Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

横並びの報道が日本を潰す

2011-10-26 11:44:20 | アメリカ生活雑感


“鉢呂前経産相の「放射能つけちゃうぞ」発言は虚報だった!”
という記事を読んだ。

言った、言わないを巡る論争はその場にいる者にしかわからないからどうもコメントできない。
しかし、逆に言うとその場にいる者だけは真相を知っている。
特に、マスコミは取材の際いつもICレコーーダーを持って一部始終を録音しているので、もし本当に大臣が件の発言をしたのなら証拠として出すべきではなかったか、と思う。
あれだけ大騒ぎして報道し、一国の大臣を辞任にまで追い込んだのだから。
その前に内閣はもっと毅然として「証拠を出せ」と言うべきではなかったのか。
そうする前に火消しに走った。
どっちもどっちである。

これで思い出したのが先日のワシントンでの取材。
イノウエ議員の勲章受章伝達式が終わった後、私たち取材陣は別室で氏の受章後のインタビューをするために待機していた。
この日集まったのは、ワシントンに駐在する日本のマスコミ各社。もちろんみんな顔見知りのようだった。
談笑する彼らの話を何気なく聞いていて耳を疑った。
なんと先ほどの受賞式でイノウエ氏が語った言葉の「確認」作業をしていたのだ。

「マイクの音が小さくてよく聞き取れなかったんだけど、確か“義務”と“名誉”って言ってたよね?」
「そうそう、たしかお祖父さんが言っていたって」
「Do my bestとも言っていたよ。日本の皆さんのためにも全力を尽くす、みたいな感じ?」
「んじゃ、『祖父から“義務”と“名誉”の大切さを教わった。これからも全力でがんばりたい』ってことで」
一斉にメモを取る男たち。

君たちはいつもこうやって「横並びの報道操作作業」をしているのか!?
自分の耳で聞いたことを自分の言葉で正しく報道するのが君たちの仕事ではないのか?
それをこともあろうに、「ねーねー、こんな感じでどう?」って密談しているとはいったい何ごとだ。
それをジャーナリズムと呼ぶのか?

翌日、報道を検索してみると予想通り各社とも判をついたように同じところを切り取って、まったく同じ翻訳をして報道をして、思わず笑ってしまった。
もちろんイノウエ氏はほかにもいろんなことを語ってくれた。全部紹介する必要はないけれど、もっと各社独自の切り口があってもよさそうなものだ。
これが日本のマスコミなのだ。

これを経験したあとに冒頭の鉢呂前経産相のニュースを聞くと、これは全てマスコミが口裏を合わせてでっちあげたデマなのではと疑わざるを得ない。
彼らは必ず録音機器を肌身離さず持っていて、どんな会話も欠かさず録音している。
4~5社いた報道関係者が皆これを忘れていたとはとても考えられないから、絶対に大臣の発言は録音されているはずである(もししたのなら)。
それを公にできないということは、その会話が存在しないということだろう。

言ったはずもない発言で辞めさせられる、辞めてしまう大臣もだらしないが、
取材のあと口裏合わせをして横並びで一斉に報道するマスコミには、誇りのかけらもない。


奇しくも、昨夜見た映画「Page One: Inside the New York Times 」(Andrew Rossi (アンドリュー・ロッシ監督)は、新しい情報化の時代に生き抜くアメリカ一の新聞社の誇りと生き残りにかける攻防をドキュメントしていた。
確かな証拠がないままスクープすることを決して選ばないNYTの硬派な姿勢にも感銘を受ける。
爪の垢でも煎じて日本のマスコミに飲ませてやりたい。





GORO初のシカゴ体験

2011-10-24 14:13:43 | GORO
10月後半とは思えないぽかぽか陽気につられて、急に思い立ってシカゴに行ってみることにした。
いつもと違うのは、今日はGOROが一緒なこと。
シカゴにGOROを連れて行ったことはまだ一度もなく、これが初めて。
GOROももう立派な大人。それなりの社会ルールもちゃんと身に着けたし、そろそろデビューにはいい時期だ。


午後3時、遅めの出発。
向かったのは、私たちも今まで行ったことのないシカゴ北部のノース・ショアー。

 
最初のシカゴショット!


