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気候変動問題と経済成長

「環境塾のプレゼンです。あまり、同意できません。3.11以前の考え方です」

中期目標「25%削減」の根拠

 1.人口は横ぱいで推移

 2.エコ製品(太陽電池、定置型燃料電池、電気自動車)の普及と量産効果による価格下落

 3.セルロース系バイオエタノールの実用化

 4.住宅・ピルの省エネ化の進展

 5. 2010~20年の経済成長率は高々平均年率1~1.5%

 6.経済のソフト化(金融、情報・通信、医療・福祉、教育、法務等が経済の中枢部に座るようになること)の更なる進展

 7.人ぴとの環境意識の向上:省エネ、節電、省資源、3R

 8.「若者のクルマ離れ」に象徴されるライフスタイルの美意識の変化

 9.新興国にGHG排出量のBAU予測からの削減率を義務づければ(EU提案)、新興国への(GHG排出量を削減する)投資がCDMではなくJl(共同実施)となり得るから、2国間交渉により、投資の見返りに排出権を取得できる

ポスト京都議定書の国際枠組み

 1.政権交代の結果、米国の参加は確実かと思われていたが、中間選挙の民主党敗北で不透明

 2.EUは90年比20~30%削減、米国はO%

 3.新興国(中国、インド、ブラジル、メキシコ)の参加のインセンティブ:CDM(クリーン開発メカニズム)がJI(共同実施)になるため、先進国から投資を呼ぴ込みやすくなること、排出量取引での売り手になれること

 4.途上国のインフラ整備のために国際緩和基金の創設を

 5.CDMの認可条件の緩和を

環境制約なくして経済成長なし(1)

 1.21世紀は環境の世紀」の意味:
  1)地球環境問題とくに気候変動がより深刻化し、人ぴとの関心を集める
  2)「環境制約」が技術革新・経済発展のパネ仕掛けになる

 2.米国サブプライムローンに端を発する世界同時不況脱出のために、グリーン・ニューディールをオパマ大統領が提案:目下のトーンダウンは否めない(中間選挙の敗北と経済不況)

 3.再生可能エネルギーの活用と温暖化防止(エコ製品の普及、ビル・住宅の省エネ化等)を大不況脱出の手だてに:今後10年間で1500億ドルの公共投資と500万人の雇用創出

 4.何らかの不足・制約の克服がイノベーションの源泉

 5.イノベーションなくして経済成長なし:耐久消費財の普及過程において経済は成長

 6.21世紀の不足と制約は?不老長寿への尽きせぬ願いと環境制約:総合科学技術会議がライフ・イノベーションとグリーン・イノベーションを謳う

 7.太陽光・風力発電、電気自動車、定置型燃料電池、プラグイン・ハイブリッド車、住宅・ビルの省エネ化が経済成長の牽引力となるか否か

環境制約なくして経済成長なし

 2010年代の経済成長を牽引するエコ製品の普及を促す政府の施策:

 1.企業のエコ製品研究開発を促すために、CO2排出削減に資する研究開発費を、所得控除または税額控除する

 2.太陽電池で発電された電力を、電力価格の数倍(ドイツでは4倍)で、電力会社が全量買い取ることを義務付ける(固定価格制度の導入)。菅総理退陣直前に再生可能エネルギー特別措置法が成立(具体案は持ち越し)

 3.乗用車の取得税や保有税を燃費効率に比例させる。つまり、燃費効率の悪い車の税を今より高くし、優れた車の税を大幅に引き下げる

 4.環境税を導入し、低燃費車や省電力設計の家電製品のライフサイクルでの費用を相対的に安くする

 5.排出量取引制度の導入:環境金融の動機付けを期待

 6.コンパクトシティ:近江モデルの提案
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一六世紀に消滅した「帝国理念」、EU帝国で再び蘇る

