっていることと外tの関係。この流れで4.8「未来への形」を述べていきます。
地政学から配置への変換
地政学が力を持たなくなっています。日本と朝鮮と日本とトルコ、日本と南米の関係は同等になっていく。それよりも同一回背負うでの連携が影響してくる。バラバラなものがくっついてきます。
地政学で、尖閣諸島がどうのこうのというような課題は一つ上の階層で解決されます。その時に、国家の比重は軽くなってきます。いかに国家という枠を破るのか。
上の超国家と下の地域に国家は挟まれてしまう。同様なことは地域に対しても、国家と市民の間に挟まれてしまう。この場合は、国家よりも超国家の方が力を持つことになる。これはパートナーが見出した三段階ロジックが適用される。その際に、国家の形態があまりにも閉鎖的な日本は最後になるでしょう。
歴史の中核も考えていきたい
こう考えると、歴史の中の階層論(構造論)になってくる。歴史の中核ではなく、端の方の話になってきている。トルストイのように歴史の本質を探りたい。
ヘーゲルにしても、あの膨大な資料、明晰な頭を持ってしても、「自由」という軸でしか書けなかった。。
4.8「新しい構造」で一端、止めて、落ち着かせるのではなくて、そこで言いたいことを述べよう。
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環境に関わる市民活動とNPO/NGO
『よくわかる環境社会学』より 環境を守る/創るたたかい 地球環堺問題の時代の環境運動
市民活動NPO/NGOとは何か
「市民活動」という言葉を聞いたことがあるだろうか。ここでは、環境保全をはじめ、幅広い分野においてさまざまな思いをもった一般の人びとが、自主的に集って活動することを「市民活動」と呼ぶことにしよう。「市民活動」という言葉がいつから使われたのかという点を明確にすることは難しいが、1970年代頃から使われ始めたと考えてよいだろう。
それまでに展開された公害問題を契機とした「住民運動」や、平和・環境・人権などめさまざまな分野で展開された「市民運動」に関わっていた人びとだけではなく、運動に関わっていなかった人びとも含めて、生活に密着した課題(まちづくり・環境・福祉・人権・草の根レベルの国際交流・教育・平和など)の解決をめざす市民の試みを「市民活動」と呼ぶようになった。とくに80年代後半以降、「ネットワーク/ネットワーキング」を合い言葉に、さまざまな領域、種類の団体の緩やかな連携が模索され、市民活動の裾野は広がっていった。一方で住民運動や市民運動と対立していた行政も、「運動」ではなく市民「活動」という表現を用いて市民の主体的、自発的な活動を評価し、自治体の公共政策の中に市民活動を位置づけてきたという側面も確認しておきたい。
さて、最近ではNGOやNPOという言葉のほうをよく耳にするだろう。NGOは「Non Governmental Organization」の略で非政府組織と呼ばれる。その起源は19世紀初期の人道支援活動にあり、 NPOに比べて歴史は古い。一方、IMPOは「Non Profit Organization」の略称で、非営利組織と呼ばれる。NPOには、公益法人(社団法人や財団法人)や労働団体、経済団体などを含むような広義の定義もある。日本において一般的に議論されているNPOは、NPO法人のほかにはボランティア団体や市民活動団体が含まれる。また、町内会や自治会・自治会・婦人会・PTAといった伝統的地域団体の活動は、行政の末端組織という位置づけもなされるが、地域のまちづくり活動や社会問題の解決の主体として機能することも少なくない。さらに上で述べたNGOも当然NPOの中に含まれる。NPOの定義をめぐって組織の規模の大小と他益性(「他者のため、社会のために活動する度合い」)と共益性(「仲間内のために活動する度合い」)という軸でNPOの類型が議論されている(図1)が、他益性と共益性の区分をつけることも難しく、現場の多様な実態をみると「何かNPOか」という定義に関わる厳密な議論はあまり意味がない。
