goo

仏教は救いの宗教ではないみたい

絶望感の表現

 飛鳥のソロ曲への感想。言葉だけで言うのは大変。

 私のの絶望感は言葉は難しい。かといって、曲もない。ボーカルが声を絞り上げて表現しているつもりの若者は滑稽。何も表現していない。絶望も希望も声にはならない。風呂の壁を叩くことぐらいしか出来ない。

仏教は救いの宗教ではないみたい

 宗教ももっと、根源的なことを救わないとダメです。トイレに掛っている格言を作るぐらいしか出来ていない。特に仏教は何の役にも立たない。

 何故、仏教は「存在」を突き詰めないのか。座禅していればいいというものではなく、無心であればいいわけでもない。こんな大きな悩みがあるのに、それで大乗仏教と言えるのか。

無様で中途半端な存在が路上駐車

 見るからに無様な格好。路上のLとP。これらはどうするつもりなのか。

未唯宇宙の数学編の参考資料

 未唯空間第2章の数学編の参考資料を未唯宇宙としてアップしたが、他の章に比べて、資料が本当に少ない。同じような考え方の「数学者」は居ないから自分で作り出さないといけない。

夫に食事与えず殺害 妻逮捕

 「夫に食事与えず殺害 妻逮捕」 怖いね。餓死させる家族制度。やはり、間違っている。

 これと未婚率への対応を未唯空間で扱う。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

指定管理者制度が切り拓く次世代型公共図書館の可能性

『大学生が考えたこれからの出版と図書館』より 指定管理者制度が切り拓く次世代型公共図書館の可能性 ⇒ 豊田市図書館は4月からTRC配下に入ったけど、言われているような兆候は出ていない。ポイントがずれているとしか思えない。まあ、ゆっくり見ていきましょう。

指定管理者が切り拓く利用者サービスの新局面

 さて、そこでようやく本題である。「指定管理者制度」について考えるためには、当然のことではあるが「指定管理者」が実際に行っている図書館運営と利用者サービスをしっかりと見る必要がある。ここでは紙幅の都合から、公共図書館における障害者サービスについて、2016年4月の「障害者差別解消法」施行に向けた、「音声読み上げ機能を活用した電子書籍貸出サービス」の提供という事例だけを取り上げて検証してみよう。

 この取り組みは、私が所属する立命館大学IRIS(電子書籍普及に伴う読書アクセシビリティの総合的研究プロジェクト)が研究協力し、兵庫県の三田市立図書館の指定管理者である図書館流通センター、そして大日本印刷、日本ユニシス、ボイジャーが「障害者差別解消法」施行の2016年4月の実用化に向けて共同開発したものである。

 三田市立図書館における電子書籍による音声読み上げサービス導入の経緯は簡単に示すと以下のとおりである。

  (1)2014年5月、私がコーディネートした、図書館流通センターが受託する公共図書館の館長等責任者向け研修会である「TRCライブラリーアカデミー大阪」において、視覚障害を有する植村要・立命館大学専門研究員をゲストに迎え、「TRC-DLに音声読み上げ対応を期待する」と講演してもらったところ、公共図書館長ら参加者の反響を呼ぶ。

  (2)これを受けて、大日本印刷、図書館流通センター、立命館大学IRISメンバーで「図書館における電子書籍サービスを活用した読書アクセシビリティ実証実験に関する検討会議」を立ち上げ、2015年2月から3月、視覚障害を有する利用者の協力を得て「図書館における電子書籍サービスを活用した読書アクセシビリティ実証実験」(実施主体:立命館大学IRIS、大日本印刷、図書館流通センター、日本ユニシス、協力:三田市役所まちづくり部生涯学習支援課)を行い、産官学連携によって研究開発を進める。利用者向け実証実験と並行して、「公共図書館で働く視覚障害職員の会」(通称「なごや会」)会員向けに実証実験を実施。

  (3)そして「障害者差別解消法」施行に合わせて2016年4月、全国の公共図書館で初めて、三田市立図書館「三田市電子図書館」に「視覚障がい者向け利用支援サイト」を開設し、音声化対応の電子書籍3135点の貸出サービスを開始したのである。

