Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

ニューオリンズの復興を願って

2007-08-31 10:42:05 | アメリカ生活雑感
今日8月29日は、ハリケーン“カトリーナ”でニューオリンズが壊滅して2周年記念日。
ラジオ(Jazzチャンネル)では朝からニューオリンズゆかりのミュージシャンたちの音楽が流れている。

一日でも早い完全復興を願ってやまない。



“A Tale of God's Will A Requiem for Katrina”(Terence Blanchard )
*album/“Katrina Anniversary Feature”


“The River in Reverse”(Allen Toussaint/Elvis Costello)
*album/“The River in Reverse”


“What's Goin' On”(Dirty Dozen Brass Band )
*album/“What's Goin' On”


“Back Water Blues”(Irma Thomas)
“When The Saints Come Marchin' In”(Eddie Bo)
*album/“Our New Orleans”


"New Orleans Under Water" (Jane Bunnett)
*album/“Radio Guantanamo”


“Katrina's Eyes”(Christian Scott)
*album/“Anthem”


“Go To The Mardi Gras”(Neville Brothers)
*album/“Higher Ground”


“Louisiana 1927”(Marcia Ball)
album/“Live! Down the Road [LIVE]”
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お呼ばれ。

2007-08-30 01:49:44 | アメリカ生活雑感
最近、月に一度は集っているメンバーでまたまたお食事会。
今日もまたガリーナのおうちに集結して、彼女のおいし~い手作りをごちそうになった。

Anneはつい最近ペルーに11日間の家族旅行に行ってきたらしく、初めて見たアンデスでの感動の経験をいろいろ話してくれた。
帰りの飛行機が飛び立ってなんと4時間後にあの大地震が起きたというから、すごい運の持ち主だ。



ガリーナは最高のホスト。
食べ物がおいしいからここに来ると本当にほっとする。


こう見えて肉っ気はひとつもないヘルシーメニュー。野菜がたっぷり。



ブラックんちのむーちゃんをチェックするAnneとハイム。
Anneは「So cute~~~~!」を連発。
ハイムはしっかりブックマークをして毎日チェックすると言っていた。
インターネットって便利だなぁ。
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Berkeley Jazz 総括 ~今年はすごかった!~

2007-08-28 04:15:51 | music/festival

お仕事のプレッシャーやえらい失敗もあってあたふたしたけれど、それもこれも終わってみればすべていい経験。
初めはちょっと憂鬱になっていた私に「君はボランティアなんだよ。もっと楽しまなきゃ意味がないでしょ」とPちゃん。それもそうかなと気づいた。ボランティアといえども仕事は仕事、勤務中にアルコールなんてもってのほかなんて殊勝に思っていたけれど、そんな“日本人的義務感”なんてここでは誰も期待していない。要は、みんなで楽しむこと!これがアメリカ的ボランティアの鉄則。

それに、何といっても地元(ベイエリア)にもこんなに素晴らしいミュージシャンがいることを改めて知ることができたのが何よりの収穫だった。特にグラミー受賞のブルース・ギタりスト、Danny Caronは素晴らしかった。個人的にも親しくなったし(後述)。
こういう人たちがそこらで普通に演奏してくれる文化に大感謝。

今回見たライブ
Brass Mafia
オープニングで緊張の紹介をしたBrass Mafiaは、地元サンフランシスコで活躍するファンキーなJazzブラスバンド。トロンボーン、トランペット、サックス、チューバ(あの巨大なカタツムリみたいな楽器。これがいいベース音を出す!)、ドラムという編成。


Adam Theis - Trombone, Sousaphone, Joe Cohen - Alto, Tenor & Bari Saxophones, Mike Olmos - Mariachi Trumpet, Joel Ryan – Trumpet, Danny Grewen - Trombone & Vocals, Gerald Patrick - Trapset OR SNRRR, Colin Hogan - Organ & Keyboards

Natasha Miller
目的はシンガーではなくベースのDanちゃん。先月彼(の演奏と顔の両方)に一目ぼれしてから、自称オッカケになることを決意。今日は彼がどんな歌ばんを見せるのかが楽しみで仕事を抜け出して行ったり来たり。彼のようなベーシストがこんなへたくそな(本当に今まで見たプロの中で一番へたくそだった)なシンガーのバックをするなんて・・と気の毒になった。
終演後、ちょこっとだけお話して大満足覚えていてくれてありがと~。


Natasha Miller – vocals, Dan Zemelman – keyboard, Adam Theis – trombone, Dan Feiszli – bass, Jeff Marrs - drums

The Snake Trio
地元オークランドで活動しているグループ。Jazzと彼らのルーツであるベネズエラの音楽が見事に合体した、それは素晴らしい音楽だった。南米の情熱的なカリプソのリズムにのったデューク・エリントン、joropoと呼ばれるべネズエラン・スタイル・ミュージックにアレンジされたコルトレーンにあおられ、会場はまるでダンスホール。このグループ、大好き。これからも応援していこう。


Jackeline Rago - Cuatro, Mandolin, Bandola and Percussion, Donna Viscuso - Flute and Alto Saxophone, Saul Sierra - Bass