『終わりなき危機』より

日米が二次元空間に「高さ」を加えた三次元空間(「バーチャル空間」)を構築し、そこで利潤を極大化する戦略をとったのに対して、古代・中世の神聖ローマ帝国が「観念の帝節」だったように、二一世紀のEUは「理念の帝国」の建設に向かっている。

一六世紀には、観念上の帝国と実体的な帝節が相対峙していた。カール五世の「観念の帝国」に対して、オスマン帝国、サファーヅィー朝、そしてムガル帝国の三イスラム帝国は実体的な帝国であった。その後の歴史が証明するように、「ヨーロッパの『帝国理念』は、それが観念であったゆえに、理論的には武力と切り離されても、『理念』として継承されるという特殊性をもったところに、その最大の強みをもっていた」のである。「帝国理念とは、皇帝の権威と聖性、全キリスト教の単一性、帝国の神聖など、さまざまに重層する中世的概念の融合物であった」。

元来、EUはその基本的性格が「陸の国」どうしの独仏同盟である。そのEUが求めたのは「高さ」でもなく、二次元空間の「領土」を支配することでもなかった。「とりわけ重要なのは、EUが領土に縛られた統一体ではないこと」であり、「EUは実質上、真にポスト・モダンの統治機関第一号」ということである。EUは場所(地理)にはとらわれや、「その神髄は不確定性にある」。

EUの「不確定性」とは、カフカが定義した「帝国」に表れている。カフカの「帝国」とは、ハプスブルク帝国の支配下にあったプラハで生まれたフランツ・カフカが、短編小説『皇帝の親和』で示唆している。EUとカフカの帝国の共通点は、「カフカの『帝国』は、中心も『全体』もない情報の『帝国』へと接近することになる」点にある。

ハプスブルク帝国の帝国理念は、三〇年戦争の勃発とともに消滅する。「紆余曲折を経て、帝国理念にとって替わったのは、狭義ドイツのナショナリズムであった」。そのナショナリズムは、EU帝国が誕生し、「ヨーロッパ市民」意識の高まりとともに、消滅する運命にあるといえよう。

EUの特徴は、独仏政治同盟であると同時に「理念」の帝国、あるいはポスト・モダン帝国であるという点にある。EU帝国とは、「権威による支配」の方策を追求する「中世キリスト教」帝国の再来である。EU帝国の本質が独仏政治同盟であるのは、「フランスこそヨーロッパの真の中心」という事実からもうかがえる。そのことは、西ドイツが一九九〇年一〇月三日に束ドイツを併合した際の通貨の交換比率が一対一だったことにも表れている。

経済力の格差からすれば、当時、マルク一に対して、東ドイツのオストマルク一○が適正な交換比率といわれていた。東ドイツが一〇倍の対価を払って、しかも当時、東西ドイツ統合は非現実的といわれていたにもかかわらず、ドイツが再統合をなしえたのは、フランスの協力があったからである。すなわち、独仏は、シヤルルマーニュがつくった「祖国ヨーロッパ」再建への強い意志を共有していたのである。

ヨーロッパの統一の歴史は、古くはフランスのアンリ四世の宰相シュリー公爵の全ヨーロッパの統合を目論む「大構想」や、英国に敗れた後のナポレオンの構訃、そしてヴィクトル・ユゴーの「ヨーロッパ合衆国」構想など、近代国家誕生のときに遡ることができる。

「ユゴーは、ヨーロッパ統一の呼びかけが馬の耳に念仏同様だったことに別に驚きはしなかった。事実、彼は『機が熟した時のアイデアほど強いものはない』」と考えていた。一九八九年一一月にベルリンの壁が崩れたとき、まさにユゴーのいう機が熟したのである。

一九九二年の条約でEU「理念帝国」が現実味を帯びてくると同時に、米「金融帝国」が誕生する。その「金融帝国」がリーマン・ショックで躓いたことによって、「現在の主権国家システムの最大の欠陥は、世界的公共財の担い手を欠いていること」が明らかとなる。国家を自由に瞬時に超える巨額のマネーは、一国家では手に負えなくなってきた。

