goo

ブロックチェーン フラットで、信頼を必要としない社会を実現できる

『ブロックチェーン革命』より われわれは、どのような社会を実現できるか

フラットにならなかったのは、なぜか

 世界がフラットにならなかったのはなぜか? なぜ大組織と小組織や個人の差が解消しないのか? 組織の中の階層構造はなぜ消滅しないのか?

 その理由として、つぎのようなことが考えられる。第1に、大組織は事業を大規模に展開できるので、コストを引き下げられる。また、店舗の場合、大企業であれば、資金力があるから豊富な品ぞろえができる。アマゾンは大量の在庫を抱えることができるので、零細書店よりも明らかに有利だ。

 また、事業の規模が大きくなれば、ネットワーク効果が働く。これは、提供されている製品やサービスは同じであるにもかかわらず、利用するユーザーが増えると、製品やサービスの価値が高まるという効果だ。電話では、明らかにこの効果が働く。この効果は、規模の拡大に伴って比例的に増加するのでなく、規模が一定の水準を超えると、急激に増加する。このため、「ひとり勝ち」といわれる現象が発生するのである。

 さらに、最近では、人々の需要を誘導する「リコメンデーション」という操作が行なわれるようになって、大組織の優位性がさらに高まった。ビッグデータとAIの時代になると、こうした傾向が加速する可能性がある。ビッグデータを収集できるのは、アップル、グーグル、フェイスブックなど、世界でもごく一握りの企業だけになる。彼らは、それを駆使して、リコメンデーションを進歩させ、新しい需要を開拓して、さらに優位な立場に立つ。AIとビックデータの時代には、超巨大組織が世界を支配する可能性が強い。

重要な要素が欠けていたから

 右に指摘した要素は重要なものだ。しかし、われわれが約束の地に到達しえない最も本質的な理由は、これまでのインターネットに何か重要なものが欠けていたことだ。

 それこそが、序章の最初で述べたことである。つまり、インターネットの世界では経済的な価値を簡単に送ることができないのだ。だから、送金コストの点で、大規模事業が圧倒的に有利になる。そして、インターネットの世界では、真正性の証明ができない。このために、大組織だけが信頼を獲得できるのだ。

 しかし、その欠けているものを、われわれはいまブロックチエーー・ンの活用によって手にしようとしている。

 エセリウムのようなプラットフォームが登場しているので、零細企業も個人も、スマートコントラクトをこの上に乗せて、資金調達や事業を展開することができる。今後、エセリウムをプラットフォームとして、さまざまな新しいアイデアが実現されていくだろう。これによって、社会のさまざまな主体が、第三者を介せず、直接に取引を行なうことが可能になるだろう。

 ブロックチェーンによれば、情報と同じように経済的な価値も仲介者なしで送ることができる。その結果、需要者と供給者が直接に結び付くので、組織の大きさによる不公平は発生しない。

 政府や大組織の決めたルールにただひたすら従うしかない世界、組織が、進歩ではなく存続だけを目的にする世界。そのような世界からの脱却が可能となった。

 IT革命は、ブロックチェーンによって完成されることになる。

命令系統のないフラットな組織が可能

 階層構造を持った大組織の多くは淘汰され、組織はフラット化するだろう。

 第9章の2で述べたColony のように、ブロックチェーンを用いたクラウドソーシングが広く使われるようになれば、人々はより柔軟に、高い自由度で働くことができるようになるだろう。

 個人の独創性が否定され、協調性だけが望まれるような組織や、たまたま上司になった人の覚えが悪いために不幸な人生を送る羽目になるような組織しかない世界から脱却できる。才能がある人は、それに応じて可能性を追求できるだろう。そして、自分の都合に合わせた契約を選択できる自由度を獲得できるだろう。

 もちろん、すべての組織でハイラーキー(階層)構造が消滅するわけではない。現在の企業が行なっていることのすべてをスマートコントラクトで代替できるわけではないからだ。しかし、かなりの仕事はルーチンワークである。その実行のために膨大な労力が費やされている。それらがブロックチェーンで代替される。これらは、たいへん重要で、大きな変化だ。