 この視覚障害者支援を目的とする電子書籍貸出サービスは、2016年9月から兵庫県・明石市立図書館、大阪府・堺市立図書館にも導入され、全国展開が期待されるところである。

利用者の情報行動の変化と公共図書館の役割

 このように産官学連携によるICTを活用した障害者サービスの新局面は、今後さまざまな応用が考えられる。私自身は例えば、日本語を母語としない外国人に向けた「多文化サービス」における電子書籍や電子海外新聞の利用、あるいは「児童サービス」におけるデジタル絵本を使った読み聞かせや子どもたちによるデジタル絵本の制作、さらにレファレンスサービスにおける「ディスカバリーサービス」(ウェブ上のデータベースや電子ジャーナル、電子書籍などを本文検索できるサービス)の活用など、これまでの紙媒体の図書や逐次刊行物では実現できない新たな公共図書館サービスを構想している。

 ここで重要なことは、このような新しいサービスを創出する際、指定管理者制度によってきわめてスピーディな展開が期待できることである。

 2014年4月に直営から指定管理となった三田市立図書館では、さっそく8月から図書館流通センターが提供する電子図書館システム「TRC-DL」が導入された。三田市広報紙『伸びゆく三田』(2014年7月1日付け1面)では次のように障害者サービスヘの利用について触れている。

 「今後は従来の書籍との役割分担をしながら、電子書籍の収集にも努めます。また、市の歴史・文化に関わる資料の電子化や、障がいのある人向けの朗読機能の付力日などについても導入に向けた研究を進めていきます」

 そして、『伸びゆく三田』(2016年2月15日付け1面)では、「今回の視覚障がい者の利用支援システムは、現行の電子図書館サービスに、テキスト版サイトを追加するものです。追加後はパソコンの音声読み上げソフトの利用により、本の検索が簡単に行えるようになります。システム開発は、電子図書を活用した視覚障がい者の読書環境整備の研究に取り組む立命館大学の研究グループや、利用者となる視覚に障がいのある皆さんの協力も得て進めてきました。(中略)図書館では、ボランティアの皆さんの協力を得ながら、対面朗読やマルチメディア資料の提供なども行っています。引き続き、より多くの人が図書館を利用し、本を楽しんでもらえるようサービス充実への取り組みを推進していきます」としている。

 指定管理者制度は、このように民間企業の旺盛な図書館事業への意欲とスピーディな手法によって、「電子書籍」を導入すべきかどうかの議論に終始しているタイプの「直営」図書館ではなかなか進展しない具体的な利用者サービスを促進している。三田市では教育委員会ではなく、まちづくり部(現市民生活部)が図書館を管轄し、自治体としての総合計画にある「ユニバーサル社会の推進」を、指定管理者による電子図書館システムに新たな音声読み上げ機能を付加することによって達成しようとしているのである。

 「指定管理者制度が障害者サービスの大きな足かせになりつつある」どころか、「直営館」が「予算がない」「専門的知識をもつ人員がいない」と避け続けているICTを活用した利用者サービスに、迅速かつ明らかな成果を出す形で収り組んでいる姿は、むしろ全国の公共図書館のモデルケースとすべきだろう。

 第1節でも述べたとおり、2016年12月、国内初の「電子図書館サミット」が大阪で開催された。 TRC-DLの導入実績が約170館(46自治体)となったのを機に、「電子図書館サミット2016 1n大阪」(図書館流通センター主催)として30館の導入館が集まり、私がコーディネーターとなって現状と課題を分析し、率直なディスカッションを行ったのである。

 スマホやタブレットの利用など、市民の情報探索行動は大きく変化している。そして公共図書館は旧来の「貸出中心型」から「滞在型」へ、つまり「無料貸本屋」から「情報センター」へと大きくその役割を転換することが重要である。デジタル・ネットワーク社会の動向に迅速に対応できる指定管理者による図書館運営は、利用者サービスのあり方を、提供側でなく利用者側の視点から考えることによって市民的価値を創造していくものとして、三田市立図書館を利用する視覚障害等を有する利用者からは高く評価されている。