ビーチバレーに興味津々


 
初めての砂の感触に大興奮。満面の笑みをうかべてあっちへこっちへと走り回る。



 

 
GORO初めてミシガン湖にふれる、の図


そのうちに波と戯れはじめ、Pちゃんの投げ込んだ石を追ってダイブ。






1時間半ほど散歩を楽しんだ後、今度はグラント・パークにあるドッグパークへ行ってみた。


規模はちょっとがっかりするくらい小さかった(しかもコンクリート)だったけど、夜景は抜群。


あーよう遊んだばい。

★ ★

午後6時半。
すっかり日も暮れ、おなかもぺこぺこになった私たちは
あらかじめリストアップしておいた「ドッグフレンドリーなレストラン」へ向かう。
4件目にしてようやく見つけたのは、オールドタウンにあるフレンチレストラン、『Bistrot Margot』

ここが予想外に大当たり!
食事も珍しく質・量ともに満足できたうえ、雰囲気もよく、GOROもリラックスしてパティオに座って一緒に食事を楽しむことができた。
通りすがりの人たちからも「なんてかわいい犬かしら!」なんて声をかけてもらえたし。
これからは寒くなるので、こうやって外で食事ができるのも今週がひょっとして最後だったかもしれない。




かくして一日“GOROサービスデー”は終了。
思いつきで行ってみたわりには充実した満足の一日だった。
家に帰って、シャワーですっきりしたGOROはそのままダウン。
翌日も昼間までぐっすり爆睡・・・(私のかけ布団の上で・・・)。


教えて、学ぶ。

2011-10-16 13:43:55 | アメリカ生活雑感
9月末から、ふたりのアメリカンガイに日本語を教えている。
もともと「言語を教える」ことに興味があり、それも何かと制限やしがらみの多い大学などのオフィシャルな場所ではなく
コミュニティーや家庭教師などの小さな単位でゆっくりと議論を交えながら教えるというスタイルにあこがれていた。

自分自身、英語を鍛えられたのもバークレーでの小さな教室のおかげだったという経験もある。
ここでは、言葉を詰め込むのではなく、新聞やニュースなどからネタをひろっては、タブーを設けずありとあらゆる議論をした。
自分の意見を正しく伝えらえないもどかしさから、一生懸命ボキャブラリーや表現を覚えた。
そのパッションが「学ぶ」言語から「身につける」言語へと替えていってくれたように思う。

ふたりの生徒は、幼なじみ同志の24歳。
そのひとりアンドリューくんは、大学で日本語を教えている友人の元教え子。
日本に関係した仕事をしているものの、普段日本語をまったく使わないのでほとんど忘れてしまいもう一度是非学び直したい、と友人に連絡してきたのがそもそものきっかけだった。
その友達、アレックスくんは、日本にも進出している大手家具メーカーで働いている。
日本が大好きで、近い将来は日本のブランチで働きたい、そのためにも日本語を身に着けたいと切望している。
そして、いわずもがなの「オタク」である。日本のアニメ、コミックにめっぽう詳しいので私とも話が合う。
ふたりとも、とってもまじめないいヤツなのだ。


クラスは週に一度、うちの近所の図書館で2時間。
一応、日本語の教本に沿いながらすすめているものの、毎回話がいろいろ脱線してしまうのが常。
でも、この脱線こそが言葉を身に着ける重要なシークレットウェポンなのだ。

今までも、歴史と宗教観(日本における“神さま”の解釈)や宮崎駿アニメの世界観について、
日本のプロ野球のシステムについて、大相撲について・・・・などなど面白い議論をいろいろしてきた。
マンガの話で盛り上がったときには、日本には古くから「スポコン漫画」というカテゴリーが確立されているんだよ、と教え
「あしたのジョー」や「巨人の星」、「タイガーマスク」などの映像を送り、昔の“スポコンアニメ”の主人公はみんな貧しい家庭の子だった、という時代背景も語ったり。

カタカナ、ひらがなを覚えたころには、日本マーケットのチラシを読み、ついでに日本の食の豊富さについてもいろいろ議論。
またあるときには、「じてんしゃ」がどうしても覚えられないふたりのために、昔流行ったQueenの“Bicycle”(by 王様)の日本語直訳替え歌のYoutubeを送った。これはバカ受けで今ではすっかり覚えた。

ある時は“curse言葉”、いわゆる罵り言葉について聞かれたりもした。(このへんはやっぱり男の子なんである)
そのときは、まじめに関西における「あほ」と関東における「ばか」の違いを解説したり。