 そして、零細企業でも信頼を確立できる。管理者がいなければ、管理者と平社員の賃金格差が生じることもない。完全にフラットになるかどうかは分からないが、格差は成果に対する寄与に応じて生ずることになるだろう。

大企業なら信頼できるか

 すでに述べたように、これまでは、「大企業なら信頼できる」と多くの人が考えてきた。「大企業は逃げ隠れしようがないので、問題を起こせば企業全体に影響が及んでしまう。だから、大企業は悪いことをしないだろう」という考えだ。

 それに対して、新しく登場した零細企業は、「どこの馬の骨か分からない」とみなされてきた。零細企業が新しい技術やサービスの開発に成功しても成長できるとは限らないのは、そのためだ。

 本章のIで、インターネットの世界でフラット化が実現できなかったと述べた。そうなった大きな原因は、小企業や零細企業が信頼性を確立できなかったことだ。

 しかし、大企業だからといって、信頼できるとは限らないことが、次第に分かってきた。最近の事例だけを見ても、旭化成建材の杭打ち工事データ偽装問題、三菱自動車の燃費不正問題、東芝の不正会計問題など、大企業による不祥事が続出している。

 私企業だけではない。2016年には、東京都の築地市場の豊洲移転に関して、建物の地盤で土壌汚染対策の盛り土がなされていないという問題が明らかになった。

 大組織であるがゆえに情報の流れが悪く、どこで何か行なわれているか分からない。コーポレートガバナンスが成立していない。こうして、大企業神話は、音を立てて崩壊しつつある。

ブロックチェーンの世界では、組織を信頼する必要はない

 ブロックチェーンの世界においては、人や組織を信頼する必要がない。改宣できないデータがブロックチェーンに埋め込まれているからだ。そして、数千台のコンピューターが働いてそれを維持している。これこそが信じるに値するものである。これが、序章や第1章で述べたブロックチェーンの重要な機能だ。

 相手が大企業だから信頼できるのではない。ブロックチェーンの仕組みで真正性が保証されているから信頼できるのである。

 第7章の3と第9章の2で、シンガポールの企業が金の裏付けがある資産を発行したことを述べた。これまでの社会の常識なら、「新しく登場したスタートアップなど信頼できない」ということになるだろう。しかし、金に裏付けられていることがプルーフ・オブ・アセット(proof of assets)の仕組みで保障されているので、企業を信頼できなくとも、資産は信頼できるのである。

 こうして、trustless な社会(組織を信頼しなくても済む社会)を構築することが可能になった。

巨大企業が支配するプライベート・ブロックチェーンの世界もあり得る

 しかし、新しい技術の潜在力を、われわれは実現できるとは限らない。潜在力の実現を押しとどめるのは、組織の硬直性、規制などだ。あるいは人々の考え方そのものである。

 現在の法制度は、ブロックチェーン技術が作り出す社会に対応できるのだろうか?

 パラダイムシフトは、常に勝者と敗者を作り出す。敗者が出てくることは避けられない。それを恐れて変化を止めようとする動きが出てくることは、十分考えられる。また、ブロックチェーンが広く使われるようになったとしても、現在の社会が抱えている問題のすべてを解決するわけではない。使い方を誤れば、約束の地はかえって遠ざかってしまうだろう。

 第1章で述べたように、ブロックチェーンの重要な点は、管理者がいない点と公開性にある。ブロックチェーンは、本来の性格からいえば、自由な社会を実現する。ビットコインが現れたときも、自由主義の王国が現れると考えられた。

 しかし、プライペート・ブロックチェーンが現れた。それは、管理者が存在する非公開の仕組みだ。したがって、本来のブロックチェーンとは、思想的にまったく逆のものだ。それは、大銀行をはじめとする大組織の効率性を高め、大組織の支配力を強めるための道具である。これらのいずれが用いられるかは、社会のあり方に大きな影響を与える。