 公共図書館の運営が、社会的環境の変化に対応できない組織、自分たちの既得権益を守ろうとする組織によって行われる場合、公共図書館は「成長する有機体」としての真価を発揮することはないだろう。メディアの変遷に対応し、利用者の情報行動の変化に即してみずからが変わり続けることこそが、これからの公共図書館にとって最も重要なのではないだろうか。

 ニーチエが言うように「脱皮できない蛇は滅びる」のである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ロシアの「白兎の手法」

『白兔で知るロシア』より 白兎の手法


オリンピックをはじめ、スポーツの国際大会の表彰台で掲揚される赤旗とともに、いつも響いていたのがソビエト国歌である。うんざりする程聴かされ続けたメロディーだが、ナチスドイツの敗色濃くなった一九四四年、スターリンのもとで制定されたこの国歌は、ロシアの人達にとってはこれを聴けば自ずと涙が惨むような感動の曲であった。

その冒頭にこう歌われている。

 自由な共和国の揺るぎなき同盟

 偉大なるロシアが永久に固めた

 諸民族の自発の意志で作られた

 類いなき、偉大なソビエト万歳(中略)

 人民の力レーニンの党は

 我らを共産主義の勝利に導く

ソビエトが消えてロシアになり、共産主義に変わって議会制民主主義と資本主義経済の国が誕生した。誕生から九年間ロシアには国歌が存在しなかった。オリンピックでもロシアの選手はソビエト時代と変わらぬ強さを発揮しアメリカと金メダルの数を争っているが、表彰台に立った優勝者達はメロディーに合わせて口を開くことが出来なかった。国歌そのものがなかったからである。

二〇〇〇年に登場したプーチン大統領は「国歌がなくてなんぞ強い国ぞ」と叫び、国歌を電撃的に制定した。

その新しい国歌はこんな具合である。

 ロシア-神聖なる我が大国

 ロシア-我らが愛する国(中略)

 南の国から極北の地まで

 われらが森と原野は広がった

 世界に類いなき! ただ一つの国

 神よ愛する国土を守りたまえ

共産主義のソビエト賛美、民族の友好に代わって、大国ロシアを強調し、神を前面に押し出している。共産主義は御存じの通り宗教はアヘンだとして忌み嫌っていたイデオロギーである。

この二つの中身も歌い上げている思想もまったく異なる国歌を作詞したのが驚くなかれ同一人物である。その名をセルゲイ・ミハルコフという。ソビエト共産主義時代にはれっきとした共産主義者であり、選ばれた幹部である共産党中央委員でもあった。全ソビエトで千人程の卜ップエリー卜のひとりである。有名な児童文学者であり、ソビエト国歌を作詞しても少しも不思議はない。

映画産業が国策の一つであった時代には国家が金と口をだし、検閲で厳重に作品を管理した。ミハルコフがその検閲をくぐったやり方を「白兎の手法」という。フィルムの中にストーリーとはまったく関係ない、例えば白兎のシーンを挿入する。検閲官は首をかしげ、これはおかしい、削除せよと命令する。監督は頑強に抵抗する。他のシーンはともかく、この白兎だけは譲れない、芸術家の良心だ云々と主張しまくる。検閲官も譲らない。えんえんこの論議で時間と精力を使いつくしたうえ、最後の最後に監督は折れる。仕方がない、節を曲げて白兎をカットしますと。

検閲官は自分の主張を通してホッとする。かくして監督が本当に切られたくないシーンから検閲官の注意をそらして、作品を守るという手法である。八○年代の初め、ソビエト軍のアフガニスタン侵攻が行われていた頃、彼は社会問題を扱った作品を作る。家庭の崩壊、親子の断絶、アルコール禍など明るく正しいソビエトにはないはずの社会問題を喜劇と称して扱った「絆」という作品だ。深刻な社会問題を扱ったこの映画の最後の場面はアフガニスタンに出征する新兵たちのバカさわぎである。心あるものが見ればこの出征がひどく問題であることが読み取れる。

この一本の作品に一五〇~一六○か所の検閲が入ったという。しかしアフガニスタンに向かう兵士の騒ぎは「白兎の手法」で救われた。アフガニスタンヘの軍事侵攻が死者一万五千人を超える犠牲者を出し、アフガン帰還兵が社会から疎外され、社会復帰が出来ず、麻薬と犯罪に走って社会問題を引き起こしたことを考えれば、白兎の手法で生き残ったこのシーンは見事な先見である。