前回の授業では、私のワシントンDCでの経験を話しつつ「アメリカにおける日系人の歴史」を少し教えた。
もちろん、彼らはそんなことは学校で習ったことがなく、興味深く聞いていた。
また、アレックスくんはそろそろ彼女にプロポーズするらしく、それから話が発展して「日本ではエンゲージリングは給料3か月分」とか、「プロポーズの仕方は日米でどう違うか」などという、くだらなくも面白い話でも盛り上がった。


言葉を教えながら、文化も教える。
ずっとやってみたかった「脱線授業」。
一番楽しんでいるのは自分自身かもしれない。


ワシントンDC、駆け足の二日間。

2011-10-09 21:11:43 | アメリカ生活雑感
10月3日から1泊2日で、首都ワシントンDCにある取材に行ってきた。
今年の春の叙勲で「桐花大綬章」を受章した日系2世のダニエル・ケン・イノウエ上院議員の勲章伝達式だ。
普段はシカゴから外に出ることはないのだけれど、こんな機会は滅多にない。
ワシントンDCはいつか訪れてみたいとずっと思っていたし、しかも日本大使館公邸の中に入るというのもそうそうない経験だ。
取材の打診をもらったのは4日前のことだったが、急きょチケットを手配し午前便に飛び乗った。
わずか2時間のフライトでワシントンDCへ。

★ ★



シカゴはここのところ陽気が続いていたけれど、DCは雨模様で風も冷たい。
コートを忘れてきたことを悔やむが、たった二日間だしがまんがまん。
宿泊ホテルは当たって砕けろで当日空港かビジターセンターで手配するつもりでいたので、さっそくガイドブックに書かれていた「観光案内所」を訪ねた。

しか~し!ここはアメリカ、そう簡単にはいかぬ。そんな案内所はとっくの昔になくなっていた。
もはやこれしきのことくらいでひるむ私ではない。
「案内所はあっち」と教えてくれたビルのインフォメーションのおじさんに「そんなもんなかったわ!」と文句を言うと、
おじさんはその勢いに押されたのか、別室にいってある限りのパンフレットを持ってきてくれた。
そのホテルリストにその場で1件1件電話を始める私。

DCのホテルはとにかく高い!1泊300ドルくらいするのが相場のようで(他と違って平日が高いらしい)、私のようにけちけち旅行をしたい身には本当につらい。
今晩には取材があるし、その前にはチェックインしなければならぬ。
電話を何軒かけてもなかなか条件に合うホテルが見つからず焦っていると、見かねたさっきのおじさんが
「近くに観光客向けの安くていいホテルがあるから電話してあげようか」と声をかけてくれた。
ここはおじさんにすがり、結局このダウンタウンど真ん中にある古ホテルに決めることに。ああ、助かった!


Harrington Hotelはすべてのアトラクションに歩いていける最高の立地。

ホテルにチェックインし、そういえばシカゴと時差が1時間あったことを思い出し、あわてて服を着替えてタクシーに飛び乗った。

会場は各国の大使やオバマ政権の議員などそうそうたるゲストが勢ぞろい。
なんと特別ゲストとして、ジョー・バイデン副大統領も駆け付ける華やかな式典だった。

・・・とこの先は、取材記事ができてからのお楽しみ。


★ ★

午後9時過ぎ。取材が終わってホテルに戻る。
せっかくのDCの夜、どこかいいライブバーでもないものかとフロントデスクで若い黒人のお兄さんに聞いてみると、彼は懇切丁寧に教えてくれた。
で、向かったのはダウンタウンから少し北に上がった町、Adams Morgan。
この町はいわゆる、Barやクラブが多い、サンフランシスコでいえばカストロ~ヘイト地区のようなところ。
別の言い方をすれば、ゲイ・コミュニティーの町でもある(らしい)。
ここの「Morgans Organ」というライブ・バーに行ってみた。


今夜はR&B・レゲエバンドが演奏中。

バンドの演奏を聴きながら遅めの晩御飯(かなりまずかったのであまり覚えていない)を食べ、やっと一息。
帰り際に3階をのぞいてみると、ゲイのおっさんがものすごい女装をして踊っていてぶっとんだ・・・