Erik Jekabson and Darren Johnston
こちらも地元の若きトランペッター二人。久々に聞いたツイントランペットは力強く心に残った。



In Pursuit Of Sound
ベイエリアで活躍するブルース&ジャズ・ギタリストEric Swindermanのバンド。
なんといってもメンバーがすごい。Marty Williamsは日本でもよく知られるファンク・Jazzピアニスト。そしてベースのRuthは、かのチャールズ・ブラウン・バンドの名ベーシスト。彼女の力強くリズミカルなベースに感動!彼女からしばらく目が離せそうにない!
こんなすごい人たちが街角のピザ屋でただで演奏してくれるこのJazz Fesもすごい。これでここ(“Bobby G's Pizza”)の大ファンになったのは言うまでもない。


Eric Swinderman - guitar, Marty Williams – piano,vocals, Ruth Davies - bass, Rhoyal Baibe - drums.

Kaz George Group
いつぞや、BARTの駅の広場で演奏しているのを見かけてその場で釘付けになった、Teen agersの本格的Jazzバンド。リーダーのKazのコルトレーンばりのエモーショナルなサックス、それを支えるリズムセクション。聞いているだけで体がグルーブしてくる稀有のバンド。

Emerging saxophonist Kaz George presents a set of high-energy modern jazz with an all-star group featuring some of the finest high school age jazz musicians in the country.


Kaz George - Saxes, Savannah Harris - Percussion, Danny Mertens - Piano, Jonathan Stein - Bass, Ariel Vento – Trumpet


土曜日うららかなお昼どき。会場横ではファーマーズマーケットが開かれていて何とものどかな風景。

Mike Marshall and Jovino Santos Neto
Mike Marshall is one of the world's most accomplished and versatile acoustic musicians, a master of mandolin, guitar and violin whose playing is as imaginative and adventurous as it is technically thrilling. Able to swing gracefully from jazz to classical to bluegrass to Latin styles, he puts his stamp on everything he plays with an unusually potent blend of intellect and emotion, a combination of musical skill and instinct rare in the world of American vernacular instrumentalists. producer and arranger.


Paul Peress Trio
Featuring Frank Martin and Kai Eckhardt

ニューヨークで活躍するファンク、フュージョン・ドラマーPaul Peressのトリオ。久々に“ファンク中のファンク”を聞いてからだの芯まで血がめぐったという感じを堪能。すごかったのはピアニストのFrank Martin。彼のピアノはまさにバクハツするエネルギーそのもの!!本当にいいものを聞かせてもらった(涙)。




Danny Caron
個人的には今回のメインイベント。アメリカを代表するSF在住のブルース・ギタリスト、Danny Caron。
1980年に参加したClifton Chenier and his Red Hot Louisiana Bandのアルバム“I'm Here”でグラミー賞を受賞。その後はベイエリア“伝説の”シンガー&ピアニストCharles Brownと組み、数々の名盤を生み出した。
セッションミュージシャンはBonnie Raitt, John Lee Hooker, Van Morrison, and Ruth Brownなど、錚々たる顔ぶれだ。
これはCharles Brownとのセッション映像。若い!


今日はこんなすごい人の紹介をするはめに、いや名誉に(!)あずかった。
「ふつつかではありますがライブ前にはご紹介させていただきます」とDannyにご挨拶にいくと、「ありがと~!」となんとも気さくなお人。どことなく植木等とチャーリ・ワッツを足して割ったような風貌に、いっぺんにこちらの緊張も解ける。
すると、彼はまじめな顔でいきなり私にこう聞いてきた。
「ところで、今日のギャラは誰が払ってくれるのかな?」「へ?JazzSchoolだと思いますがまだですか?」「うん。2ヶ月前に電話で出演OKって返事してそれっきりお金の話は誰からもこないんだよね~」
なんとのどか(というかええかげん)な運営だ!(あわててその場に来ていたスタッフに「お金!お金!」と催促して、1部が終わったあと無事ギャラをお渡しした。)

7PM。
軽く音出しを終えてマイクを握ったCarron、そのまま勝手に自己紹介するのかな~と思っていたら「これからマイ・フレンド、SHOKOが僕たちの紹介をしてくれます」と私を“逆紹介”してくれた。そして和やかにライブは始まった。


紹介中。





や~~~~~~~~~~~~~~~~~

とにかく感動。これぞブルース!今日の彼のスタイルは、いかにも“こってりとした”ブルースというよりはZydeco(ニューオリンズ)やレゲエスタイルを織り交ぜた、この場の雰囲気にぴったりのノリのものだった。
ここのピザ屋、期待に反して音響抜群!!いいぞ~、“Bobby G's Pizza”。
Dennyも「この店は最高だ。なんといってもトイレが素晴らしい!」といって笑わせる。彼の言うとおり、店員教育といい店内掃除といい、よく行き届いた店だった。これから絶対馴染みになるからね!



Danny Caron - guitar, Wayne de La Cruz - Hammond Organ, Kent Bryson - drums

 CD買っちゃった!