バブルを多発させ、資源価格を高騰させる世界の余剰マネーをコントロールする世界的公的機関は存在しない。国境を越えて解決しなければならない環境問題に関しても同じである。
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垂直農場のメリット


『垂直農場』より

「こんなことも考えている。本当のコンパクトシティですね」

1 年間を通して収穫できる

 農業が始まったときから、作物の生産は季節と結びついていた。熱帯気候においてすらそうである。世界のどの地方でも、年間の時期、気候のパターン、土壌の種類によって、特定の作物の収穫量が決まる。収穫量が最大にならないのは、昔から、作物が成長しきったころに悪天候にみまわれるか、降水量が増えすぎる、または減りすぎることによるものだった。たとえばここI〇年、インドの大部分の地域では雨期の到来が遅く、活発な時期も短い(降水量はほぼ同じだが)。もちろん昔とちがって、いまは一年間もつほどの水が地面にしみこまず、洪水がしょっちゅう起きる。その結果、表土がおそるべき速さで失われ、収穫が近い時期の水不足によって作物が枯れてしまうことが多い。インドじゅうの多くの地域で、農業排水は制御不能になっている。もうひとつ、不安定な雨期の望ましくない結果として、膨大な数の農家が都会に移り住み、おもな都心のすべてで急速にスラム化か進んでいる。自治体サービスにはますます負荷がかかり、すでに限界を越えてしまったところも多い。水に関連することをほとんど雨期に頼っているほかの地域も、似たような運命に苦しんでいる。

2 気候に関連した不作がない

 屋内農業をする人は、雨や陽射しや適度な気温について祈る必要がない。それを言えば、作物の生産に関連したあらゆることについて。なぜなら、すべてをコントワ・IルできるからだI気温も、湿度も、光の量や植生の密度も。ここ数年、食物の生産方法を永久に変えてしまうような破壊的な異常気象が、地球規模で起きている。洪水、旱魅、竜巻、電、サイクロン、(リケーン、強風-こうしていくつか挙げるだけでも、いまや屋外の農業が、よくて「不安定」な職業であることがわかるだろう。

3 農業排水が出ない

4 生態系システムの回復をうながす

 もし農業の多くが都市内でおこなわれるようになれば、世界の農業のエコロジカルーフットプリントは小さくなる。たいていの作物について、屋内栽培に必要な面積ので‥)~二〇倍をもとの広葉樹林に戻すことができる。屋内の場合、年間を通じて栽培ができ、厳しい気候条件で作物が失われることがないためだ。大規模な環境復元は、私たち全員がやりたいことの上位に挙げるが、農業に多くの土地が必要だから現実にはむずかしいと考えられている。近い将来、増えつづける人口分の食糧を作るために、さらに土地が必要となれば、なおさらだ。

5 殺虫剤、除草剤、肥料を使わない

 垂直農場は、安定した屋内に設けられた最先端の水耕・空中栽培技術を用いる。建物は、昆虫や微生物など、世界じゅうの屋外で必要以上の栄養を得て農地を混乱させている迷惑な客が入らないよう設計されている。従来の農民は、作物へのこの攻撃に対して、さまざまな武器で立ち向かわなければならなかったII殺虫剤と除草剤である。さらに、栄養が枯渇した土壌で収穫を最大にするために、肥料も欠かせない。

6 水の使用が七〇~九五%減る

 今日、伝統的な農業は地球上で手に入る淡水全体の約七〇%を使用し、その過程で水を汚染して、下流に住む生物が使えないものにしている。これと対照的に、水耕栽培とさらに新しい空中栽培の技術は、水の使い方を大きく改善して、有害な副次効果をもたらす農業排水なしに植物を育てることを可能にした。「閉鎖ループ」または「自己完結型」システムで水耕・空中栽培をおこなえば、膨大な量の水を(極端な場合には九五%も)節約できる。このふたつの栽培法は、持続可能な食糧生産方法としてNASAと欧州宇宙機関が出した答えであり、将来的には月や火星でも栽培が可能になる。同様に、垂直農場による農業が完成されれば、地球上のどこにおいても食糧生産ができるようになる。垂直農場プロジェクトの長期的な見返りはここにある。