 銀行などの大企業が、プライペートーブロックチェーンを導入して、コストの削減を図り、その結果、右に述べたのとは正反対の方向に社会が進む可能性もある。

 その場合においても、コスト削減の利益の一部は、消費者に還元されるかもしれない。しかし、大部分は大企業がさらに発展するために用いられるだろう。こうして、大企業の支配は従来よりも強くなる。

 通貨に関していえば、この方向の極限は、中央銀行が自らのプライベート・ブロックチェーンを作って仮想通貨を発行し、従来の銀行券をこれに変えることである。これによって、中央銀行は、通貨に関する完全な支配権を確立することになる。そこで実現するのは、ジョージ・オーウェルが描いた「ビッグ・ブラザーの世界」だ。

競争が分散化を進める

 もちろん、このどちらかが純粋な形で実現するとは限らない。両者が共存することも十分に考えられる。

 ただし、私は楽観的だ。なぜなら、オープンな仕組みのほうが、技術革新が進むと信じているからだ。分散的・分権的なもののほうが技術革新を進め、優位に立つ可能性が高い。

 一般的にいえば、多くの人々が関与するほど、技術は強化される。つまり、競争によって進歩が起こるのだ。だから、管理者がいない公開のブロックチェーンほど、さまざまな人々が関与して、技術が進歩する可能性が高い。

 第3章の2で、プライベート・ブロックチェーンは、「ファウストと悪魔の契約」だという言葉を紹介した。民主主義、公開性、社会のフラット化といったものを犠牲にして、コストの削減だけが追求されるというわけである。

 しかし、ゲーテのファウストの物語では、最終的にメフィスト・フェレスが負けてしまうことに注意が必要だ。

 また、変化を押しとどめようとしても、インターネットの世界では、外国から新しいものが入ってくるのを止めることはできない。無理やりに止めたとしても、国際競争の中で立ち遅れるだけのことだ。

 だから、仮に通貨において集中型システムが残ってしまうとしても、その他の面ではDAOが成長する可能性は強い。そのような社会が実現することを期待したい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

アレントの両義性 アレントにとっての「社会」

『政治の理論』より アレントの両義性

アレントにとっての「社会」

 しかし近代的な市場経済‥資本主義は、あらゆる財産を--「果実」のみならず「元物」をも--市場で評価され、取引されうる「資本」と化してしまう。そこでは土地も、地代という収益を生む限りにおいて、株式や債券などの金融資産と択ぶところはない(いやそもそも人々の共同行為に他ならない「企業」が「株式会社」として市場で売り買いされるとは、一体どういうことか?)。かくして資本主義は、土地や企業体を丸ごと売り買いの対象とすることによって、公と私の区別を確保するどころかむしろ弱らせ、溶解させ、それによって公的な政治と、真正な意味における「私」生活との双方を衰退させる。この、公と私の区別が衰退したところに出現する、どちらともつかないもののことをアレントは非常に独自の意味を込めて「社会」と呼ぶ。この「社会」こそが大衆を生み出した母胎であるのだから、大衆社会はまさに、そしておそらくは全体主義もまた、リベラリズムの延長線上に生じた何者かである。

 ハイエク的な構図が、市場中心の市民社会を拠点とする自由主義と、社会主義から全体主義までをも含めた国家主義との対立でものを見ているのに対して、アレントの場合には、市場中心主義も国家主義もひとしなみに「社会」に魅入られ呑み込まれた発想として一括されてしまう。それに対して古典古代的な政治像--ポリス的民主主義、ローマ的共和主義?--が対置されるのである。

