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100年後、200年後の生活を考える

『どうなる? 日本のエネルギー問題。』より 一00年後のエネルギーと私たちの暮らし

「3つの技術は理解できるが、それらを可能にする地域の組織のことが気になります」

地域や人を意識して暮らす時代

 日本のエネルギー政策の中心にあった原子力発電は、低炭素社会への過渡期のエネルギーとしては、十分な役割を果たしたかもしれません。しかしまた、人間が原子力を十分に制御できる技術を獲得していないこと、使用済み核燃料、放射性廃棄物などの問題、事故などによって放出された放射能を取り除く除染技術が確立していないことなど、困難な課題もたくさん残しました。福島の事故では、東北地方をはじめ、人口密度の高い関東圏にも放射能が降り注いでいることがわかっています。影響が出やすいといわれている子供たちの健康はどのように守られるのか、今後は医療分野への課題も多く出てくるかもしれません。

 これからは、自分だけが電気を使いたい時に使えばいいという時代ではなく、自分が使う電気が余った時には、不足している地域に配分して、みんなの生活が安定するといったような、人や地域のつながりを意識しながら電気を扱う時代にしなければならないのだと思います。

100年後、200年後の生活を考える

 私たち自身がエネルギーに対して考え方を変えなければなりません。

 福島第一原子力発電所の事故の教訓は、石油危機やチェルノブイリ事故の時と同様、のど元を過ぎれば忘れてしまうということになってはなりません。これを機会に、私たちはエネルギー問題に真摯に向き合う必要があります。

 原子力発電所の事故は、そこで働く作業員を次々と被曝させ、私たち一般人を放射能の不安に怯えさせています。処理方法の見つからない放射性廃棄物は狭い日本に増え続けています。ウランは埋蔵量が意外に少ないことが最近わかりました。石油危機と同じように、経済や社会が混乱する状況を迎える可能性もはらんでいます。

 石油や石炭などの化石燃料も、価格高騰はすでにいわれていることですし、それらが数十年先には枯渇するのが目に見えていますから、ここに戻る政策もあリ得ません。

 つまり結論はこうです。

 一00年後、200年後の私たちの生活、社会を考えたとき、電力については太陽、風、水、地熱など、「あらゆる再生可能エネルギーと上手に付き合う方向」にシフトしなければならないということです。

 そのための未来への希望の架け橋は、ここまでも紹介してきましたが、

  「再生可能エネルギー」

   「分散型電力ネットワーク」

  「蓄電」

 の3つの組み合わせです。

 ひとつ目の再生可能エネルギーの一番の強みは、繰り返しになりますが、太古の昔から無尽蔵に存在し、今後も枯渇する心配がないことです。

 2つ目の分散型電力ネットワークは、ひとつ目の再生可能エネルギーの力を最大限に発揮できるシステムです。電力の地産地消を行いながら、それぞれの地域がお互いに電カネットワークでつながることで、余った電力を売ることや、足りない電力を補うことができます。

 そして3番目の蓄電です。

 再生可能エネルギーは環境に優しく、長期間で見ればコストが安くなることがわかっていても、供給に安定感が欠けることから、不安視する人が多くいます。その不安を解消するのが、蓄電技術です。

 この蓄電技術が進めば、供給の不安定さということは、すぐに解決できる問題です。2章や4章でも紹介したナトリウム硫黄電池など、原子力発電所のー基分の電力をためておける大容量の蓄電装置があります。また大容量ではありませんが、フライホイールバッテリーも、今すぐにでも使える蓄電装置として活用が期待されます。知恵を働かせて工夫をすることで、弱点を補うことはいくらでもできるのです。

 「再生可能エネルギー」「分散型電カネットワーク」「蓄電」、この3つの組み合わせが実現すれば、原油の輸入だけでも年間フ兆円以上を支払っている日本を経済的に立ち直らせることができる可能性も大きくなるでしょう。
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地球に人はいないほうがよいのか?

『どうなる? 日本のエネルギー問題。』より 日本のエネルギー教育

「「地球に人はいないほうがよいのか?」という疑問から、一人ひとりを生かす道を探るのが教育です。」

エネルギー教育に苦手意識のある教師

 エネルギー問題や環境問題は、理科的でもあるし社会科的でもあります。純粋な理科の知識、社会科の知識だけでは、答えを出世ない面が多くあるのです。

 こうしたことから、エネルギー問題や環境問題を教師が教えることに苦手意識をもっている場合が多かったのです。その結果、生徒がエネルギー問題について、より多くの知識を得られない状況がありました。

 こうした現状を解決するには、まず、エネルギー政策を担当する省庁が教師を指導するようなことは止めるべきです。むしろ教師が自由に研修できる環境を用意すべきです。教科のしきいを越えた教員間の自主的な研修も大切です。さらに欲を言えば、理科の教師は理学系だけでなく、企業の技術や工学分野の大学と交流を深めるなどして、具体的な環境やエネルギーの技術に関心をもってもらいたいと思います。

地球に人はいないほうがよいのか?

