“鉢呂前経産相の「放射能つけちゃうぞ」発言は虚報だった!” という記事を読んだ。
言った、言わないを巡る論争はその場にいる者にしかわからないからどうもコメントできない。
しかし、逆に言うとその場にいる者だけは真相を知っている。
特に、マスコミは取材の際いつもICレコーーダーを持って一部始終を録音しているので、もし本当に大臣が件の発言をしたのなら証拠として出すべきではなかったか、と思う。
あれだけ大騒ぎして報道し、一国の大臣を辞任にまで追い込んだのだから。
その前に内閣はもっと毅然として「証拠を出せ」と言うべきではなかったのか。
そうする前に火消しに走った。
どっちもどっちである。
これで思い出したのが先日のワシントンでの取材。
イノウエ議員の勲章受章伝達式が終わった後、私たち取材陣は別室で氏の受章後のインタビューをするために待機していた。
この日集まったのは、ワシントンに駐在する日本のマスコミ各社。もちろんみんな顔見知りのようだった。
談笑する彼らの話を何気なく聞いていて耳を疑った。
なんと先ほどの受賞式でイノウエ氏が語った言葉の「確認」作業をしていたのだ。
「マイクの音が小さくてよく聞き取れなかったんだけど、確か“義務”と“名誉”って言ってたよね?」
「そうそう、たしかお祖父さんが言っていたって」
「Do my bestとも言っていたよ。日本の皆さんのためにも全力を尽くす、みたいな感じ?」
「んじゃ、『祖父から“義務”と“名誉”の大切さを教わった。これからも全力でがんばりたい』ってことで」
一斉にメモを取る男たち。
君たちはいつもこうやって「横並びの報道操作作業」をしているのか!?
自分の耳で聞いたことを自分の言葉で正しく報道するのが君たちの仕事ではないのか?
それをこともあろうに、「ねーねー、こんな感じでどう?」って密談しているとはいったい何ごとだ。
それをジャーナリズムと呼ぶのか?
翌日、報道を検索してみると予想通り各社とも判をついたように同じところを切り取って、まったく同じ翻訳をして報道をして、思わず笑ってしまった。
もちろんイノウエ氏はほかにもいろんなことを語ってくれた。全部紹介する必要はないけれど、もっと各社独自の切り口があってもよさそうなものだ。
これが日本のマスコミなのだ。
これを経験したあとに冒頭の鉢呂前経産相のニュースを聞くと、これは全てマスコミが口裏を合わせてでっちあげたデマなのではと疑わざるを得ない。
彼らは必ず録音機器を肌身離さず持っていて、どんな会話も欠かさず録音している。
4~5社いた報道関係者が皆これを忘れていたとはとても考えられないから、絶対に大臣の発言は録音されているはずである(もししたのなら)。
それを公にできないということは、その会話が存在しないということだろう。
言ったはずもない発言で辞めさせられる、辞めてしまう大臣もだらしないが、
取材のあと口裏合わせをして横並びで一斉に報道するマスコミには、誇りのかけらもない。
奇しくも、昨夜見た映画「Page One: Inside the New York Times 」(Andrew Rossi (アンドリュー・ロッシ監督)は、新しい情報化の時代に生き抜くアメリカ一の新聞社の誇りと生き残りにかける攻防をドキュメントしていた。
確かな証拠がないままスクープすることを決して選ばないNYTの硬派な姿勢にも感銘を受ける。
爪の垢でも煎じて日本のマスコミに飲ませてやりたい。