環境に関わる市民活動・NPO/NGO
環境に関わる市民活動・NPO/NGOといってもその内容や活動形態は千差万別である。図2は独立行政法人・環境再生保全機構による「環境NGO総覧オンラインデータベース」(平成26年7月現在)に登録されている環境団体(5,249団体)の活動内容を示したものである。環境教育、自然保護、まちづくり、森林の保全・緑化などの活動が多いことがわかる。ところで、市民活動・NPO/NGOの類型の方法にはさまざまあるが、ここでは活動内容が行政当局や企業に対する働きかけなのかそれとも、活動の参加者に向けられたサービスなのかという点と、その活動に団体メンバーが直接的に参加するのか間接的に参加するのかという点から活動のパターンを類型化しよう。
①は公害反対の住民運動のように、行政当局や企業などに対して抵抗・告発型の抗議活動を伴う活動である。 1960年代の公害反対運動やその後の大規模開発問題(コンビナート建設や原子力発電所など)や高速交通問題(新幹線・空港建設など)に反対する住民運動・市民運動などが該当する。
②には「○○の自然を守る会」など、自然を守りながら参加者自身が自然に親しむ活動などがあてはまる。また、1970年代半ば以降の都市部で問題になった生活公害(ゴミ問題、洗剤公害など)に対して各地で展開された使用自粛運動や、環境配慮の啓蒙活動なども該当する。
③には事業活動を行う市民運動・NPO/NGOが該当し、たとえば環境保護を目的に自然体験学校を開催する団体や、リサイクル活動を事業として運営する団体、市民出資による風力発電事業をするNPOなども例としてあげられる。社会的なミッションに対して活動をする「社会的企業」もこの類型に含まれる。
④の議会に代表を送る活動は、議会や審議会などの既存の制度やロビー活動を通じて、法整備のような新たな制度形成を求める活動である。たとえば、ドイツの緑の党や日本の生活クラブ生協の代理人運動、市民活動などが行政から補助金を受けながら行政の審議会などに参加する「政策受益団体」、さらに地球温暖化防止に向けた京都議定書(1997年)の議決に際してロビー活動を展開し成果を収めた環境NGOがあげられる。
留意すべきは、活動類型はそれぞれ独立しているのではなく、1つの市民活動団体・NPO/NGOの中に併存していることも多い。また、活動内容が変化ずることもあり、③への変化は「事業化」、④への変化は「制度化」と呼ばれる。最後に市民活動の事業化・制度化の課題についてみてみよう。
市民活動(市民運動)の「制度化」と「事業化」の課題
市民活動・NPO/NGOの活動を継続的に展開するためには、「手弁当的な活動」では困難であり、活動費の捻出や事務所の維持のための資金調達が必要になってくるよそのために何らかのサービスを提供し事業活動をする市民活動・NPO/NGOも少なくない。有機農産物や産直提携、風力発電や太陽光発電の事業化、廃食油を原料としたバイオ燃料、石けん製造などの活動は、非市場的なニーズを事業化した成功例である。その一方で、市場化した領域は営利企業との競合にさらされ、活動の内容も企業と変わらなくなる可能性もある。それぞれの活動が元来もっていた社会変革のピジョンや社会的ミッションに立ち返ることが,,市民活動・NPO/NGOらしさを保つことにつながる。
また、新たな制度形成を求めるために既存の制度の中で活動する団体の場合、政治や政策決定に影響力をもちうるが、同時に体制側からみれば、制度化され た団体は体制内部に取り込まれたことになる。実際に1990年代以降、市民の自発的な活動を調達し公的サービスの限界を補おうとする行政セクターの政策(NPM : New Public Management 型政策)が広がり、市民活動の振興政策と市民活動団体やNPOと行政との「協働」(パートナーシップ)政策が進展している。