ライブ終了後、Dannyと記念撮影。この頃にはすっかり仲良しになっていた。
こういう距離感はアメリカならでは。日本ではミュージシャンがなんだかえらそうだがアメリカはまるでお隣さんのよう。

Marcus Shelby Jazz Orchestra
日曜日の午後のひとときは、私の大好きなビッグバンド、マーカス・シェルビー・ジャズ・オーケストラ。やっぱビッグバンドを聞くと古きよきアメリカ~という感じがするなぁ。


私は彼(マーカス)のベースを持つ立ち姿が大好き。お人形のモデルみたいに美しい。

In 1999, Marcus Shelby's interest in composing for jazz orchestra and his work in collaboration with the Bay Area multidisciplinary arts organization Intersection for the Arts led him to form the Marcus Shelby Jazz Orchestra. The MSJO is comprised of some of the Bay Areas most respected and sought after young musicians. In the last six years, Shelby has written an extensive series of original compositions and suites and has orchestrated a broad survey of arrangements from great jazz big band composers Duke Ellington, Billy Strayhorn, Charles Mingus and Count Basie. Marcus has been awarded two residencies with Intersection for the Arts and in 2005 received the Creative Work Fund grant to compose an oratorio for jazz orchestra celebrating the life of Harriet Tubman.

Kim Nalley – A Tribute to Nina Simone
このあとBART駅の広場で行われたのがこのショー。地元黒人シンガーKim Nalleyによるニーナ・シモン・トリビュート。
明らかにゴスペルをベースとする彼女のスタイルに、ニーナ・シモンのメッセージ性の強い歌がおそろしくはまっていた。彼女は一曲歌うたびその曲が作られた社会背景やニーナの生い立ちなどを丁寧に説明してくれ、それがとてもよかった。
ルーサー牧師が暗殺された直後に録音された「Why」や、人種差別を歌った「Four Women」には観衆が息を呑む。いかにもバークレーならではの光景だ。
先ほどビッグバンドを仕切っていたMarcusの、一転してエモーショナルでしっとりとしたベースのappropriateさに、感動の鳥肌。こんな素敵な歌伴ベースされたらボーカリストはいっぺんでホレてしまうだろう・・・。
夕方のBART広場(もちろんフリー)で、こんなにいいライブが見られることにひたすら感激。


Tammy Hall - piano, Josh Workman - guitar, Marcus Shelby - bass, and Kent Bryson - drums
Tammy Hallの歌伴ピアノ、素晴らしかった。

Hitomi Oba Quintet
特に仕事がなかったので、JazzSchoolにSaxクインテッドを見に行く。彼女は日系3世で、Jazz教育で有名なバークレー・ハイスクール出身。初々しい演奏だった。

Rising Star saxophonist Hitomi Oba is a graduate of the acclaimed Berkeley High School jazz program. Currently a student at UCLA, Oba returns to Berkeley with a group of fellow Bay Area natives for an evening of wide-ranging original compositions.

Nick DePinna – trombone, Max Griffith – drums, Sam Adams – bass, Erika Oba – piano

Jazz Buddy
Pちゃんは来週に控えた仕事の面接&トークの準備が追い込みでとてもJazzどころじゃなかったので、今回のJazz Fesの間私は終始一人ぼっち鑑賞。
でもそんなとき、3日目に客として見に行ったBobby G'sでのErikのライブでたまたまお隣同士になって最後までショーを一緒に見たことがきっかけでお友達になったのがこのおっちゃん。UCバークレーで働いているというKen。とても気さくでJazzに詳しく、いろんなミュージシャン情報を教えてくれた。


KenとDenny

こういうときに話のわかる仲間できて楽しかった。
Kenとは翌日のDenny Caron、その翌日のMarcus Shelby、Kim Nalleyのショーでもご一緒し、ビールまでおごってもらった
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フェスティバルの裏側

2007-08-27 03:23:06 | music/festival
さて、ど緊張のオープニングライブのあとは、息つく暇もなく8pmから“Anna's Jazz Island”での“The Snake Trio”のショーにかけつける。
“Anna's Jazz Island”とは、くじらのような巨漢のオーナーAnna(アンナ)が経営しているバークレー老舗のJazzライブハウス。このアンナという人、どうやらこの業界では極めて変わったというか一癖あるお人のようで、どの人も彼女の名前を出すと「ふ~ん」とか「ああ、アンナね」というような冷めた反応が返ってくる。こんな儲からない商売を軌道に乗せて何十年も続けているところを見ると、かなりのやり手なのだろう。きっと敵も多いに違いない。

さて、この“因縁”のAnnaでのボランティアになったはいいものの、予想通りAnnaに挨拶に行くと「呼んでないわよ」といわんばかりに睨みつけられた。ここは何もせずにおとなしくしているのが最善策とみた。もちろん、ミュージシャン紹介などもってのほか。彼女は全部自分で仕切らないと気がすまないので紹介も彼女にやってもらうことにした(私にとっては渡りに船)。そのうえ本来なら12ドルのチャージがかかるライブも、ただ何もせずにただで鑑賞させてもらえたし、めでたしめでたし。

