Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

Happy 50歳

2007-03-31 07:37:47 | アメリカ生活雑感
先週の日曜日のこと。
オークランドで「そめいよしの」という太鼓道場を主催するJimiさん(れっきとした日本人)の50歳サプライズ誕生会に参加した。
私がJimiさんを知ったのは、去年のヨシオさんのCD公開録音のとき。そのときドラムをたたいていたのがJimiさんだった。Jimiさんは日本で太鼓を学んだ後20年ほど前に渡米、その後独立して太鼓道場を開き、今では「そめいよしの」はベイエリア(アメリカ)でも有名な道場のひとつ。太鼓道場というと、体育会系なみの“しごき”が有名だけれど、Jimiさんは日本的なやり方をふりかざさず厳しいなかにも優しさを忘れない教え方を心がけてきたそうで、生徒さんからの人望もあつい。
お酒をこよなく愛する心の温かいとても魅力的な人。なのに独身、これはナゾ。

このパーティーを企画している面々により1ヶ月以上前から着々と根回しが進んでいて、本人はもちろん何も知らない。午後の太鼓のクラスが終わったあとJimiさんを隣の部屋に何食わぬ顔で連れて行くと、そこには100人を超す人たちが待っていてビックリさせようという企画だ。
午後5時ごろから、オークランドの道場には食べ物や飲み物を持ち寄って続々と人が集まってくる。
 
準備中。この部屋の横では何も知らないJimiさんが太鼓のお稽古中。


うれしそうなJimiさん(右)と。真ん中はスシカル店長のリョウジさん。

さて、もうひとつのサプライズはプレゼント。
Jimiさんの欲しがっていたドラムセットをみんなのドネーションなどで購入。
もちろんJimiさんは何も知らず、バンドの演奏を頼まれてカバーを開けると・・

そこには真新しいドラムが!ビックリ、の瞬間

そのあと、いつものように有志によるパフォーマンスが始まり、Jimiさんのお弟子さんたちが心をこめて太鼓を演奏。
 
最後は師匠が締めくくった。

そのほかJimiさんの50年を振り返った写真上映もあり、胸がじ~ん。Pちゃんは思わずホロリ。
何よりも、この日のためにバレないように用意万端整えてくれた人たちの心遣いとその見事なオーガナイズぶりにひたすら感謝。
6時から始まったパーティーはもちろん、日にちが変わっても続き私たちはまたまた“百草丸”のお世話になったのだった・・




(つづき)「不都合な真実」はどこから火がついたのか?

2007-03-29 07:13:02 | movie


前回の記事に対して寄せられたKKSFさんからのご質問に関して調べていたら長くなってしまったので、ここに続けることにしました。

私も、この映画がアメリカで上映されたときは「ファーレンハイト(華氏)911」同様話題になっていたのを知りつつもついつい行きそびれてしまった口でした。
アメリカでは、2006年5月24日からのメモリアルデーウィークエンドにNYとロサンジェルスにて初公開され、わずか4スクリーンという数にもかかわらずドキュメンタリー映画では最高の売り上げをあげたといいます。
また、映画上映と平行して発刊された同タイトルの本も、6月11日から7月2日までニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーの一冊に名を連ねました。

しかし、アメリカに“不都合な”ドキュメンタリーが過去にそうであったように、この映画を有名にしたのはアメリカよりもむしろ国外での評価だったようです。
「Sundance Film Festival(2006)」,「 Cannes Film Festival(2006)」、「27th Durban International Film Festival (June 14, 2006)」でのオープニングナイト上映、「Brisbane International Film Festival(2006)」など、2006年に開かれた数々の国際映画祭で大きな評価を受け、それを受けて国内でのスクリーン数が約600館も拡大された結果、“華氏911”“マーチ・オブ・ペンギン”につづくアメリカドキュメンタリー史上3番目の大ヒット作品となりました。(Wikipediaより)

日本では、2006年10月24日の東京国際映画祭において特別招待作品として上映されたのが最初で、公式のジャパンプレミアはそれよりずっと遅く2007年1月16日。会場の有楽町の有楽町朝日ホールではアル・ゴア氏が舞台挨拶を行いました。その挨拶で彼はこう語っています。
「私は地球温暖化の問題に使命を感じています。この問題には30年間向き合ってきましたが、地球が危機に瀕している今、その使命感は一層強いものになっています。・・・ホワイトハウスを去った後、地球温暖化防止を訴えるには政治システムを変えるしかないと実感しました。今回の映画化は、世論を動かすことで政治システムを変えるためです」