一方で、市民による事業が行政政策の都合で調達され、市民活動・NPOが行政の下請け化する実態や、補助金の交付や指定管理者としての業務委託を盾にして、とくに福祉の分野では行政にとって都合のよいNPOが選別化される動きも見られる。日本の市民活動・NPO/NGOの活動のための財源確保は、官庁・自治体やその関連財団からの補助金や助成金に依拠しているが、体制に絡み取られない努力が重要になってくるといえる。
市民活動NPO/NGOとは何か
「市民活動」という言葉を聞いたことがあるだろうか。ここでは、環境保全をはじめ、幅広い分野においてさまざまな思いをもった一般の人びとが、自主的に集って活動することを「市民活動」と呼ぶことにしよう。「市民活動」という言葉がいつから使われたのかという点を明確にすることは難しいが、1970年代頃から使われ始めたと考えてよいだろう。
それまでに展開された公害問題を契機とした「住民運動」や、平和・環境・人権などめさまざまな分野で展開された「市民運動」に関わっていた人びとだけではなく、運動に関わっていなかった人びとも含めて、生活に密着した課題(まちづくり・環境・福祉・人権・草の根レベルの国際交流・教育・平和など)の解決をめざす市民の試みを「市民活動」と呼ぶようになった。とくに80年代後半以降、「ネットワーク/ネットワーキング」を合い言葉に、さまざまな領域、種類の団体の緩やかな連携が模索され、市民活動の裾野は広がっていった。一方で住民運動や市民運動と対立していた行政も、「運動」ではなく市民「活動」という表現を用いて市民の主体的、自発的な活動を評価し、自治体の公共政策の中に市民活動を位置づけてきたという側面も確認しておきたい。
さて、最近ではNGOやNPOという言葉のほうをよく耳にするだろう。NGOは「Non Governmental Organization」の略で非政府組織と呼ばれる。その起源は19世紀初期の人道支援活動にあり、 NPOに比べて歴史は古い。一方、IMPOは「Non Profit Organization」の略称で、非営利組織と呼ばれる。NPOには、公益法人(社団法人や財団法人)や労働団体、経済団体などを含むような広義の定義もある。日本において一般的に議論されているNPOは、NPO法人のほかにはボランティア団体や市民活動団体が含まれる。また、町内会や自治会・自治会・婦人会・PTAといった伝統的地域団体の活動は、行政の末端組織という位置づけもなされるが、地域のまちづくり活動や社会問題の解決の主体として機能することも少なくない。さらに上で述べたNGOも当然NPOの中に含まれる。NPOの定義をめぐって組織の規模の大小と他益性(「他者のため、社会のために活動する度合い」)と共益性(「仲間内のために活動する度合い」)という軸でNPOの類型が議論されている(図1)が、他益性と共益性の区分をつけることも難しく、現場の多様な実態をみると「何かNPOか」という定義に関わる厳密な議論はあまり意味がない。
環境に関わる市民活動・NPO/NGO
環境に関わる市民活動・NPO/NGOといってもその内容や活動形態は千差万別である。図2は独立行政法人・環境再生保全機構による「環境NGO総覧オンラインデータベース」(平成26年7月現在)に登録されている環境団体(5,249団体)の活動内容を示したものである。環境教育、自然保護、まちづくり、森林の保全・緑化などの活動が多いことがわかる。ところで、市民活動・NPO/NGOの類型の方法にはさまざまあるが、ここでは活動内容が行政当局や企業に対する働きかけなのかそれとも、活動の参加者に向けられたサービスなのかという点と、その活動に団体メンバーが直接的に参加するのか間接的に参加するのかという点から活動のパターンを類型化しよう。
