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ニジェールの通信

『ニジェール』より

 背景

  ニジェールの通信事情は、1970年代まではかなり遅れていた。例えば日本向けの電話は、フランス中継のために回線が限られ容易に繋がらず、またテレビも首都ニアメの街角に数台のテレビを置いて試験放送をしている状態であった。植民地時代から1972年まで、国内では西のマリ共和国との国境の町Ayorouから東のチャド湖畔の町N'guigmiまで、I、500kmにわたって空中電線が架設されていて、1973年にはこれを幹線として8カ所の自動電話交換局とニアメードッソ間にマイクロ波中継24回線が設置された。 1978年には容量の大きい回線でニアメーマラディおよびニアメーザンデールに延長された。 1981~1993年には、電信・テレビ拡張総合プロジェクト(Projet mixte d'extension destelecommunications et de television: PMETT)として、下記に示す種々の施工が行われた:
   ・ニアメーアガデスおよびドッソ間の国内衛星回線網
   ・アーリットーアガデス間の大容量マイクロ波中継回線
   ・電話局とそれに対応する地方回線網
   ・ディファーンギィミ間マイクロ波中継回線
   ・ニアメ、ドッソ、タウア、アガデス、マラディ、ザンデールの空中一地下架線網の延長と近代化
   ・引き続いてビルマおよびチンタバラデンの2ヵ所の国内内陸中継所の設置1989~1997年には、以下の通信開発計画が実施された:
   ・ニアメおよびマラディ両局のデジタル化
   ・幹線より南部の中継所に太陽熱利用装置の設置
   ・ヤンタラ(ニアメ)の加入者網の構成
   ・ニアメの長距離電話光ファイバー回線
   ・ニアメおよびマラディの加入者網のリハビリおよび拡張
   ・ニアメのOCB-283局へのCT3機能の統合

  1999~2000年にはヨーロッパ開発基金(FED)による計画として、アーリットに内陸中継所およびニアメーカルマ間の最初のデジタルマイクロ波中継回線の設置、またニアメの当局加入者の接続システムの作成を目的とした。また同時に、15、000~20、000回線のキャパシティ通過のため、ニアメのOCB-283局の拡張を目的とした。更にこの時期に、国内網の衛星によるINTELSAT規格へのレベルアップ、国際通信のための内陸中継所のデジタル化か行われた。

  このように90年代に入ってからは特に、時代の要求を受け入れて、この部門も急速な発展を遂げた。現在、内閣の通信担当省庁がコミュニケーション・新情報技術省であることから、国としても通信情報部門の技術向上に力を入れていることが窺われ、インターネット分野などの普及も著しいものがある。

 電話

  従来ニジェールの電話は、1997年に旧郵便電気通信局(Office des Postes et Telecommuni-cations: OPT)の電信部門とニジェール国際電信会社(Societe des Telecommunications Inter-nationales du Niger: STIN)が合併して設立されたニジェール電信会社(Societe Nigeriennedes T61、scommunications: SONITEL)によって運営されてきた。 2001年、同社株の51%を中国-リビアコンソーシアムDATAPORTが購入し、ニジェール政府34.11%、ニジェール人個人11%、France Cables & Radio社0.89%の持分比率で民営化された。現在ニジェールには、上記Sonitelの他にMoov Niger、Zain Niger、Orange Niger、Sahelcomの4社があり、いずれも携帯電話事業も営業しているが、OrangeおよびZainが他を一歩リードしている。都市部の住人のほぼ半数が携帯電話を所有していると言われ、2015年までには人口の半分にまで普及するとみられているが、一方で後述するフランス・テレコムは、二ジェールの携帯電話普及率は5%未満とまだまだ低く、今後の発展に期待するとしている。

 インターネット

  現時点でニジェールに登録されているインターネット接続業者は以下の8社である:Alink Telecom Niger、Connecteo、Ixcom Niger S.A.、Liptinfor Niger Internet S.A.、Orange、Sahelcom、Satellite Internet Africap、Sonite-Offre Internet

  2007年11月フランス・テレコムは、同社が率いるコンソーシアムがニジェールにおける固定・携帯電話およびインターネット事業のグローバル・ライセンスを獲得したと発表した。フランス・テレコムはこの投資が同社が進める急成長市場開発戦略に合致するものであり、西アフリカでの存在を更に強化することになると説明している。

  近年インターネットの進展には目覚ましいものがあり、政府の公式サイトやメディアの発信を通じて、ニジェールに関する新旧を問わぬ多くの情報を得ることが可能となった。

 その他

  1980年代のテレックスに代わって、90年代にはファックスが主流をなしたが、当時はニジェールの公官庁では各部署に1台が配置された程度で、もっぱら外資系民間会社が利用していた。ファックスに関しては地域的な志向性があるのか、日本を含めた欧米各地との送受信に問題が少なかったが、むしろアフリカ近隣諸国との交信に難があった。現在は殆どインターネット通信がこれに代わっている。