この言葉から照らしあわせて見ると、今回の映画は“世界から世論を動かした”ゴア氏の戦略勝ちだったように思います。彼が映画の中で述べた言葉のなかで、深く心に響いた言葉がありました。
「正しいことをすると必ず結果がついてくる」--。この映画で彼の半生をかけた取り組みと普及活動が大きく一歩前進したのは確かです。



ま~ったくの余談ですが、つい先日BARTの駅で学生と思しき女性が「ゴアは嘘つきだ!」と書かれたポスターを掲げて通行人になにやら語りかけていたので、興味本位で話を聞いてみました。(このときはまだこの映画を見ていなかった)
私は彼女にこう聞きました。
「What is your point?(要点は何?)つまり、“ゴアは嘘つきで悪いやつだ”といいたいの?それとも“温暖化は存在しない”といいたいの?」
彼女は興奮して「ゴアが映画の中で言っていることはすべてでたらめよ。そもそも地球温暖化など歴史の中の小さな点をピックアップして大げさに話しているだけのものだわ」。
答えになっていないうえに何て言い草だ。こんなことを真剣に言ってるやつが大勢いるからアメリカはだめなんだ、と私はちょっとむかつきました。
「少なくともあなたは科学的根拠をちゃんと理解したうえでしゃべっているの?温暖化は事実として起こっていてアメリカ以外の国々が真剣に取り組んでいる、このこと自体はどう考えているの?ひょとしてあなたはファンダメンタリスト(原理主義者)?」
「ちがうわ。つまり、ゴアはこの問題を大きくして、戦争から世の中の注意をそらそうとしているってことよ」
ここで“戦争”という単語を聞いてやっと合点がいきました。彼女の論点はここだったのかと。(じゃぁ、はじめからそういえばいいじゃん。地球温暖化はウソだなどともっともらしく言うなよな。)
帰ってこの話をするとPちゃんに半分笑われ、半分「よく聞いたねぇ?」と驚かれました。



グローバルウォーミングと戦うサムライ

2007-03-27 06:08:24 | movie
今年のオスカー、2部門(最優秀長編ドキュメンタリー賞、最優秀オリジナル歌曲賞)を獲得したドキュメンタリー映画『An Inconvenient Truth (不都合な真実)』(2006年)を、今日やっとDVDで見ることができた。

この映画は、クリントン政権の副大統領(1993年~2001年)にして2000年の“疑惑の”大統領選でブッシュに惜敗した(ことになっているが実は勝っていた)アル・ゴア氏が半生をかけて取り組んできた地球温暖化に対する啓蒙活動を、プレゼンテーション方式で綴ったドキュメンタリーである。
映画が始まるや否や、Pちゃんとふたり100分間ひとことも聞き漏らすまいと画面に釘付け状態になった。それほど完成度の高い、“one of the most impressive movies in these years”と宣言できるドキュメンタリーだった。

この映画のすばらしいところは、
1.ゴア氏以外はまったくしゃべらないという徹底したプレゼン方式と、それを十二分に引き出すカメラワークと見るものを飽きさせないビジュアル・スライドショーの迫力。
2.科学的データに基づく有無を言わせない“真実”に裏付けられた内容。
3.そしてなんといっても、100分間しゃべり続けるゴア氏のpersuasive speechのど迫力。当たり前といえばそうだが、これぞまさしくアメリカ大統領になってしかるべき人の演説。
といったところ。

横で見ていたPちゃんは、真実を見極めようとするゴア氏の徹底した姿勢にサイエンティトとして共鳴・感動していた。
「学者にとってもっともやっかいなものは、“beleif(信心)”のみを主張し“evidence(根拠)”を語ろうとしないやつらだ」がPちゃんの口癖。数十年も前から科学者たちが地球温暖化を指し示すれっきとした科学的evidenceを提出し警鐘を鳴らしていたにもかかわらず、アメリカ政府はいろんなへ理屈をつけてはこれを無視し続けた。そして、あのハリケーン、カトリーナを招き入れたのだ。
Pちゃんは映画を見ながらかなり勢いづいたようで鼻息が荒い。
「世の中には2種類の愚か者がいる。“地球温暖化は存在しない”という人、そしてもうひとつは“地球温暖化はあったとしてもそれは人類のせいじゃない”という人。後者の方が己のbeliefに固執しているぶん話にならないから、ずっとたちが悪い」