①は公害反対の住民運動のように、行政当局や企業などに対して抵抗・告発型の抗議活動を伴う活動である。 1960年代の公害反対運動やその後の大規模開発問題(コンビナート建設や原子力発電所など)や高速交通問題(新幹線・空港建設など)に反対する住民運動・市民運動などが該当する。
②には「○○の自然を守る会」など、自然を守りながら参加者自身が自然に親しむ活動などがあてはまる。また、1970年代半ば以降の都市部で問題になった生活公害(ゴミ問題、洗剤公害など)に対して各地で展開された使用自粛運動や、環境配慮の啓蒙活動なども該当する。
③には事業活動を行う市民運動・NPO/NGOが該当し、たとえば環境保護を目的に自然体験学校を開催する団体や、リサイクル活動を事業として運営する団体、市民出資による風力発電事業をするNPOなども例としてあげられる。社会的なミッションに対して活動をする「社会的企業」もこの類型に含まれる。
④の議会に代表を送る活動は、議会や審議会などの既存の制度やロビー活動を通じて、法整備のような新たな制度形成を求める活動である。たとえば、ドイツの緑の党や日本の生活クラブ生協の代理人運動、市民活動などが行政から補助金を受けながら行政の審議会などに参加する「政策受益団体」、さらに地球温暖化防止に向けた京都議定書(1997年)の議決に際してロビー活動を展開し成果を収めた環境NGOがあげられる。
留意すべきは、活動類型はそれぞれ独立しているのではなく、1つの市民活動団体・NPO/NGOの中に併存していることも多い。また、活動内容が変化ずることもあり、③への変化は「事業化」、④への変化は「制度化」と呼ばれる。最後に市民活動の事業化・制度化の課題についてみてみよう。
市民活動(市民運動)の「制度化」と「事業化」の課題
市民活動・NPO/NGOの活動を継続的に展開するためには、「手弁当的な活動」では困難であり、活動費の捻出や事務所の維持のための資金調達が必要になってくるよそのために何らかのサービスを提供し事業活動をする市民活動・NPO/NGOも少なくない。有機農産物や産直提携、風力発電や太陽光発電の事業化、廃食油を原料としたバイオ燃料、石けん製造などの活動は、非市場的なニーズを事業化した成功例である。その一方で、市場化した領域は営利企業との競合にさらされ、活動の内容も企業と変わらなくなる可能性もある。それぞれの活動が元来もっていた社会変革のピジョンや社会的ミッションに立ち返ることが,,市民活動・NPO/NGOらしさを保つことにつながる。
また、新たな制度形成を求めるために既存の制度の中で活動する団体の場合、政治や政策決定に影響力をもちうるが、同時に体制側からみれば、制度化され た団体は体制内部に取り込まれたことになる。実際に1990年代以降、市民の自発的な活動を調達し公的サービスの限界を補おうとする行政セクターの政策(NPM : New Public Management 型政策)が広がり、市民活動の振興政策と市民活動団体やNPOと行政との「協働」(パートナーシップ)政策が進展している。
一方で、市民による事業が行政政策の都合で調達され、市民活動・NPOが行政の下請け化する実態や、補助金の交付や指定管理者としての業務委託を盾にして、とくに福祉の分野では行政にとって都合のよいNPOが選別化される動きも見られる。日本の市民活動・NPO/NGOの活動のための財源確保は、官庁・自治体やその関連財団からの補助金や助成金に依拠しているが、体制に絡み取られない努力が重要になってくるといえる。
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客となってストレスを発散する社会
