古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

家計と福祉の逆サイクル

2005-03-22 | 経済と世相
 文藝春秋の4月号が面白い特集を組んでいました。「定年後の生き方」です。巻頭
で,堺屋太一さんが『団塊の世代「最高の10年」が始まる』と論じています。
【「団塊の世代はこれからむしろ真可処分所得が増える」・・・
・・・まず子供の教育費。大学生一人にかかる費用は、平均で155万6千7百円。
標準的な団塊家庭は子ども二人ですから、年間年間300万円を越える負担でした。
それが60代になる頃には、・・・負担がなくなります。・・・年平均120万96
00円も払ってきた住宅ローンが、この時期にはほぼ完済します。・・・第三に、親
がなくなると、介護の負担がなくなり、場合によっては遺産収入が入ってくる。・・
・定年を迎えた団塊家庭の家計をありのままに分析すれば、かってない豊かな消費者
の像が現れてきます。】
【・・・「暗い定年後」という偏見を捨てて、実態をありのままに見つめた時・・・
浮かび上がってくるのは団塊の世代の「最高の10年」】と言っています。
 堺屋さんの主張は少し楽観的に過ぎるきらいはありますが、『この世代で健康に不
安がないならば』という留保条件をつければ、概ね正しいと私は考えます。でも、私
がこの論文を特に紹介したのは、この点ではなく、堺屋さんの次の主張を紹介した
かったからです。

 【では何故、現在の団塊世代や60代の間に不安が立ち込めているのでしょう。
 まず一つは官僚たちが連日のように悲観シナリオを流している・・・官僚は例に
よって恐怖と不安を煽って、自分たちの権限を拡大しようとしているのです。
 そして、もうひとつには、家計と福祉の逆サイクルが出来上がっていることです。
若者から年金保険料や医療保険費を取り上げて、これを高齢者に年金や医療費などの
かたちで支給しています。公的なお金は若年層から高齢者に移転しています。
 ところが、家計では、高齢者が子供の世話をやく。子供の結婚資金の面倒をみた
り、住宅購入の頭金を出したり、孫の入学金を与えたりする。家計のレベルでは、上
の世代から下の世代へお金が流れている。しかも、この逆サイクルの途中では、役人
たちが介入して膨大な手数料を手にしている。社会保険庁問題はそのひとつに過ぎま
せん。
 この無駄な循環によって、上の世代には老後の不安が生まれ、下の世代には将来へ
の失望を招いている。】
 
 『無駄な循環を廃止する』。社会保障の再設計にはこの観点が必要だ。全く同感で
す。

ドーアさんのホリエモン考

2005-03-22 | 経済と世相
 ホリエモンがマスコミを賑わせています。識者の分析が新聞や雑誌に掲載されていますが、今回の問題を外国人はどう見ているかを知る上で,3月20日の中日新聞、ロナルド・ドーア氏の論説が面白かった。

【経済同友会の北城代表幹事は言う。「・・新株予約権の大量発行計画は、株主価値を希薄化するもので問題だ」。アメリカの機関投資家サービスの東京代表もメンバーへの報告でニッポン放送買収劇のいきさつを詳しく説明した後、ひねくってこう締めくくる。「この劇に登場する役者のなかで、一般株主のことを気にして考えたことのある人が一人いるかどうか、つまびらかでない。」
・・一般株主だけでなく、買収劇の報道にあまり出てこないもうひとつの利害関係者は従業員である。
 20年前に敵対的買収が日本人がすることでないとされていた時、企業は単なる働き先でなくて、一生その組織の中で働いてきた生え抜きの取締役、社長達をリーダーとする準共同体とされていた。企業は人なり。企業組織は人間と人間の関係なり。株主に安定配当さえ払えば、後は共同体の将来とメンバーの給料を優先すればよい。企業の成功の秘訣は社員の共同体意識に基づいた努力・忠誠・関わり方である。そうした意識をカネの力で変えれると思うのはドライすぎる――とされていた。
 当時、その「従業員主権」の思想が支配的であったひとつの条件は、株の持ち合い制度であった。今,「株主主権」に変えるのに、株の持ち合い関係が大幅に解体された。――政府の改革論者に政策的に解体させられた――ことが大きな要因である。
 持ち合い制度が完備されたのは、1960年代、資本自由化に直面した時、米国の大企業からの乗っ取りを防止するためだった。今度提出される「近代化」会社法案も同じ心配を起こしている。――外資会社にも自社株発行を許す規定をめぐって。そして、53のポイズン・ピル(毒薬)の代わりに「買取防止策」が表面化してきた。経済産業省がポイズン・ピル研究会を立ち上げるし、自民党は、買収を許すのは東京で上場している外資系企業だけにすべきだと主張する。
 企業買収の問題をナショナリズムの観点から考え直すのはいいが、従業員イズムの観点からも考え直してはどうだろうか。

 また、北城氏は【時間外取引による株取得について,違法ではないにしても、「フジテレビが株式買い付けを実施している中では好ましくなかった。・・社会の一員として行動すべきだ」】と言う・・・乗っ取り自体がドライすぎて、いけないという批判が一般的だった20年前には確かにそうであったが、いまはどうだろう。手前勝手の利益追求が、今、優れたものづくりの企業活動と全く変わりないものとして、ベンチャー精神の表れとして誉められる世の中になったように見受けられる。】

 要するに、「改革」と称して、社会の仕組みをアメリカ流に変えておいて、変えた結果のアメリカ的現象に、慌てふためいていると言いたいようです。