未唯への手紙
未唯への手紙
豊田市に足りないのは、大学
豊田市に足りないのは、大学
街の真ん中に大学、学生、そして場所。それによって、市民を育てる。学生の行動を使って、街全体を変えていく。新しい秩序を実現するのに、図書館だけでは不十分です。新しい教育体系を作り、仕事の場をつなぐ。ターゲットは家庭の変革。
デジタルクルーズも単なる作業だけでなく、考える場所にしていく。市の交通研にしても、道路に線を引くぐらいしかできていない。アレでは自転車は守れない。もっと、学生が溢れる街にしていかないと。矢作川研にしても矢作川全体を変えてしまう風景を目指す時です。新しい田舎を作り出す。
アテネのようにパルテノン神殿の周りにアゴラとタベルナがあるようにするには、ランドマークが必要になる。それを大学にする。
フライブルグ市
フライブルグ市が環境首都になったのは、フライブルグ大学があったからでしょう。過去にハイデガーが居て、アーレントも居た。町の中心に小さな市役所と横断する川があった。場所もドイツと言うよりもスイスに近い田舎町。
スタジアム型の劇場
豊田スタジアムはサッカーのためではなく、劇場にしていく。22人のためではなく、皆が集まれる場所にしていく。それを拠点にして、周りを作り上げていく。SSA以上の大きな仕掛けをして、ベビメタも満足する表現が可能な空間にしていく。
豊田スタジアムの特徴は周りに何もないことです。矢作川を含めて、立体化して、5万人以上が集まれる規模にしていく。それに併せて、交通体系を未来型に変えていく。周辺にサテライトを配置して、一体化していく。
次世代の活躍
次世代に蘭世が間に合ってよかった。AKBはこじまこと岡田奈々が居れば十分。欅はテチとその仲間たちです。
街の真ん中に大学、学生、そして場所。それによって、市民を育てる。学生の行動を使って、街全体を変えていく。新しい秩序を実現するのに、図書館だけでは不十分です。新しい教育体系を作り、仕事の場をつなぐ。ターゲットは家庭の変革。
デジタルクルーズも単なる作業だけでなく、考える場所にしていく。市の交通研にしても、道路に線を引くぐらいしかできていない。アレでは自転車は守れない。もっと、学生が溢れる街にしていかないと。矢作川研にしても矢作川全体を変えてしまう風景を目指す時です。新しい田舎を作り出す。
アテネのようにパルテノン神殿の周りにアゴラとタベルナがあるようにするには、ランドマークが必要になる。それを大学にする。
フライブルグ市
フライブルグ市が環境首都になったのは、フライブルグ大学があったからでしょう。過去にハイデガーが居て、アーレントも居た。町の中心に小さな市役所と横断する川があった。場所もドイツと言うよりもスイスに近い田舎町。
スタジアム型の劇場
豊田スタジアムはサッカーのためではなく、劇場にしていく。22人のためではなく、皆が集まれる場所にしていく。それを拠点にして、周りを作り上げていく。SSA以上の大きな仕掛けをして、ベビメタも満足する表現が可能な空間にしていく。
豊田スタジアムの特徴は周りに何もないことです。矢作川を含めて、立体化して、5万人以上が集まれる規模にしていく。それに併せて、交通体系を未来型に変えていく。周辺にサテライトを配置して、一体化していく。
次世代の活躍
次世代に蘭世が間に合ってよかった。AKBはこじまこと岡田奈々が居れば十分。欅はテチとその仲間たちです。
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OCR化した9冊
『格差と再分配』
すべてはこの本から始まった
『21世紀の資本』の原点
ピケティの経歴
本書の位置づけ
不平等研究の現在
『ロサンゼルス便利帳』
図書館
サービス
日系図書館
大学図書館
専門図書館
郡立・市立図書館
『言葉はこうして生き残った』
ハンナ・アーレント|
『「今、ここ」から考える社会学』
社会を考える6つの視点
私の「社会学史」講義から
「行為」:社会を見る基本的な視点
「関係性」:人と人の間にあるものとは
「構造」:社会の秩序や道徳を考えるために
「自己」:社会に生き、自分を生きるために
「日常生活世界」:「あたりまえ」を読み解く
「人々の方法」:私たちはみんな「社会学者」だ
『イベントの仕事で働く』
イベントにも問われる人権、環境、そして未来
今の社会は粉末?
みんなに優しいイベントを
イベントも取り組む環境問題
イベントにも持続可能な考え方を
『ホーキング、自らを語る』
ブラックホール
虚数時間
『地方自治講義』
地域社会と市民参加
コミュニティ
コミュニティの制度化としての自治体
「第二の村」とその限界
コミュニティの概念
地域コミュニティヘのスタンス
戦時体制と地縁団体
地域コミュニティの方向性
市民合意
市民の声とは何か
住民説明会が紛糾する理由
妥協と納得
市民の直接参加
住民投票
市民参加
市民参加の理論と現実
市民参加は議会軽視?
市民参加の類型的整理
市民参加と議会との位置関係
市民同士が合意できない?
政治参加と行政参加における市民
地緑団体の参加
市民参加の成果と行政の整理
『ラジオと地域と図書館』
図書館とラジオ、そしてメディアの可能性
河西聖子(京都府立大学京都政策研究センター/精華町)
ラジオとの出会い、その魅力
コミュニティFMで全国へ発信
Dr.ルイスとの出会い
ラジオからの繋がり
精華町立図書館のメディア発信
インターネットによる情報収集と発信
日本各地、世界の図書館巡り
現在、そして未来のこと
『読まずに死ねない哲学名著50冊』
方法序説 近代哲学のマニフェスト
ルネ・デカルト(1596~1650年)
共通了解の原理を探求
人間は理性を等しく備える
「方法的懐疑」で哲学の出発点を築く
なぜ近代哲学の出発点となったのか?
情念論 情念の意昧を説く
ルネ・デカルト(1596~1650年)
精神と身体は「松果腺」を通じてつながっている
情念の〝到来性〟
欲望は未来の「替」への原動力
デカルトの倫理学
純粋理性批判 「色つきメガネ」の認識論
イマヌエル・カント(1724~1804年)
感性--色つきメガネ
悟性--データ統合能力
理性--〝完全なもの〟を認識する能力
アンチノミー
認識の問題から道徳の問題ヘ
実践理性批判 道徳の根拠を「理性」に置く
イマヌエル・カント(1724~1804年)
格律と普遍的立法
道徳法則は基準を示す
自分で自分に課すから意味がある
人間の理性への信頼に基づく道徳論
現象学の理念 認識問題を解明する原理を示す
エトムント・フッサール(1859~1938年)
主観と客観が一致すると判定できる根拠はあるか
世界像を「括弧入れ」して、意識に「還元」する
普遍的な認識論に基づき、意味や価値について問う
イデーン 認識本質論としての現象学を確立
エトムント・フッサール(1859~1938年)
日常の世界像 自然的態度の一般定立
エポケーと現象学的還元
世界は確信として像を結ぶ
生のリアリティの根拠
思考の「自律」
論理哲学論考 私たちは何を語りうるか?
ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン(1889~1951年)
言語と世界の対応関係
「論理形式」と「像」
論理操作によって「語りうる」すべての命題を構成できる
論理学の命題はつねに「真」
独我論的世界
倫理は言葉にできない
本当に言語と世界は対応している?