そして翌日。(8/23)
今日のお仕事はまたしてもあの“Anna's Jazz Island”。
ボランティア受付に行ってコーディネーターのおばちゃんに「昨日何もすることがなかったんですよね」と言うと、「いいのいいの。あそことはこのフェスティバル開催前にもいろいろあったみたいだし何もしないのが一番」と顔をしかめて言う。「political issue」という言葉を使ったのが何とも印象的だった。
やはりこういう町を巻き込んでのイベントとなると、主催者側とライブハウス側との利益をはさんだかけひきがいろいろあるのだろう。しかもAnnaは自分がボスでないと気がすまない人なので、JazzSchoolの女社長との間でバトルもあったと思われる。いやぁ、面白い。

ともあれ、Annaがミュージシャン紹介をしてくれるから今日も楽だと思っていたら、「今日はAnnaはオフなの」。えっ?てーことは私がやるの?
店に行って「私がミュージシャン紹介することになっているんですが」と店員に言うと、店員は顔色を変えて(本当に顔色が変わった)「えっ?それはオーナーの了解済み?」と聞いてきた。「いえ。お話していません。ここに原稿があるので何ならあなたやります?」
ここは内部の人間にふったほうが得策だ。しかし、彼女はぶるぶるっと顔をふって「今すぐオーナーに電話してくるから待って」と飛んでいった。ここは従業員まで恐怖政治が敷かれているようだ。
結局、Annaは店に来れないので今日はしかたなくボランティアに頼むということになった。これはきっとこの店始まって以来の歴史的瞬間だったと思う。(今日は寒かったのでジャケット着ていってよかったよ~)

さて、今日のショーは“Erik Jekabson and Darren Johnston (Double Bill)”というふたりの若手トランペッターだ。しかし、この(Double Bill)の意味がわからなかった私・・。ボランティコーディネーターに聞いても「知らなぁい」という。何だろう、入れ替え制か何かかなと思ってそのまま忘れていたのが悲劇の始まりだった・・

事前にミュージシャンに挨拶も済ませ、いよいよ緊張のミュージシャン紹介の時間が来た。「・・・Please welcome! Erik Jekabson and Darren Johnston!!」と原稿どおり紹介したら横でDarrenがずっこけている。そう、“Double Bill”とはいわゆる2本立てショー、つまりDarrenとErikが一部と二部を別々にやるということだったのだ。それなのに二人で競演すると思い込んでいた私は、いくら原稿どおりとはいえ二人をandでつないでいっぺんに紹介してしまったのだ。Erikはおらんっちゅーねん!

一部が終わって、Darrenにごめんなさいとお詫びを言うと「ノー・プロブレム」と言って笑ってくれた。いいやつだ。これがジョアン・ジルベルトだったらまちがいなくショーは中止になっていただろう。
二部はふたりのデュオから始まった。この紹介のときにはもちろん、「先ほどは間違ったアナウンスで混乱させてしまってすみません。」というお詫びと訂正を入れたのは言うまでもない。誰も気にしちゃぁいないようだったけど。Annaがいなくて本当によかった。ほっ。
しかしこれで、当分Annaには(客としても)行けないなぁ・・

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開幕!Berkeley Jazz Festival

2007-08-25 05:38:28 | music/festival
今週からいよいよ、第3回Downtown Berkeley Jazz Festivalが開幕した。(8/22~26)



地元のJazzSchoolがオーガナイザーになって2年前に始まったこのイベント、ダウンタウンバークレーの主なJazzスポットややライブハウスな13カ所が会場となって、主に地元のミューシャンたちがJazz、Pop,レゲエ、ラテンなどさまざまなジャンルの音楽を繰り広げる音楽の祭典だ。
去年はこの時期ちょうどシカゴ~NYに行っていたので見逃したが、今年は勇んでボランティアに申し込んだ。地元のJazz振興のために力を尽くしているJazzSchool(昔はお世話になった)のために力になりたかったというのが理由。それに有料のライブをただで見られるのも魅力だ。

かくして5イベントに申し込んだところ、初仕事は22日の開幕日の開幕ライブとあいなった。
ミュージシャンは2年前にサンフランシスコのフィルモアJazzで大ファンになった“Bras Mafia”。ニューオリンズスタイルのファンキーなブラスバンドで、そのリズムセクションといい若さあふれるエネルギーといい、いっぺんで心を奪われたあのバンドだ。
喜び勇んで受付に行くと、なんとボランティアは基本一イベントに一人だという(しょぼ~ん)。SFJAZZの大規模なボランティアに慣れていた私はちょっとびっくり。「何をしたらいいんですか?」と聞くと、ボランティアコーディネーターのおばぁちゃんときたら「別になんでも」という。要するにボランティアはミュージシャンの手となり足となり、あるときはお店を手伝い、あるときは観客からの質問に答えるという何でも屋だったのだ。「何を手伝うかはお店のマネージャーに聞いてちょうだい」という。この人自体がよくわかっていない。何のオーガナイズもないところがいかにも新しいイベントらしい。(こういういいかげんさにはもうすっかり慣れた)
でもここで衝撃の発言が。
「そうそう、ショーの始めにミュージシャン紹介をお願いね」
ガガ~~~ン!!!!
そんな超責任のある仕事なんてできないよ。しかも、そんな大切なこと直前に突然言うなよ!!
かなりあわててうろたえまくる私におばちゃん、ひるむこともなく「大丈夫、ここにアンチョコがあるから。これを読めばいいのよ」といって紙を渡す。A4にびっしり。