『「おもてなし」という残酷社会』より 過剰・感情労働時代のストレスとの付きあい方
コンビニやスーパーのレジの前に並んでいて、店員の作業が遅いとイライラし、
「モタモタするな、早くやれ!」
と大声を出す客。
飲食店で、頼んだメニューがなかなか出てこないと、
「まだかよ、なんでこんなに遅いんだ!」
と怒鳴り口調で催促する客や、注文したものが違うから後に来た人のメニューが先に出たのに、
「なんで向こうが先に出るんだ! こっちが先だろ!」
と怒り出す客。
電車が台風や人身事故で止まっていると、
「いつになったら動き出すんだ! こっちは急いでるんだ」
「わからないって、いったいどういうことだ! 無責任だろう!」
などと怒鳴るように駅員に詰め寄る乗客―。
このようなキレやすい客が目立つようになったのも、サービス産業で働く人だちが多くなったこと、そして、このところの「お客様扱い」が行きすぎていることが関係しているのだ。日頃の業務のなかで、「お客様第一」を掲げて行動せざるを得ず、客や取引先にひたすら頭を下げ、理不尽なクレームにも平身低頭謝り続け、わがままな相手からの要求にも極力応えるようにする。どんなに腹が立っても、自分の感情は抑えて、相手の機嫌を損ねないことを最優先に振る舞う。それにより相当のストレスを溜め込んでしまう……。
「客が何だって言うんだ!」
「店員は奴隷じゃないぞ!」
「取引先がそんなに偉いのか!」
と叫びたいのを必死に堪えて、ニコニコ、へらへらしている自分に、反吐が出るほどの情けなさを感じたりする。そういう「お客様第一主義」によるストレスを溜め込んだ人が、職務を離れ、今度は客になると、職務中に抑圧していた怒りが一気に込み上げてきて、ちょっとしたことで怒りを爆発させてしまうのであろう。
このようなことにならないために、最後に、過剰・感情労働時代のストレスにどう対処したらよいのかについて考えてみよう。
コンビニやスーパーのレジの前に並んでいて、店員の作業が遅いとイライラし、
「モタモタするな、早くやれ!」
と大声を出す客。
飲食店で、頼んだメニューがなかなか出てこないと、
「まだかよ、なんでこんなに遅いんだ!」
と怒鳴り口調で催促する客や、注文したものが違うから後に来た人のメニューが先に出たのに、
「なんで向こうが先に出るんだ! こっちが先だろ!」
と怒り出す客。
電車が台風や人身事故で止まっていると、
「いつになったら動き出すんだ! こっちは急いでるんだ」
「わからないって、いったいどういうことだ! 無責任だろう!」
などと怒鳴るように駅員に詰め寄る乗客―。
このようなキレやすい客が目立つようになったのも、サービス産業で働く人だちが多くなったこと、そして、このところの「お客様扱い」が行きすぎていることが関係しているのだ。日頃の業務のなかで、「お客様第一」を掲げて行動せざるを得ず、客や取引先にひたすら頭を下げ、理不尽なクレームにも平身低頭謝り続け、わがままな相手からの要求にも極力応えるようにする。どんなに腹が立っても、自分の感情は抑えて、相手の機嫌を損ねないことを最優先に振る舞う。それにより相当のストレスを溜め込んでしまう……。
「客が何だって言うんだ!」
「店員は奴隷じゃないぞ!」
「取引先がそんなに偉いのか!」
と叫びたいのを必死に堪えて、ニコニコ、へらへらしている自分に、反吐が出るほどの情けなさを感じたりする。そういう「お客様第一主義」によるストレスを溜め込んだ人が、職務を離れ、今度は客になると、職務中に抑圧していた怒りが一気に込み上げてきて、ちょっとしたことで怒りを爆発させてしまうのであろう。
このようなことにならないために、最後に、過剰・感情労働時代のストレスにどう対処したらよいのかについて考えてみよう。
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地球温暖化問題の科学 2℃目標って何?