ゴア氏は、このたちの悪い魑魅魍魎のなかでサルでもわかるような平易な言葉と例を挙げて懸命に説得を続け、あきらめずに戦い続けた。その孤独な戦いがここにあった。
地球温暖化を認めようとせず京都議定書に批准しなかったアメリカで、温暖化に警鐘を鳴らし戦い続けたサムライがいたことに、アメリカもまだまだ捨てたものじゃないと思った。と同時に、アル・ゴアよりも、サル以下のブッシュを大統領にしてしまった2000年の選挙が、いよいよ悔まれてならない。

さて、我が家での温暖化対策はというと、

・ 車は所有せず、公共機関やシェアカーを使う。(二人の生活パターンからしてここでは必要なし)
・ 消費電力の少ない照明器具を使う。
・ こまめに電源を切る。
・ 買い物はマイバッグ持参する。



この映画を見て、さらに意識が高まったのは言うまでもない。


*日本での劇場公開予定
:http://futsugou.jp/theaters/index.html
 絶対に見逃してはいけない作品です! 

お客さん第一号。

2007-03-24 11:02:09 | アメリカ生活雑感
近ごろ運動不足で太り気味をきにしてか、Pちゃんは職場仲間のヨハネスくん(from ドイツ)とよくジョギングをしている。いつもヨハネスくんが車でうちにPちゃんを迎えに来てくれ、裏山(バークレーヒル)のあるポイントに車を停めて、そこから6マイルほどベイに沈む夕日を見ながら一緒に走るらしい。
今日も走る約束をしていたらしく、Pちゃんが夕方あわてて家に帰ってきた。いつもいつも迎えに来てくれてありがとう、と感謝をこめて今日は急遽ヨハネス君を夕食にお招きすることにした。思えば、引越し以来(というか前のアパートも含めて)初めてのお客様だ。

今日は簡単にてんぷら大会。いかにも日本的だし見た目も豪華っぽいし。ネタはごぼうとにんじんと干しえび(掻き揚げ)、れんこん、かぼちゃ、しいたけ。前菜は夕べの残りの、豚バラの黒酢煮とかぼちゃの甘煮、うなぎの蒲焼(冷凍)。
ヨハネスくんは何でも食べてくれるので作りがいがある。ドイツ人は日本人と似て「何でも食べなさい」という教育を受けているようだ。アメリカ人とは大違い。



結局、ビールからはじまってワインをあけ、1時半まで盛り上がった。そのあとほろ酔い気分のヨハネスくん歩いて帰っていった。

翌日Pちゃんは「昨日はおいしかった~ありがとう!」と感謝の言葉を何度も言ってくれた。でもなにか言いたそう。聞いてみると、ヨハネスがうちにやってきたとたんに間髪いれずに食事を始めたことに原因があるらしい。こっちはジョギングあとで相当おなかがすいているだろうと、即座に座らせて夕食を開始したのだった。
「あのさ~、少なくとも10分くらいはゆっくり話とかして始めようよ」と言われ、それもそうかとひとりでオオウケしてしまった。せっかちな私の悪い癖で、早く早く、食べろ食べろと急がせすぎたかなと反省。
かと思うと、キッチンでつきっきりでてんぷらを揚げていた私が相当気になっていたたらしく「キミは僕の召使いじゃないんだから、もっとリラックスして一緒に楽しんでくれたらよかったのに。(いつもこき使っていると思われて)ちょっと恥ずかしかった」。へへ~そんなもんですかね。
何しろこちとらてんぷらだけにそばを離れるわけにはいかないし、アツアツを食べてほしかったのであまり最初はふたりに参加できなかったのだった。それにふたりだと心おきなくドイツ語トークできるので気を利かせたつもりだったのに。
日本的な気遣いは、ガイジンには重荷になることがわかって面白かった。