良い仕事をしている者には人格高潔、筋が通って清廉潔白な人物を期待する。それが日本の風土だろう。その範躊から大きくはみだすのが名監督ニキータ・ミハルコフである。ミハルコフには芯がない、と彼を好まないロシア人は多い。だがその人達も彼の作る作品には脱帽する。ロシアはミハルコフのような人物が大きな仕事をする社会であることを知らなければ理解できない。

考えてもみて欲しい。今ロシアの大統領は秘密警察KGBの出身者である。日本的な心情で判断すれば、そんな組織につい先頃まで属していた人物が、国民の支持を得られることなど考えにくいだろう。

事実を言えばその人物が大統領になり、大統領代行の時期を合わせればもう四年以上にわたって七〇パーセント以上の高い支持を国民から受けているのである。

ロシアは懐の深い国という。その懐には多少臭いのするお金も入っていると考えたほうが良いのがロシアであり、それがこの国の力強さ、しぶとさ、そして尽きない面白さの源泉である。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

15年ぶりに訪れたマラケッシュで見たもの、感じたもの

『ドイツ通信「私の町の難民」』より ドイツの〝何が〟難民を受け入れているのか ⇒ 中々、モロッコへ行けないな。貧しいが故に平和が保てる。平和が観光資源になる。問題は得た富をどのように扱うか。

モロッコの治安体制

 2015年12月31日から2016年1月7日まで、モロッコのマラケッシュに行ってきました。他のアラブ諸国が、ほぼ入国不可能な状態になっているなかで、今なお唯一安全に歩き回れる街で、「アラブの春」から現在のISテロにさらされるアラブの社会と人びとの生活の一端を自分の目で確かめてみたいと思いました。これで4回目になります。

 最後にマラケッシュに行ったのは、もう14、15年前。アラブヘの興味を持ち始めた時期にあたります。そのときは、友人の紹介で元ドイツ大使館員の家にお世話になり、興味ある話を聞くことができました。また、モロッコ料理の一つであるクスクスの作り方を習いたいといって、台所に入れてもらいもしました。

 コックさんは地元の女性二人で、私にたまねぎやジャガイモの皮をむく仕事を与えてくれますが、肝心の本料理に関しては、「それは私の仕事です」と、傍で見ているように笑顔で言いつけてきます。そこには妥協の余地は微塵もありません。私は、彼女たちの周りを、手を後ろに組んでうろうろと動き回るだけでした。その間に、雑談をしながら材料をこうして煮込んで、味付けはこうしますと、親切に教えてくれるのですが、手出しできる雰囲気ではありません。料理は女性の役割と決まっているからでしょう。

 いい匂いがしてクスクスができました。「それでは、後片付けは私がします」と言っても、「ダメダメ、これは私たちの仕事」と言って、付け入る隙がありません。

 その翌日、街の散策から家に帰ってきたら、部屋の前に大きなケーキ箱が置かれてありました。箱の上にはメモが張られてあり、料理を手伝ってくれたお礼だというのです。ケーキをもらってお礼を言ううれしそうな顔の私を、二人のコックさんはニコニコと笑顔で見ていました。

それから15年近く、その後、何か、どう変わったのだろうか

 マラケッシュに着いたのが、大晦日の深夜近くになりました。宿泊所からのピックアップはあったのですが、私たちが予約した観光の名所になっている旧市街の広場に近いところとは別の場所に連れて行かれ、これが大騒動の始まりになります。詳しいいきさつは省略しますが、観光警察(ツーリスト・ポリス)に駆け込み、宿泊料金を全額取り戻し、新しい宿泊所を見つけなければなりません。おかげで、この過程でモロッコ・マラケッシュの治安体制の一部始終を体験することになりました。