『エネルギー政策の新展開』より 地球温暖化問題と日本
地球温暖化とは何か
現在の地球全体の平均気温は、産業革命前に比べて0.8℃ほど既に上昇しており、これが今後、さらに上がることが懸念されている。この結果、単に暖かくなるに留まらず、台風が強くなったり、海水が温度上昇で膨張し氷河が溶けて海面が上昇する、といった可能性が議論されている、
地球温暖化は、温室効果ガスが大気中に蓄積されることで引き起こされる。温室効果ガスとは、CO2,メタン、N20(亜酸化窒素)、そして代替フロンである。このうち、C02は、化石燃料である石炭、石油、天然ガスの燃焼で発生するものと、森林破壊などで植物から排出されるものがある。メタンとN20は農業起源が主で、代替フロンは工業プロセスや家電機器等から排出される。
日本では温室効果ガス排出量の85%が化石燃料起源のCO2である。世界ではこの割合はもっと低くて67%が化石燃料起源のCO2であるが、今後、ますます人類が豊かになって、多くの化石燃料を用いるようになると、この化石燃料起源のCO2が増大することが特に懸念されている。
これまでのところ、世界の温室効果ガス排出量は増え続けてきた。このままでは、地球温暖化によって2100年の温度上昇が4℃を上回る可能性が指摘されている。温度上昇を2℃以下に抑制するためには、図4-2のように、これまで上昇傾向にあった温室効果ガスの排出量を、大幅に削減する必要があることが、2014年の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第五次評価報告書で指摘されている。
地球温暖化の科学的不確実性
地球温暖化問題には、他の環境問題と同様に、不確実性がある。確実に言えることは、①世界の温室効果ガス濃度が上昇していること、および、②世界平均の温度が上昇を続けていること、である。このうち、①については、最も重要な温室効果ガスであるCO2の濃度の上昇について、きれいな観測データが得られている。ここで、毎年CO2濃度が上下しているのは、陸地面積が大きい北半球が夏になると、森林によってCO2が吸収され、それが冬に大気中に放出されるためである、②については、「世界平均の温度」という場合の観測点の選択には任意性が残るものの、やはりほぼ間違いのない結論とみて差し支えない。
だが科学的にはっきりと言えるのはここまでで、ここから先は科学的不確実性は大きい。まず、大気中の温室効果ガス濃度が産業革命前の2倍になったときに何度温度上昇が起きるか、と定義される「気候感度」については、IPCCの推定範囲は1.5℃以上4.5℃以下とされており、不確実性を反映して幅がある。かつ、この幅に入る確率は67%とされており、33%の確率でこの幅の外にあるとされる。
前述したように、すでに地球平均の温度は0.8℃上昇している。今後、世界の温室効果ガス濃度を産業革命前の2倍に抑制することに成功したとしても、そのときの温度上昇は1.5℃かもしれないし、4.5℃かもしれない、あるいは、この圏外に出る可能性も33%ほどある、というわけである。このように、気候感度の不確実性は大きい。
地球温暖化による環境影響の不確実性
それでも、気候感度の不確実性は、まだ一定の幅をもって定量化されているだけ、よく分っている部類に入る。もっと分らないのは、今後、一定の温度上昇が起きた場合に、どのぐらいの環境影響があるか、という点である。
世論の現状に照らした多数派意見といえば、温暖化の悪影響は甚大だろうというものだが、筆者は賛同しない。つまり筆者は多数派ではない。筆者がなぜそう考えるかを、以下に述べる。更に詳しい議論については、文献を参照されたい。
地球温暖化が進行すると、①穀物の収量が下がる、②漁獲が減少する、③生物が絶滅する、といった懸念がIPCCでも報告されている。だが何れも、IPCCは環境影響を誇張し不確実性を軽視しすぎているきらいがあり、それほど決定的な証拠とは言えない。むしろ研究途上のものである。
地球温暖化による「リスクがある」もしくは「リスクが増大する」ということはIPCCが繰り返し言っており、これ自体は間違いない。だがこれは、何らかの変化があれば何事にもリスクがあるから、当然のことである。地球温暖化でリスクがあるとしても、それが他のリスクと比べて大きいのか、ということが相対的に分らないと、その重大性が分らない。