哲学探究 言葉の意味は「用法」である
ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン(1889~1951年)
「ダイイシ!」の一言で理解する
「範型」は言語ゲームの道具
言語ゲームの類似性
他人の「痛み」
生の一部としての言語ゲーム
存在と時間 実存哲学の最高峰
マルティン・ハイデガー(1889~1976年)
私たちにとっての世界 気遣い相関性
死の本質観取
死への「先駆」
人間についての深い洞察
形而上学入門 後期ハイデガーの入門書
マルティン・ハイデガー(1889~1976年)
ギリシア語、ギリシア哲学から考える
存在を限定する四つの条件
現存在は存在者が立ち現れる「開け」
どこまで確かなのか?
人間の条件 近代社会=労働社会批判
ハンナ・アーレント(1906~1975年)
人間の条件は「労働」「仕事」「活動」の三つ
労働--「必要性」による奴隷化
仕事--製作活動
活動--人間関係の〝網の目〟
人間は〝動物化〟しつつある
アップデートで生かせる原理論
革命について 自由は公的空間を必要とする
ハンナ・アーレント(1906~1975年)
革命は「自由」の意識に導かれる
フランス革命とアメリカ革命の違い
フランス革命が失敗した理由
アメリカ革命が一応成功した理由
公的空間の創設に失敗した
自由をともに構成する
すべてはこの本から始まった
『21世紀の資本』の原点
ピケティの経歴
本書の位置づけ
不平等研究の現在
『ロサンゼルス便利帳』
図書館
サービス
日系図書館
大学図書館
専門図書館
郡立・市立図書館
『言葉はこうして生き残った』
ハンナ・アーレント|
『「今、ここ」から考える社会学』
社会を考える6つの視点
私の「社会学史」講義から
「行為」:社会を見る基本的な視点
「関係性」:人と人の間にあるものとは
「構造」:社会の秩序や道徳を考えるために
「自己」:社会に生き、自分を生きるために
「日常生活世界」:「あたりまえ」を読み解く
「人々の方法」:私たちはみんな「社会学者」だ
『イベントの仕事で働く』
イベントにも問われる人権、環境、そして未来
今の社会は粉末?
みんなに優しいイベントを
イベントも取り組む環境問題
イベントにも持続可能な考え方を
『ホーキング、自らを語る』
ブラックホール
虚数時間
『地方自治講義』
地域社会と市民参加
コミュニティ
コミュニティの制度化としての自治体
「第二の村」とその限界
コミュニティの概念
地域コミュニティヘのスタンス
戦時体制と地縁団体
地域コミュニティの方向性
市民合意
市民の声とは何か
住民説明会が紛糾する理由
妥協と納得
市民の直接参加
住民投票
市民参加
市民参加の理論と現実
市民参加は議会軽視?
市民参加の類型的整理
市民参加と議会との位置関係
市民同士が合意できない?
政治参加と行政参加における市民
地緑団体の参加
市民参加の成果と行政の整理
『ラジオと地域と図書館』
図書館とラジオ、そしてメディアの可能性
河西聖子(京都府立大学京都政策研究センター/精華町)
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コミュニティFMで全国へ発信
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日本各地、世界の図書館巡り
現在、そして未来のこと
『読まずに死ねない哲学名著50冊』
方法序説 近代哲学のマニフェスト
ルネ・デカルト(1596~1650年)
共通了解の原理を探求
人間は理性を等しく備える
「方法的懐疑」で哲学の出発点を築く
なぜ近代哲学の出発点となったのか?
情念論 情念の意昧を説く
ルネ・デカルト(1596~1650年)
精神と身体は「松果腺」を通じてつながっている
情念の〝到来性〟
欲望は未来の「替」への原動力
デカルトの倫理学
純粋理性批判 「色つきメガネ」の認識論
イマヌエル・カント(1724~1804年)
感性--色つきメガネ
悟性--データ統合能力
理性--〝完全なもの〟を認識する能力
アンチノミー
認識の問題から道徳の問題ヘ
実践理性批判 道徳の根拠を「理性」に置く
イマヌエル・カント(1724~1804年)
格律と普遍的立法
道徳法則は基準を示す
自分で自分に課すから意味がある
人間の理性への信頼に基づく道徳論
現象学の理念 認識問題を解明する原理を示す
エトムント・フッサール(1859~1938年)
主観と客観が一致すると判定できる根拠はあるか
世界像を「括弧入れ」して、意識に「還元」する
普遍的な認識論に基づき、意味や価値について問う
イデーン 認識本質論としての現象学を確立
エトムント・フッサール(1859~1938年)
日常の世界像 自然的態度の一般定立
エポケーと現象学的還元
世界は確信として像を結ぶ
生のリアリティの根拠
思考の「自律」
論理哲学論考 私たちは何を語りうるか?
ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン(1889~1951年)
言語と世界の対応関係
「論理形式」と「像」
論理操作によって「語りうる」すべての命題を構成できる
論理学の命題はつねに「真」
独我論的世界
倫理は言葉にできない
本当に言語と世界は対応している?
哲学探究 言葉の意味は「用法」である
ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン(1889~1951年)
「ダイイシ!」の一言で理解する
「範型」は言語ゲームの道具
言語ゲームの類似性
他人の「痛み」
生の一部としての言語ゲーム
存在と時間 実存哲学の最高峰
マルティン・ハイデガー(1889~1976年)
私たちにとっての世界 気遣い相関性
死の本質観取
死への「先駆」
人間についての深い洞察
形而上学入門 後期ハイデガーの入門書
マルティン・ハイデガー(1889~1976年)
ギリシア語、ギリシア哲学から考える
存在を限定する四つの条件
現存在は存在者が立ち現れる「開け」
どこまで確かなのか?