たのもう、Ledisi

2007-03-23 07:52:14 | アメリカ生活雑感
ずいぶん前の話になってしまったけれど、先月末に“師匠”Ledisiのライブを見に行った。
地元のJazz Schoolで行われたカジュアルなライブで、お客さんも彼女の生徒たちがほとんどのようだった。"Yoshi's"でやるビッグコンサートもバリバリ気合が入った彼女を見ることができて楽しいけれど、こういうhomeyなムードもまた楽しい。
2枚チケットを買っていたので、マサコを誘ってふたりで「このアレンジいいね」とか「ギター最高!」などといいながら堪能。いい勉強になった。
今日はバンドではなく、ギターとのデュオ。このギタリストもまた、押しすぎず引きすぎず、聴かせるところはたっぷり聴かせながら、それでいてLedisiの自在なヴォーカリングをがっちり支えているという理想的なプレイだった。

パフォーマンス終了後、Ledisiにごあさいつ。そのときやっと私の本「たのもう、アメリカ。」を渡すことができた。実は、本ができる前から彼女のことや写真を掲載することについていろいろと事前根回しをしていたのだった。本と彼女の登場シーンを英訳したものを渡すと、Ledisiも「わ~!やっとできたのね。so exciting!日本人の友達にも渡して読んでもらうわ」と喜んでくれた。
そして記念撮影。


あの、天地逆ですけど。ま、いいか。(笑)
http://www.ledisi.com/

2007-03-22 06:12:30 | アメリカ生活雑感
ぽかぽか陽気が続き、ここのところめっきり春を感じるようになった。
引っ越したときはハダカだった玄関前の木も、新緑ですっかり覆われた。この季節は大好き。何かを始めたくなる時期でもある。
というわけで、今週からまたアダルトスクールに行くことにした。といっても11:30から12:30までの1時間のビジネスpre.クラス。
アメリカでの基本的なビジネススキルを学ぶという単純なクラス(おっと、失礼)で、名前の呼び方から電話の応対、メールやレジメの書き方などなど、実務的なことを教えてくれるらしい。(タダ)。アメリカ独特のビジネスマナーや判断基準など、今後知っておいて損はないことも多いし、なんといっても友達の輪を広げ情報ソースを広げる(これが一番)にはもってこいだ。家で何をするでもなく過ぎていくこの時間帯、せっせと毎日自転車こいで通うのもいい運動になる。午前と午後の切り替えもできるしね。



脈絡もなく、最近の朝食風景



Pちゃんは大好きなホットサンド、私はいかなごご飯と目玉焼き。

アメリカでいかなご

2007-03-21 02:44:53 | アメリカ生活雑感
関西、しかも神戸地方に住んだことのある人ならば誰でも知っている名物が「いかなご」。
これを釘煮(つくだに)にしたものが地元では“春先の味”で、各家庭が少しずつ違った味に仕上げるおふくろの味のひとつ。
これを毎年送ってくださる神戸の友人から、今年はなんとアメリカにいかなごが届いた!
聞くところによると今年は世紀の不漁でなかなか手に入らず、スーパーには朝からいかなごを求める主婦が長蛇の列をなしていたそうで、そこにわざわざ並んで手に入れてくれ、しかもせっせと2種類の味付けをして送ってくれた。涙が出るほどうれしかった。
Pちゃんも大のいかなご好き(変なガイジン)で、ふたりであつあつのご飯に盛ってはふはふ食べた。
当分、我が家の食卓にはいかなごが並ぶ。幸せな気分



ごちそうさまでした!


*いかなご とは
スズキ目イカナゴ科で漢字では玉筋魚と書きます。
(新子しんこ)(ふるせ←大)(こな←小)
(かなぎ)(小女子こうなご)など地域によって呼び名がちがう。
いかなごの色で腹の赤い「赤腹」と全体に青い「青口」があります。体長は20Cmちかくにもなる。 水温が15度を超えると砂に潜って夏眠します。12~1月になると浅瀬の きれいな底砂に産卵します。淡路島の西側沖の「鹿の背」や東側沖の「沖の瀬」がその場所にあたります。2月後半の解禁~4月末頃までが漁期で2~6cmが食べ頃です。

*いかなご の名前
ある旅人が当地にて 「この魚は、何と言う名前ですか?」と尋ねられました。それにたいして 「何とおっしゃいました?」という意味の方言で聞き直しました。
その旅人が、その方言を魚の名前と思ったのが一つの(説)です。
引用:http://www.ne.jp/asahi/kobe/uotomo.com/index.html

ぽかぽか誕生日

2007-03-20 07:14:27 | アメリカ生活雑感
日本とアメリカで、二日間計48時間の誕生日をお祝いしてもらうというラッキーに恵まれた去年の誕生日からちょうど1年。
あっという間に今年の誕生日がやってきた。トシをとることはうれしくないけれど、たくさんの方からお祝いのメールをいただき、存在を覚えてくれていたことに感謝。

夕べからPちゃんがなにかごそごそとたくらんでいるのを、知らないふりをして目覚めてみると・・。


テーブルにお祝いのカード、プレゼント(アロマオイルセット)そしてお花。
スペインのママからカードと現金!(50ユーロ)がPちゃんあてにひそかに送られていた。
かなりうれしかった。朝からシャンパンで乾杯!
Muchas gracias, Mama!!

そして今晩のdinnerは、バークレー・マリーナにあるレストラン“SKATES”でPちゃんにご馳走になった。
ベイに沈む美しい夕陽が見渡せる、絶好のロケーションにある有名なレストラン。ふたりとも存在は知っていたけれど今まで行くことはなかった。今日はせっかくなのでちょっとおめかしをしていそいそとでかけた。



 

窓の外の沈む夕陽を見ながら、乾杯!


ふたりともあまり多大な期待していなかった割には、サービスも味もまぁまぁのレストラン。
やはり特別なところなのか、そこらここらで誕生日を祝う人たちがいた。
気をよくして飲みすぎ、翌朝は二人とも「もうしばらく酒ええわ」状態。

Thank you P-chan!!






イタリアふり返り

2007-03-18 03:15:19 | 旅行
わずか1週間というかけ足のイタリア訪問記と備忘録。

 コンフェレンス編
今回の目的はPちゃんのコンフェレンス(国際会議)出席、それに同行させていただいたとい次第。
最近出かけすぎだったこともあって初めはご遠慮したが、「こんなことでもないとモンブランを見ながらスキーすること一生ないかもよ」といわれコロリと翻意。お言葉に甘えてご一緒させていただくことになった。
この物理学会議、面白いことに毎年スキーリゾートで開かれるのが恒例となっているそうで、半分以上の人たちが当たり前のようにマイスキー持参。もちろん家族もはじめからそのつもりで来ているからその用意周到さにびっくり。
Pちゃんのようにスキーをやらない人はどうするのか?というと、主催者側が初心者のために毎日2時間のフリーレッスンを用意してくれるという気の回しよう。しかもレンタル代とリフト代も、特別割引きという大サービス。ありがたや。

会議は午前の部8:30~11:30と、午後の部4:30~7:30の1日2回。
昼間の5時間の休憩時間は家族とゆっくりおすごし下さい、という配慮らしかった。が、水曜日に自分のトークをひかえたPちゃんはそれどころじゃない。連日手直しやら練習やらで、気が休まる間なし。前日もほとんど寝ずに緊張しどおしだ。まさにガラスの心。そんなことでこれから生きていけるのか?と心配になる。図太い神経をかわってあげたい。
私はそんな彼のお邪魔にならないよう日中は“ひとり合宿”に出かけていくという完全離れ離れの毎日だった。おかげで遠慮なく楽しませてもらいました。


で、問題の緊張のトークが終わると・・・

それまでの疲れが一気に出て、Pちゃんはなんと発熱でダウン。おい~~!
それでも、翌日は根性でセッションに出かけていくあんたはえらい!会議に来ているのにほとんどスキーばかりやってる人、自分のトークが終わったらさっさと帰ってしまう人も多いなかで、Pちゃんは純粋に本当にこれ(物理)が好きなんだなぁ、とその真面目さにホレなおした次第。

 トラブル編

前代未聞の最低事件勃発。
行きの飛行機はUAとルフトハンザの共同運行する便(サンフランシスコ→フランクフルト→ミラノ)に予約を入れていたのだが、当日長蛇の列を並んだルフトハンザ窓口で「チケットが出ないのでUAに行ってくれ」といわれ、UAに並ぶと今度は「ルフトハンザに」。いったりきたりしているうちにルフトハンザ便がオーバーブッキングのためあえなくはじき出された。で、UAに戻ると「その便は締め切りました」。
これには私たちは完全にキレた。ミラノでコンフェレンス会場行きのバスが待っているのでそれに乗り遅れることはできない、ほかの便を即座に用意しろとUAに詰め寄ったが、時間通りにミラノにたどり着ける便はどれも満席。
やっとのことでとれたのがロンドン乗り換えのミラノ行きBA(英国航空←サイテー)。しかも到着は予定時間よりも2時間も遅く、バスは行ってしまった後。やむなく電車で近くの駅まで行き、コンフェレンスの主催者の手配する個人バスにむかえにきてもらった。ホテルにたどり着いたのはほぼ4時間遅れの午後7時だった。もうこれだけでヨレヨレ。とんだスタートとなってしまった。
外国の航空会社って、なんで平気で「うちのせいじゃありません」なんて言うんだろう。日本じゃ考えられない