  また外資系の民間会社では、緊急用に衛星回線通話設備INTERSATを独白に備えているところもあるが、その数は少ない。
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「バック・トウー・ザ・フューチャー」の戦略思考

『戦略読書日記』より

『最終戦争論』石原莞爾著一中公文庫【初版一九四〇年】

戦前の陸軍参謀、石原莞爾は「帝国陸軍の異端児」と呼ばれた有名な人物である。その独特の軍事思想を著した書が『最終戦争論』。タイトルだけであれば聞いたことのある人も多いだろう。しかし、実際に読んだという人はそれほど多くない。僕もそうだった。石原莞爾の評伝は読んでいたし、さまざまな歴史書で頻繁に名前が出てくる。しかし、『最終戦争論』は不覚にもわりと最近まで読まずにいた。

読んでみると、講話をペースにしたコンパクトな本で、想像よりもはるかに読みやすい。しかしその内容はというと、これが戦略構想として空前絶後のスケールである。今の感覚で読むと荒唐無稽にしか思えない。しかし、本書の面白さはそうした「過剰さ」にこそある。

著者の石原莞爾は一八八九年山形県生まれ。陸軍大学を卒業して関乗軍参謀となる。満州国の戦略構想をめぐって当時の上官である乗條英機関乗軍参謀長と対立、一九三八年には参謀副長を罷免されて、舞鶴要塞司令官に任命された。絵に描いたような左遷である。太平洋戦争開戦の直前の一九四一年三月にはついに予備役に編入され、その後は評論の執筆や講演活動にいそしんだ。

『最終戦争論』は石原が現役時代から考えに考え抜いてきた日本の戦略大構想をまとめたものだが、その内容は左遷された後に行われた、一九四〇年の講演に菓づいている。

この時期には『戦争史大観』というもう一つの書も出版されている。内容は『最終戦争論』とほとんど重なるが、こちらには彼がこの最終戦争構想を描くにいたったいきさつが詳しく書かれているので、その内容にも触れながら石原の大戦略構想を俯瞰してみたい。

『最終戦争論』は、文字通り人類の「最終戦争」に向けて日本がとるべき戦略構想を思いっきりぶち上げる。戦争をなくすことは全人類共通の祈念である。しかし、それができないということは歴史が繰り返し証明してきた。そうである以上、絶対平和への唯一の道は、最高の戦術と最先端の兵器で最終戦争を行い、誰が世界を統治するのか、決着をつけるしかないというのが石原の基本的な世界認識だった。

石原に言わせれば、第一次世界大戦(本の中では「欧州戦争」)は、世界大戦でもなんでもない。世界大戦はまだ先の話であり、欧州戦争はせいぜい準々決勝でしかない。その後世界はソ連、ヨーロッパ、アメリカ、東亜の代表たる日本の四強による準決勝を経て、その後にはいよいよ決戦として世界最終戦争が行われる、という筋書きである。

石原はこう考える。確かにヨーロッパには偉大な歴史と文化と知性を誇る国が多い。しかし、地勢的に問題がある。狭いところに陸続きで有力な国がひしめいている。一時的に運命共同体を目指したところで(第一次世界大戦の後の動きを指している)、そのうち戦争を始めて共倒れになるだろう。

スターリン支配下のソ連はどうか。共産主義は理屈としてはよくできている。ただし、人間の世の中がうまく使いこなせるものではとうていない。早晩内部崩壊するだろう。

結局、準決勝を勝ち上がるのは西洋のアメリカと東洋の日本で、この二国で人類最後の決勝戦で雌雄を決することになる。この闘いは「東洋の王道と西洋の覇道のいずれが世界統一指導原理たるべきかを決定する」ものであり、それを経て日本の天皇か、アメリカの大統領、どちらかの支配の下で世の中は平和になるであろう。とんでもなく気宇壮大な話である。

この世界最終戦争は、「空軍による徹底した殲滅戦争」となり、「老若男女、山川草木、豚も鶏も同じようにやられる」凄まじいものになる。しかしそれを耐え、乗り越えれば「人類はもうとても戦争をやることはできない」という境地に達し、本当の平和に達することができる、と石原は言う。人間の闘争本能は決してなくならない。しかし、最終戦争を経験した後では、人間の闘争本能は、戦争ではなく経済、芸術、学問などの文明的な仕事に向けられ、その結果として世界は一つになる、というわけである。

だとしたら一九四〇年前後の時点での日本の戦略はどうあるべきか。石原の考えはこうだ。まずは準決勝を勝ち抜き、東亜の代表選手にならなければ話にならない。そのためには東亜大同が決定的に重要になる。そのうえで、最終戦争に備えた決戦兵器の開発を急ぎ、それと並行して徹底的な防空体制を固める。なぜなら、最終戦争は「無着陸で世界をぐるぐる廻れるような飛行機」と「大都市が一撃で壊滅するような強力兵器」で戦われるものになると石原は考えていたからだ。

