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アレントの両義性 アレントにとっての「社会」

『政治の理論』より アレントの両義性

アレントにとっての「社会」

 しかし近代的な市場経済‥資本主義は、あらゆる財産を--「果実」のみならず「元物」をも--市場で評価され、取引されうる「資本」と化してしまう。そこでは土地も、地代という収益を生む限りにおいて、株式や債券などの金融資産と択ぶところはない(いやそもそも人々の共同行為に他ならない「企業」が「株式会社」として市場で売り買いされるとは、一体どういうことか?)。かくして資本主義は、土地や企業体を丸ごと売り買いの対象とすることによって、公と私の区別を確保するどころかむしろ弱らせ、溶解させ、それによって公的な政治と、真正な意味における「私」生活との双方を衰退させる。この、公と私の区別が衰退したところに出現する、どちらともつかないもののことをアレントは非常に独自の意味を込めて「社会」と呼ぶ。この「社会」こそが大衆を生み出した母胎であるのだから、大衆社会はまさに、そしておそらくは全体主義もまた、リベラリズムの延長線上に生じた何者かである。

 ハイエク的な構図が、市場中心の市民社会を拠点とする自由主義と、社会主義から全体主義までをも含めた国家主義との対立でものを見ているのに対して、アレントの場合には、市場中心主義も国家主義もひとしなみに「社会」に魅入られ呑み込まれた発想として一括されてしまう。それに対して古典古代的な政治像--ポリス的民主主義、ローマ的共和主義?--が対置されるのである。

 しかしながらこの特殊アレント的な「社会」という言葉づかいは、それ自体難解で、何を具体的に指しているのかすぐには理解できないだけではなく、それを措いても非常に時代錯誤的で非現実的に映る。繰り返すが、彼女はマルクス主義者とは異なり、「私的所有を廃絶せよ!」などとは言わない。その反対に、公私の区分の橋頭堡としての私的所有の維持に断固としてコミットする。しかしながら彼女は、市場経済に--少なくとも近代の「資本主義」と呼ばれるものに対しては、極めて敵対的な態度をとっているように見える。つまるところ彼女の社会経済思想は、先にも示唆したが、社会主義、国家主義もリベラリズムもひっくるめて近代的なるものを拒絶し古典古代的な社会経済--それが何かはよくわからないが--ヘの回帰を目指すもの、あるいはそのような回帰自体を実践的には目指さないまでも、それを以て--資本主義、社会主義、全体主義すべてをひっくるめた?--近代社会批判の基準となす、というものに見えてしまう。

 しかしそのような立場は、今日の状況下で--とりわけ、アレント・ブームをもたらしたのが社会主義、マルクス主義の凋落であればなおのこと--いかなる意味を持ちうるのだろうか? 私的所有は支持するが、市場経済を批判する、とは、人々に対して、ロビンソン・クルーソーのように自給自足に近い生活を目指し、できるだけ他人と取引するな--ということだろうか? 他者とのかかわりは、自給自足を成し遂げた上での、余裕の範囲内でなすべきだ、というのであれば、それは先に示唆した武装した市民による自力救済のヴィジョンと同様、あまりにも、時代錯誤--と言うも愚かな、まともに取り合うに値しない要求ではあるまいか?

アレントの政治思想に意味はあるのか

 またこの論点に関連して更に厄介なのは、これもまたマルクス主義的革命論、階級闘争史観に対して、極めて早い時期における根本的な批判を提起した『革命について』における彼女の主張である。革命を階級闘争による社会革命、社会経済体制の転覆・変革と同一視する思考図式は、主としてマルクス主義が広めたものであるが、非・反マルクス主義の論者まで含めて強い影響力を発揮し、二〇世紀の「ほとんど常識」にまでなってしまった(無論それは、二〇世紀実証的政治学の集団理論が、マルクス主義的階級理論の継承者であったことの当然の帰結でもある)。しかしながらアレントはこの著作において、革命をあくまでも政治革命、政治体制一憲法、国体の変革として理解することを提唱した。二一世紀の我々にとっては、今やこのアレント的な革命観は、少なくともマルクス主義的なそれと並んで「もう一つの常識」というレベルにまで浸透しているが、それは出てきた当初は斬新な、どちらかと言えば異端的な発想だったということにも注意を喚起しておきたい。

 しかしアレントは、ただ単に階級闘争論、社会革命論を批判しただげではない。『革命について』で彼女は、現実の革命--フランス革命、そしてとりわけ、マルクス主義政権を生んだロシア革命--において、空理空論としてではなく、現実の政治路線として、社会革命論が「生きて」いたことを認めている。だが彼女はそれをもって自分の革命観の欠点とは見なさない。むしろ逆に、社会革命論に導かれていたことこそが、フランス革命やロシア革命を惨事へと導いた原因の一つだった、と主張するのである。

 アレントによれば、フランス革命やロシア革命がアメリカ独立革命とは違ってテロリズム、粛清を引き起こしてしまった理由の一つは、それが「社会問題」、具体的に言えば貧困者の救済を革命、そして政治の中心課題として取り上げてしまったことにある。しかしながらアレントによれば、そもそもこうした社会問題は、政治の課題としてはなじまないもの、政治によっては解決し難いものなのである。これを政治の中心課題としてしまったがゆえにフランス革命以降のフランス政治は混迷を重ね、そしてロシア革命以降のロシアはソヴィエト社会主義の到来、更にはスターリニズムヘの道を開いてしまった、というわけである。

 しかしながらこうしたアレントの主張は、結論だけをとってみれば、実に意外にもハイエクや一部の新自由主義者のそれにひどく似通ってしまっている。そしてそれは、二〇世紀以降の政治について真剣に考えようとする者にとっては、ほとんど受け入れ難い主張である。ことは革命だけの問題ではない。アレントの「社会問題」批判は社会革命に対してのみならず、社会経済政策全般に対してまで及んでしまうのだから。

 数百年から千年単位という超長期的な趨勢においては、武力衝突による死者が漸減傾向にあり、特に先進国間の戦争が極めてまれとなった現代、我々の多くにとって最も重要な政治課題は社会経済政策であり、先進諸国、中進国においては社会保障・社会福祉サービスを備えた福祉国家体制の維持・確立、途上国においてはその前提としての経済発展である。しかしながらアレントにとって、こうした社会経済政策は「政治」の名に値しない何事かである。アレントによれば「社会問題はつまらない些事だ」というのではなく(いやそうでもあるのかもしれないか、それ以上に)、「社会問題は政治の手には負えない」というのである。しかしそのような政治理解は、我々にとってほとんど意味を持ちえない何かなのではないか? アレントの言う本来的な「政治」などというものがあるとして、それは我々にとっての政治とはほとんど関係のないものなのではないか?

 いかにその批判の刃が、リベラリズムに対しても、マルクスに対しても、全体主義と大衆社会状況に対しても比類なく鋭いものだったとしても、「社会問題」に対してまともに応えることを拒絶しているのだとしたら、その政治思想は我々にとって、--少なくとも「政治思想」としては--ほとんど意味を持たないのではないか?

 アレントの議論の今日的な意義について考えるためには、最低限この問いに答える必要がある。次章ではその目的のために、ミシェル・フーコーの一九七〇年代の講義における「統治」にまつわる議論を検討するという迂回路をたどってみる。
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