古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

あま市と大治町を歩く

2015-02-08 | 旅行
2月7日、名鉄のハイキングに出掛けました。朝は冷え込みましたが、青空が出て風もないようです。絶好のハイキング日和になりそうですので、一昨日新聞で見たあま市と大治町のハイキングに行くことにしました。海部郡は愛知県生まれですから、勿論名は知っていますが、電車で通り過ぎたことは度々ですが自分の足で地を踏んだことはありません。一度行ってみようと、寒い時期ですが参加することにしました。
 8時15分家を出て、名鉄須ケ口駅に9時10分、受付で地図を貰い歩き始めて、すぐ五条川にぶつかる。岩倉を流れている川だが、海に近いだけ川幅は岩倉辺りの倍はある。1kmほど歩いて最初は萱津神社です。萱津神社は、日本武尊が東征の途中に参拝したと伝えられる古社で、全国でも珍しい漬物の神様です。

 奥の方へ行くと、香の物殿というのがありました。
賽銭箱の後ろに漬物石があります。これを3回なでると漬物上手になれるそうな。
日本人は何でも神様にしてしまうらしく、漬物石まで神様にしてしまった。
次に目指すのは甚目寺観音です。3kmで来ました。

伝承によれば、推古天皇5年(597年)[1]、伊勢国[2]の漁師である甚目龍麿(甚目龍麻呂、はだめたつまろ)が漁をしていたところ、当時海であったこの地付近で観音像が網にかかり、その観音像を近くの砂浜に堂を建て安置したのが始まりという。この観音像は、敏達天皇14年(585年)に、物部守屋、中臣勝海の手によって海に投げられた3体の仏像のうち1体(聖観音)といわれている。残りの2体のうち、阿弥陀如来は善光寺、勢至菩薩は安楽寺(太宰府天満宮)にあるという。
近くに歴史民俗資料館があったので覗いてみた。
商工会館と同居で3Fが展示室になっている。やっこらしょと3Fまで上がり、展示物を見た。「あま市の戦国武将」というパンフが置いてあったので、手にとってみると、蜂須過小六、福島正則が載っている。小六や正則はこの辺りの出身らしい。

資料館を出て、今度は大治町まで歩く。町役場の近くの「明眼院」という眼の神様を目指す。金剛力士像が印象的でした。

かつて仁王門に安置されていた2躯の金剛力士像。13世紀末〜14世紀初頭の鎌倉時代の造立とされる。阿形・吽形ともに片腕の先が欠損しているがその造形から慶派の仏師によるものと考えられており、2011年(平成23年)に町指定文化財になっている。


 なお、仁王門は明治24年の濃尾地震で倒壊して撤去された。現在、仁王像は旧仁王門跡地に屋根付きの格子に被われた状態で置かれている。本堂にの前で参拝したら、中の女性が「眼の仏様です。拝んで行ってください」と言う。えっ、神様でなく、仏様なの。
明眼院を出てまた歩く。今度はまたあま市。旧七宝町だ。
あま市は、2010年(平成22年)3月22日に、海部郡七宝町、美和町、甚目寺町の3町が合併して誕生した(愛知県の平生の大合併最後の合併である)。歩いてみるとかなり広い。疲れたので途中、コンビニにより、珈琲を頂く。おにぎりを仕入れた。
 この時ミスをした。地図を落としてしまったのである。まぁ大勢歩いているからついていけば道はわかる。皆についていくと佐藤醸造に着いた。明治7年創業という老舗で、此処で豚汁をちそうになる。お握りを一緒に食べて昼食をとった。ここで味噌蔵を見学。

味噌蔵を出て歩くと、途中で七宝焼きの原産地と言う標識が建っていた。

今度は旧七宝町のアートヴィレッジに向かう。
アートヴィレッジ、入館料は団体料金で¥250.見事な展示作品を見学した。

アートの見学の後は、いよいよゴールの神明社だ。
11.5kmを無事に歩いてゴール受付。地図の番号で記念品を貰えるのだが、地図を紛失したので、完歩賞だけ貰う。「神明社」と言う割には神社らしい建物がない。でもここが最後だ。「七宝駅まで何キロある?」スタッフに聞くと「キロと言うほどありません」。安心して↡標識の矢印の方向に歩い始めたら神社があった。これが「神明社だった。「神社の由来」の碑があった。天照大神を祀る村の鎮守様のようです。

因みに、「神明社」と称する神社は全国に一万社以上あるという。
名鉄の七宝駅に着く。今日は12㎞歩いた。名古屋駅経由帰宅したのは午後2時。この後プールへトレーニングに行く予定だったが、疲れてしまったので止める。昔は12㎞ぐらい歩いても疲れるということはなかったが、年の所為か体力が衰えた、走っても泳でも歩いても、体力の衰えを感ずる。やむを得ないか。

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