普通こんな大きなイベントの、しかもオープニングショーでは主催者が挨拶するもんでしょうが!?こんな一介のボランティア、しかも英語がネイティブでもない私にそんな大役をさせるとはどういうことだ。主催者出て来い!!!
さんざん拒否したが「やって」というので、これ以上議論しても時間の無駄と覚悟を決めてあとはもうセリフ読みに没頭。(あああ~、まじに逃げ出したい。

そんな私を察して、通りがかったお店(Jupiter)のマネージャーがひとこと。
「ヘイ、Don't be nervous.(緊張するな) Be loud and clear. That's it.(大きな声ではっきりとな)」
そうだよ、ここは屋外ガーデンライブ。しゃちこばったお決まりの“正確な”挨拶なんで誰も望んじゃいない。みんなビール飲んでリラックスしているんだし、その気分をそのまま盛り上げればいいんだ。

そしていよいよ開幕の時間。
ミュージシャンに「準備OK?」と聞くと「OK!」という。そこでマイクを奪い取り、壇上で用意された挨拶を読み上げる。
「皆さんこんばんは!本日はようこそ第3回バークレーJazzフェスティバルにお越しくださいました。私はJazzSchoolのSHOKOと申します」
ここで心優しいお客さんから温かい拍手。
「このイベントは、なんたらかんたら・・(中略)・・どうぞ、この素晴らしいCity Of Berkeleyのファミリーの一員として心ゆくまでお楽しみください」
ここで本来ならばすぐに「Please welcome・・・(○○さん、どうぞ~!!)」とミュージシャン紹介にいくところだったが、場を盛り上げるためにここでアドリブを一発。

私  「アー・ユー・レディ?(いきまっせ~!?)」
観客 「Yeah!!」
私   「ARE YOU READY!???」
観客 「YEAHHHHHHHHH!」
私  「Please give a warm welcom to Brass Mafia~~~!」

緊張のMCが終わった後はしばし放心状態で彼らの演奏をただただ耳に流しこんでいた。こんな緊張を強いられるんだったら、ただで観客になって座っていたほうがよほど楽。ボランティアなんてやるんじゃなかった、と後悔したがときすでに遅し。これから5つのショーが同じように待ち受けている。

さっきのこわおもてのマネージャーが、呆然としている私のそばを通りがかって一言。
「ヘイ、You did great job!(よーやった)」
「あ、どうも」
そして会場でオープニングパーティーを主催していたJazzSchoolの校長・スーザンもやってきた。
「That was so good! I didn't expect that.」
「あ、ども」(あんたこそ、来てるんだったら自分が挨拶やれよ~。ったく)

とにもかくにも、あまりこういうことには形式ばらないのがアメリカのいいところ。お客さんもこの手のイベントにはよく慣れてわかっているから、とても温かくて助かった。

さてさて。このあとさらにハプニングは続く・・・。次回以降のお楽しみ。


Bras Mafia
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めしめし

2007-08-23 07:24:11 | cooking
最近ご飯ネタがないと、とある筋からチェックが入ったので久々に。
というか、なかなか写真撮るのもめんどくさくなってきて(その間に冷めるがいやで)しばらくご無沙汰していました。

で、おとといの食卓。
久々にBボウルにいったら、青々としたお魚がこっちを見て「買って・・」と訴えているじゃありませんか。よくみたらこぶりの鯖。う~ん、この大きさはおろしてもらえないし微妙だなと思ったが、あまりに新鮮で珍しかったので二尾購入。


フラッシュたいたら目が光った。
内臓をとってよく荒い、一尾は3枚におろしてお塩して冷凍に。
今日は一尾を丸ごと塩焼きにすることに決定。細木数子いはく「お酒で洗うと臭みが取れる」らしいので軽くお酒の水割りで体をあらい、たっぷりお塩してフライパンで(やっぱりオーブンは後のことを考えるとやめた)焼いた。


できあがり。
付け合せは、豆苗のピリ辛煮浸し。
そのほかはねぎとかつおぶしたっぷりの冷奴、ポテトサラダ、かぼちゃ甘煮(途中でマサコから電話が来て焦げた


で、これは最近よく登場するカレー。Pちゃんがいっちば~ん好きなメニュー。



なす、にんじん、ピーマン、れんこんなど有り合わせの残り野菜と鶏ももをタイカレーペースト(グリーンカレー)で炒めて、ココナッツミルクと鶏がらスープで煮込んだだけ。味付けはナンプラー。お米はジャスミンライス。
これを食べるとPちゃんは「ううううう」と涙目で感動します。わかりやすいヤツ。味覚がお子ちゃまなもんで)