 しかしながらこの特殊アレント的な「社会」という言葉づかいは、それ自体難解で、何を具体的に指しているのかすぐには理解できないだけではなく、それを措いても非常に時代錯誤的で非現実的に映る。繰り返すが、彼女はマルクス主義者とは異なり、「私的所有を廃絶せよ!」などとは言わない。その反対に、公私の区分の橋頭堡としての私的所有の維持に断固としてコミットする。しかしながら彼女は、市場経済に--少なくとも近代の「資本主義」と呼ばれるものに対しては、極めて敵対的な態度をとっているように見える。つまるところ彼女の社会経済思想は、先にも示唆したが、社会主義、国家主義もリベラリズムもひっくるめて近代的なるものを拒絶し古典古代的な社会経済--それが何かはよくわからないが--ヘの回帰を目指すもの、あるいはそのような回帰自体を実践的には目指さないまでも、それを以て--資本主義、社会主義、全体主義すべてをひっくるめた?--近代社会批判の基準となす、というものに見えてしまう。

 しかしそのような立場は、今日の状況下で--とりわけ、アレント・ブームをもたらしたのが社会主義、マルクス主義の凋落であればなおのこと--いかなる意味を持ちうるのだろうか? 私的所有は支持するが、市場経済を批判する、とは、人々に対して、ロビンソン・クルーソーのように自給自足に近い生活を目指し、できるだけ他人と取引するな--ということだろうか? 他者とのかかわりは、自給自足を成し遂げた上での、余裕の範囲内でなすべきだ、というのであれば、それは先に示唆した武装した市民による自力救済のヴィジョンと同様、あまりにも、時代錯誤--と言うも愚かな、まともに取り合うに値しない要求ではあるまいか?

アレントの政治思想に意味はあるのか

 またこの論点に関連して更に厄介なのは、これもまたマルクス主義的革命論、階級闘争史観に対して、極めて早い時期における根本的な批判を提起した『革命について』における彼女の主張である。革命を階級闘争による社会革命、社会経済体制の転覆・変革と同一視する思考図式は、主としてマルクス主義が広めたものであるが、非・反マルクス主義の論者まで含めて強い影響力を発揮し、二〇世紀の「ほとんど常識」にまでなってしまった(無論それは、二〇世紀実証的政治学の集団理論が、マルクス主義的階級理論の継承者であったことの当然の帰結でもある)。しかしながらアレントはこの著作において、革命をあくまでも政治革命、政治体制一憲法、国体の変革として理解することを提唱した。二一世紀の我々にとっては、今やこのアレント的な革命観は、少なくともマルクス主義的なそれと並んで「もう一つの常識」というレベルにまで浸透しているが、それは出てきた当初は斬新な、どちらかと言えば異端的な発想だったということにも注意を喚起しておきたい。

 しかしアレントは、ただ単に階級闘争論、社会革命論を批判しただげではない。『革命について』で彼女は、現実の革命--フランス革命、そしてとりわけ、マルクス主義政権を生んだロシア革命--において、空理空論としてではなく、現実の政治路線として、社会革命論が「生きて」いたことを認めている。だが彼女はそれをもって自分の革命観の欠点とは見なさない。むしろ逆に、社会革命論に導かれていたことこそが、フランス革命やロシア革命を惨事へと導いた原因の一つだった、と主張するのである。

 アレントによれば、フランス革命やロシア革命がアメリカ独立革命とは違ってテロリズム、粛清を引き起こしてしまった理由の一つは、それが「社会問題」、具体的に言えば貧困者の救済を革命、そして政治の中心課題として取り上げてしまったことにある。しかしながらアレントによれば、そもそもこうした社会問題は、政治の課題としてはなじまないもの、政治によっては解決し難いものなのである。これを政治の中心課題としてしまったがゆえにフランス革命以降のフランス政治は混迷を重ね、そしてロシア革命以降のロシアはソヴィエト社会主義の到来、更にはスターリニズムヘの道を開いてしまった、というわけである。

 しかしながらこうしたアレントの主張は、結論だけをとってみれば、実に意外にもハイエクや一部の新自由主義者のそれにひどく似通ってしまっている。そしてそれは、二〇世紀以降の政治について真剣に考えようとする者にとっては、ほとんど受け入れ難い主張である。ことは革命だけの問題ではない。アレントの「社会問題」批判は社会革命に対してのみならず、社会経済政策全般に対してまで及んでしまうのだから。