過去、人類は環境を大きく変えてきた。例えば、太平洋戦争直後には、日本ははげ山だらけだった。戦争中には燃料が不足したので薪にしたりして、切り払ってしまったためだ。それを、戦後には建築材として儲かるということで植樹をした。だがその後、建材としては採算が合わなくなり伐採されなくなって、かなりの部分は放置されて、現在の山となった。鬱蒼とした緑豊かな日本の山というのは、このようにして、人間の手が繰り返し入って出来たものである。そして、生態系も、人間も、そのような環境変化に対して、適応して生きてきた。地球温暖化による生態系への影響が懸念されているが、歴史的に起きてきた人為的な直接介入と比較するならば、それほど大きな影響とは言えない、と筆者は見ている。ただし、このようにして温暖化問題の環境影響を相対化して理解する試みは、まだあまりなされておらず、発展途上である。
2℃目標とはどのようなものか
後述のパリ協定でもそうだが、今日では、産業革命前に比べての温度上昇を2℃以下に抑制するということが、世界政治での共有された目標となっている。
この2℃という数字がいつから長期的な目標として議論されるようになったのかは、判然としない。伝聞では、早くは1970年代には言及されていたという。元々は、CO2濃度が2倍になった場合には温度上昇が2℃程度になりそうだといったシミュレーション結果があった。C02濃度が2倍になるというのは分りやすい設定なのでシミュレーションでは何の気なしによく使われていた。この辺の経緯で、2℃という相場観が形成されてきたのだと思う。
それで、その後科学的知見が積み上がって2℃に決まったのかというと、前述したように温暖化の悪影響にはなお不確実性が大きいので、2℃ならいいのか、3℃なら駄目なのか、等と言ったことを詳しく議論することは出来ない。まじめに考えるならば、2℃の場合の不確実性の誤差幅の方が、2℃と3℃の場合の差よりもずっと大きいだろう。国立環境研究所江守正多氏も、より慎重な言い回しながら、1.5℃と2.5℃の場合を比較して、その悪影響の差は小さい(不確実性が大きいので誤差の内になる)という趣旨のことを述べている。
だが、環境問題にはよくあることだが、ある数字が提示され、政治家が言及し、それにまつわる科学論文が増えると、その数字は社会的に固定し、それを緩めることは不道徳とされる。かくして、2℃目標はパリ協定にも入り込むこととなった。
地球温暖化とは何か
現在の地球全体の平均気温は、産業革命前に比べて0.8℃ほど既に上昇しており、これが今後、さらに上がることが懸念されている。この結果、単に暖かくなるに留まらず、台風が強くなったり、海水が温度上昇で膨張し氷河が溶けて海面が上昇する、といった可能性が議論されている、
地球温暖化は、温室効果ガスが大気中に蓄積されることで引き起こされる。温室効果ガスとは、CO2,メタン、N20(亜酸化窒素)、そして代替フロンである。このうち、C02は、化石燃料である石炭、石油、天然ガスの燃焼で発生するものと、森林破壊などで植物から排出されるものがある。メタンとN20は農業起源が主で、代替フロンは工業プロセスや家電機器等から排出される。
日本では温室効果ガス排出量の85%が化石燃料起源のCO2である。世界ではこの割合はもっと低くて67%が化石燃料起源のCO2であるが、今後、ますます人類が豊かになって、多くの化石燃料を用いるようになると、この化石燃料起源のCO2が増大することが特に懸念されている。
これまでのところ、世界の温室効果ガス排出量は増え続けてきた。このままでは、地球温暖化によって2100年の温度上昇が4℃を上回る可能性が指摘されている。温度上昇を2℃以下に抑制するためには、図4-2のように、これまで上昇傾向にあった温室効果ガスの排出量を、大幅に削減する必要があることが、2014年の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第五次評価報告書で指摘されている。
地球温暖化の科学的不確実性
地球温暖化問題には、他の環境問題と同様に、不確実性がある。確実に言えることは、①世界の温室効果ガス濃度が上昇していること、および、②世界平均の温度が上昇を続けていること、である。このうち、①については、最も重要な温室効果ガスであるCO2の濃度の上昇について、きれいな観測データが得られている。ここで、毎年CO2濃度が上下しているのは、陸地面積が大きい北半球が夏になると、森林によってCO2が吸収され、それが冬に大気中に放出されるためである、②については、「世界平均の温度」という場合の観測点の選択には任意性が残るものの、やはりほぼ間違いのない結論とみて差し支えない。