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出会い。

2007-08-21 15:56:20 | アメリカ生活雑感
素敵な出会いをした日だった。

先日来いろいろと取材にご協力いただき、友人を紹介してもらっている郁子さんから「友人にSHOKOさんのことを話したら是非お会いしたいと言ってるので、我が家でお茶でもいかがですか?」とお誘いをいただいた。何でもそのご友人(智子さん)のお母さまがプロのライターで、今ちょうど日本からバークレーに来ているのでライター同士いろいろお話してみたいということだった。

エルセリートの閑静な住宅街にある郁子さんのお宅を訪ねると、すでに奥のガーデンには郁子さんと8ヶ月の虹子(ニコ)ちゃん、智子さんとお母さまの晴子さん、智子さんの長女のジェニファーちゃん(5つ)が勢ぞろい。
智子さんのお顔を見てまず息をのんだ。「お、ブラック・・」と言いそうになったほど、ブラックにうりふたつじゃないか!(注)“ブラック”とは私のアダルトスクール時代の旧友のことで、名前が同じSHOKOなので私がブラウン、彼女がブラックと呼ばれていた。(髪の毛の色から)
髪型こそちがうが、年の頃も、声もしゃべり方も、どことなくのほほんとした明るい性格も何もかも一緒で「これは間違いなく世界に5人いるそっくりさんに違いない」と確信したのだった。(ではまず、ご覧ください。)


左から、智子さん、郁子さん、晴子さん

かなり驚いて先に一本取られてひるんでいた私に智子さんは「こんにちは~!はじめまして」とこれまたブラックに初めて会ったときのように明るく透き通るような声で声をかけてくれた。そばでは娘のジェニファーちゃんがおもちゃに夢中になって遊んでいる。
「おいくつですか?」
「5歳です。もうひとり上にエリックっていう7歳になるお兄ちゃんがいます。ふたりとも自閉症なんです」

あまりに唐突に、しかもあまりに明るく紹介されたので一瞬リアクションに困りそうになった。
「そうなんですか。全然そうは見えないですけど」
「そう、そこがこの子たちの悲劇なのよ!」と、となりから晴子さん。智子さんと同じくらいパワフルで溌剌とした印象のお母さまだ。
「見た目はフツーの子と何も変わらないでしょ?ちょっとシャイなのかなっていう感じで。だからautism(自閉症)は日本では障害という認識が薄くて、何かというとすぐに“親の教育が・・”とこうくるのよ。とにかくびっくりするくらい遅れてるんだから」
「上の子のときは全然気づかなかったの。お乳を飲むとき目を合わせないと注意、なんて言うでしょ?でもそんなもんなのかなぁと思ってて。でもそれからもまったく人と目を合わせなくて、冷蔵庫をじ~っと見つめてるのをみておかしいと気づいたの。下の子のときは注意してたから赤ちゃんのときに意変に気づいたけど」と智子さん。

二人のお子さんがともにautismという事実に、かなりのカウンターパンチを受けたのは言うまでもない。
こういう場合普通、日本だと「あら・・おかわいそうに」とか「それは大変ですね」とか言葉をかけるのか、それともただ黙って「がんばってね・・」と目で語るのだろうが、ここまで明るくオープンな親子を前にしてはそんなネガティブコメントすら思いつかない。むしろ、これをきっかけに私たちの最初の話題は“autismの子を育てること”になり、自閉症を含めた障害を持つ子供たちに対するスペシャルエデュケーションが日本ではいかに遅れているか、この子たちがここ(バークレー)で受けている教育がいかにオープンで、教師陣もプロフェッショナルであるかなど、貴重な生の体験談をいろいろうかがうことができた。

しかし、いくら学校教育に恵まれていたとはいえ家での日常生活は聞けば聞くほど壮絶そのもの。とにかくじっとしていないので家の中はいつも散らかり放題、わざわざ隠してあったシャンプーを床に全部撒き散らされたこともあるという。また、裸足で家を飛び出して隣町で保護されたときには親がabuse(虐待)の疑いをかけらたとか。「毎日、何かで叫んでいる」(智子さん)状態が続くという。

自分の世界に浸っているジェニファーちゃんを愛おしそうに見ながら、晴子さんは言う。
「この子たちはエイリアンね(笑)。第一言語がエイリアン語、第2言語が英語、その次が日本語なの」
晴子さんは二人の孫の成長を書き綴ったエッセイ『星の国から孫二人 バークレーで育つ「自閉症」児』を2005年に岩波書店から出版されている。また、この原作を映画化する計画も目下進行中で、晴子さんはまさにその映画の脚本のたたきを仕上げてこちらにやってきたのだという。
「こうして日本とバークレーを2カ月おきに行ったり来たりしているの。いい老後でしょう?(笑)」



その後、いろいろと晴子さんの“武勇伝”をお聞きするうち、晴子さんは数々のヒット作を送り出している売れっ子ノンフィクション作家であり、かのNHK朝の連続テレビ小説『天うらら』の原作者であることも判明。
この『天うらら』、何しろ10年以上前なのでうろ覚えだったのだが、たしかヒロインが大工になって、年老いて体の不自由なおばぁちゃんのためにバリアフリーの家を建てる、というストーリーだった。
原作は『寝たきり婆あ猛語録』『寝たきり婆あたちあがる』(講談社)。当時寝たきりになっていた実母の看護録をまとめたものだ。