12時過ぎ、ホテルにもどって就寝。


★ ★

二日目。
午後4時半の便までは観光時間。
一転して秋晴れ。気温もどんどんと上がり、20度近くに。

まず、8時すぎに「ホワイトハウス・ビジターセンター」へ。
ここではホワイトハウスの歴史や建物内を紹介するビデオ上映や、歴代大統領の使った特注食器や家具など様々な展示がされていてなかなか面白い。
今まで知らなかったホワイトハウスのトリビアを知ることができた。




残念ながらここで長居している暇はないので1時間ほどで切り上げて、それからはひたすら歩く歩く・・・



遠~くからホワイトハウス
一般民で中に入れるのはアメリカ市民のみ。しかも6か月前に下院議員の推薦のもとでアポが必要らしい。

 
ワシントン・モニュメント。ちょうど外壁の修理中で人が!



第2次大戦メモリアルでは、ベテラン(退役軍人)たちがボランティアで修学旅行らしき高校生に語り部をしていた。






リンカーン・メモリアル。目の前のプールは工事中だった。


お昼近くになり、足も疲れてお腹ぺこぺこだ。
昨夜は史上最低の晩御飯だったし、お昼くらいはおいしいものを食べたい、との悲痛な思いから
タクシーに飛び乗って一路チャイナタウンへ。




ここのチャイナタウンはダウンタウンからも近く便利な立地。
ここでさっそく、ビジネスマン・ランチ御用達風のお店に入ってランチ。
あ~やっと白いご飯食べて満足。 



エネルギー充填120%になったところで、またひたすら7thどおりを南に歩く。


右に見えるはスミソニアン博物館


左に見えるは国会議事堂。


このあたりは博物館密集地だ。全部見ていたら1週間はかかる。
帰りの時刻まで2時間余り。ここはひとつだけ見ようと選んだ博物館が、「National Museum of Natural History(国立自然史博物館)」



とにかくどの展示も興味深く見どころいっぱい。
子どもにもわかりやすい説明や工夫があちこちに施されていて飽きさせない。
Pちゃんが一緒だったら一日いただろうな


 
博物館の中では研究員たちが実際に作業をしているラボを見ることができる。
気の遠くなるような作業に没頭している人たちに、ただただリスペクト。



チリの鉱山事故の炭鉱員救出に使われたカプセルの模型や、
家族らが書いた励ましの手紙などの展示も。実際に見るとうるっとくる


結局全部は見られなかった。次回は是非ゆっくり博物館めぐりをしに来ようっと。
午後3時、ホテルで預かっていた荷物を受け取り空港へ。シカゴへと向かった。

“Sex and The Suburb”

2011-10-05 11:46:51 | music/festival
10月の最初のサタデー・ナイト。
知り合いのサクソフォニスト、スティーブのバンドのJazzライブを、近所のレストラン&Barに見に行くことにした。
せっかくなので近所に住む日本人の主婦友にも声をかけて「たまには“夜のMeeting”でもいかが?」と誘ってみたところ、急なお誘いにもかかわらず5人のお友達が集まってくれた。
そこにPちゃんも黒一点で加わり、計7人。



いつもはランチどきに会う友達が“夜のおしゃれ”をしていて、何とも新鮮でいい感じ
テーブルには見たこともないきれいなカクテルグラスが並ぶ。
いい音楽に耳を傾けながら気心の知れた友達とするおしゃべりも自然とテンションがあがる。
その勢いに少々押され気味のPちゃんは、「“Sex and The City”ならぬ“Sex and The Suburb(郊外)”だね」と名言をはき、
みんなに大うけしていた。
とりあえずつかみはOKで、本人満足そう。


セカンドステージでスティーブから名前を呼ばれて、飛び入り参加。
「Body and Soul」と「All of Me」の2曲を歌った。


Steve Koerner(Sax),Mike Daly(Bass),Zvonimir Tot(Gt)
「Body and Soul」を歌うのはこの日が初めてだったけれど、バックの演奏が素晴らしかったので、一語一語をかみしめて歌うことができた。
「All of Me」はいつもよりも少し早目のテンポで、珍しくSaxと4バースのスキャットなんかをやったりして遊ばせてもらった。


なんのかんの言いながら、結局最後の最後までいた私たち。
店を出たのは午前0時!
たまにはこういう非日常な時間もいいよね。
みんな、楽しい時間をご一緒してくれてありがとう!!

(写真提供:F妻さん)

MAYA誕生!