人間の条件 近代社会=労働社会批判
ハンナ・アーレント(1906~1975年)
人間の条件は「労働」「仕事」「活動」の三つ
労働--「必要性」による奴隷化
仕事--製作活動
活動--人間関係の〝網の目〟
人間は〝動物化〟しつつある
アップデートで生かせる原理論
革命について 自由は公的空間を必要とする
ハンナ・アーレント(1906~1975年)
革命は「自由」の意識に導かれる
フランス革命とアメリカ革命の違い
フランス革命が失敗した理由
アメリカ革命が一応成功した理由
公的空間の創設に失敗した
自由をともに構成する
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革命について 自由は公的空間を必要とする
『読まずに死ねない哲学名著50冊』より ハンナ・アーレント 革命について 自由は公的空間を必要とする ⇒ アーレントの本です。彼女の言うことは大体、合っている。
革命について 自由は公的空間を必要とする ⇒ アーレントの本です。彼女の言うことは大体、合っている。
自由とは何か。近代以降、哲学者が何度も問い、それぞれのアプローチで答えを与えてきた問題だ。ルソーとヘーゲルはコ般意志」と「人格の相互承認」の概念によって答えた。アーレントは本書で、フランス革命とアメリカ独立革命に関する考察を通じて、この問いに対し、別の角度から答えを与えようとする。
本書の解を先取りすると次のとおりだ。
自由は公的領域への参加を意味する。自由と似ている概念に「解放」がある。だが、解放と自由は本質的に異なる。なぜなら自由は解放と異なり、創設されなければ存在しないからだ。「自由の創設」を成し遂げられるかどうか。ここに革命の成功がかかっている。
マルクス主義に対抗して現われてきたポストモダン思想は、反権力の観点か’ら、自由と解放を同一視して論じる傾向にある。本書でアーレントが論じる権力論は、ポストモダン思想における表象的な批判とは異なり、堅実なものだ。
革命は「自由」の意識に導かれる
そもそも、革命という概念は何をきっかけにして現れてきたのだろうか。
アーレントは、そのきっかけを近代における「自由」の意識の芽生えにあるとする。そしてこれが、中世から近代への移行をもたらした根本的な条件でもあるという。
キリスト教の権威が圧倒的な力をもっていた中世においては、歴史の過程は神によって決定されており、人びとにとっての問題は、その世界観を正しく受け入れられるかどうかにあった。階層は固定されており、それに反抗することは許されない。封建領主の子は封建領主、農奴の子は農奴として生きるしかなかった。
だが、近代に入ると、社会的な格差が一つの矛盾、解決されるべき問題として映るようになった。
貧困は決して、神によって定められた運命ではない。人間は社会を再編して、貧富の格差を解決することができる。こうした確信が革命の条件である、とアーレントは説くのだ。
さて、冒頭にも記したように、アーレントは、解放と自由は本質的に異なるという主張を置く。人びとを抑圧から解放すれば、そこから自由が自然に生まれてくるわけではない。自由は実質的な社会制度を必要とする。国家の統治形態を組織し、自由を創設する革命のみが、革命の名に値するというのだ。
自由の創設は、権力構造の創設と不可分だ。解放が公的空間を維持する権力を生み出さず、情熱と結びつき、大衆救済へ向かうとき、革命は暴力による失敗に終わらざるをえない。アーレントによると、まさしくフランス革命は、そのようなストーリーで恐怖政治に至ったのだ。
フランス革命とアメリカ革命の違い
アーレントは、フランス革命とアメリカ革命を次のように区別する。
・フランス革命が失敗した理由:解放にとどまり、自由の創設につながらなかったため。
・アメリカ革命が一応成功した理由:解放を踏まえて、権力の構成に基づく自由の創設へ向かったため。
アメリカ革命について「一応」とただし書きを置いたのは、アーレントはアメリカ革命を全面的に評価しているわけではないからだ。アメリカ革命は初め成功したように見えたが、人びとが参加できるような公的な空間をつくることができなかったため、自由の創設に失敗してしまったと考えたのだ。
アメリカ革命については後で確認することにして、まずはフランス革命が失敗した理由に関するアーレントの見解を確認することにしよう。
フランス革命が失敗した理由
アーレントは、フランス革命が失敗した根本的な理由を、ロベスピエールを代表とする指導者たちが、革命の目的を人民の幸福、豊かさに置いてしまったことに求める。
革命の目的を、自由の創設から人民の幸福へ向けるとき、革命は失敗に終わる。これは一見逆説的に思えるかもしれない。だがアーレントによれば、貧困にあえぐ人民を「必要性」から救い出そうとすると、革命はその本質的な目的、すなわち自由の創設という課題を見失ってしまうのだ。
アーレントは、フランス革命によって自由を実感することができたのは、実のところかなりの少数であり、貧困にあえぐ大多数の人民は、自由どころか解放を実感することさえできなかったと分析する。そうした人民に対する「同情」が、フランス革命を失敗させたのだ、と。
なぜ同情が革命を失敗させたのか。それは、同情それ自体は結局のところ情熱であり、決して制度をつくることがないからだ。
フランス革命の指導者たちは、貧民に対する同情に突き動かされた。その結果、革命のうちに「必要性」という要素が入り込んできてしまった。これにより、公的領域において自由を創設することは不可能となり、革命は恐怖政治に行き着いてしまったというのだ。
アメリカ革命が一応成功した理由
次にアーレントは、アメリカ独立革命に着目し、アメリカ革命とフランス革命の本質的な違いを、権力システムの構成に置く。
フランス革命は解放を目指した結果、恐怖政治へ行き着いた。一方、アメリカ革命では、独立戦争は解放を超えて国家の構成へと向かった。そこでは権力を構成することが積極的に目指され、その結果、革命の目的である自由の構成が行われた。そのようにアーレントはアメリカ革命を評価する。
アメリカ革命で樹立された権力の基礎は「互恵主義」と「相互性」にあった。こう言われると難しく聞こえるかもしれないが、要するにアメリカ革命では、相互の約束に基づき、同盟を結ぶことで権力が設立されたと考えるのだ。
権力と自由は、決して相反するものではない。むしろ、自由は確固とした権力の基盤がなければ成立しえない。それゆえ問題は、権力I般に反対することではなく、相互の合意に基づいて権力構造を打ち立てることにある。これはアーレントが批判するルソーにも共通する洞察だ。
だが、アーレントの強調点は、合意それ自体よりも、合意が統治への相互参加を生み出すかどうかということにある。
合意といっても、それが政府に統治を丸投げするなら意味がない。合意が相互に物事を決めていく統治につながらないなら、合意は自由の創設の原理とみなすことはできないと考えるのだ。
公的空間の創設に失敗した
アメリカ革命は、合衆国憲法の制定によって一応は成功したように見える。だが、アーレントは、出発点で致命的なミスを犯していたと語る。それは、自由の創設が自覚的になされた行為であることを人びとが意識できるような公的空間、相互に統治に参加するようなシステムづくりに失敗してしまったことだ。
自由は構成された。しかし公的空間が創設されなかった。その結果、市民的自由、個人の福祉、そして世論が残された。ここに決定的な問題がある。
アーレントは世論に対し否定的だ。なぜなら、世論は圧倒的な力で全員一致を求め、各人の意見を圧殺することで、共和制の本質である「自由な統治」の根幹を揺るがしてしまうからだ。ハミルトンやジェファーソンといった、アメリカ合衆国の建国者たちにとって、世論が主導する政治は、新たな専制支配のあり方として脅威に映ったのだというのだ。
もっとも、ジェファーソンらも世論の支配を前に、ただ手をこまねいていたわけではない。ジェファーソンは人びとが統治に参加し、公的な事柄に関心をもつための制度として、「郡区」とタウン・ホールーミーティングに強い期待をかけていた。それらの制度によって、自由の持続的な構成を実現しようとしたのだ。
だが、アーレントは、実際にはそうならなかったと分析する。というのも、自由の構成のためにつくられたアメリカ憲法自身が、公的空間を人びとの代表者だけに与えていたので、人びとが公的な事柄に無関心になるのは構造上必然的だったからだ。
自由をともに構成する
アーレントの自由論は、解放と自由の本質的な違いに対する洞察によって貫かれている。
確かに、安定した権力構造と統治の存在しないところで、人びとが持続的に自由であることはできない。このことは、何十年にもわたって内戦が続いている地域を見れば、すぐに理解できる。「権力は自由の敵である」とする見方は、そうした現実の重みを考えれば、あまりにも素朴だ。
自由を実質化するためには、それに応じた制度が必要である。この洞察は確かに納得できる。だが、それと並んでアーレントが強調しているのは、そうした制度は、人びとが公的空間に参加しなくなると、形骸化してしまわざるをえないということだ。
二十世紀における革命の惨状の内に葬り去られたのは、まさにこのような国家の変容に対する希望、すなわち、近代的な平等主義的社会の全成員が公的問題の「参加者」になることができるような新しい統治形態にたいする希望にほかならなかった。
本書の最後でアーレントは、エリート層による統治に対して批判を行っている。エリート層による政治それ自体に問題があるわけではない。問題は、政治が一つの専門的な職業になってしまっていることだ。