「もうね、実の娘だと思ってわがまま言いたい放題こき使われ放題で、ひどいったらありゃしないのよ。だからこの経験を全部本にしたの」と豪快に笑う晴子さん。

朝ドラということで、主人公は若い女の子にして彼女が「大工になる」という物語設定にし、当時まだめずらしかったバリアフリーという概念を表に引き出すことにした。
「当時、“バリアフリー”っていう言葉もまだ世の中に出始めた頃でしたもんね」
「そう、だってあなた、NHKのディレクターも知らなかったんだから」

何が面白いって、この晴子さんという方、人生そのものが長編ドラマみたいなのだ。彼女を一躍有名にしたのが『老親を棄てられますか』(主婦の友社・講談社文庫)という本。これも晴子さんの体験をまとめたノンフィクション。
奈良・斑鳩の里で夫(長男)の嫁として、舅と娘と4人で暮らし始めて7年。右のものを左にも動かさない“お殿様舅”の世話を任せきりにして仕事で不在がちな夫についにキレ、妻は娘を連れて家を出る。「私は女中に生まれてきたのではありません。これからは自分の人生を生きさせていただきます」。このとき、48歳。東京での3人暮らしを支えるためにライターとして働き始めた母(晴子さん)、それを支えようと高校卒業後就職した娘(智子さん)。と、ここにある日突然、あの“殿様舅”が転がり込んでくる・・。彼にしてみれば、息子の嫁が自分にとっての最後の人だったのだ。それ以降、奇妙な3人での生活が始まる。そしてあの“殿様”は、80歳にして人生初めて家事一切を覚え、母子にかわって家を切り盛りしていく。いつしかそれが彼の生きがいになっていた・・・。というストーリー。

これは当時大ヒットをとばし(私もうっすら覚えている)、2000年10月に『老親』というタイトルで映画化もされた。
「役者陣がすごいのよ、あなた。舅の役が小林桂樹よ!私の母なんて、草笛光子なんだから!」
「どへぇ~!それはすごい役者そろえましたねぇ。それで晴子さんの役は誰だったんですか?」
「ウフフ。万田久子」
「(うわっ、何でもありやな)・・・・」
「この子(智子さん:当時18歳)の役なんて、岡本綾よ。限られた予算で本当によくできたと思うわ」
それだけ役者さんが脚本にほれ込んだという証だろう。この映画はもちろん大ヒットを飛ばし、岩波ホールで大ヒット御礼延長連続上映をされてホールの赤字を一挙に解消したというオマケつき。

そんなこんなで話はつきず、私たちは2時間途切れることなくしゃべり続けた。1年分の日本語をしゃべり切った気がする。智子さんはバークレー市内に住んでいるというので、これからちょくちょく遊びによらせてもらう約束。晴子さんともこれから長くいいお付き合いをさせていただこうと思う。

おふたりが帰ったあと、今度は郁子さんとお茶をしながらやっと自分たちの現在に至るいきさつなどを語り合う。そういえば、いつもは誰かを取材していたのでこうやってちゃんと自己紹介する機会がなかった。お互いに四国出身(郁子さんは松山)、お互いのガイジンダンナとのなれそめ、郁子さんが専門にお仕事をしていた小学校でのスペシャルエデュケーションのお話などなど、これも話し出したら止まらない。
気がついたらもう7時。5時間も居座ってしまった

新たな出会いからまたいろんなことを学んで、かなりうれしい一日だった。



郁子さんとニコちゃん。こんなかわいい赤ちゃん見たことないっていうくらいめちゃくちゃかわいい!


郁子さんのお手製の“おはぎ”が美味しかった。


ご主人のザックさんも帰宅。家の前で3人で記念撮影。
長い時間、本当にありがとうございました。
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家族の結束。

2007-08-20 07:47:44 | アメリカ生活雑感
今日はお仕事の取材のため、とある小学生のママのお宅にうかがった。

インターホンを鳴らしてはぁい、と奥さんが出てきて双方顔を見合わせたとたん、「あれ。な~んだ」。実はT子さんとは以前に何回かパーティでお会いしたことがある。そのときは大勢だったのでお互い名前を確かめるでもなく、いつもお会いする方という認識だった。世の中狭いもの。日本人なんてしょせん、こうやってどっかでつながっているものだ。
いつもは飲んだくれた状態でお会いしているので、昼間にまじめに会うとなんだか照れる。

T子さんは12歳(この9月からミドルスクール)になるお子さんがいるが、上にも二人お子さん(長女、長男)がいてそれぞれもう大学を卒業して独立しているという(!)3人とも日本生まれ。ご一家は日系3世であるご主人の実家の都合で、8年前にアメリカ(Berkeley)に移住。当時長女は高校卒業目前、長男は高校に入ってちょっと難しい時期だったが、渡米に猶予はなかった。二人の子どもたちを日本で卒業させるかどうかいろいろ迷った挙句、結局「親子が離れるのは絶対によくない」と心を決めて一家全員でアメリカに移ったという。

英語の話せない子どもたちにとって、当初アメリカでの学生生活は相当つらかった。当然、高校卒業の語学力がないためもう1年ESLクラス(英語を外国語とする子どもたちのクラス)に行かせることになった。その間人種差別や言葉によるいじめもあったそうだ。
「お母さん、何で(日本で)卒業させてくれなかったの?私の人生を返してよ!」とある日長女に泣かれた。でもその翌日、彼女はケロリとして元気に「行って来ま~す」って学校に行ったのでほっとしたとT子さん。
「あのときは私もつらかった。でもここで私がごめんなさい、って言ったらおしまいだと思ったの。こうすることが家族にとって一番だって決めて来たんだから。この子たちは決して間違っていない、と信じた。とにかく何があっても家族の結束だけは失わないようにってがんばった」。
まず親の気持ちが揺るがないことが大切、子どもたちはそんな気持ちを敏感に汲み取るものよ、という言葉にじ~ん。

長女はUCサンディエゴ、長男はUCLAを卒業し今では立派に独り立ちしている。大学卒業時、長女がこう言った。
「お母さん、アメリカにつれてきてくれてありがとう。本当に感謝してる」
今までの苦労が報われたと涙が止まらなかったというT子さん、当時を思い出して涙、涙・・。こちもつられてもらい泣き。

揺るぐな、と言っても揺らつくのが人間というもの。日本とアメリカという全く違う環境で家族の結束を守り通したT子さん一家に感動し勇気をもらった一日だった。
(そのほかのお話は後日、記事に掲載予定・・・)


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原風景。

2007-08-20 07:02:21 | アメリカ生活雑感
・・・おばぁちゃんの話をして思い出した夏休みの原風景。

毎年学校が休みに入ると、姉と私はお向かいのおばいちゃんちにお琴を習いに出かけた。今から考えると、さしたる習い事もなかった時代、家で子どもたちにごろごろされるよりは何かさせて日中ひとりになりたいという母のネライだったのでしょう。

おばぁちゃんはお琴のお師匠をしていて、よくきれいなおねぇさんたちが習いにきていた。年のころなら20代半ばくらいだろうか。お嫁に行った人からとたんに来なくなった。当時お琴は花嫁修行のひとつだったのだろう。そういうものなのか、と子ども心にちょっと白けた目で見ていた。その頃私は7つか8つ。ちゅーことは、花嫁修業が早すぎたのが行き遅れた原因だったのか?ガーン

おばぁちゃんの指導はけっこう厳しかった。暑い中、何時間も子どもがじっと正座していられるはずもなく「おばぁちゃん、おしっこ~」と言ってはそのまま家に帰ってよくしかられた(母に)。
今でもお琴の音を聞くと、し~し~という蝉の音が耳の奥でこだまし、自然とからだがじと~っと熱くなるのはこの夏休みの記憶が体に染み付いているせいかもしれない。ピアノよりも先にお琴が人生最初の楽器だったので、いまだに絶対音感はドレミではなくお琴の弦音。(何の役にもたちゃぁしないけど)


・・そんなことを思い出す夏のひとときでした。
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猛暑お見舞い。

2007-08-19 11:00:41 | アメリカ生活雑感
今年の日本の暑さは尋常じゃないらしい。
寝ていてそのまま熱中症で死んでしまう人までいると聞き、急に心配になって久々に親に電話をしてみた。夕方のご飯支度タイムに電話したにもかかわらず、2日とも留守。これはあまりフツーではないので、今度はお昼ごろを狙って電話してみたらのんきに母が出た。
「あら~どうしたの~~。暑いってもんじゃないわよ。ふたりとも首にタオルまいて氷で冷やしてんのよ。アンタ、帰ってこなくてよかったわ。」

そりゃそうだ。こんな暑さでPちゃんなんて連れて帰った日にゃ、それを想像しただけでこっちの頭がおかしくなりそうだ。なにしろPちゃんは暑さに異常に弱い。汗をかいて体がじめっとするのが耐えられないらしい。少しでも蒸しっとした日があると(そんな日はここではめったにありえないのだけど)不快度数100%でとたんに機嫌が悪くなる。私はそれこそが夏の醍醐味だと思っているんだけど。

一番心配だったのが97歳になるおばぁちゃん。ちなみに一人暮らし。
ぐったりしてない?と母に聞くと
「何をおっしゃいますやら、一番元気よ」ときた。家中を冷房で快適温度に冷やして日がな一日昼寝、夕方になると畑に水をまいたりして元気に歩き回っているそうだ。ちなみに食事も何も、一切人の手を借りたことはない。全く恐れ入る。
おじいちゃんが亡くなって約20年、ひとりで好きなことをしながら健康で暮らしているおばあちゃん。長生きの秘訣はくよくよ考えないことと、いい男をながめること(ちなみにヨンさまファン)。「今が一番幸せ」が口癖。私が子どもの頃よく教えてくれたお琴や三味線はさすがにもう弾いていないらしいが、きれいなすきとおるような高音でうたを歌うのがよく家のほうから聞こえてきた。私のノーテンキはこれを受け継いだのかもしれない。

この暑さ、確実にグローバルウォーミングのあらわれで来年もまた続くだろう。くれぐれも体には気をつけて。

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