7 フードマイルが大幅に減る

8 食と生産の安全が管理しやすい

9 新しい雇用機会が生まれる

 垂直農場が始まれば、多くのレペルで無数の新しい機会が生まれる。地方自治体は垂直農場を利用して、一度は商用に使えないほど荒廃した都市のスペースを復活させることができる。垂直農場が作られた地域は、ほかにも新たな開発を引き寄せ、都市の食品砂漠(訳注-生鮮食品を安く買える店がほとんどない地域)を過去のものにする。二〇〇九年、ニューヨーク市、サンフランシスコ州、オレゴン州ポートランド市の都市部の農民におこなった調査によると、彼らは都市で生活すると決めたあとで農業に興味を持ちはじめた。都市のライフスタイルを維持したいと同時に、自分たちの食べるものをいくらか育てたかった。ほとんど全員が農業を独習していたが、高層ビル内での栽培が普及すれば、一連の新しい職業が発生するだろうIマネジャー、屋内管理農業スペシャリスト、廃棄物エネルギー化スペシャリスト、そして苗栽培、植えつけ、監視、収穫、選別、販売を担当する農場労働者など。

10 処理水を飲み水に浄化する

11 収穫後の植物を動物の飼料にする

 垂直農場で作物を育てるのにかなりの電力が必要だとしたら、于不ルギーの保全がひとつの課題となる。その場合、収穫したあとの残りの作物を燃やせば、子不ルギー回復の有効策になるだろう。それが必要ない場合には、作物の種類にもよるが、残った部分を動物の飼料にできるかもしれない。
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シリアの歴史

「今後は観光立国に行ってもらいたい」

●シリアの源流

 紀元前3000年以降、アラビア半島から移住してきたセム語系の諸民族が、現在のシリア地域に住み着いたのが起源である。その後、エジプト、ヒッタイト、アッシリア、新バビロニア、アケメネス朝ペルシャなど支配民族が次々交代した。前4世紀のアレキサンダー大王が現在のヨルダンまでをも含むシリア地域を支配下に収め、それを契機に交易が活性化し、ダマスカス、アレッポなどの都市にヘレニズム文化が開花した。

 紀元前3世紀にシリア砂漠に興った都市国家パルミラは、東方貿易の重要な中継地として繁栄した。前63年に地域一帯を支配した口ーマ帝国とも共存関係を保ち、石造りの壮大な都市を造り上げた。しかし、3世紀後半にパルミラはローマ帝国からの独立をもくろみ、あえなく破滅の道に突き落とされた。

●イスラムの時代

 7世紀にメッカでイスラム教が興り、アラプ人がビザンチン帝国を駆逐してシリア地方の支配権を握った。シリア人は言語や文化の近いアラプ人の支配を歓迎し、イスラム教に改宗。 661年に成立したウマイヤ朝がダマスカスをイスラム帝国の首都とした。しかし、750年にアッバース朝が支配権を奪い、都をダマスカスからバグダッドに移すと、各地に小王国が乱立する抗争の時代に入った。 11世紀には十字軍がシリア各地への遠征を開始し、地中海沿いに城を建設した。 12世紀にイスラム軍は英雄サラディーンを中心に対抗、第3回遠征の十字軍と壮絶な戦いを演じた。

●近世・現代シリア

 13世紀からマムルーク朝が支配権を握っていたが、16世紀以降はオスマン朝がビザンチン帝国の旧支配地、2大聖地メッカとメディナ、エジプトなどを支配し、シリアもその属州のひとつになった。強大な勢力を誇ったオスマン帝国も18世紀頃から徐々に衰退の兆しを見せ始めた。1830年代にはエジプトがシリアを支配し、それはほんの一時的なものにすぎなかったが、帝国主義の時代に入りつつあったヨーロッパ列強に紛争介入の口実を与えることになった。