だが科学的にはっきりと言えるのはここまでで、ここから先は科学的不確実性は大きい。まず、大気中の温室効果ガス濃度が産業革命前の2倍になったときに何度温度上昇が起きるか、と定義される「気候感度」については、IPCCの推定範囲は1.5℃以上4.5℃以下とされており、不確実性を反映して幅がある。かつ、この幅に入る確率は67%とされており、33%の確率でこの幅の外にあるとされる。
前述したように、すでに地球平均の温度は0.8℃上昇している。今後、世界の温室効果ガス濃度を産業革命前の2倍に抑制することに成功したとしても、そのときの温度上昇は1.5℃かもしれないし、4.5℃かもしれない、あるいは、この圏外に出る可能性も33%ほどある、というわけである。このように、気候感度の不確実性は大きい。
地球温暖化による環境影響の不確実性
それでも、気候感度の不確実性は、まだ一定の幅をもって定量化されているだけ、よく分っている部類に入る。もっと分らないのは、今後、一定の温度上昇が起きた場合に、どのぐらいの環境影響があるか、という点である。
世論の現状に照らした多数派意見といえば、温暖化の悪影響は甚大だろうというものだが、筆者は賛同しない。つまり筆者は多数派ではない。筆者がなぜそう考えるかを、以下に述べる。更に詳しい議論については、文献を参照されたい。
地球温暖化が進行すると、①穀物の収量が下がる、②漁獲が減少する、③生物が絶滅する、といった懸念がIPCCでも報告されている。だが何れも、IPCCは環境影響を誇張し不確実性を軽視しすぎているきらいがあり、それほど決定的な証拠とは言えない。むしろ研究途上のものである。
地球温暖化による「リスクがある」もしくは「リスクが増大する」ということはIPCCが繰り返し言っており、これ自体は間違いない。だがこれは、何らかの変化があれば何事にもリスクがあるから、当然のことである。地球温暖化でリスクがあるとしても、それが他のリスクと比べて大きいのか、ということが相対的に分らないと、その重大性が分らない。
過去、人類は環境を大きく変えてきた。例えば、太平洋戦争直後には、日本ははげ山だらけだった。戦争中には燃料が不足したので薪にしたりして、切り払ってしまったためだ。それを、戦後には建築材として儲かるということで植樹をした。だがその後、建材としては採算が合わなくなり伐採されなくなって、かなりの部分は放置されて、現在の山となった。鬱蒼とした緑豊かな日本の山というのは、このようにして、人間の手が繰り返し入って出来たものである。そして、生態系も、人間も、そのような環境変化に対して、適応して生きてきた。地球温暖化による生態系への影響が懸念されているが、歴史的に起きてきた人為的な直接介入と比較するならば、それほど大きな影響とは言えない、と筆者は見ている。ただし、このようにして温暖化問題の環境影響を相対化して理解する試みは、まだあまりなされておらず、発展途上である。
2℃目標とはどのようなものか
後述のパリ協定でもそうだが、今日では、産業革命前に比べての温度上昇を2℃以下に抑制するということが、世界政治での共有された目標となっている。
この2℃という数字がいつから長期的な目標として議論されるようになったのかは、判然としない。伝聞では、早くは1970年代には言及されていたという。元々は、CO2濃度が2倍になった場合には温度上昇が2℃程度になりそうだといったシミュレーション結果があった。C02濃度が2倍になるというのは分りやすい設定なのでシミュレーションでは何の気なしによく使われていた。この辺の経緯で、2℃という相場観が形成されてきたのだと思う。
それで、その後科学的知見が積み上がって2℃に決まったのかというと、前述したように温暖化の悪影響にはなお不確実性が大きいので、2℃ならいいのか、3℃なら駄目なのか、等と言ったことを詳しく議論することは出来ない。まじめに考えるならば、2℃の場合の不確実性の誤差幅の方が、2℃と3℃の場合の差よりもずっと大きいだろう。国立環境研究所江守正多氏も、より慎重な言い回しながら、1.5℃と2.5℃の場合を比較して、その悪影響の差は小さい(不確実性が大きいので誤差の内になる)という趣旨のことを述べている。
だが、環境問題にはよくあることだが、ある数字が提示され、政治家が言及し、それにまつわる科学論文が増えると、その数字は社会的に固定し、それを緩めることは不道徳とされる。かくして、2℃目標はパリ協定にも入り込むこととなった。
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