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フラッシュバック

フラッシュバック

 誕生の気づきは完全にフラッシュバックです。この項目が未唯空間にない。ないというよりも、未唯空間そのものがフラッシュバックです。

 フラッシュバックは、毎回変わってくる。今の心境とか、ちょっと先の希望などで、過去が変わってくる。この感覚はない。だけど、現実ではありえます。パートナーと話ができただけで、全てが変わります。これをどう、未唯空間に入れ込むか。

 人間の再構成する能力はすごいです。イメージ処理は一瞬で行います。だけど、未唯空間は一つずつ作っていくしかないし、過去は固定されてしまう。フラッシュバックのように、イメージをそのまま、未唯空間にできるものがあればいけど。

 それを使えば、安穏と暮らしてきた人、サラリーマンとしてだけ暮らした人が死ぬ間際に、フラッシュバックしたものを伝えることができる。老人ホームでこれを使えられれば、色々な財産が溜まっていけます。

『まんが哲学入門』読書案内

 哲学者の書いた哲学入門

  ☆野矢茂樹『哲学の謎』(講談社現代新書)1996/01 104/104

  ☆ラッセル『哲学入門』(ちくま学芸文庫)

  ☆デカルト『方法序脱』(岩波文庫など)

  ☆プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』(講談社学術文庫など)1998/02 131.3/131.3

  ☆『ブッダのことば』『ブッダの真理のことば感興のことば』『ブッダ最後の旅J(岩波文庫)1984/00 183/183

  ☆永井均『〈子ども〉のための哲学』(講談社現代新書)1996/05 104/104

 哲学史についての入門書

  初級編

   ☆コーンフォード『ソクラテス以前以後』(岩波文庫)1995/12 131/131

   ☆岩田靖夫「ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書)2003.7 130.2

   ☆青山拓央『分析哲学講義』(ちくま新書)2012.2 116.3

   ☆小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』(ちくま新書)2012.12 125.4

   ☆井簡俊彦『イスラーム哲学の原像』(岩波新書)1980/00 167.2

   ☆貫成人『図説・標準 哲学史』(新書館)2008.2 130.2

  中・上級編

   ☆ラッセル『西洋哲学史』全3冊(みすず書房)1980/00 130.2/130.2

   考える人  口伝西洋哲学史 (中公文庫) 池田 晶子/著 中央公論社 1998/06 130.2/130.2

   ☆シュヴェーグラー『西洋哲学史』全2冊(岩波文庫)1989/09 130

   ☆熊野純彦『西洋哲学史』全2冊(岩波新書)2006/09 133/133

   ☆ゴンダ『インド思想史』(岩波文庫)2002/12 126/126

   ☆中村元・三枝充塞『バウッダ』(講談社学術文庫)2009/12 180/180

   ☆中村元『東洋人の思惟方法』全4冊(春秋社)1989/01 108

   ☆丸山眞男『日本政治思想史研究』(東京大学出版会)1983/06 311.21/311.21

   ☆『岩波 哲学・思想事典』(岩波書店)1998.3 103.3

 (3)読み物のように読める哲学書

  ☆プラトン『パイドン』(岩波文庫など)1998/02 131.3/131.3

  ☆プラトン『国家』(岩波文庫)2002/03 131.3/131.3

  ☆アリストテレス『心とは何か』(購談社学術文庫など)1999/02 131.4/131.4

  ☆マルクス・アウレーリウス『自省録』(岩波文庫など)1982/00 131.5

  ☆『仏弟子の告白』(岩波文庫)1982/03 183

  ☆『ウパニシャッド』(『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』中央公論新社など)2000/02 126.3/126.3

  ☆デカルト『省察』(ちくま学芸文庫など)1949/10 135.23/135.2

  ☆デカルト『情念論』(岩波文庫など)2008/01 135.23/135.2

  ☆『福音書』『パウロ書簡』『新共同訳聖書』日本聖書協会、『新約聖書」新約聖書翻訳委員会訳・岩波書店など)1984/03 193.6

  ☆親鸞『歎異抄』(中公クラシックスなど)1991/06 188.74/188.74

  ☆『老子』(岩波文庫など)1938/00 124

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マンガで哲学入門書を描いてみたい!