 アラブ民族主義の勃興やオスマン帝国からの独立運動は、第1次世界大戦中、イギリス人「アラビアのロレンス」の支援する「アラブの反乱」へとエスカレートし、大シリア帝国の独立が実現するかに見えた。しかしイギリス、フランス両国は大戦中にレバントとメソポタミア地域のオスマン帝国領土を分割する秘密協定(サイクス・ピコ協定)を締結。戦後、シリアはフランスの実質的植民地となった。当時の協定ラインが、現在もおおむね国境線として残されている。

 1946年にシリアはフランスの委任統治から独立を果たしたが、第1次中東戦争の敗北で政情が不安定化した。アラブの統一という壮大な理想に基づいて1958年に結成されたエジプトとのアラブ連合共和国も短命に終わった。 1963年にバアス党が単独政権を樹立すると、政府は社会主義政策を急速に推し進めた。1967年の第3次中東戦争敗北とそれにともなうゴラン高原喪失などの混乱の後、1970年に前大統領のハーフェズ・アル・アサドが無血クーデターを成功させた。現在では息子のバッシャール・アル・アサドが元首を務める。レバノン レバノンの国名はセム語で山の色を表す「自」を意味している。冬には2000m級の山々が雪に覆われ、夏にははるか遠くにその石灰岩の斜面が白く光る姿がこの国を象徴しているためだ。

 古くから数多くの王や将軍がこの土地の支配に成功したとき、自らの勝利に酔いながら永遠の統治を願ってドッグ・リバーのほとりに碑文を残した。世界が地中海を中心に動いていた頃、この土地を制することは世界を制することであったからだ。

 国土の豊かさ、気候の温暖さにおいて、ほかの中東諸国の追随を許さないレバノンは「中東のスイス」とも呼ばれ、アラブ諸国のなかで唯一、不毛の砂漠がない国として、湾岸をはじめ近隣諸国からの避暑地として、また東西の貿易の中継点として繁栄の極みにあった。しかし、かねてから饉積していた各宗教間の力関係の不均衡が原因となり、1970年代に内戦へと発展した。

 暗いニュースが続くなかで、レバノンといえば物騒な国というレッテルを貼られてしまった感がある。だが、その後の治安の改善は著しく、観光という意味では長く忘れられていたこの国も、南部を除いては多くの観光客を引き寄せるほどに返り咲いた。

 レバノン観光の3Bと称されるベイルート、ビブロス、バールペックをはじめ、見どころは多く、国内にはフェニキア、ギリシア、ローマほか各時代の遺跡が点在し、最近は観光名所の再オープンが相次いでいる。

 ただ、現在でも続くイスラエルとパレスチナの問題はこの国の人々にも重くのしかかっており、特に南部では戦闘行為の危険性が高い。首都のベイルートには70年代の内戦、80年代のイスラエル侵攻、そして2006年のイスラエルによる空爆によってできた廃墟が残る。これらを見ると、遠い国の争いごととして忘れ去ってはいけないと、強く訴えかけてくるように感じる。レバノンの旅行は、すばらしい文化的遺産と根強く残る文化や宗教の争いを身近に感じる感慨深い旅になるはずだ。
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数学者になる本の照会

『ヤングアダルトの本』より

「数学者になるためには、好奇心と財政力が必要です。食べていかなくても生きていくこと。それを本から学ぶとしたら、デカルトなどの哲学書とトルストイ。ドストエフスキーの本のような気がします」

 289.1『春の草―私の生い立ち』 世界的大数学者にして、「日本人は何を学ぶべきか」を世に問い続けた名随筆家・岡潔が遺した「私の履歴書」。

 289.1『岡潔一数学の詩人』 岡潔(一九〇一一七八)は日本が生んだ世界的な数学者であり、心洗われるエッセイ集「春宵十話」の著者としてもよく知られる。独創的な構想を生み、相次ぐ大発見に結実した人生と学問を、遺された研究ノートに追う。二〇世紀の数学に屹立する雄大なスケールの数学者の、秋霜烈日の生涯を描く。

