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意思の力から存在へ

意思の力から存在へ

 自分の中でも、大いなる意思に対しても変わっています。存在は意思の力を偶然の機会に使います。

 存在を見るために、三猿を強化します。第三段の聞か猿です。音楽で耳を内側に向けます。「トリスタンとイゾルデ」の「愛の死のテーマ」がリピートしている。

 キンドルのHDを携帯しながら、音を流していた。キンドルのキャリングバックは無印のスタッフ用で十分です。これも偶然が用意してくれました。

 キンドルHDにICレコーダーのMP3のコンテンツを入れたら、見事に聞こえるようになりました。よく、できています。ボイスもMP3です。全て、入れ込めます。

 環境社会の哲学、歴史を哲学する、という概念は2015までに理念として、出さないといけない。

 デカルト平面がトポロジーに変わったように、哲学も意志の力から存在に変わっていく。そして、社会も国民国家から市民主体に変わってきます。

 これらの変化の底辺は皆、同じです。上から大きなしくみから、底辺から積み上げる方式。

 それに対する、すべてのものが用意されています。あとは人が変わるだけです。用意されていないのは、人が変わるための場です。従来のものにしがみつこうとする、人間の意思、それを変える為の場です。

『まんが哲学入門』の「誕生の気づき」

 誕生の気づきから、全て、もう一回、リニューアルされる。気づいた時に、リニューアルという論理です。だから、どんな今が苦しいと思っても、今というベースが違うから、その時の今にリニューアルされれば、変わってくる。

 「私はなぜ、生きるのか」に対する答えを与えるとなると、私は生まれてきて、本当によかったと、心の底から思えるようになるために生きる。これが誕生肯定みたいです。未唯空間では、「私は正しい」で、どこからでも、それを再構成できる。

 まんが哲学の最後のところは完全に宗教です。本人もそれを自覚して、予防線を張っています。

 宗教であるためには、啓示が必要です。同じレベルの個人ではどうしようもない。デルファイではないけど、やはり、啓示が必要です。ムハンマドもおじさんが啓示をもらったために大きく変わった。

 単純に信じて、あとから後悔したくないという打算が生まれます。神の言葉ならば、それはないでしょう。

 そして、最後の部分はエヴァンゲリオンそっくりです。シンジの心の中と、それの解決法です。安易に答えは与えてはいけない。みな、答えは違っています。

コンパクト性は見える範囲

 地域社会のコンパクト性。コンパクトというのはオープンでありながら、クローズな空間を指します。市民が意思決定するには、コンパクトで、見える範囲であることが必要です。

 ソウルのコミュニティシティにしても、コンパクトでバーチャルな空間を作って、韓国が向かっている方向に対して、アンチテーゼを出している。市長レベルでは、その動きに賛同できる。そこから変わっていかないと、格差と閉塞感で韓国は自滅します。

国民国家からサファイア革命へ

 人の心が変わり、フランス革命が起こり、ナポレオンが変質させて、国民国家にしていった。同じようなプロセスを人が変わる様相を変えれば、サファイア革命もできます。

 国民国家はフランスとかドイツのように、民族と国が一緒ならば、猛烈な勢いで拡張します。プロイセンは抱き合わせで、統一させていった。その時に異分子を排除しようとします。それがナチのホロコーストにつながった。

 バルカンのように民族が複雑に入れ込んだ世界では、国民国家は紛争のネタになる。国家という単位が国民を巻き込んだ争いをおこすのです。もっと、コンパクトな単位にしないといけない。18世紀では、コンパクトは物理的にはムリだった。

 21世になって、ネットワークとデバイスで、論理的につながることができるようになった。単に民族だけではなく、趣味とか価値観とかで作ることができる。環境、反原発、著作権などのワンテーマでも可能になった。

 国家という枠に民族を入れるのではなく、人の価値観でもって、塊をつくり、自分たちでやっていくという世界を作っていく。それを横と縦に拡張していく。それが本来のサファイア革命の意味です。
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