自由は公的空間への参加のうちにある。それゆえ各人が一個の市民として、統治に参加できるシステムを設立できなければ、自由の創設が成功したとはいえない。政治の専門職業化という流れは、人びとから統治に携わる機会とともに、市民感覚をも奪ってしまうとアーレントは指摘するのだ。
革命について 自由は公的空間を必要とする ⇒ アーレントの本です。彼女の言うことは大体、合っている。
自由とは何か。近代以降、哲学者が何度も問い、それぞれのアプローチで答えを与えてきた問題だ。ルソーとヘーゲルはコ般意志」と「人格の相互承認」の概念によって答えた。アーレントは本書で、フランス革命とアメリカ独立革命に関する考察を通じて、この問いに対し、別の角度から答えを与えようとする。
本書の解を先取りすると次のとおりだ。
自由は公的領域への参加を意味する。自由と似ている概念に「解放」がある。だが、解放と自由は本質的に異なる。なぜなら自由は解放と異なり、創設されなければ存在しないからだ。「自由の創設」を成し遂げられるかどうか。ここに革命の成功がかかっている。
マルクス主義に対抗して現われてきたポストモダン思想は、反権力の観点か’ら、自由と解放を同一視して論じる傾向にある。本書でアーレントが論じる権力論は、ポストモダン思想における表象的な批判とは異なり、堅実なものだ。
革命は「自由」の意識に導かれる
そもそも、革命という概念は何をきっかけにして現れてきたのだろうか。
アーレントは、そのきっかけを近代における「自由」の意識の芽生えにあるとする。そしてこれが、中世から近代への移行をもたらした根本的な条件でもあるという。
キリスト教の権威が圧倒的な力をもっていた中世においては、歴史の過程は神によって決定されており、人びとにとっての問題は、その世界観を正しく受け入れられるかどうかにあった。階層は固定されており、それに反抗することは許されない。封建領主の子は封建領主、農奴の子は農奴として生きるしかなかった。
だが、近代に入ると、社会的な格差が一つの矛盾、解決されるべき問題として映るようになった。
貧困は決して、神によって定められた運命ではない。人間は社会を再編して、貧富の格差を解決することができる。こうした確信が革命の条件である、とアーレントは説くのだ。
さて、冒頭にも記したように、アーレントは、解放と自由は本質的に異なるという主張を置く。人びとを抑圧から解放すれば、そこから自由が自然に生まれてくるわけではない。自由は実質的な社会制度を必要とする。国家の統治形態を組織し、自由を創設する革命のみが、革命の名に値するというのだ。
自由の創設は、権力構造の創設と不可分だ。解放が公的空間を維持する権力を生み出さず、情熱と結びつき、大衆救済へ向かうとき、革命は暴力による失敗に終わらざるをえない。アーレントによると、まさしくフランス革命は、そのようなストーリーで恐怖政治に至ったのだ。
フランス革命とアメリカ革命の違い
アーレントは、フランス革命とアメリカ革命を次のように区別する。
・フランス革命が失敗した理由:解放にとどまり、自由の創設につながらなかったため。
・アメリカ革命が一応成功した理由:解放を踏まえて、権力の構成に基づく自由の創設へ向かったため。
アメリカ革命について「一応」とただし書きを置いたのは、アーレントはアメリカ革命を全面的に評価しているわけではないからだ。アメリカ革命は初め成功したように見えたが、人びとが参加できるような公的な空間をつくることができなかったため、自由の創設に失敗してしまったと考えたのだ。
アメリカ革命については後で確認することにして、まずはフランス革命が失敗した理由に関するアーレントの見解を確認することにしよう。
フランス革命が失敗した理由
アーレントは、フランス革命が失敗した根本的な理由を、ロベスピエールを代表とする指導者たちが、革命の目的を人民の幸福、豊かさに置いてしまったことに求める。
革命の目的を、自由の創設から人民の幸福へ向けるとき、革命は失敗に終わる。これは一見逆説的に思えるかもしれない。だがアーレントによれば、貧困にあえぐ人民を「必要性」から救い出そうとすると、革命はその本質的な目的、すなわち自由の創設という課題を見失ってしまうのだ。
アーレントは、フランス革命によって自由を実感することができたのは、実のところかなりの少数であり、貧困にあえぐ大多数の人民は、自由どころか解放を実感することさえできなかったと分析する。そうした人民に対する「同情」が、フランス革命を失敗させたのだ、と。
なぜ同情が革命を失敗させたのか。それは、同情それ自体は結局のところ情熱であり、決して制度をつくることがないからだ。
フランス革命の指導者たちは、貧民に対する同情に突き動かされた。その結果、革命のうちに「必要性」という要素が入り込んできてしまった。これにより、公的領域において自由を創設することは不可能となり、革命は恐怖政治に行き着いてしまったというのだ。
アメリカ革命が一応成功した理由
次にアーレントは、アメリカ独立革命に着目し、アメリカ革命とフランス革命の本質的な違いを、権力システムの構成に置く。
フランス革命は解放を目指した結果、恐怖政治へ行き着いた。一方、アメリカ革命では、独立戦争は解放を超えて国家の構成へと向かった。そこでは権力を構成することが積極的に目指され、その結果、革命の目的である自由の構成が行われた。そのようにアーレントはアメリカ革命を評価する。
アメリカ革命で樹立された権力の基礎は「互恵主義」と「相互性」にあった。こう言われると難しく聞こえるかもしれないが、要するにアメリカ革命では、相互の約束に基づき、同盟を結ぶことで権力が設立されたと考えるのだ。
権力と自由は、決して相反するものではない。むしろ、自由は確固とした権力の基盤がなければ成立しえない。それゆえ問題は、権力I般に反対することではなく、相互の合意に基づいて権力構造を打ち立てることにある。これはアーレントが批判するルソーにも共通する洞察だ。
だが、アーレントの強調点は、合意それ自体よりも、合意が統治への相互参加を生み出すかどうかということにある。
合意といっても、それが政府に統治を丸投げするなら意味がない。合意が相互に物事を決めていく統治につながらないなら、合意は自由の創設の原理とみなすことはできないと考えるのだ。
公的空間の創設に失敗した
アメリカ革命は、合衆国憲法の制定によって一応は成功したように見える。だが、アーレントは、出発点で致命的なミスを犯していたと語る。それは、自由の創設が自覚的になされた行為であることを人びとが意識できるような公的空間、相互に統治に参加するようなシステムづくりに失敗してしまったことだ。
自由は構成された。しかし公的空間が創設されなかった。その結果、市民的自由、個人の福祉、そして世論が残された。ここに決定的な問題がある。
アーレントは世論に対し否定的だ。なぜなら、世論は圧倒的な力で全員一致を求め、各人の意見を圧殺することで、共和制の本質である「自由な統治」の根幹を揺るがしてしまうからだ。ハミルトンやジェファーソンといった、アメリカ合衆国の建国者たちにとって、世論が主導する政治は、新たな専制支配のあり方として脅威に映ったのだというのだ。
もっとも、ジェファーソンらも世論の支配を前に、ただ手をこまねいていたわけではない。ジェファーソンは人びとが統治に参加し、公的な事柄に関心をもつための制度として、「郡区」とタウン・ホールーミーティングに強い期待をかけていた。それらの制度によって、自由の持続的な構成を実現しようとしたのだ。
だが、アーレントは、実際にはそうならなかったと分析する。というのも、自由の構成のためにつくられたアメリカ憲法自身が、公的空間を人びとの代表者だけに与えていたので、人びとが公的な事柄に無関心になるのは構造上必然的だったからだ。
自由をともに構成する
アーレントの自由論は、解放と自由の本質的な違いに対する洞察によって貫かれている。
確かに、安定した権力構造と統治の存在しないところで、人びとが持続的に自由であることはできない。このことは、何十年にもわたって内戦が続いている地域を見れば、すぐに理解できる。「権力は自由の敵である」とする見方は、そうした現実の重みを考えれば、あまりにも素朴だ。
自由を実質化するためには、それに応じた制度が必要である。この洞察は確かに納得できる。だが、それと並んでアーレントが強調しているのは、そうした制度は、人びとが公的空間に参加しなくなると、形骸化してしまわざるをえないということだ。
二十世紀における革命の惨状の内に葬り去られたのは、まさにこのような国家の変容に対する希望、すなわち、近代的な平等主義的社会の全成員が公的問題の「参加者」になることができるような新しい統治形態にたいする希望にほかならなかった。
本書の最後でアーレントは、エリート層による統治に対して批判を行っている。エリート層による政治それ自体に問題があるわけではない。問題は、政治が一つの専門的な職業になってしまっていることだ。
自由は公的空間への参加のうちにある。それゆえ各人が一個の市民として、統治に参加できるシステムを設立できなければ、自由の創設が成功したとはいえない。政治の専門職業化という流れは、人びとから統治に携わる機会とともに、市民感覚をも奪ってしまうとアーレントは指摘するのだ。
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論理哲学論考 私たちは何を語りうるか?
『読まずに死ねない哲学名著50冊』より 論理哲学論考 私たちは何を語りうるか? ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン ⇒ 私の感覚に「独我論」という言葉を与えてくれた本。2年前に入院していた時に、「独我論」で生きていくことを決めた。
言葉が私の世界である、という言い方がある。人間の世界は概念の世界なので、経験を積み重ねて概念が変われば、世界の見え方が変わってくるというものだ。たとえば、青年にとって「嘘」という言葉は、避けるべき悪を意味する。だが、成長し、大人になると、相手に対する配慮という意味を帯びてくるようになる。言葉の秩序と世界の秩序が問われるようになった実存的な動機には、嘘をつく自由の自覚があるのかもしれない。
その観点からすれば、本書は言語から嘘を徹底的に排除する試みだということができる。
本書におけるヴィトゲンシュタインの基本的な洞察は、言語と世界は厳密に対応しているということだ。それまで哲学は、魂や神といった、ありもしない事柄について〝おしゃべり〟を行ってきたが、それらはすべて哲学から取り去らなければならない。語りえないものについては、沈黙しなければならない……。こうした主張のうちに、読み手は「よく」生きんとするヴィトゲンシュタインの意志を感じ取る。言語を誠実に使用することが、世界に対する誠実な態度であると考えていたように思えてくるのだ。
さて、批評は終わりにして、哲学へと戻ろう。
オーストリア出身の哲学者ヴィトゲンシュタインは、分析哲学(言語哲学)の第一人者だ。分析哲学の中心テーマは、言語と世界はどのような関係にあるか、という点にある。分析哲学の初期では、言語を正しく(論理的に)用いれば、世界は正しく記述できるという考え方が優勢だった。しかし次第に、そもそも言語は世界を写し取るようなものではなく、使い方で意味を変えるものだという考え方が現れてきた。
本節と次節で扱うヴィトゲンシュタインは、実は、その両方の考え方を一人で示した哲学者だ。イメージとしては、カントとニーチエの業績を一人で成し遂げた、と考えるとわかりやすい。
言語と世界の対応関係
本書におけるヴィトゲンシュタインの基本の構えは、言語と世界は対応関係にあるはずだ、というものだ。言語は基本要素の「命題」にまで分解でき、それと同様に世界もまたぶ啓叩に分解できる。そのうえで、部品を正しく組み立てていけば、世界のモデルをつくることができる、と考えるのだ。
まず、ヴィトゲンシュタインによると、世界は「事実」の総体であり、事実はいくつかの「事態」からなる。事態がどのように成立するかに応じて、事実が定まり、世界が定まる。
ここでのポイントは、事態は相互に独立しているということ、また事態は「対象」が結びついて成立するということだ。対象とは、たとえば「机≒パソコン」のことだが、ここには事物だけでなく、「白い」「冷たい」といった性質も含まれるという見方もある。性質が対象であるというのは初めはしっくり来ないかもしれないが、確かにそう考えるのが整合的ではある。
論理操作によって「語りうる」すべての命題を構成できる
では、要素命題から複合命題はどのようにしてつくられるのかというと、それは論理操作によって行われる。
論理操作とは、「否定」や「かつ」、「ならば」によって、要素命題同士を結びつけることだ。たとえば、「花は美しい」という要素命題と「リンゴは赤い」という要素命題は、「かつ」で結びつけることができる。「花は美しい、かつ、リンゴは赤い」というように。
こうして、要素命題が成立しているかどうかを一個ずつチェックし、要素命題同士を結びつける操作を続ければ、世界を正しく記述することができると考えるのだ。
論理学の命題はつねに「真」
ヴィトゲンシュタインは、命題同士を結びつける論理操作には、論理学の命題が用いられると語る。というのも、論理学の命題は、経験にかかわらずつねに真であるような命題、すなわちトートロジーであるからだ。
論理学の命題はトートロジーである。
トートロジーとは、たとえば「夜霧は夜の霧である」というものだ。経験的な真偽について語っておらず、ただ論理の必然性だけを示す命題、これがトートロジーだ。
論理学の命題はトートロジーであり、経験に基づいて真偽が確かめられる命題とは区別しなければならない。
それはなぜか。これは次のように考えるとわかりやすい。
世界を正しく記述するためには、世界を事態に分解し、それに対応する要素命題を定める必要がある。そのうえで論理操作をガチャガチャと繰り返し、要素命題同士を結びつけていくことができれば、「語りうるもの」をすべて語りつくすことが可能となる。
言語と世界を正しく対応させるためには、要素命題が事態を正しく写し取るだけでなく、命題同士を正しく結びつける必要がある。そのためには、論理学の命題が操作の反復によって変化せず、いつでもつねに同義(トートロジー)でなければならない。そのことが言語と世界の正確な対応を「保証」していると考えるのだ。
独我論的世界
命題同士を結びつける論理操作は無限に可能である。
しかし、ヴィトゲンシュタインは、経験の主体である「私」は、自分の経験の範囲内においてしか、対象を取り出し、名辞を組み合わせ、要素命題をつくりあげることができないという。経験していないものは世界の「対象」とならず、それゆえ名辞へ落とし込むことはできないからだ。
確かに、名辞の組み合わせがとりうるパターンは決まっている。先に見たように、「花」は「白い」とは結びつくが、「円周率」とは結びつかない。だが、そもそも「花」が何であるのか知らなければ、これが何と結びつきうるのかまるで見当がつかないだろう。
したがって「私」の生の内実は、対象とその配置の仕方によって定まってくる。それゆえ、私と異なる経験をもつ他者は、私の世界には存在しない。「私」は自分だけの世界を生きており、そこに他者は存在しない。
ヴィトゲンシュタインのいう世界は、他者の存在しない、ただ私だけが生きている独我論的な世界なのだ。
倫理は言葉にできない
最後に、ヴィトゲンシュタインは「倫理」について論じる。
世界は事実から構成されている。事実は成立している事態からなり、事態は要素命題によって言い表される。
要素命題は名辞からなり、名辞は対象に対応している。対象は「私」によって経験されるのでなければならない。それゆえ、対象の経験が私の世界を限界づけているのだ。
では、倫理は言語においてどのように位置づければよいのだろうか。倫理は「このようにある」ではなく「このようにあるべき」という法則に基づくので、検証することはできず、語ることはできない。したがって「生の問題」については、何も答えることができない。
語りえぬものについては、沈黙せねばならない。
言語は世界を写すモデルである。モデルは事実に基づいてつくられなければならならず、「こうあったらいいな」とか「こうあるべき」に基づいてつくると、世界と厳密に対応しない、ゆがんだモデルになってしまう。正確なモデルをつくろうとするなら「こうあるべき」を混ぜこむことは慎まなければならない。それがこの文の意味だ。
ただ、ヴィトゲンシュタインは、この結論によって、何を言おうとしているのか。それは、これまでの哲学に対する批判だ。
ヴィトゲンシュタインは、世界と言語が一対一で対応していると主張している。先に図示したように、言語は命題へと分解でき、世界は事実へと分解できる。そのうえで、命題の正しさを検証して、命題同士を結びつけていけば、世界は記述できる。これを逆にいうと、検証できない事柄については、言語から取り除かなければならないことになる。
だが、それまで哲学は、直接検証できない形而上学的な事柄について〝おしゃべり〟を続けてきた。世界の根本原理は何か、真理は何か、というように。ヴィトゲンシュタインは、そうした。おしゃべり〃は止めよ、と説くことで、哲学それ自体に終止符を打とうとしたのだ。
本当に言語と世界は対応している?
