マドリッドからゲッチョのマリベールおばちゃんのうちに滞在すること約3日、早々に領事館からビザが届いたとPちゃんから連絡。
今回はちゃんと私と同じ期間(5年)が記されていたようで、これでやっと一息。
あとはアメリカに帰るまでの約2週間、心置きなく自由に過ごせるとあって、Pちゃんはひとりでいろいろと懐かしい場所を探検して歩いている様子。
もともと何が起こるかわからないので長めに滞在期間を設定しておいたのだ。
なかでも、5歳でドイツに移り住むまで幼少期を過ごした街、サントルセには特別な思いがあるらしく何度も足を運んでいるようだった。
Pちゃんが産まれたのはスペイン北部の小さな街。
実の父親はPちゃんがまだ赤ん坊の時に、突如ママとPちゃんを残して姿を消してしまった。まだはたちそこそこだったママの戦いは、ここから始まる。
当時スペインでは離婚が許されなかったため、再婚することもできず乳飲み子を抱えて生きることは相当の苦労だったに違いない。
ママは生活のために遠くの街に働きに出たので、Pちゃんはおばあちゃん(ママのママ)の家に預けられ、毎日おばあちゃんと過ごしていたそうだ。
月に1~2度帰ってくる、疲れて機嫌の悪い母親。その母にとにかく愛されたい一心でいい子で待ち続けたいたいけな幼いペドロ。
なんだか心がしくしく痛む。
そんなペドロに、母は優しくする余裕すらなかった。
彼はそれをずっと心のどこかに引きずっていて、自分の不幸はすべて母親のせいだという思いがいまだに根強く残っている。
今回も、せっかくスペインに行っているというのにママには頑として会おうとせず、ずっとマリベールのうちに滞在しているくらいだ。
ママはそんなペドロのことをすべてわかっているので、じっと会わずに我慢しているので、私が逐次ママにペドロの様子をメールで報告をしている。(・・・ややこしい。)
母親と息子というものは、一歩間違うと一生修復不可能な関係になってしまうのかもしれない。
愛なのか、憎しみなのか。
さて、そんなPちゃんから届いた写真。
ゲッチョと隣町のポルトガレッテを結ぶ「ビスカヤ橋」。
19世紀、鉄鋼業で町が栄えていた時に建てられた世界で一番古い移動橋。
車と人をブランコのように載せて向こう岸まで移動する。大きな橋ができた今でも、地元の人にとっては大切な移動手段として使われている。
向こう岸の街サントルセには、おばあちゃんと暮らしていたアパートが残っている。
近所の友だちとサッカーをして遊んだ広場
こんなところを駆け上って遊んだんだろうな。
いわし漁を中心に漁港として栄えたサントルセの港
この夜景を見ながら何を思ったのか・・?
とあるBarで知り合った、「サントルセ歴史保存会」"Santurtzi - Barrio San Juan del Rompeolas" (http://sanjuandelrompeolas-santurtzi.blogspot.com.es/)の人々。
ペドロを熱烈歓迎してくれて、昔の写真をいろいろ見ながら遅くまで語り合ったそうだ。
左の女性はペドロの祖父母を知っていたという。
The lady to the left, Itziar Murua (Donibaneko Gara) is a walking encyclopedia who knows everybody and everything about the local history, including my grandparents - amazing. ― with Donibaneko Gara in Santurce, Pais Vasco.
★ ★
翌日訪れた、Bilbao(ビルバオ)
ビルバオ市は、スペイン北部、バスク自治州(地図の赤い部分)、ビスカヤ県に属する。
美しいビルバオの街並み
建築家フランク・O・ゲーリー設計の、ビルバオ・グッゲンハイム美術館
ユネスコで働いている従妹のネカネ。
バスクの旗(in Santurce, Pais Vasco)
今回はちゃんと私と同じ期間(5年)が記されていたようで、これでやっと一息。
あとはアメリカに帰るまでの約2週間、心置きなく自由に過ごせるとあって、Pちゃんはひとりでいろいろと懐かしい場所を探検して歩いている様子。
もともと何が起こるかわからないので長めに滞在期間を設定しておいたのだ。
なかでも、5歳でドイツに移り住むまで幼少期を過ごした街、サントルセには特別な思いがあるらしく何度も足を運んでいるようだった。
Pちゃんが産まれたのはスペイン北部の小さな街。
実の父親はPちゃんがまだ赤ん坊の時に、突如ママとPちゃんを残して姿を消してしまった。まだはたちそこそこだったママの戦いは、ここから始まる。
当時スペインでは離婚が許されなかったため、再婚することもできず乳飲み子を抱えて生きることは相当の苦労だったに違いない。
ママは生活のために遠くの街に働きに出たので、Pちゃんはおばあちゃん(ママのママ)の家に預けられ、毎日おばあちゃんと過ごしていたそうだ。
月に1~2度帰ってくる、疲れて機嫌の悪い母親。その母にとにかく愛されたい一心でいい子で待ち続けたいたいけな幼いペドロ。
なんだか心がしくしく痛む。
そんなペドロに、母は優しくする余裕すらなかった。
彼はそれをずっと心のどこかに引きずっていて、自分の不幸はすべて母親のせいだという思いがいまだに根強く残っている。
今回も、せっかくスペインに行っているというのにママには頑として会おうとせず、ずっとマリベールのうちに滞在しているくらいだ。
ママはそんなペドロのことをすべてわかっているので、じっと会わずに我慢しているので、私が逐次ママにペドロの様子をメールで報告をしている。(・・・ややこしい。)
母親と息子というものは、一歩間違うと一生修復不可能な関係になってしまうのかもしれない。
愛なのか、憎しみなのか。
さて、そんなPちゃんから届いた写真。
ゲッチョと隣町のポルトガレッテを結ぶ「ビスカヤ橋」。
19世紀、鉄鋼業で町が栄えていた時に建てられた世界で一番古い移動橋。
車と人をブランコのように載せて向こう岸まで移動する。大きな橋ができた今でも、地元の人にとっては大切な移動手段として使われている。
向こう岸の街サントルセには、おばあちゃんと暮らしていたアパートが残っている。
近所の友だちとサッカーをして遊んだ広場
こんなところを駆け上って遊んだんだろうな。
いわし漁を中心に漁港として栄えたサントルセの港
この夜景を見ながら何を思ったのか・・?
とあるBarで知り合った、「サントルセ歴史保存会」"Santurtzi - Barrio San Juan del Rompeolas" (http://sanjuandelrompeolas-santurtzi.blogspot.com.es/)の人々。
ペドロを熱烈歓迎してくれて、昔の写真をいろいろ見ながら遅くまで語り合ったそうだ。
左の女性はペドロの祖父母を知っていたという。
The lady to the left, Itziar Murua (Donibaneko Gara) is a walking encyclopedia who knows everybody and everything about the local history, including my grandparents - amazing. ― with Donibaneko Gara in Santurce, Pais Vasco.
★ ★
翌日訪れた、Bilbao(ビルバオ)
ビルバオ市は、スペイン北部、バスク自治州(地図の赤い部分)、ビスカヤ県に属する。
美しいビルバオの街並み
建築家フランク・O・ゲーリー設計の、ビルバオ・グッゲンハイム美術館
ユネスコで働いている従妹のネカネ。
バスクの旗(in Santurce, Pais Vasco)