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個人の分化で存在の力を引き出す

個人の分化で存在の力を引き出す

 存在の力を使えば、全員が主体的に参画できます。意思の力だと、カリスマを期待してしまう。個人の分化の最大の理由は、存在の力を引き出すためです。

 意思の力は個人を専従させます。変えない方向に向かいます。それが変わるということです。なぜ、存在なのか、というよりも、本来は存在のはずです。個人は生まれてきた理由から考えれば分かります。

 ここに至るまでは、考えることが必要になります。存在について考えるのが、10歳までです。それ以降は、忙しく生きて、忙しく死んでいく。生きるのに汲々としている時には、これはほとんど意味がないです。レベルが違います。生存のレベルではなく、生きるのレベルです。人はパンのに生きるに非ずと一緒です。

 フランス革命は生きるというレベルで、変えていくことから起きました。そして、全体効率のために、意思の力にすがった。意思のカリスマがナポレオンです。意思のカリスマにフランスのすべてを集めてくることで、近隣諸国を征服した。

 それには限界があります。外に攻めるには力が必要です。力を維持するのは大変です。本来は、内的なものであったはずです。日本の場合は、何も考えない状態から、明治維新で考える状態になったけど、国民=国家を合致することで、エネルギーを外に出していくしかなくなった。

 個々の人間を信じていない、存在する心を信じていない、頼ることを考える、依存することを考える、個人にとっては、意思のカリスマの方が楽です。そのために、日本では300万人の命まで奪われた。

 意思の力と存在の力では、位相が違います。位相を変換するのは大変な話です。どこから変えればいいのか。

 その意味では、企業が最後まで変わらないかもしれない。だけど、変われば、一番力を持ちます。現在のグーグルの存在のように。企業が変わらないと全体が変わらないのは確かです。これは、共和政における、軍隊の役割と一緒です。ロシア革命も軍隊が変わることで、変わりました。日本の場合も、近衛兵といえども、農民出身です。だから、革命が起きようとした。それはもっと、大きな力、天皇制でもって、破壊されました。

第8章に存在の力

 第8章も最終的には、経営者の意志の力から、スタッフの持っている存在する力に変えていきます。その理由は明確です。お客様に意志の力はもう使えないということです。クルマの魅力自体がなくなってきています。

 どう使っていって、どう幸せになるのか、というところを同期化しようとすると、それは何のために生まれてきたのかという存在のところをつくしかないです。8章も終わりに近づいているけど、何か、似たことしか書いていません。地域の状況に関しての情報を増やさないといけない。現地を見ると言っても、たやすく分かるものではない。

 キーになるのは、知識と意識の分野です。環境社会のところを、意見を聞ける場所を作らないといけない。新しい考えとしては、個人の存在を組織の存在に組み替えた時にどうなるか。

意思の力の組織の限界

 組織にして見たら、現在の意思の力の方がやりやすいのは確かです。ハイアラキーで単純に考えればいいのだから。

 それが限界を向かえた時に、下から上に上げていくのには、個人の存在をいかに、組織の存在につなげるかです。その時点では、極端に言うと、組織自体が要らなくなる可能性は十分にあります。だけど、近傍系で言うところの、標準関数は必要です。そうでないと、連続性とか、拡張性が保たれません。

 これは個人の存在を協働の存在として、盗み取った、国民国家と同じ発想になります。あの時点でのボタンの掛け違えを直すこと。といいながら、国民国家自体が個人の存在を潰すカタチになっている。

 これは日本にとって、一番問題になる部分です。個人が依存の世界に入ってしまった、全体の活力がなくなってしまう。公共性というもので、個人の存在が組織の存在になってしまうと、どちらが主だか分からなくなります。

 意思の力ほど、存在の力を発揮できるには、個人のレベルをかなり上げないとだめでしょう。どうしても、意思の力に頼ってしまう。要するに、カリスマを求めます。それは仕事とか生活を免罪符にして、考えることを停止するからです。自分の存在に関わること、一番考えやすいことを完全にスポイルされています。

存在と時間

 『存在と時間(二)』では、「世界的存在」としての「現存在」の基礎的分析の一環として、「共同存在」である「ひと」のあり方に注目。「不安」「気づかい」「実存在」などを手がかりに、現存在の全体構造、真理の存在に迫る。
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ヘーゲル 「わかる」がわかれば、すべてがわかる

『考える人』より

反ヘーゲル。様々なる意匠。

こんな具合です。

「ヘーゲル哲学は逆立ちしている」

唯物論者は、逆立ちしているのは自分の方と気づきましょう。

「ヘーゲル哲学は無意味だ」

分析哲学者は、意味が理解できないという事態の意味を考えましょう。

「ヘーゲル哲学は神秘主義だ」

科学主義者は、神秘なしに科学が可能か反省してみましょう。

「ヘーゲル哲学は全体主義だ」

個人主義者は、そんな個人はまやかしものと知るべきですね。

「ヘーゲル哲学は現実を肯定する」

現実主義者は、何と素朴な現実を信じていることやら。

「ヘーゲル哲学は難解だ」

講壇哲学者には、まあ無理でしょうな。

「ヘーゲルの哲学こそ、空理空論の最たるものだ」

それはたぶん、君のアタマの中身のことだと思う。

と、まあこんなふうに、余り大きな声では言えないのだ。しかし、大きな声では言えないのがおかしいのだ。だから私は声を大にして言う、「哲学の醍醐味は、ヘーゲルに極まる!」

とにもかくにもヘーゲルは理解されていないのだ。ほう、そこまで仰言るのなら、あなたのヘーゲル解釈を伺ってみたいものですな。馬鹿をお言いでない。私はヘーゲル解釈などしたことはない、私がヘーゲルだと言っているのだ。あの御仁とて、こうのたまっているではないか、「俺様が世界精神だ」。

わからないんだろうな。これが、わからないんだろうな。わかってるんだ、皆にはなぜヘーゲルがわからないのか、私にはぜんぶわかってるんだ。というのは、ヘーゲル哲学は、この「わかる」のわかり方がわからなければ、絶対にわからないからだ。裏から言えば、この「わかる」がわかりさえすれば、全てが隈なくわかるからだ。したがって、ヘーゲル哲学は、全然わからないか全部わかるかのどちらかで、少しだけわかる、半分はわかる、というのはない。

詳細は後にまわすとして、そもそも私のこの「口伝」という風変わりな哲学語り、こんなものが可能なゆえんも、種を明かせば、それと同じなのだ。いったい、自分の精神とは世界精神であることを知らずに、どうやって哲学史など理解できるつもりでいるのか、驚くべき愚直さである。プラトンを読む私は、プラトンになる。デカルトを読む私は、デカルトになる。それなら、自分のところまで来て哲学史は完成をみたと確信したヘーゲルを読む私にも、同じ確信が与えられるのは当然である。ヘーゲルが最も軽蔑したのも、事象や思想や書かれた言葉に、外側から近付こうとするその態度で、そんな態度でいる限り、何ひとつ確信することはできんぞという、これまた深い確信に確信するめである。ヘーゲルがわかれば大体のことがわかるということに、どういうわけだか私たちの精神はなっているのだ、つべこべ言わない。

私事で恐縮だが、大きく小さく事象を確信する哲学的思考の快感に、私がはっきりと目覚めたのは、彼の『大論理学』によってである。あなたはへーゲリアンですかなどというマヌケなことは、間違っても言わないこと。私は別に、『大論理学』を書いたのが、へーゲルでなくてもちっとも構わないし、手ぶらで一度きり読んで「わかっちゃった」あとは、ああ面白かった得したな、と思っただけで、あらためて「研究」しようとしたことなど全然ない。人の書物を理解するために、そのつどその人の信奉者にならなくちゃならないの乙ゃ身がもたない。そのへんの経緯は以前書いたことがあるので、余りくどくど言いたくないが、くどいくらいに言わないとダメなのが、このヘーゲルなのだ。わからないことの腹いせに悪く言うか、わからなさ昂じて有難さに転じるか、そのどちらか以外のヘーゲル評を、私は聞いたことがない。しょせん「解釈」とはそんなものだ。馬脚が出るのが恐い、そんな程度の屁理屈に、皆さん、だまされないように。ちょっとしたコツさえつかめば、ヘーゲルは誰にでも読めますから。

晦渋な言語表現の煙幕の向こうに、その「考え」を透視する術、これがヘーゲル読みの極意である。むろん、多かれ少なかれどの哲学書にも、この技術は要求されている。だからこそ、自分の精神は世界精神であるという端的な確信を、まず所有していなければダメだと私は言うのだ。さて、ヘーゲルの場合、この煙幕が他の誰よりも厚く、濃く、高い。どうするか。同じ人間が考えたことがわからないはずがないという確信を手放さない。で、どうするか。術語を、全部、無視する。即自有、向自有、即且向自有、絶対無媒介的純粋有、そんなものには目もくれず、脚下に踏みしだき、空拳で前進するのだ。間違っても「ヘーゲル用語辞典」などの援軍を頼みにしない。ああいうものは迷いのもと、心に隙ができて退却を余儀なくされる。進め、恐れずに進め、端的な確信ひとつ手に煙幕の中を進め!--やがて心地よいリズム、明快な足取りで、彼の思考に伴走している自分の思考に気づくだろう。共にまなざしを、あの確信へと高く保ちつつ。
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外交における大統領権限の行使

『アメリカの政治』より 内政と外交の流れ--九九二~二○一三年

二〇〇九年四月に、オバマはチェコで「核のない世界」という演説をし、いつの日か核兵器をなくすことにアメリカ大統領として初めて言及し、同年ノーペル平和賞を受賞した。ロシアとの関係も「リセット」して新START条約を締結した。しかし、オバマ政権下の核兵器政策に実際には大きな変化はなく、未臨界核実験も継続されたし、弾道ミサイル実験も実施されている。大統領選挙の際に対話を主張したイランとの関係も、二〇一〇年六月に国連安保理が四回目となる追加制裁決議を行い、ウラン濃縮を留めるように圧力をかけたのと並行し、オバマ政権も翌月に対イラン制裁法案を成立させるなど、対話よりも対決が目立つ外交となっている。

ブッシュ政権を批判してきたイラク政策において、オバマは公約通り二〇一〇年八月末をもって攻撃的な兵力を撤収し、二〇一一年末には残っていた治安維持のための部隊も撤収した。しかし、イラク開戦一〇周年となる二〇一三年三月は、共和党はもとより、民主党からもイラク政策について特段の言及もなく静かに過ぎた。アフガニスタンでは、タリバーンを制圧するために、選挙戦の公約どおり政権当初は兵力の増派が行われた。しかし、対テロ対策で多数の民間人の犠牲者を出し、現地の反米感情を強めてしまうという、イラクの場合と同様のジレンマに陥った。二〇一一年には、パキスタンにあったビン・ラ・ディンの拠点を同国の同意なく襲撃した。ビン・ラ・ディンの殺害は対テロ対策としては大きな収穫であったが、主権を踏みにじられたパキスタンとの関係は一気に冷えた。

さらに、アフガニスタンとパキスタンの国境地域で問題となったのが、無人機(ドローン)を用いた作戦であった。無人機を用いた作戦は、二〇一二年になって政権から公式にその存在が認められたものの、いまだに規制が整っているとは言えない。アメリカ国内の無人機の飛行が連邦航空局の許可を必要とし、消火や実験をはじめとする民用で用いられていることとは対照的である。アメリカ国内からの遠隔操作で、パキスタン国内でテロリストと思われる人物を殺害する作戦は、誤認による民間人の殺傷も多く、現地でアメリカヘの非難を生んでいる。他方、アメリカ政府は無人機作戦が秘密工作であるため、公にはその責任を認めてこなかった。オバマ政権は、中東やアフリカにおいても無人機による作戦を展開するようになっており、現地政府の許可を得ているとするものの、政治的、道義的な責任の意味で大きな問題を抱えた作戦が継続されている。

二〇一三年五月に、オバマ大統領は疑問が持たれている無人機政策に関する演説を行った。二〇一四年末のアフガニスタンからの撤収にむけて、無人機による作戦で生じる民間犠牲者を最低限に留め、作戦の管轄をCIAから軍部に移行することで説明責任を果たすようにするとしたものの、オバマは攻撃そのものの意義は否定しなかった。政権初期に閉鎖を約束しながら対応が遅れていたグアンタナモのテロ容疑者の収容所についても、閉鎖への反対派を批判するに留まった。テロとの戦争を批判して大統領選挙に勝ったオバマ大統領であるだけに、第二期に入るまでブッシュ政権の負の遺産が解決されていないことには批判がある。演説において対テロ対策での大統領権限をオバマが広く解釈していることから、実際には無人機をめぐり大きな変化は生じないのではないかと思われる。

従来の政策からの大きな転換を求められたのが、「アラブの春」という現象であった。権威主義的でありながら、親米的なアラブの諸政権との関係を持っていたアメリカは、それらの体制が民主化を求める大きな社会運動によって転覆されると、一転して民衆の側に立場を移し、民主的な指導者の登場を支援することになった。しかし、アラブの春で新たに生まれた政治的勢力の中には、イスラム色が強く、必ずしもアメリカと政治的目標を共有しない国もあった。エジプトではムバラク大統領が辞任に追い込まれた後、二〇一二年になって大統領の自由選挙が行われ、ムスリム同胞団のモルシ大統領が生まれた。七月にはクリントン国務長官が訪問し大統領と会談を行ったが、新憲法で大統領の権限強化を図り民衆と対立するなど、民主化への課題は残っている。アメリカがカダフィ政権の崩壊に力を貸したリビアでは、二〇一二年九月十一日の同時多発テロの十一周年に米国領事館が武装勢力に襲撃され、混乱の中で大使が命を落とすという事件も生じた。二〇一三年になって、事件の対応をめぐりオバマ政権に問題があったのではないかとの疑惑が生じ、オバマ政権が対応に追われる事態に陥った。

アラブの春の中で膠着状態にあるのがシリア情勢である。ヨーロッパ諸国とともにアサド政権に権力移譲をもちかけるものの、軍事力を用いた積極的な介入は行うつもりはないオバマ政権は、反アサド派の中にイスラム過激勢力の影を見て、拙速なアサド降ろしにも二の足を踏んでいる。アサド政権による抑圧で犠牲者の数が増す中で、中東の安定的な展開を可能にする権力移譲の形を模索し続けていると言える。このように、アラブの春が多様な経緯をたどっていることは、これまで安定的な強権体制に軸足を置いてきたアメリカの中東外交が、民主主義を掲げながらも不安定なパートナーとの関係を試行錯誤する様子を浮き彫りにしている。
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