 289.1『数学者・宇野利雄との約束』 言うことが新しすぎて理解者の少なかった父、学会ではアウトサイダー的な存在だった父、その半面、非常に温厚な紳士で多くの後進を育て、慕われた父。名誉栄達にはまったく無頓着で、研究・学問には厳しく、ために孤独感も味わっていたーしかしその生涯は、かくも幸福な学究の徒であった。

 410.28『いいたかないけど数学者なのだ』 数学に生きた奇人・変人、そして数学に燃え、殉じたS君など、生身の数学者の日々を愛情を込めて描写。また、自分でいろいろやってみると面白さを感じる「数学の講義生中継」も紹介。エクセルを操作しながら読むと、数学がいっそう身近になるだろう。

 410.28『数学まなびはじめ 第2集』 「数学のたのしみ」(上野健爾・志賀浩二・砂田利一/編集)では、創刊以来、「数学まなびはじめ」という欄を設け、毎号、1人の数学者に数学者への道のりを語ってもらった。今回、この「数学まなびはじめ」の記事を2冊の単行本として刊行することになった。なお、本書には「数学のたのしみ」第17号から第30号までの記事を掲載順に収録した。

 410.28『数学まなびはじめ 第1集』「数学のたのしみ」(上野健爾・志賀浩二・砂田利一/編集)では、創刊以来、「数学まなびはじめ」という欄を設け、毎号、1人の数学者に数学者への道のりを語ってもらった。今回、この「数学まなびはじめ」の記事を2冊の単行本として刊行することになった。なお、本書には「数学のたのしみ」第1号から第16号までの記事を掲載順に収録した。

 289.1『若き日の思い出一数学者への道』 日本数学界の基礎を築いた、数えで百歳になる数学者が瑞々しく綴る半生記。

 060、6『ボクは算数しか出来なかった』 著者は幼い頃から数に特別の興味を示し、豆を数えて遊んでいたという。小学校時代は算数以外できず、学校も嫌いだった。数学者となってからはプリンストン高級研究所に招聘され、フィールズ賞を受賞する。数々の業績も「数学の世界に遊んでいるうちに何となく自然にできた」ことだという。数学三昧のユーモアあふれる自伝。

 914.6『父の威厳数学者の意地』 冷厳なはずの数学者が、涙もろくて自他共に認める猪突猛進?!妻、育ち盛りの息子三人と暮す著者。健全な価値観を家庭内に醸成するためには、父親の大局的認識と母親の現実的発想との激論はぜひ必要と考えるのに、正直、三人の部下を従えた女房の権勢は強まるばかり。…渾身の傑作「苦い勝利」、文庫初収録の15編など、父、夫、そして数学者としての奮戦模様を描いて、本領全開の随筆66編。

 410.28『エピソードでつづる数学者物語』 本書は、数学教育を意識して単にエピソードを寄せ集めただけでなく、生徒たちに何等かの感動を与えたり、あるいは人の生き方について少しでも参考になることもできるだけ取り入れて書いた。

 914.6『数学者の休憩時間』 コンビュータにはなく、人間の思考にだけあるもの、それは「死」の感覚と「他人の不幸を思いやる気持ち」。数学者だからこそ見極められた明晰な論理の底には、深い情緒が流れている。妻の初産にうろたえる夫の心、思考の限界に挑む学者の気概、父・新田次郎の足跡をいつくしむ旅の日記。そしてちょっとトボけた身辺雑記。数学者にして名うてのエッセイストが贈る、選りすぐりの随筆集。
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西ドイツ再生可能エネルギー

『ドイツは脱原発を選んだ』より

再生可能エネルギーとコスト

 買取制度によってもっとも祷益しているのは太陽光発電であり、二〇一一年で消費者が再生可能エネルギーでつくられた電力を購入するにあたって支払うコストの五一%を占める見込みだ。次がバイオマスで、その次が風力発電となっている。現在、太陽光発電が買取制度の恩恵に浴しすぎていると言われている。なぜかというと、太陽光発電は再生可能エネルギー発電の二%ほどでしかないにもかかわらず、再生可能エネルギー発電電力が買い取られる費用の約五〇%を占めているからである。そうすると、太陽光はほかの再生可能エネルギーより何倍も値段が高いので、全体としてコストが上がりすぎる。

 原発問題倫理委員会に加えて、もう一つ私がメンバーとなっている政府の環境諮問委員会は、この再生可能エネルギーのコスト上昇を心配している。コストがあまり急に上がると、再生可能エネルギーに反対する声が大きくなってしまう。私たちは、この買取制度のバランスを取り直すこと、つまり、風力、バイオマスなど、太陽光より発電効率がよいエネルギーシステムにもう少し資金を回した方がいいのではないかということを、政府に提案した。

再生可能エネルギーをやりくりする

 ドイツの原発は、旧西ドイツ地域に集中している。旧東ドイツ地域にあった原発の安全基準は西ドイツのそれに照らして不十分だったので、ドイツ統一後にすべて停止された。そのため、原発を止めるにあたっても、原発の有無によって地域ごとに影響が変わってくる。どこでどのようなエネルギーをつくるのかが問われている。

 再生可能エネルギー発電のなかでは、風力発電の割合が最も大きい。特にデンマークの隣に位置する北部のシュレースヴィヒトホルシュタイン州、ニーダ・ザクセン州では、風力発電が盛んだ。南部のバーデン目ヴュルテンペルク州(工業、とくに自動車産業が盛ん。前述のように、三月の選挙で緑の党が躍進した)やバイエルン州では、比較的天候がよいため太陽光発電が行われている。とはいえ、ドイツでは日照時間は少なく、太陽光で電力はそれほどつくれない。したがって、再生可能エネルギー中心でやっていくには、風力の電力を北から南まで持っていく必要がある。そのため、南北をつなぐ高圧送電線が必要となってくる。ドイツ政府はいま、北から南までの高圧送電線敷設を計画しており、これには五-一〇年はかかると考えられる(図10)。敷設のコストを支払うには、二酸化炭素排出権の買取制度で入ってくる資金を使うこと、また、電力料金を少し値上げすることが必要になるだろう。なお、風が吹かない日、あるいは太陽が出ていない日には天然ガス、時には石炭による火力発電で不足分を補うことも考える必要がある。

新しいエネルギーシステム

 ドイツはいま、新しいエネルギーシステムをつくる計画を立てている。私にはまるで、かつてのアメリカのアポロ計画(有人月探索計画。一九六一-七二年)のように大きな挑戦に思えるのだが、ドイツ全国に高圧送電線を張りめぐらせ、再生可能エネルギーのネットワークをつくり、電力の八〇%を再生可能エネルギーからつくりだそうというものだ。また、エネルギー効率を高めて、エネルギーの需要量自体を小さくし、再生可能エネルギーによる発電を増やしていく、という計画もある。

 他にも、次世代の電カシステムとして、スマートグリッドという構想がある。これは、冷蔵庫や洗濯機、車などが電池になるようにするもので、風が吹かない日でも、前の日の強風による電気が車に充電されていれば、その電力を使うことができる、という仕組みだ。このスマートグリッドが将来可能になるのではないかと考えられている。スマートグリッドが実現すれば、ドイツの経済は強くなっていくだろう。初期のコストは高いかもしれないが、将来を考えると、いまはこのような仕組みづくりに投資して、再生可能エネルギーヘの転換を実現させていくことが求められる。ただし、スマートグリッドには家庭内の電力使用状況が公開されてしまうという問題もあることを念頭に置く必要がある。

脱原発へ

 原発問題倫理委員会の委員長クラウス・テプファーは、国連環境計画(UNEP)の事務局長を務めた経歴を持ち、チェルノブイリ原発事故後には環境大臣になった。国内的にも国際的にも著名な人物だ。かつて彼は原子力を推進していたが、チェルノブイリ後には反対に転じている。

 原発問題倫理委員会には、原子力に関与している人が一人も入っていない。メンバーには原子力の専門家はおらず、カトリックの枢機卿とプロテスタントの牧師が一人ずつと、また、消費者問題を研究している教授などから構成されている。どのようなエネルギーが提供されるべきかは、電力会社ではなく、社会が決めるべきだと考えられたからだ。

 前述のようにドイツの原発は、フクシマの危機後に古いもの七基が停止し、もう一基、数年前から技術的問題で停止しているものがある。二〇一一年七月八日に成立した脱原発法では、残りの九基のうち、二〇一五年、二〇一七年、二〇一九年に一つずつ停止され、三つは二〇二I年までに停止、残りの三つは二〇二二年までに停止と定められた。原発問題倫理委員会はI〇年以内に全原発を停止という提案を行った。可能なら残りの九基も二〇二一年までに停止されることが望ましいのだが、再生可能エネルギーの拡充に時間がかかることが予想されるため、二〇二二年が脱原発のデッドラインとなったのである。
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エッセイ化は可能性をなくすこと

未唯へ

 今日の昼はケンタッキーのチキン南蛮です。一応、割引クーポンは貰ってきた。これを使います。

 昨日の夜は足が痛くて、眠られなかった。ズックの右足の短い性でしょう。今日は普段着に革靴です。

エッセイ化を始める

 本を片付けて、エッセイしかない状態にしてから、寝てしまいました。追い詰められるとダメですね。だけど、これを超えていかないといけない。あの狭い世界からどのようにして、答を作り出していくか。

 大量データから答を出そうとしている時は楽です。絞り込んだ所から言葉をつくっていくのは神経が疲れる。

ネットワーク管理部署

 ネットワーク管理部署の担当者はハッキリしない。だから、こちらで結論を付けさせて貰います。

 販売店ネットワークは限定された、小さなものではありません。これは社会のインフラともつながっていくものです。その部分が理解されていない。何しろ、販売店を中心とした3つのループを循環させないといけない。

環境社会のエッセイ

 未唯空間8-2の環境社会のエッセイ化作業を始めました

 どうなっていて、どうしようとしているか。それに対してどう考えてどう提案するかこれがグランドデザインです。どうなっているかは、割と乱雑です。

 環境社会といいながら、最初のエネルギー問題のところで、答まで出しています。エネルギー地産地消です。まあ、手っ取り早いけど。分からない人には分からないでしょう。

 環境問題の整理のところでは、4つの問題をそのまま、バラバラに出しています。エネルギー問題、温暖化問題、ごみの問題、人口減少です。これらはつながっているはずです。

 バラバラに出している理由はバラバラで進められているから。これをファクターでまとめるとしたら、エネルギー問題はグローバルでは限界を超えているということです。フクシマでもリーマン・ショックでも証明されました。

 だけど、分けていくしかないけど、分けていくための方法論です。温暖化の問題は結果として問題になるということです。ただ、エネルギー問題に対して、大きな制約になっている。

 CO2を出さないということと、エネルギー問題は矛盾があります。CO2を出すことで、エネルギーを作り出してきた。エネルギーを出さないのに、CO2を減らすのであれば、少しは分かります。

社会モデルの出し方

 提案することから考えると、何が違うかです。多分、一番違うのは社会モデルというものを考えていることです。社会モデルを作り上げた過程はあまりにも長いです。3年は掛かっている。

 環境塾でも社会モデルの概念が必要です。環境塾でコミュニティを作るときを想定して、社会モデルの本質を説明します。焦らずに、一つ一つのブロックを積み上げていきます。
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