 クレーマー編
もう、これにもすっかり慣れてしまった。
Pちゃんと旅行に行くと必ず、“お部屋のジプシー”がならわし。何故って、「タバコくさい」「カビくさい」「うるさい」この中のどれかひとつにでも該当すると即座にフロントに文句をいって部屋をかわらせてもらうのだ。でもって、必ず的中。
La Thuileでは「カビくさい」、ミラノでは「タバコくささと騒音」。特にミラノでは部屋の空調がきかず暑すぎ(私にはちょうどよい)、そこにきて禁煙の部屋といっておきながら部屋に灰皿があったことに飛び火して激怒。午前4時から大引越しが始まった。いやぁ、まいったまいった。
それでも、イタリアのホテルは今までになくとても親切、紳士的だった。即座に部屋を用意してくれ、しかも寝過ごして間に合わなかった(こっちが悪い)朝食も、特別サービスで用意してくれた。これには私はかなり、恐縮してしまった。
イタリア、万歳!

 食べ物編

1週間同じようなホテルのバイキングを食べ続けたので最後はちょっとうんざりだったけれど、そこはイタリア、それなりにチョイスも多くそこそこ楽しめた。シーフードもふんだんで、アメリカとは大違い。
しかし、危険ともいえるバイキングのせいでPちゃんは3キロ太った(らしい)。きっと私も・・・おおこわ。
余談ですが、イタリアはレストランは完全に禁煙。おかげでスペインのような“レストラン難民”ストレスは一切なかった。イタリア、万歳!!




ミラノからミュンヘンにわたる帰り道はアルプス越え。このルート、オススメです。



サンフランシスコ到着間際サンセット

パソコン修理顛末記。

2007-03-17 06:55:53 | アメリカ生活雑感
本日、2週間ぶりにパソコンが復活。自宅に帰ってきた。(ほ~)
イタリアに行っている間は、コンフェレンス会場に設置されていたパソコンルームで逐次メールチェックできたので意外とストレスはなかったけれど、やはり日本語で書けない苛立ちはつのっていた。
なければないでハラをくくるところだけれど、なにせ日本語を打たねばならない仕事の納期が差し迫っているので本当に焦った。

簡単に何が起こっていたかというと、今回はハードディスクが完全にイカれてしまっていた。当然、C,Dドライブに保管していたドキュメントもパァ。唯一、写真だけ(昨年末まで)はCDに保存していたので被害は免れたが、昨年7月にイカれてから今までの7か月分のメールやドキュメントがすべて藻屑と消えた。
今回修理をお願いした「便利屋さん」によると、このNECパソコンはリカバリーCDがハードに内蔵されているのでハードがやられるとリカバリー自体ができなくなるしくみらしい。要するに、元気なうちにリカバリーCDを自分で作っておいてね、ということらしいのだがそんなこと知るかいな!「どうしてもリカバリーCDがほしいのなら、有料で郵送します」というしくみ。これはつまり、自分たちで修理しないでほしいというNECの魂胆らしい。せこいぞ、NEC!

復活までの作業実費、WindowsXP、ハードデスク(80GB)の買いなおしと設定もろもろで、計367ドルの大出費となってしまった。
しかもハードをとっかえただけ(しかも英語版)初期化したわけではないので、CDなどの音楽が聴けないという結構決定的ともいえる不完全状態のままだ。
NECに電話する→初期化CDを自宅に送ってもらう→海外に郵送してもらう→自分でもう一度初期化する、という作業を経てやっと、元の状態に戻るという。まぁ、来月後半ってとこかな。まったくよ。

NECは、とどのつまりがやはり「日本電気」。海外ではまったく役に立ちませぬ。今回納得。(ちなみに「どの機種が持ち込まれることが多いですか?」と聞いてみたところ、やはりというか答えは「VAIO」。圧倒的らしい。さすが、世界のソニータイマー。←時間がきたら壊れるようにタイマー設定されているってことです。)