古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

日銀問題を考える

2008-03-22 | 経済と世相
 【日本銀行は7日の金融政策決定会合で、当面の金融政策の現状維持を決めた。福井総裁にとって任期5年の最後の会合も、13ヶ月連続の金利据え置きで終わった。・・・世界の「カネ余り」の一因と批判される超低金利政策からの転換は果たせなかった。】と朝日が伝えていました。(3月8日)

 以下は、水野和夫氏の主張ですが(水野著「虚構の景気回復」による)
【通貨量が多いとインフレになり、少ないとデフレになるというのが一般的な考え方である。しかし、こうした考え方は、もはや当てはまらない時代になっているのである。】
 氏の計算によると、「マネーサプライ伸び率―実質GDP伸び率をx、yをCPI伸び率とすると(OECD加盟国のうち21ヶ国の統計による)
   1971~90年で、y=0.70x+1.18(R^2=0.74)
   1995~04年で、y=0.12x+1.51(R^2=0.23)
 R^2(R2乗)は決定係数です。つまり90年迄は、物価の変動は通貨量で74%は説明できる(1%通貨量が増えると物価は0.7%上昇)が、経済がグローバル化した95年以降は、通貨量の変動で説明できる物価上昇は23%(それ以外の影響が77%)で、1%の通貨量の増加で上昇する物価は0.12%という意味です。
 これは、国立銀行が通貨を増しても、グローバル化の時代では、それが国内ですべて流通する保証はないことが原因と私は思います。
 次に、通貨量でなく、為替相場と物価の関係を考えます(購買力平価説を検証する)。
 yは対ドル為替レート変化率、xを対米インフレ率(生産者物価)格差(データはIMF)、
   1973~94年で、y=1.04x+0.18(R^2=0.75)
   1995~05年で、y=0.32x-0.10(R^2=0.21)
 この式の意味は、為替相場が物価に影響する度合いは、グローバル化の時代には、小さくなっているということです。モノの売買取引よりマネーの売買取引が100倍近いといいますから、物価と為替相場の関連も少なくなった?
 では、為替相場は何が決めるか?水野氏は【グローバリゼーシヨンは政治が為替レートを決める時代】という。
 日銀は「通貨の番人」と言われる。具体的には、金利と通貨量(時には為替相場)を操作して物価を安定させるのである。ところが、通貨量を操作しても効果がない。為替相場を操作する政治力が日本にない。金利を操作できるかというと、銀行救済のためのゼロ金利のまま。低金利は、国債費のコストを下げるので政府はひそかに歓迎している。つまり金利が上げられない。
 要するに、日銀は打つ手がなくて立ち往生している。
 中央銀行が通貨の安定のため有効な施策を取れないということは、、一国の政策でその国の経済を動かせない。つまり、「国民国家」の態をなさない。
 実は、グローバル化の時代とは16世紀に始まった「国民国家」の時代が退潮しつつある時代です。
 日銀総裁空席は、単なる人事の問題でなく、根の深い問題です。

 同志社大教授の浜矩子さんは、19日の中日朝刊で”「空席」の功罪”と題して寄稿しています。
【政策の空白は確かに良くない。だが、妙な目鼻立ちをつけるくらいなら、空白もまたよし、という場面もあるかもしれない。怖いのは、どんなに懸命に目鼻立ちを整えても、結局のところ何も全く変わらない場合だ。なんといっても、これが一番「空」しいだろう。】

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