 1月1日に、もう一度宿泊経営者のフランス人に直談判しますが埓が明かず、結局は警察に話を持ち込んだところ、事情をよく理解してくれました。

 警察主任が電話でこのフランス人を呼び出します。本当に来るのかどうか、私たちには半信半疑でしたが、15分ぐらい経ったでしょうか、不安げな顔つきの彼がノコノコと出かけてきました。私たちが、呆気にとられたくらいです。ありもしない嘘で固めた話を再び始めますが、担当捜査官は最後に私たちの主張と権利を認め、彼から巻き上げられた宿泊料金の全額を取り戻すことができました。

 興味があるのは、西側世界ではまず調書が取られます。そして書類づくりです。しかしここでは、双方の直接の話し合いだけです。そして、電話一本で呼び出しをかけ、結論を引き出します。必要なのは、パスポートだけ。

 この事情聴取の間に、実は、何人もの私服警官が建物を出入りしています。警察署が広場の縁に置かれており、世界からの観光客を雑踏のなかでの窃盗、詐欺、暴力事件、さらにテロ攻撃等、さまざまに予想される犯罪から守るために、頻繁に交代で動員されている秘密警察官でした。

 この話は、元大使館員からも聞かされていましたが、実際に見るのは初めてでした。その後、街中を散策していても、それらしき人物を目にとどめては、「あっ、ここにもいる」と、人と街を見る目が違ってきたものです。

 この話を新しく見つけた宿泊所の経営者に話したら、たいへん気の毒がられ、35ユーロの宿泊料金を30ユーロにしてくれて、おまけに朝食は「私からのプレゼント。ごゆっくり旅行を楽しんでください」と親切にしてもらいました。さらに彼は、「そんな人たちだけがモロッコ市民ではなく、違った人のいることを知っていただきたい」と、こちらが恐縮するくらいでした。続けて「『神のお恵みで』という表現を知っていますね」と。これは、そういう耐えられないような嫌な体験なしには、素晴らしい出会いがないということですよ、と諭されて納得したしだいです。ラクダを引き連れた砂漠の商人たちは、実際にそういう体験を、あちこちでしたのでしょう。

 そのホテルのオーナーと話の成り行きで、「これだけの人ごみで、他のアラブ諸国で見られるようなテロが起きていないのは幸運ですね」と持ちかけてみました。以下、興味ある彼の意見をまとめてみました。

  ・モロッコは王国。

  ・市民は貧しいから、富の分配をめぐる対立はない。逆にアラブ産油国のように富があれば対立が激化する。それゆえに、そのような社会紛争はモロッコにはない。

  ・マラケッシュを例にとれば、街をブロックに分け、そこには秘密警察の連絡員が配置され、住民一人ひとりの監視・連絡網が確立されている。何か不審な事態が起きれば、すぐ中央に連絡される体制になっている。

  ・ISのようなテロを受けて、特に観光分野の経済が破壊されたくない。

 それに付け加えて、「市民一人ひとりが秘密警察ですよ」との説明を受け、電話一本でフランス人詐欺経営者が警察まで呼び出された意昧がわかりました。

 この構造は、しかし私がその他イスラム各国に行ってみた経験では、イランおよび他のアラブ諸国でも同じようなものではないかと考えられます。

イスラム化の進化、一方での女性の社会進出

 街の中で目についたのは、イスラム化が極めて根強く進化していることです。金曜日ミサになれば、広場や通路にムスリムの信仰者が集まり、アスファルトの地面に土下座してアラーに祈りをしている姿は、これまで見たことがありませんでしたから驚きました。

 宿泊経営者の彼が言うように、貧困は最初に訪れた過去20年前に比べてもはっきりと増加しているのが認められ、それが社会紛争の起爆剤にならないようにイスラムが、王国の下で市民の統合手段になってきている、あるいは政治利用されているのではないかと考えられますが、それを裏づける資料はありません。あくまでも私の個人的な推測の域を出ませんが。

 もう一点は、女性の社会への進出です。レストラン、飲食店の店頭では、女性が小麦粉を練って鉄板の上でパンを焼いていました。それ以外にも、街中で仕事をする女性の姿を見かけたのが印象に残りましたが、だからといって女性の自立、解放が進んでいるということではなく、これはイスラム化の過程で、従来は家事が仕事と決められ、公共の場に出て来る機会のなかった女性の役割が、女性自身にも男性と同じく信心深いイスラム信仰が可能であることを強調する一面といえるでしょう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )