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歴史の中の自分の人生

『考える日々Ⅲ』より

私はこの八月で四十歳になった。

もともと形而上的傾向が強いので、肉体年齢と自分とを同じだと思うことは少ないのだが、この「四十」という年齢は、いま書いてみても、ちょっとギョツとする感じがしないでもない。いったいこれは、誰の歳だ。

「人は老いてレトロスペクチブの領域に入る」と、森鴎外はどこかで書いていた。あの頃は、人生五十年と言われていた時代だから、この「老いる」は、四十を過ぎて、を言うのではなかろうか。

以前は私は、この「レトロスペクチブ」つまり回顧的になるということは、老人の回顧癖、自分の人生を振り返って感慨に耽るということなのだろうと思っていた。そして、そんなの普通のことじゃないか、わざわざ言うほどのことなのだろうかとも思ったが、あれはどうも、そういうことではないような気がする。自分が四十に近づくにつれ、何となくそのことがわかってきた。

「回顧する」というのは、自分の人生を回顧する、ということでは必ずしもない。自分の人生を回顧しようと振り返った時、その視界に、人類の人生すなわち歴史が、自然に入ってきてしまうということなのだ。当然、たかだか四十年の自分の歴史なんかより、数千年の人類の歴史のほうがはるかに面白いから、それらのほうに眼を向ける。若い時とは違った歴史の味わい方がそこにはある。そのぶんだけの人生の厚みが、こちらの側にもあるからだ。自分の人生と人類の歴史が、混然となって想起される不思議な時間、それを指して老人の回顧と、鴎外は言ったのではなかったろうか。

その精神活動に興味はあっても、その生活的事実にはほとんど興味をもたない私のような気質の者でも、歴史上の人々をその生活や年齢の側から理解することの、ある種の面白さに気づくようになったのは、やはり自分がそれなりの年齢と経験を重ねるようになってからである。はたちという年齢では、それはやはり無理なのだ。その年齢にあっては、歴史は研究の対象か、観念上の尊敬の域を出ない。

たとえば、プラトン、四十歳、アテナイにアカデメイアを創設する。すごい娑婆気だな、これから打って出るつもりだな。

たとえば、ヘーゲル、四十歳、『精神現象学』完成。失職していたが職を得て、続けて結婚。やっぱり鼻の下長くしたんだろうな。

たとえば、ニーチエ、四十歳、サロメに失恋して、「ツァラトゥストラ」に着手。劇的に発狂するには上限の年齢だ。狂気とは徐々に慣れるべきものなのだ。

そういった、史上の人々の言わば「体温」を感じ取るような心の動きは、こちらの心の年齢的熟成とともに自然に発生してくる。彼らの純粋思考の跡を追いながらも、この年齢においてどのような心持ちだったろうと想像することの、一筋縄ではない楽しみは、しつは彼我の懸隔を越えている。人は、老いて回顧することによって、初めて歴史と出仝うのである。

「精神年齢」という言い方を、人は誤解している。精神年齢が高いとか低いとか、若いとか老けているとか、肉体年齢に比較した知能や心の在りようを言うようだが、しかし、本来は精神には年齢はないのである。精神は自身を回顧することによって、常に歴史と出会うことができるのだから、精神には時間はないのである。あるいは、無時間の時間と言うべきか、肉体年齢は四十歳だが、私の精神年齢は三千歳である。無時間の時間を生きている形而上人間は、さて、本当は若いと言うべきなのか、常に老けていると言うべきなのか。

それはさておき、「とりあえず」この世の肉体は四十歳、生物学的には、人間が最も脂の乗ってくる時期とされているらしい。古代ギリシャでは、この時期のことをとくに「アクメー」と呼び、第何回オリンピック大会期、プラトンはアクメーであった、という記述の仕方をしている。俗に「男盛り」と訳されている。これにならって、「女盛り」と言えば、なんか別の含みも出てくる気がするが、とにかく人間の盛りなのだから、ちゃんとした仕事をしてくださいよ、と編集者などから催促される。

お任せください、と答えたいのだが、どうもいつも返事ができない。そうねえ、むろんそう思わないでもないのだけれど--。

致命的に、先のことを計画できないという体質なのである。一年後のことなど、仕事も生活も、何ひとつとして計画していない。そんなの、生きているかどうかもわからないのに、なんで人は平気で計画できるのだろう。人生八十年だから残り時間半分、という発想が、どうしても私にはできないのである。
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第4章の要約を終えました

第4章の要約を終えました。

4.8.4 未来の歴史書

 4.8.4.1 137億年の歴史

  生まれてきた理由から、存在の力を使って、個人をいかに生かしていくか、から発想して、多くの人が存在できる社会をめざして、ゆっくりと、歴史を変えていく。ベースは数学モデルになる。真理を根底において、偶然を生かして、先人の武器を使って、人の意識を変えていく。

 4.8.4.2 社会の姿を描く

  皆が内なる世界をつくり、LL=GGの社会の姿を描き出す。歴史の時間のコードは圧縮モードに入り、クライシスも多発する。その都度、サファイア社会をイメージして、様々なコンパクト化を志向する。多様にゆっくりと変えさせていく。

 4.8.4.3 歴史の循環

  3.11のようなクライシスで破壊されて、復興するが、それは戻ることではなく、インフラを変えていく。歴史のコードの中で、歴史の循環を感じる。それで、宇宙創生と破壊の循環を繰り返す。

 4.8.4.4 2050年の預言

  2050年に歴史は一つの区切りを向かえる。私は生まれて死んでいくだけです。存在の力を使って、個人の分化が進んでいれば、人類は共有などの方向が見出せる。そうでなければ、無常の世界、輪廻の世界の体現すえうだけです。破壊があることが前提とした歴史が終わり、新しいフェーズに入る。
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