 数百年から千年単位という超長期的な趨勢においては、武力衝突による死者が漸減傾向にあり、特に先進国間の戦争が極めてまれとなった現代、我々の多くにとって最も重要な政治課題は社会経済政策であり、先進諸国、中進国においては社会保障・社会福祉サービスを備えた福祉国家体制の維持・確立、途上国においてはその前提としての経済発展である。しかしながらアレントにとって、こうした社会経済政策は「政治」の名に値しない何事かである。アレントによれば「社会問題はつまらない些事だ」というのではなく(いやそうでもあるのかもしれないか、それ以上に)、「社会問題は政治の手には負えない」というのである。しかしそのような政治理解は、我々にとってほとんど意味を持ちえない何かなのではないか? アレントの言う本来的な「政治」などというものがあるとして、それは我々にとっての政治とはほとんど関係のないものなのではないか?

 いかにその批判の刃が、リベラリズムに対しても、マルクスに対しても、全体主義と大衆社会状況に対しても比類なく鋭いものだったとしても、「社会問題」に対してまともに応えることを拒絶しているのだとしたら、その政治思想は我々にとって、--少なくとも「政治思想」としては--ほとんど意味を持たないのではないか?

 アレントの議論の今日的な意義について考えるためには、最低限この問いに答える必要がある。次章ではその目的のために、ミシェル・フーコーの一九七〇年代の講義における「統治」にまつわる議論を検討するという迂回路をたどってみる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

アレントの両義性「アレント産業」

『政治の理論』より アレントの両義性

アレントの両義性

「思想の冷戦体制」

 ハンナ・アレントはよく知られているように、第二次世界大戦期、台頭するナチス・ドイツの脅威に追われて、ョーロッパ大陸からアメリカ合衆国に逃れてきたュダヤ系の亡命知識人の一人である。彼女は出世作『全体主義の起源』の上梓以降、アメリカを中心とする西側自由主義圏と、ソ連・中国を中心とする東側社会主義圏とが対峙する「冷たい戦争(冷戦)」期の西側世界において、独自の存在感を放つ政治思想家として広く読まれてきたが、とりわけ注目されるようになったのはその死後しばらくを経てから、特に八○年代末以降、ソ連・東欧社会主義圏が崩壊し、冷戦が終焉してからのことである。九〇年代以降の政治学、哲学界隈での「アレント産業」の隆盛は、冷戦の終焉、旧社会主義圏の崩壊によって、それまでは西側世界の資本主義経済、自由民主主義政治に対する批判理論の屋台骨として重要な役割を果たしていたマルクス主義思想が、深刻なダメージを受けてしまったことと無関係ではない。

 アレントは『全体主義の起源』において、イタリアのファシズム、ドイツのナチズム、そしてソ連のスターリニズムを含めた、全体主義の運動・政治体制を、単なる異常な逸脱現象としてではなく、西洋の思想・政治的伝統の自然な、ありうべき帰結として理解することをはっきりと要求していた。またこれに関連して、カール・マルクスとマルクス主義を西洋政治思想の伝統の中に--もちろん「マルクス主義」を標榜する党派の自己理解とは全く別の仕方でー適切に位置づけるという作業にも、『人間の条件』、『革命について』などで先鞭をつけていた。つまりアレントは、「思想の冷戦体制」とでも呼ぶべきものから、早い時期からはっきりと距離をとっていた。

 「思想の冷戦体制」とここで乱暴に呼ぶのは、以下のような気詰まりなシチュエーションのことだ。たとえばあなたが、西側世界において主導的な政治・経済両面のリベラリズム--その何たるかについては、前章で素描したとおりである。すなわち、社会契約論をベースとした立憲的自由民主主義政治と、スミス的経済学をバックボーンとする市場経済体制へのコミットメント--を批判したとしよう。そうするとあなたは非常に高い確率で、マルクス主義者、ないしはそのシンパ扱いされてしまう。実際、マルクス主義のドクトリンよりも体系的で説得力を持ったリベラリズム批判が他になかなか見当たらない--そうではないリベラリズム批判は、「昔は良かった」式の復古主義、反動思想。になることが非常に多い--ので、リベラリズム批判者の多くは、たとえいやいやながらであっても、マルクス主義の方へと引き寄せられる。何と言ってもマルクス主義こそが、自由な市場経済--マルクス主義風に言えば資本主義経済が、社会経済的な不平等を解消できず、それがひいては政治的な平等をも掘り崩して、民主主義を空洞化させてしまう、という危険を、的確に指摘してきたからだ。