『まんが哲学入門』より あとがき

これまで、過去の偉大な哲学者たちの思想を解説するマンガ本はたくさん出版されてきました。哲学者がストーリーを考えたり、解説文を書いたりしたマンガ本もありました。しかしながら、哲学者自身が、みずからの哲学的な思考を、全頁マンガで描き下ろした本は存在しなかったように思われます。マンガやイラストを描ける哲学者はたくさんいるでしょうから、いままでこのような本が出版されなかったのは不思議なことです。

タイトルにあるとおり、この本は哲学入門です。「哲学とは何か」「哲学的に考えるとはどういうことか」について、一般読者を対象に描いてみました。この本は、有名な哲学者の学説を分かりやすく解説するというスタイルをとっていません。そのかわりに、「時間」「存在」「私」「生命」という4つの大テーマについて、私自身がどういうふうに考えるのかを、できるだけ分かりやすく表現してみました。この道をたどることで、読者のみなさんは、一気に哲学的思考の核心部分へと導かれることになります。そのスピード感と密度をたっぷりと楽しんでみてください。

過去の哲学者を引き合いに出して、「誰々はこう言った、それを図にするとこうなる」というような解説文をひたすら読んでいくよりも、哲学的な思考のダイナミックな進み方を視覚的に追体験していったほうが、哲学の本質にすばやく迫ることができます。哲学とマンガは、ほんとうは相性がいいのです。また、この本では、まんまるくんと先生が対話する形で話が進んでいきます。プラトンの書いた哲学書も、ソクラテスとその仲間たちによる対話で物語が進んでいきます。この、哲学の王道である対話を効果的に表現するための技法として、マンガはぴったりなのです。私は物心ついたころから、マンガで育ちました。マンガ的な表現方法は身に染みついています。マンガだからと言って軽蔑する人は、現代日本にはもうほとんどいないでしょう。

すでに哲学に親しんでいる読者は、この本のあちこちに、過去の哲学者たちの有名なテーゼをたくさん見いだすことでしょう。しかしそれらはしだいに、私自身の思索へと結びつけられていきます。この本は入門書ではありますが、しかし同時に、私自身の思考を展開した本でもあるのです。私がいま構想している「生命の哲学」のおおまかな全体像を、マンガ哲学入門という形で先取りして示すことになりました。

マンガを実際に描いてみて分かったことがいくつかあります。

(1)マンガだから表現できる思考がある

 マンガには、哲学的な思考の流れをダイナミックに表現する力があります。思考が流れていくときの強調点や、次々と浮かび上がってくるイメージ展開などを、視覚的にズバリ表現することができます。哲学的な思索をするときにいつも思うことなのですが、私は言葉を使って思索をしているのではなく、動き回る視覚的なイメージを使って思索をしています。そのイメージの動きを、そのまま絵にして表現してみたら、哲学の生の部分がもっとも良く伝わるのではないか。そう思ったのがこの企画のそもそもの始まりでした。アリストテレスも言うように、哲学に直観的把握(スース)は欠かせません。マンガはそれを伝える見事なツールとなり得るのです。

(2)マンガには人を引き込む力がある

 活字の本を読んでいると、しだいに飽きてきたり、眠くなったりすることがあります。しかしマンガだといつまでも延々と読んでいくことができます。一般に左脳と右脳ということが言われますが、マンガは文字と絵によって左脳と右脳をバランス良く刺激するがゆえに、いつまでも読み続けることができるし、読者をかぎりなく深く引き込むことができるのでしょう。哲学のような抽象的な思考を、飽きずに読んでいってもらうためには、マンガの「引き込み力」を利用しない手はありません。

(3)マンガで表現しにくい思考がある

 実際、文字の分量がどんどん多くなってしまって、そこから先はもうマンガとしては描けない箇所が、いくつかありました。もちろん、もっと作画に熟練していけば、ほとんどの思考は絵で表現できるのかもしれません。しかし、仮にそうなったとしても、やはりどうしても絵にできないものは確実に残るように思われます。
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見えないものは存在しない

コペルニクス的な転回

 国というフレームから考えから、個人から作り出すというのは、地動説に対する天動説のようなものです。だから、コペルニクス的な転回です。

 マーケティングで売ることから使う方へ向かうということも、これに少しは関係するのでしょう。主体が市民の発想に変わることですから。これは、言うのは簡単だけど、企業は利益で動いているから、合わせることも、循環させることもできるけど、個人というのは、バラバラだから、合わせるのが難しい。

 店舗コミュニティの情報共有との関係もどこかで付けましょう。ローカルの動きがグローバルを支配することにある。そのためのローカルの前提条件です。売るというところから、お客様と一緒に使うことを考えるところに、スタッフの力をつかっていく。その時に、知識と意識を合わせるために、情報共有という言葉を使いました。

 単に上から下に流すのではなく、スタッフからの循環を作り出すことは、発想は変えて、しくみを変えることです。

見えないものは存在しない

 Facebookに上げた問題の答えです。

 これは環境社会の哲学でモノにしましょう。

 世界を見える化して、それぞれの市民の心に反映させていく。あまりにも見えないために、存在していない。大きな危機があっても、見えていない。だから、目の前のことをやっていて、全体を壊していく。それが悪いのではなく、それ以前の見えなくしていることが悪い。

 そして、見えないものが見えてくる。

 見ようとしないから見えないから、見えないから存在しない。これがつながっていくと、世界はいくらでも小さくなるし、大きくなる。なぜ、小さくすると、大きくなるのか。

国民国家の限界から超国家へ

 国民国家の限界を最初に感じたのは、ドイツとフランスでしょう。だから、彼らは国際関係として、EUを作り上げることにした。国を超えることよりも、民族を超えることを狙った。国民国家を体現しているのは、共和制です。フランス革命のなごりです。

知識と意識のイメージ

 知識と意識を推し進めるけど、知識のイメージをもう少し、詳細にして、普及させないといけない。

 地域というのは、記憶力ではない。記憶はライブラリに頼ればいい。ネットを使えば、いくらでも保有できる。知識は関係です。現状がどうなっているかというのもあるけど、現状はそれぞれによって異なっています。データベースは本当は見る人によって、異なるようになっていくでしょう。

 人に聴くときは、そういうカタチになります。聞かれた人は、相手に合わせます。むしろ、自分が何を知っているかは、ソクラテスではないけど、問答で初めてわかるものです。問答することが、知識そのものかもしれません。未唯空間も問われたら、応えることにしている。

言葉での表現

 一番大きいのは、言葉です。言葉というものはどのように表現して、理解するのか。その裏側にあるものをどういうカタチで表に出してくるのか。

無限次元空間が私の救い

 無限次元空間を旅するものへメッセージを出さないと。

 夏になると、いつも、無限次元空間を旅している感覚になる。バスなどでも、多くの人が旅行に行きます。遊びます。大学の時に、そういう若者を見た時に、自分を納得させるためのロジックを作っていた。

 あなたたちは、高々、3次元空間を動いているだけでしょう。私は無限次元空間を旅している。次元の多さを誇っていた。

クルマからの発信

 クルマからの発信をつながるだけで考えていたけど、これをシェア社会で考えていく可能性を追求した方がいい。

 電気自動車を完全にシェアしようとすると、どこにいて、誰が乗っているのかを把握するためには、クルマから発信知るのが的確です。乗った時に、カードを突っ込めばいい。そのための大容量データ処理機能はメーカーが持って、分配すると同時に、販売店に上がって情報とのすり合わせを行い、循環を接続すればいい。

 クルマがつぶやくのは、センサーとして使えば、インフラ全体としての意味を持ちます。それをシェアの世界で行う時に、販売店での紐づけし、GPSとつなげれば、実体が立体的に把握できます。そういう意味では、動く拠点になります。これはクライシスの時にそのまま、役に立ちます。
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