 私はここ十数年、小中学生向けの科学教室や教師向けの講習会などで、外燃機関のスターリングエンジンなどに関する講演を行ってきました。それに参加した小中学校の教師から、

 「環境やエネルギーを取り上げてどんどん学習を進めると、子供から『地球に人間がいなくなれば一番よいのではないか』と言われてしまう」

 「もっと夢のある、元気の出る未来はないのか。そう思って参加しました」

 というようなことをたびたび言われました。

 そういう悩みが出る背景には、エネルギー学習の結果として、二酸化炭素の排出を増やさないように、エネルギーや資源のムダ使いをやめようという意識があるからだと思います。エネルギーや資源のムダ使いをやめて、節電などの我慢を積み重ねることは確かに大切です。しかし、それだけでは子供が未来に夢をもてません。

 私たちは生きている以上、エネルギーを消費しなければ、今の生活や社会活動が一切止まってしまいます。

 こういう場面で、私が紹介する話があります。それはイースター島とモアイ像の話です。現在のイースター島には森林がありません。しかし調査の結果、過去には豊かな森林が広がっていたことがわかりました。

 イースター島に上陸して生活を始めたのはポリネシア人ですが、彼らは漁のために木を切り倒して船を作り、儀式のために森林を切り開いてモアイ像を作リました。森林はイースター島の暮らしを豊かにしました。しかし、次第に部族争いが起こり、森林は武器に使われたり、焼かれたりもして、ついには失われてしまったのです。そしてそこに暮らす人々もいなくなりました。

 当時の人々は、豊かな森がなくなることを想像できず、万が一なくなった場合に、人は生きてはいけないことを想像できなかったのではないでしょうか。

 ここでは、「イースター島は地球」「森林はエネルギー資源」「当時の人々は私たち」に置き換えて考えることができます。

 過去の歴史を見ることのできる現在の私たちは、イースター島の人々と同じ過ちはおかさないような努力ができます。エネルギー資源が失われつつあると感じれば、使う量を調整したり、代替えのものを考え出すでしょう。失われつつあるものが木であれば、植林をして自然を再生させることもできます。

 つまり人間は経験をすることで成長し、知恵と技術を身につけます。先を予想しこのままいけば取り返しがつかないと感じれば、対応する能力をもっているのです。「地球に人間がいなくなれば一番よいのではないか」などと子供に無用の心配をさせることはなくなるのです。
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次期ネットの仕様

未唯へ。

 体重は、昨日よりも1.3Kg減った。空腹を意識していると、一日で1.3Kgも落ちます。私の身体にはビックリさせられます。とりあえず、木曜日の計測でいくつになるかです。それまでは緊張感の中にいます。朝はマカダミアで昼はしょうがうどんだけです。

 風があるから寒いですね。だから、マフラーをしてきました。70円のエジプト綿のマフラーを巻いてきました。それにしても寒いですね。やはり、最新式の布団乾燥機を買ってきます。

Nextの思い出

 スティーブ・ジョブスの本は立ち読みします。今日はNextの所を読んでいた。プレゼンは成功したが、売れなかった。月1万台の対して、400台。そのうちの一台を買いました。

 研究部門に保管してあれば、価値が出たのに、多分捨ててしまったでしょうね。購入した私も含めて、誰も使えなかった。ちゃんと、高いサイベースまで入れたんですよ。

 UNIXベースで、MAC並の使いよさで、かつオブジェクトでプログラムができるというのが売りだった。それ以前にマックを山ほど入れていたので、NeXTをバックボーンにしたかった。

 高かったのだけは覚えています。建物の設備計画で一つで入れたので、多分、数百万でしょう。まあ、あの頃のワークステーションは300万ぐらいしたから、目立たなかった。実験室用のマシンは2千万から3千万していた。UNIX化で1千万以下にしたから、チャラにしましょう。

ロバニエミの準備

 昼休みに、タワーズの三省堂に、フィンランド関係の本を探しに行きます。名鉄の紀伊国屋がなくなったので、不便です。

 フィンランの指さしは1800円です。フィンランドの現地地図は2100円です。高いですね。防寒具の方が役に立ちますね。

ギリシャ再生

 ギリシャ再生として、兵隊という公務員を派遣するのが一つの手です。ただし、ギリシャ人は熱情的だから、戦闘には向いていないかもしれない。

 第2次世界大戦の時も、イタリアが攻めてきた時に、「イタ公に負けるな」と言って、飛び出していった。そして、勝った。その後に、ドイツ野郎がやってきて、徹底的に、町ごとに潰されていった。成人男性の死亡率は非常に高かった。ドイツとかソ連よりも高かった。

次期ネットの仕様

 自社店もサーバー集約することになります。その時にネットワークは次期ネット並であることが条件になります。

 チャッターとポータルとライブラリを結びつける時が来ました。今のメール文化をコラボレーションの文化にすることが可能になります。お金はそうは変わらない。なにしろ、チャッターがあるのだから。

 ライブラリの中身が変更されたら、ポータルに連絡が来る。これはチャッターの機能そのものです。任意のグループでのディスカッションもメールの替わりのチャッターなら容易にできます。活用方法は販売店で研究しないといけません。

 アンケート部分はできないけど、アピールは容易にできます。それも受けるほうからの申告性です。当然、裏側には企業内のフェイスブックがいます。それを使えば、やらかいつながりも可能になります。

 一番重要なのはライブラリの内容が変わったら、それを連絡して欲しい人に知らせることです。プッシュの究極のカタチです。それ以外はタブレットからのプル機能を使えばいい。これは新機能になります。これはこの室ではできない。SFDCなどと組みましょう。

 以前、30万人のコラボレーションに対して、2000万人のコラボレーションを提案した。それを実現する一歩です。2000万人のインフラは社会側で作れるようにします。

エッセイ作成

 エッセイとして考えるのであれば、もっと一般的にしないといけないけど、それでは埒があかないです。厳密に考えると論理は難しいですね。ドンドン絡まってきます。

 全てを言えない以上は代表で言うしかない。その代表の選び方で論理が変わってきます。数学者としては、そんなことを言ってはおれないので、作り出します。
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