異様な政治思想

 しかしもちろん、特にスターリン批判以降の時代であれば、そして西側世界に住んでいれば、「マルクス=レーニン主義」を体制の指導原理とする「現存した社会主義」の、個人の自由が大幅に制限された世界--そして後には、相対的に貧しい世界であったことも判明した--に住むのは、多くの人が御免蒙るだろう。つまりスターリン批判以降、マルクス主義は資本主義体制の批判の論理としては鋭利でも、それにとって代わりうる社会体制の構想の論理としては、あてにならないのではないが、という深刻な疑惑が生じたのである。それでも、西側世界にも存在する様々な不正や社会問題を批判する際に、マルクスとマルクス主義はとても有用な手掛かりになってくれるから、マルクス主義シンパは、「マルクス=レーュン主義」は拒絶できても、ご本尊マルクスと総体としてのマルクス主義はなかなか拒絶できない。それでも、そうやってマルクス主義シンパをやめずにいると、外野からは

  「おまえはソ連の肩を持つのか!」

 といった言いがかりが絶えず飛んでくる。その一方で「正統派」の、ソ連や共産中国を支持したり、あるいは各国の共産党のメンバーだったりする人々からは、

  「おまえらはニセ左翼だ! おまえらは利敵行為をしている裏切り者だ!」

 と批判される。右からも左からも罵られ、いいことがない。

 そしてもちろんその一方で、もしあなたが、

  「おかしいのはマルクス=レーニン主義だけじゃない。「レーニン、スターリソ、ロシア人どもがマルクスとマルクス主義を歪曲したのが悪い、あんなのは真のマルクス主義ではない」などと一部のマルクス主義シンパが言いつのるのは、気持ちはわかるが後ろ向きの言い訳に過ぎない。マルクス主義には、もとから、それこそマルクスの頃から、どこかとても不健全なところがあったんだ」

 などとはっきり言ってしまうと、今度はマルクス主義シンパ(はもちろん、ソ連や中国をストレートに支持する人々も含めて)から「それではあんたは、西側世界を支持するんだな、肯定するんだな!」と批判されてしまう。たとえあなたが「資本主義経済や議会制民主主義には深刻な欠点がある」と主張していてもだ。その一方であなたは、あなたが腹の底ではひどく嫌っているはずの、おめでたい自由市場礼賛論者たちから秋波を送られてしまうかもしれない。

 --このようなとても鬱陶しい雰囲気から、アレントはきっぱりと距離を置いた。自由市場体制や議会制民主主義を批判したからと言って、マルクス主義者になる必要などないし、逆もまたしかり。まただからと言って市民革命の意義を否定する、復古的反動主義者になることもない。今日であればいかにも当たり前に見えるこうしたスタンスを、それがまだひどく取りにくかった一九五〇年代、六〇年代において、アレントは決然としてとった。そのような彼女の思想が、社会主義の崩壊後に改めて注目されることになったのは、没後十余年を経ていたとはいえ、自然なことだったと言えよう。

 しかしながらアレントの政治思想は、同時代においてはもちろんずいぷんと異彩を放っていたではあろうが、先に触れたようにブームを経た今日でもなお、極めて異様なものに見える。アレント研究が「産業」と呼びたくなるほどに隆盛している理由は、それがまさに「冷戦以後」の時代の要請に応えているように見える一方で、何とも謎めいて理解し難い側面を未だに持っているという両義性にあるのだろう。