ヴィトゲンシュタインは本書によって、自分か哲学の諸問題を解決したと本気で信じ、哲学から離れて、小中学校の先生や庭師、建築家として活動していた。
しかし、本書を著してから約10年後、ヴィトゲンシュタインは哲学活動を再開する。それはヴィトゲンシュタインが、言語と世界の対応関係という考えに対し、疑問を抱くようになったからだ。
原理的にいうと、言語が世界を写し取るという構図は成立しない。なぜなら世界は多義的に解釈されるからだ。たとえば、「この花は白い」は「この花は青くない」を含むし、「机の上に本がある」は「本の下に机がある」を含む。言語と世界が一対一で対応しているとは言えないのだ。
後年、ヴィトゲンシュタインはそうした洞察に至り、本書の議論を根本的に吟味しなおして、言語について改めて考えていく。それが次節で読む『哲学探究』だ。
言葉が私の世界である、という言い方がある。人間の世界は概念の世界なので、経験を積み重ねて概念が変われば、世界の見え方が変わってくるというものだ。たとえば、青年にとって「嘘」という言葉は、避けるべき悪を意味する。だが、成長し、大人になると、相手に対する配慮という意味を帯びてくるようになる。言葉の秩序と世界の秩序が問われるようになった実存的な動機には、嘘をつく自由の自覚があるのかもしれない。
その観点からすれば、本書は言語から嘘を徹底的に排除する試みだということができる。
本書におけるヴィトゲンシュタインの基本的な洞察は、言語と世界は厳密に対応しているということだ。それまで哲学は、魂や神といった、ありもしない事柄について〝おしゃべり〟を行ってきたが、それらはすべて哲学から取り去らなければならない。語りえないものについては、沈黙しなければならない……。こうした主張のうちに、読み手は「よく」生きんとするヴィトゲンシュタインの意志を感じ取る。言語を誠実に使用することが、世界に対する誠実な態度であると考えていたように思えてくるのだ。
さて、批評は終わりにして、哲学へと戻ろう。
オーストリア出身の哲学者ヴィトゲンシュタインは、分析哲学(言語哲学)の第一人者だ。分析哲学の中心テーマは、言語と世界はどのような関係にあるか、という点にある。分析哲学の初期では、言語を正しく(論理的に)用いれば、世界は正しく記述できるという考え方が優勢だった。しかし次第に、そもそも言語は世界を写し取るようなものではなく、使い方で意味を変えるものだという考え方が現れてきた。
本節と次節で扱うヴィトゲンシュタインは、実は、その両方の考え方を一人で示した哲学者だ。イメージとしては、カントとニーチエの業績を一人で成し遂げた、と考えるとわかりやすい。
言語と世界の対応関係
本書におけるヴィトゲンシュタインの基本の構えは、言語と世界は対応関係にあるはずだ、というものだ。言語は基本要素の「命題」にまで分解でき、それと同様に世界もまたぶ啓叩に分解できる。そのうえで、部品を正しく組み立てていけば、世界のモデルをつくることができる、と考えるのだ。
まず、ヴィトゲンシュタインによると、世界は「事実」の総体であり、事実はいくつかの「事態」からなる。事態がどのように成立するかに応じて、事実が定まり、世界が定まる。
ここでのポイントは、事態は相互に独立しているということ、また事態は「対象」が結びついて成立するということだ。対象とは、たとえば「机≒パソコン」のことだが、ここには事物だけでなく、「白い」「冷たい」といった性質も含まれるという見方もある。性質が対象であるというのは初めはしっくり来ないかもしれないが、確かにそう考えるのが整合的ではある。
論理操作によって「語りうる」すべての命題を構成できる
では、要素命題から複合命題はどのようにしてつくられるのかというと、それは論理操作によって行われる。
論理操作とは、「否定」や「かつ」、「ならば」によって、要素命題同士を結びつけることだ。たとえば、「花は美しい」という要素命題と「リンゴは赤い」という要素命題は、「かつ」で結びつけることができる。「花は美しい、かつ、リンゴは赤い」というように。
こうして、要素命題が成立しているかどうかを一個ずつチェックし、要素命題同士を結びつける操作を続ければ、世界を正しく記述することができると考えるのだ。
論理学の命題はつねに「真」
ヴィトゲンシュタインは、命題同士を結びつける論理操作には、論理学の命題が用いられると語る。というのも、論理学の命題は、経験にかかわらずつねに真であるような命題、すなわちトートロジーであるからだ。
論理学の命題はトートロジーである。
トートロジーとは、たとえば「夜霧は夜の霧である」というものだ。経験的な真偽について語っておらず、ただ論理の必然性だけを示す命題、これがトートロジーだ。
論理学の命題はトートロジーであり、経験に基づいて真偽が確かめられる命題とは区別しなければならない。
それはなぜか。これは次のように考えるとわかりやすい。
世界を正しく記述するためには、世界を事態に分解し、それに対応する要素命題を定める必要がある。そのうえで論理操作をガチャガチャと繰り返し、要素命題同士を結びつけていくことができれば、「語りうるもの」をすべて語りつくすことが可能となる。
言語と世界を正しく対応させるためには、要素命題が事態を正しく写し取るだけでなく、命題同士を正しく結びつける必要がある。そのためには、論理学の命題が操作の反復によって変化せず、いつでもつねに同義(トートロジー)でなければならない。そのことが言語と世界の正確な対応を「保証」していると考えるのだ。
独我論的世界
命題同士を結びつける論理操作は無限に可能である。
しかし、ヴィトゲンシュタインは、経験の主体である「私」は、自分の経験の範囲内においてしか、対象を取り出し、名辞を組み合わせ、要素命題をつくりあげることができないという。経験していないものは世界の「対象」とならず、それゆえ名辞へ落とし込むことはできないからだ。
確かに、名辞の組み合わせがとりうるパターンは決まっている。先に見たように、「花」は「白い」とは結びつくが、「円周率」とは結びつかない。だが、そもそも「花」が何であるのか知らなければ、これが何と結びつきうるのかまるで見当がつかないだろう。
したがって「私」の生の内実は、対象とその配置の仕方によって定まってくる。それゆえ、私と異なる経験をもつ他者は、私の世界には存在しない。「私」は自分だけの世界を生きており、そこに他者は存在しない。
ヴィトゲンシュタインのいう世界は、他者の存在しない、ただ私だけが生きている独我論的な世界なのだ。
倫理は言葉にできない
最後に、ヴィトゲンシュタインは「倫理」について論じる。
世界は事実から構成されている。事実は成立している事態からなり、事態は要素命題によって言い表される。
要素命題は名辞からなり、名辞は対象に対応している。対象は「私」によって経験されるのでなければならない。それゆえ、対象の経験が私の世界を限界づけているのだ。
では、倫理は言語においてどのように位置づければよいのだろうか。倫理は「このようにある」ではなく「このようにあるべき」という法則に基づくので、検証することはできず、語ることはできない。したがって「生の問題」については、何も答えることができない。
語りえぬものについては、沈黙せねばならない。
言語は世界を写すモデルである。モデルは事実に基づいてつくられなければならならず、「こうあったらいいな」とか「こうあるべき」に基づいてつくると、世界と厳密に対応しない、ゆがんだモデルになってしまう。正確なモデルをつくろうとするなら「こうあるべき」を混ぜこむことは慎まなければならない。それがこの文の意味だ。
ただ、ヴィトゲンシュタインは、この結論によって、何を言おうとしているのか。それは、これまでの哲学に対する批判だ。
ヴィトゲンシュタインは、世界と言語が一対一で対応していると主張している。先に図示したように、言語は命題へと分解でき、世界は事実へと分解できる。そのうえで、命題の正しさを検証して、命題同士を結びつけていけば、世界は記述できる。これを逆にいうと、検証できない事柄については、言語から取り除かなければならないことになる。
だが、それまで哲学は、直接検証できない形而上学的な事柄について〝おしゃべり〟を続けてきた。世界の根本原理は何か、真理は何か、というように。ヴィトゲンシュタインは、そうした。おしゃべり〃は止めよ、と説くことで、哲学それ自体に終止符を打とうとしたのだ。
本当に言語と世界は対応している?
ヴィトゲンシュタインは本書によって、自分か哲学の諸問題を解決したと本気で信じ、哲学から離れて、小中学校の先生や庭師、建築家として活動していた。
しかし、本書を著してから約10年後、ヴィトゲンシュタインは哲学活動を再開する。それはヴィトゲンシュタインが、言語と世界の対応関係という考えに対し、疑問を抱くようになったからだ。
原理的にいうと、言語が世界を写し取るという構図は成立しない。なぜなら世界は多義的に解釈されるからだ。たとえば、「この花は白い」は「この花は青くない」を含むし、「机の上に本がある」は「本の下に机がある」を含む。言語と世界が一対一で対応しているとは言えないのだ。
後年、ヴィトゲンシュタインはそうした洞察に至り、本書の議論を根本的に吟味しなおして、言語について改めて考えていく。それが次節で読む『哲学探究』だ。
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情念論 情念の意昧を説く
『読まずに死ねない哲学名著50冊』より 情念論 情念の意昧を説く ルネ・デカルト ⇒ 22年前に研究開発部門から販売部門に異動してきた時に落ち込んだ。その時に救ってくれた本です。
哲学には伝統的に論じられてきた問題がある。心と身体の関係について問う「心身問題」は代表的なものだ。心身問題は、現代では「心の哲学」における重要なテーマであり、いまなお学説上の対立が続いている。本書はその心身問題の端緒をなす古典だ。
心身問題における根本の問題は、「精神(意識、心)と身体はどのように関係しているのか」というものだ。
人間は意識だけでなく「延長」ももつ。延長とは、空間のうちで一定の場所を占めることをいう哲学上の概念だ。
身体は延長をもち、空間中に位置を占めている。これに対し、精神は延長をもたない。意識が「ある」といっても、モノのように空間中に位置を占めているわけではない。
私たちは意識としても、また身体としても存在している。あり方の異なる二つが一体どのように関係しているのか。そもそも、心はどこに、どのようにあるのか。それが心身問題だ。
精神と身体は「松果腺」を通じてつながっている
では、この問題に対して、デカルトはどのような答えを示したのだろうか。次に要約してみよう。
身体の機能に着目すると、身体運動の物体的な原理は心臓の熱だ。心臓に流れ込む血液は精気をつくり、精気は脳へと流れこむ。
精気の流れは、脳の奥にある松果腺という器官によりコントロールされている。松果腺は精気を脳の孔から放出し、神経を通して筋肉に到達させ、これによって筋肉を運動させている。
また、精神は松果腺のうちで生じる運動から知覚を受け取っている。このように、松果腺は精神と身体をつなぐ役割を果たしているのだ。
松果腺というのは脳のなかにある小さな内分泌器で、ここ最近になってようやくその機能が解明されたばかりだ。
もちろん、デカルトが生きた時代にそんなことが知られているわけがない。では、なぜデカルトが松果腺に注目したかというと、脳の奥深くにあり、かつ脳のなかで唯一左右に分かれていない器官であると信じ(顕微鏡レペルで観察すると実際には分かれている)、ここに心と身体をつなぐ重要な何かが隠されていると考えたからだ。
もっとも、デカルトのこの説が医学的に見て間違っていると批判するのは、哲学のルールに反することだ。重要なのは、精神と身体は別のものとして存在しており、脳の一部位--デカルトによれば松果腺--を通じて相互に関係しているという洞察である。心身を別のものとして区別し、その関係に着目するという態度自体、デカルト以前には存在しなかったのだ。
情念の〝到来性〟
続けてデカルトは、情念について論じる。情念とは、いまでいう感情とほぼ同一のものだ。
デカルトによると、情念は、脳の精気が心臓の動きを変化させる神経を流れることで生じるものだ。たとえば夜道を一人で歩いているときに、急に目の前に暴漢が現れたら、誰でもドキッとするだろう。そうしたたぐいの感情を、デカルトは情念と呼んでいる。
デカルトは私たちの基本的情念として、驚き、愛、憎しみ、欲望、喜び、悲しみの六つを挙げている。だがここで問題なのは数ではない。重要なのは情念が、意識の向こう側から到来してきて、意識に対し、何らかの行動を引き起こすようにはたらきかけてくるということだ。
私たちはうれしいときは自然とうれしくなるし、悲しいときは自然と悲しくなる。「さあ悲しくなろう」と思って悲しくなることはできない。それらは意識の向こうからこみあげてきて、抑えられたり抑えられなかったりする。こうしたよ到来性〃が、情念のもつ共通の特徴だとデカルトは考えるのだ。
欲望は未来の「替」への原動力
さて、デカルトによると、六つの基本的情念のうち、なかでも欲望は特別の位置を占めている。なぜなら、驚きを除く四つ(愛、憎しみ、喜び、悲しみ)は、ただ欲望を通じてのみ、ある行為を引き起こすことができるからだ。
欲望がはたらくことで、私たちは未来の対象を目かけて行為できるし、ひいては「善」(よさ)を目がけることができる。
たとえば愛の情念が生まれたとしよう。気になる人ができると、相手に想いをはせるだけでなく食事やデートに誘おうとする。もっと近づきたい、相手の美に触れたいといった「よき」ことへの欲望が生じるからこそ、相手に対して何らかのはたらきかけをしようとする。
欲望がはたらかなければ、情念は行為をもたらさない。私たち自身の経験を振り返っても確かだといえる。
もちろんデカルトは、私たちは欲望のおもむくままに行為すべきだ、と言っているわけではない。私たちは訓練によって、何か善であるかを判断し、本当に目指すべき善をとらえられるようになると考えるのだ。
本書の結論にて、デカルトは次のように論じている。
「情念が到来したら、まずは落ち着くこと。そのうえで、情念を否定するのではなく、知恵によってこれをよく使うこと。なぜなら、情念が人生における楽しさの源泉であるからだ」
デカルトの倫理学
現代の自然科学の見地からすれば、本書に特筆すべきポイントは存在しない。だが、そのこと自体はさほど重要ではない。むしろ本書で着目すべきは、私たちの身体は、それ独自の構造によって運動するという洞察だ。現代的な観点からすれば真新しさなどない自明のことだが、当時は画期的な観点として受け止められた。
ルネサンス期、ベルギー生まれの医師ヴェサリウスにより創始された近代解剖学により、人体の構造が少しずつ明らかになりはじめ、人間が神の被造物であるというキリスト教の観念は、ほぽ不可逆的に妥当性を失っていった。
デカルトは本書で、解剖学の知見を参考にしつつ、どうすれば私たちは「よく」生きることができるかという問いに対し、情念のあり方を明らかにすることで解を与えようとしている。
欲望を避ける〝求めない生き方〟が理想とされがちな現代において、自分の心の動きを見つめることの意味を説くデカルトは、私たちに生の意味を深く教えてくれる。
哲学には伝統的に論じられてきた問題がある。心と身体の関係について問う「心身問題」は代表的なものだ。心身問題は、現代では「心の哲学」における重要なテーマであり、いまなお学説上の対立が続いている。本書はその心身問題の端緒をなす古典だ。
心身問題における根本の問題は、「精神(意識、心)と身体はどのように関係しているのか」というものだ。
人間は意識だけでなく「延長」ももつ。延長とは、空間のうちで一定の場所を占めることをいう哲学上の概念だ。
身体は延長をもち、空間中に位置を占めている。これに対し、精神は延長をもたない。意識が「ある」といっても、モノのように空間中に位置を占めているわけではない。
私たちは意識としても、また身体としても存在している。あり方の異なる二つが一体どのように関係しているのか。そもそも、心はどこに、どのようにあるのか。それが心身問題だ。
精神と身体は「松果腺」を通じてつながっている
では、この問題に対して、デカルトはどのような答えを示したのだろうか。次に要約してみよう。
身体の機能に着目すると、身体運動の物体的な原理は心臓の熱だ。心臓に流れ込む血液は精気をつくり、精気は脳へと流れこむ。
精気の流れは、脳の奥にある松果腺という器官によりコントロールされている。松果腺は精気を脳の孔から放出し、神経を通して筋肉に到達させ、これによって筋肉を運動させている。
また、精神は松果腺のうちで生じる運動から知覚を受け取っている。このように、松果腺は精神と身体をつなぐ役割を果たしているのだ。
松果腺というのは脳のなかにある小さな内分泌器で、ここ最近になってようやくその機能が解明されたばかりだ。
もちろん、デカルトが生きた時代にそんなことが知られているわけがない。では、なぜデカルトが松果腺に注目したかというと、脳の奥深くにあり、かつ脳のなかで唯一左右に分かれていない器官であると信じ(顕微鏡レペルで観察すると実際には分かれている)、ここに心と身体をつなぐ重要な何かが隠されていると考えたからだ。
もっとも、デカルトのこの説が医学的に見て間違っていると批判するのは、哲学のルールに反することだ。重要なのは、精神と身体は別のものとして存在しており、脳の一部位--デカルトによれば松果腺--を通じて相互に関係しているという洞察である。心身を別のものとして区別し、その関係に着目するという態度自体、デカルト以前には存在しなかったのだ。
情念の〝到来性〟
続けてデカルトは、情念について論じる。情念とは、いまでいう感情とほぼ同一のものだ。
デカルトによると、情念は、脳の精気が心臓の動きを変化させる神経を流れることで生じるものだ。たとえば夜道を一人で歩いているときに、急に目の前に暴漢が現れたら、誰でもドキッとするだろう。そうしたたぐいの感情を、デカルトは情念と呼んでいる。
デカルトは私たちの基本的情念として、驚き、愛、憎しみ、欲望、喜び、悲しみの六つを挙げている。だがここで問題なのは数ではない。重要なのは情念が、意識の向こう側から到来してきて、意識に対し、何らかの行動を引き起こすようにはたらきかけてくるということだ。
私たちはうれしいときは自然とうれしくなるし、悲しいときは自然と悲しくなる。「さあ悲しくなろう」と思って悲しくなることはできない。それらは意識の向こうからこみあげてきて、抑えられたり抑えられなかったりする。こうしたよ到来性〃が、情念のもつ共通の特徴だとデカルトは考えるのだ。
欲望は未来の「替」への原動力
さて、デカルトによると、六つの基本的情念のうち、なかでも欲望は特別の位置を占めている。なぜなら、驚きを除く四つ(愛、憎しみ、喜び、悲しみ)は、ただ欲望を通じてのみ、ある行為を引き起こすことができるからだ。
欲望がはたらくことで、私たちは未来の対象を目かけて行為できるし、ひいては「善」(よさ)を目がけることができる。
たとえば愛の情念が生まれたとしよう。気になる人ができると、相手に想いをはせるだけでなく食事やデートに誘おうとする。もっと近づきたい、相手の美に触れたいといった「よき」ことへの欲望が生じるからこそ、相手に対して何らかのはたらきかけをしようとする。
欲望がはたらかなければ、情念は行為をもたらさない。私たち自身の経験を振り返っても確かだといえる。
もちろんデカルトは、私たちは欲望のおもむくままに行為すべきだ、と言っているわけではない。私たちは訓練によって、何か善であるかを判断し、本当に目指すべき善をとらえられるようになると考えるのだ。
本書の結論にて、デカルトは次のように論じている。
「情念が到来したら、まずは落ち着くこと。そのうえで、情念を否定するのではなく、知恵によってこれをよく使うこと。なぜなら、情念が人生における楽しさの源泉であるからだ」
デカルトの倫理学
現代の自然科学の見地からすれば、本書に特筆すべきポイントは存在しない。だが、そのこと自体はさほど重要ではない。むしろ本書で着目すべきは、私たちの身体は、それ独自の構造によって運動するという洞察だ。現代的な観点からすれば真新しさなどない自明のことだが、当時は画期的な観点として受け止められた。
ルネサンス期、ベルギー生まれの医師ヴェサリウスにより創始された近代解剖学により、人体の構造が少しずつ明らかになりはじめ、人間が神の被造物であるというキリスト教の観念は、ほぽ不可逆的に妥当性を失っていった。
デカルトは本書で、解剖学の知見を参考にしつつ、どうすれば私たちは「よく」生きることができるかという問いに対し、情念のあり方を明らかにすることで解を与えようとしている。
欲望を避ける〝求めない生き方〟が理想とされがちな現代において、自分の心の動きを見つめることの意味を説くデカルトは、私たちに生の意味を深く教えてくれる。
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