2011-10-02 21:03:59 | アメリカ生活雑感
Pちゃんのいとこ(Pママの妹マリベールおばちゃんの娘)のネカネに、9月26日第1子の女の子が産まれた!

 
MAYA(マヤ)です。よろしく!

ネカネは3年前に仕事で2年間滞在したグァテマラからスペインに戻ったのだが
その時一緒に連れてきたのが現地で知り合ったボーイフレンド、今の夫クリスチアニくんだった。
グァテマラ人のボーイフレンドに家族は一瞬驚いたようだが、そこはおおらかなフェルナンデス家、
彼を温かく受け入れ、二人は無事に2年前の年末に結婚。
スペイン人ではない彼には世間の目も含めては何かと障害は多いようで、いまだに定職が見つからないらしいが
そこはネカネちゃんがしっかり外で稼ぎ、彼はせっせと専業主夫をこなしているらしい。
まさに現代の夫婦だ。

前にネカネに会ったのは2006年のクリスマス。
ちょうど彼女が家族に会うためにグァテマラから戻ったところだった。
あの時はまだ少女のようだったネカネ(今も変わらないけど)。
きっとマリベールのような素敵なお母さんになるに違いない。
早くまた会いたいなー。



マリベールおばあちゃんとPちゃんママ(右)

GORO災難の1週間。

2011-10-02 18:11:15 | GORO
先週の月曜日の朝、いつもならお昼ごろまでごろごろしているGOROがいつになくそわそわしている。
しばらくしてベッドルームから階下に下りて、今度は玄関の前でクークー泣き始めた。
これは緊急のサインだ。
Pちゃんがあわてて飛び起きてGOROを外に連れ出すと、なんと激しい下痢。
散歩の間、何回ももよおしたらしい。
昨夜特に変わったものを食べたというわけでもないから、きっと外で何か拾い食いでもしてしまったんだろう。
その後も、またお昼ぐらいになって外に出してくれ、と泣いて、また下痢。

その晩から火曜日の朝にかけては、本当につらそうだった。
2時間おきにクークー泣いてサインを送ってくるので、その声にPちゃんが即飛び起きて外に連れ出すこと数回。
お蔭で翌日はPちゃん、寝不足で死んでいた。
それにしても、普段は人が起こそうにも絶対に起きないPちゃんが、GOROのひと鳴きでうそのように飛び起きるから不思議だ・・・。

憐れ、GOROはその日もぐったり。
水曜日は少し食事を口にしたけれど、それでも下痢はおさまらず。
あまりに続くので、かかりつけの獣医さんに電話。
「今日はごはんをあげずに、水だけたくさん飲ませてゆっくり休ませてください。明日も下痢が続くようならまた電話してください」とのこと。
その晩は空腹で一晩中おなかがクークー鳴っていたけれど、初めて起こされずに夜を明かすことができた。
ひとまずホッ。
翌日、白米とキャベツをおかゆにしたものを夜になってがつがつと食べ始めた。
そして金曜日の朝、ようやくかたいうんち。思わずほめてあげた。
本人もうれしかったらしく、誇らしげに私の顔を見ていた。



ここのところずっと雨続きのうえ下痢続きで外で遊んでいないストレスもあったので
土曜日は久々にドックパークへ連れて行った。
久しぶりに会うほかの犬たちと、もう遊ぶわ走るわ。
でも調子に乗りすぎて自分より倍も大きいレトリバーとケンカを始め、それがどうやら引っ込みがつかなかったらしく
超激しいケンカに発展、最後にはレトリバーにかみ殺される寸前のところまで地面に押し倒された。
両オーナーが必死で両者を引き離した。

初めて“完膚なきまでに”やられたGOROは、相当ショックだったらしく腰を抜かしてしばらく立ち上がれない状態。
抱き上げようとするとひ~ひ~と今まで聞いたことのない情けない声で鳴く。
幸いけがはなさそうだったが、こんなGOROは初めて見た。
一部始終を見ていたガードのおじさんが、「もし数日たって異変があるようなら連絡してください」と連絡先を渡してくれた。
ドッグパークでは犬同士のいざかいが多々あるらしく、中には血を見るものもあるのでこうやってガードの人が「やり逃げ」できないように見張っているのだ。

最近体が大きくなりほかの犬とも力負けしないことを知って調子に乗り始めていた矢先だったので
まぁ、これはいいお灸だったかもしれない。