西洋古典古代と政治思想の正統

 アレントが「政治」を考える際のパラダイム--お手本、基準点、参照枠組みは、西洋にとっての古典古代、つまりはアテナイを頂点とするギリシアのポリスの民主政と、共和政期のローマである。そこでは政治とは、公的領域と私的領域の厳然たる区別を前提として、私有財産としての家--オイコス、レス・プリヴァータを基盤として、他人による支配から独立した自由人が、公の--開かれた場所としてのポリス、レス・プブリカにおいて他の自由人と交わり、対立し、あるいは協働すること、として理解されている。

 もちろんこうした理解自体は、まさに「西洋政治思想の正統」を継いでいる。マキアヴエ″リを頂点とするいわゆるルネサンスの政治思想も、ギリシア、ローマの法と政治をパラダイムとする、市民たちの共和国を構想するものであった。しかしながらアレントは、ルネサンスの共和主義者、人文主義者たちについてはともかく、更にそのルネサンスの流れを汲むはずの近代の立憲主義とリベラリズムに対しては、奇妙なまでに冷淡である。

 ルネサンスから更にホッブズ、口ック、ルソーらの契約論を立憲主義の基礎として理解し、更にその延長線上にジョン・スチュアート・ミルの議会制論を経由して、現代リベラル・デモクラシーヘとまっすぐな線を引く、という歴史観は、大学教養レベルの政治思想の教科書においては十分に生き延びている。現代の議会制民主主義を、まさに古典古代以来の西洋政治思想の正嫡と見なすこの歴史観それ自体は、もちろん現代の先進諸国のリベラル・デモクラシーを、かつて話題になったフランシス・フクヤマの言葉を借りれば「歴史の終わり」、ラスト・リゾートと見なすそのあまりのおめでたさゆえに、多くの批判に晒されてきた。ただし、その強力な批判者であったマルクス主義の後退以降、リベラルこアモクラシーは「欠点は多々あれども他に積極的な代替案が見当たらない」ものとして、消極的にではあれそれでも強力な支持を得るようになってしまっている。リベラル・デモクラシーヘの批判は、もはやその揚棄や超克のためにではなく、もっぱらその修正と洗練のためになされるかのごとくである。それゆえこの歴史観も、相対的に訴求力を強めている。その意味でもこの史観は「西洋政治思想の正統」なのである。前章で瞥見したような現代のリベラリズムは、結局はこうした史観を前提としている。

 だがアレントは、こうした史観にはくみしない。やや先取りして言えば、アレントはリベラリズムとマルクス主義の対立を、所詮は同じ地平の上でのものと見なしている。そしてこの伝統は、古典古代からルネサンスヘと、更にはアメリカ合衆国憲法を経て、第一世界大戦期、ロシア革命初期の本来の意味での「ソヴィエト」あるいはドイツ革命における「レーテ」といった草の根の評議会へと流れ込む、(あえて名づけるなら)共和主義の伝統からは決定的にずれている、と考えている。

 だが、あえて近代リベラリズムと切断した形での古典古代的な共和主義を模範とするとは、どういうことだろうか? たとえば既に見たとおり、近代的な社会契約論においては、契約に参加する人民は実力行使にょる自力救済の権利を封印し、それをすべて主権者、統治権力に信託する。そこでは正当に実力を行使しうるのは統治権力だけである。しかしながら古典古代の共和主義においては、人々は自分の身と財産を基本的には自力で守るとされる。政治的共同体としての国家の業務の眼目は、人々が個人で(というより自分の家の子郎党を動員して)なしうる範囲を超えた共同事業にあって、人民それぞれの権利の保障にはない。

 仮にアレントが非常に強い意味で、古典古代的共和主義を政治のパラダイムとしているのであれば、上記のごとき武力、実力行使の問題についてはどう考えているのだろうか? この武力の問題をさておいても、こうした共和主義はともすれば、普通のヨーロッパの反動のごとき、中世的封建秩序やカトリック教権主義への回帰どころか、更に極端な、古典古代への回帰を促す超保守主義になってしまうのではないだろうか?