そのためには、徹底した国家統制をきかせなければならない。国民にとっては、長くつらい生活が続くことになる。しかし、これはスポーツ選手が決勝戦の前に厳しい合宿生活をしているようなものであり、致し方のないことである。だから今はひたすら我慢をして、世界最終戦争に備えなければならない……。
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全てを知ることのロジック

弱点をプラスにする

 今は確固たるものがない。ここから、いかに絞り出すか。

 そのためには、三猿を徹底させます。バッハの無伴奏チェロ曲にも期待を掛けましょう。

 考えることだけに集中させます。それ以外のものは、パートナーといえども、外します。

 弱点を全て、プラスにします。見えないこと、言えないこと、聞こえないこと、それらをすべて、自主的にします。見ないこと、言わないこと、聞かないこと。

 だから、内側にエネルギーを向けます。一瞬たりとも、考えないことができるかどうか。

全てを知ることのロジック

 一瞬たりとも、考えないことができるかどうか。

 全てを知るというのは、小さな穴から外を見るのではなく。取り囲む周縁から、中を見ていくという視線です。外から見るためには、哲学とか数学が必要です。アナロジーよりも大きな概念が必要です。この空間には、色々なところに穴が開いています。特異点から見て、それをつなげれば、全体が見えてきます。

 部品表の逆ピラミッドのアイデアも生かすことができます。目的を見ていくことで、集合関係を変えました。

 ポイントは部分は全体よりも大きいことです。ローカルはグローバルをカバーします。ローカルあらグローバルに向かっていけます。ローカルの目的を狭めた部分がグローバルの目的です。集合は目的をインバリアントとして、成り立ちます。つまり、共有部分をグローバルにさせて、それ以外の部分をローカルで多様にしていくことです。

 これはエネルギー問題の解決策ともつながります。ローカルは地産地消で、グローバルは企業などのエネルギーを全体効率で対応させます。

 ローカルの周りには、ローカルのローカルである個人が取り囲んでいます。グローバルの核には、グローバルのグローバルである超国家があります。部品表の逆ピラミッドはハイアラキーそのものを集合関係に置き換えた、画期的なアイデアです。それがヘッドロジックそのものです。

 一種の群論のようなものです。異なるフィールドに置き換えることで、集合関係を逆転させてしまう。逆転させることでロジックができます。無限な集合が有限群に変わるようなものです。

 問題は、この内容を未唯空間のどこのフェーズに入れるかです。

 部分が全体よりも大きいから、全体を把握できる。ローカルに在りながら、グローバルが見えるのです。このロジックを使えば、全てを知ることができます。ローカルから全てがわかります。

 これは、DNAと同じ考え方です。細胞の中に全ての情報がある。

 逆に言うと、部分が変わると、全体が変わるということです。全体が変わっても部分は変わりません。

どうなったらいいのか

 では、どうなったらいいのか。時間は勝手に与えられています。自分にとって、どうなったらいいのか。存在から見た時に、意思から見た時に、どうなったらいいのか。

 元々、個人の問題ならそんなことはどうでもいい。家族の問題ではないです。どうあったらいいのか。全てを知って、どうあったらいいのか。多分、知ったとしても同じですね。

 権力を持っても、維持するのに汲々とするだけです。むしろ、捨てた方がいいです。宗教は大体、そんなもんですよ。そんなものはない方が楽に生きていける。南無阿弥陀仏ではないけど、帰依せよですね。その上で、聞きます。どうしたらいいのか、どうあったらいいのか。

仕事のロジック

 仕事というものは、そういう範疇に入らないでしょう。仕事は完全に時間つぶしです。時間つぶしで、お金が入ってくる仕組みを組織は作っています。すばらしいことです。これはローマ時代と一緒です。

 奴隷に仕事をさせて、自分たちはのんびり過ごす。結局、それはエネルギーをなくすことです。

私に見えないものは、存在しないもの

 ワイシャツにコーヒーのシミがあるみたいです。だけど、私には見えない。見えないものは存在しない。

意志の時代から存在の時代に変わる

 孤独と孤立は意志の力とは、大きく異なっています。今後の存在の時代には、孤独と孤立です。

 今、意志の力の時代が終わろうとしています。今後は、存在です。内側の世界が中心になる。内側に向きながら、外に向かっていくためには。自分が孤独であることです。

 現象学は孤立と孤独の方が合っています。存在には他人を必要としない。意志の力は、他人が前提です。

 意志から存在の時代に変わった分岐点はどこなのか。そして、2050年は完全に存在の時代です。そう考えると、2015年が分岐点であり、確認ポイントは2030年です。
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