 もちろんよくよく見ていけば、アレントの議論は単純な「古典古代への回帰」論などではない(そうでなければ今日まで読み継がれるわけもない)。しかしアレントのリベラリズム批判は、それこそリベラリズム的な、常識的発想とかなりずれているために、大きな構図の中で理解していかなければならない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

無法な車の中に無防備な自転車を放り込む

豊田市図書館はこの一年で何が変わったのか

 FBのサービスで提供された、1年前の本を見ていたけど、『ハンニバル戦争』を始めとして、読み応えのある本が30冊並んでいた。この一年で豊田市図書館に何が起こったのか。

図書館をスタバのようにしたい

 図書館の閲覧室をスタバ並みにしてもらいたい。と言っても、ツタヤのように併設することではない。大人の人間が学習のための訪れる、出会いの場を提供する。

 そのためには、何を足せばいいのか。コーヒーよりも美女でしょう。美女が来れば、人は集ります。これはNPOにも言える。T-GALsは楽しかった。ディスカッションが活性化する。

話すこと、書くこと、タイプすることの差

 ICレコーダーから雑記帳を作り出すのに、話したことをノートに書いて、タイプインしている。話すこと、書くこと、タイプすること、この三つは大きく違います。何が違うのだろうか。

 日本語の漢字は考えることを阻害している。

 早稲田速記を中学の時に受けていたが、速記は全てをひらがなで表記している。漢字の速記はできない。あの頃から話したことを記述したかった。それで、ICレコーダーを10台以上渡り歩いてきた。

漢字は不合理

 漢字は不合理です。もし、このまま漢字を使うのであれば、書くのではなく、変換中心にして欲しい。画数の多いものは手が疲れます。

 北京語の簡略文字を2005年愛知万博の時に知ったが、工夫が聞いていた。それに比べて、単ワンの方は難しかった。

 テレビのクイズ出題とか漢字検定にしても、不合理を感じないのか。例えば、「はいち」は3文字だけど。感じにすると「配置」となる。手で書くと疲れる。キーインは「はいち」の3文字+変換で済む。

日本語という文化障壁

 学校の教育時間の誰だけをこの考えない漢字練習に使われたことか。こんなことをいつまで続けるのか。その分、哲学とか数学に使ってもらいたい。

 日本語という文化障壁を作り上げている。アメリカ-メキシコ間の壁よりも分厚いものを作っている。江戸時代の薩摩藩は他藩からの侵入を防ぐために、薩摩弁を作り上げた。

 10年後、20年後に手書き漢字が残っているのか。リアルの本を含めて、デジタル化してしてしまわないと。

無法な車の中に無防備な自転車を放り込む

 この無法な車のマナーの中に、本当に自転車を放り込んで、豊田市は責任が取れるのか。自転車に対して、「左折する車に注意」とするよりも、車に対して、「左折もしくは直進する自転車に注意」とすべきでしょう。

 登り坂では「ふらつく自転車に注意」となるけど、もっと言いたいことがあるでしょう。あの狭い道路の中を大きな車が走り抜けている状況では、30メートル毎に「自転車に注意!」の看板を立てると同時に、事故責任は車にあることを明確にすることです。

我々って誰のこと

 「我々」という言葉が気に入らない。言うのであれば、「私」ですね。勝手に一緒にして欲しくない。他者のことを分からずに、勝手に巻き込まないように。

OCR化した本の感想

 『政治の理論』

  アレントは本当に皆から愛されているんだな。そして、まずは攻撃の対象にされるんだということ。アレントのすごいところは、政治思想を人間の内側から掘り起こしているところ。それにしても「アレント産業」には驚き。すごい影響力をもっているんだお。

 『ブロックチェーン革命』

  われわれは、どのような社会を実現できるか。伝染がなくなること、貨幣がなくなることで生活は変わるのは確かだが、皆が覚醒しないところで実現しても、格差が増すだけで、フラットにはならない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )