Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

リベンジJam

2011-08-28 23:02:27 | アメリカ生活雑感
土曜の夜は、近所のBar「Morgan's」のJamへ“リベンジ”に行こうと決めていた。
というのも、先週を含めてここのところ過去2回、せっかく出かけたのに最後まで名前を呼ばれることなく、ただの観客で終わってしまっていたからだ。

ここの“ジャム・セッション”は名ばかりで、要は「お得意さんのためのカラオケ場」になっているのはうすうす気づいていた。
何しろ、ここで歌っているシンガーのほとんどがこのあたりのリタイア・シルバー層。暇もお金ももてあましている御仁たちだ。
このBarに毎週のように通って30年というような桁違いなお得意さんで、ホストのブルース・オスカーもこの人たちのために演奏しているようなもの。
しかも歌う曲目はたいがい決まっているから、テンポもキーも告げなくても勝手に演奏が始まってしまう、そんな阿吽の呼吸を続けているのだ。
よく言えばアット・ホーム。悪く言えば、馴れ合いの社交場。

私がここに初めて行ったのが今年の3月。
たまにしか現れない若造の私が2回くらい名前を呼ばれなかったとしてもそれは仕方ないのかもしれないが、堂々と「ジャム・セッション」とラジオで宣伝しているからには参加者全てに均等にチャンスを与えるのがホストの務めというもの。
というわけで、先週“袖”にされたリベンジに、今夜は一人で出かけた。(あまりに鼻息が荒かったのでPちゃんは恐れをなしてついてこなかった?)
ちょうどいい、こういう時は単独に限る。

★ ★

9時ごろ店に入ると、ちょうどセカンドステージの真っ最中。
今夜も元気なオジサマ方がシナトラばりに歌っていた。

席にはいつもの常連さんたちが勢ぞろいだ。
私が一人なのを見て、さっそくシンガーの影のボス(?)パットが「ここへおいで」と同席させてくれた。
彼は70過ぎの爺さんなのだが、いつもリンダという若いおねぇちゃんを連れている。夫婦なのかどうなのか、いまだになぞ。
このリンダ、スレンダーなボディーに金髪のオールバック、それにはじけだしそうな胸をいつもこれでもかと露出する服を着てくるのでPちゃんはそれが楽しみで仕方ない気になって仕方がないらしい。

83歳のリチャードと、奥様のシルビアもこの近所に住む悠々リタイア組。このレストランのガーデンで結婚式を挙げたというから、かれこれ50年以上のお得意様ということになる。
このご夫婦はいつもすてきなスウィングダンスを踊ってくれる。

私が個人的に「植木等」と呼んでいるのが、ハーヴィー。
歌った後にはいつも息があがるほどコミカルに踊ってくれるのだ。それもまるで植木等のように・・・

そしてこの店で多分一番年上なのが、90うん歳のおじい様。
この人、いつも60歳代の「ダンス・パートナー」を連れてここにやってくる。しかも大丈夫か、というくらい踊りまくるのだ。第2次大戦のベテラン(退役軍人)でもある。
とにかくここの店、常連さんの平均年齢が異常に高いのだ。

店に入り、まず皆さんにご挨拶に回る。
「やぁ、ショーコよく来たね。今日はひとりかい?」
「今日こそは歌ってくれるんだろうね。先週君が歌えなかったからかなりがっかりしたんだよ。今日は私から多少圧力をかけておくからね」
口々に勝手なことを言う。そんなに気合入って見えたかな?


10時過ぎ、3rdステージが始まった。
数人のシンガーが歌って今日も時間切れかなと思っていたら、なんと今日はブルースが名前を呼んでくれた。
オジサマ方のプレッシャーが効いたのかもしれぬ。
2週間ぶりに歌うとなんだか世界が違って見えた。
皆さんにも楽しんでもらえたみたいだし、今日のところはこのへんにしといたろ。
リベンジ完了。


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10周年。

2011-08-24 13:14:23 | アメリカ生活雑感
今からちょうど10年前の2001年8月。
スーツケースひとつ携えてサンフランシスコ空港に降り立った日から、私のアメリカ一人暮らしが始まった。
パソコンに筆記用具、Gパンと数枚のTシャツ、大好きな大きなお皿にお茶碗、お椀、それになぜかmy箸、数枚のCD、これが荷物のすべてだった。
誰も知らないところで一から英語を身につけよう、と選んだのがベイエリアの町、バークレーだった。

それからちょうど10年。
本当にあっという間の、しかし人生の中で最も充実した10年だった。

到着早々、2週間後に9.11テロが発生。
アメリカで暮らし始めていきなり、戦争へと突っ走っていくアメリカを生々しく見ることになった。
幸いにもアメリカ一リベラルな町に住んでいたために、まわりの人々は極めて教育レベルが高く冷静で、
戦争に反対する人たちが多くを占めていた。
しかし、ブッシュ政権による戦争へと向かう勢いは止められず、2003年3月18日、ついにあのイラク戦争が開戦。
激しくなる人種差別、無能な政治家たちの政策に賛成する70%のアメリカ人・・・嫌なことだらけだった。

しかし、そんな政情とは裏腹に、私のアメリカ生活は素敵な人々との出会いでどんどん濃く、楽しくなっていった。
何よりも、私の周りには素敵な女性たちがたくさんいた。
バークレーアダルトスクールの恩師Anne、学校の同級生でエジプト人のHODA、HODAの大家さんSylvia、Sylviaの友人でその後私にとってかけがえのない友人になるDede、Dedeの友人でホスピスのナースをしているマルグリー・・・・
彼女たちは間違いなく私の目を世界へと広げてくれた。

2004年7月、日本に帰国。もうアメリカに戻ることは旅行以外でないだろうと思っていた。
2005年、東京に居を構え、フリーの編集者として仕事を始める。よく働いた。楽しかった。
2006年、Pちゃんと結婚して、3月に再びバークレーへ逆戻り。再びアメリカで暮らそうとは夢にも思っていなかったので今でも不思議だ。人生は何が起こるかわからない。
2007年10月、Pちゃんの仕事先変更と共にシカゴへ移ることになった。カリフォルニアからシカゴまで、西から東へアメリカ横断の車の旅は今でも忘れない。
そして、今年でシカゴ郊外生活3年目。
大好きなBluesとJazzと、素敵な友人たちに囲まれた大好きな町。
来年も再来年も、ここにいられますように・・・・。
Pちゃん、いつもありがとう。


若かりし頃 (2004年7月 オークランドにて)
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2012年大統領選~化け物たちが集まってきた

2011-08-20 15:14:47 | アメリカ生活雑感
アメリカでは4年に一度、おかしな政治家たちが恥ずかしげもなくバカ面をさらけ出して私たちを楽しませてくれる。
そろそろそのときがやってきたようだ。

2012年のアメリカ大統領選挙に向けて、候補者たちの正体が明らかになってきた。
見ものは、オバマ政権(民主党)からの奪回を狙う共和党候補の面々。
前回(2008年)もずいぶん笑わせてくれたが(いや、最後は笑いごとではないくらい緊迫したが)、今年の候補たちもものすごい。
のちに立候補を取りやめたが、あの“ただの大富豪”ドナルド・トランプまで立候補を表明し、一時は恰好のお笑いネタになっていた。
常々思ってはいたけれど、自分に“その器”があるかどうかを知らない人が、大統領候補に限らずアメリカには多いようだ。
要するに、“国民皆自信過剰国家”なのではないかと思う。

その代表格が、2008年に共和党の副大統領候補になったサラ・ペイレン(アラスカ知事)。
ただの目立ちたがり屋のキリスト教超保守派で、ブッシュ同様宗教で国を動かそうとする超危険人物だ。
(彼女については過去にもさんざん書いたので参照ください)

今回、彼女が大統領に立候補するかどうかはまだ明らかになっていないが、もしそうなったらやっかいなことになりそうだ。

そのサラ・ペイレンとキャラ的にだぶるのが、ミネソタ州女性下院議員、ミシェル・バックマン。
ペイレン同様超保守派の彼女が立候補してまず騒がれたのが「同性愛者への強い偏見」。
夫のマーカス氏とキリスト教保守派団体系の心理カウンセリング施設をミネソタ州内で共同所有しているが、
この施設の元受診者で同性愛者の男性が、2004年に施設で祈りと聖書を通じた性的指向の転換“治療”を受けたと証言、バックマンは世間から批判を浴びた。
マーカス氏は過去にも、同性愛について「野蛮人(同性愛者)は教育しなければならない。しつけが必要だ」と発言している。
夫婦そろってアホなのである。

今アメリカで一番重要なことは、まずこの低迷した経済を立て直すこと。
しかし彼女が大統領になってまずやらなければならない緊急課題は、「妊娠中絶の全面禁止」と「同性婚の全面廃止」らしい。

このバックマンという御仁、物事をちゃんと調べずに口から出まかせを言い放つ点てもペイレンと酷似しているようだ。
「ユニバーサルヘルスケア(日本のように政府が管理する国民皆保険制度)は社会主義である」と主張してみたり、
地球温暖化はでたらめだ、と吠えてみたり、ロシアを「ソビエト連邦」と呼んだり。
つい最近では、サウスカロライナ州での選挙活動中、エルビスの命日を誕生日と間違って「ハッピーバースデー、エルビス」と絶叫するなど、もうパッパラパー丸出しだ。

 魔女。


★ ★

もうひとりの要注意人物である共和党の有力候補が、つい最近立候補を表明したテキサス州知事のリック・ペリー。 
あほブッシュが大統領になった後、テキサス州知事を継いで着実に保守派の支持を得てきた。
この男ももちろん、ブッシュと同様路線を行く。
先週、「地球温暖化は存在しない。人類が影響を及ぼしたわけでもなんでもない。そんな証拠はどこにもない。科学者たちは研究資金欲しさに研究結果を“ねつ造して”報告しているにすぎない」と公の場で発言、サイエンティストたちを激怒、震撼させた。
もちろん進化論は信じず、キリスト教の天地創造説を信じている。よって遊説先で子どもに地球の年齢を聞かれても答えることができない。

 ブッシュに続いてアメリカをぶっつぶす!
  

西から上ったお日様が東に沈~む~、のバカボンも驚くあほさ加減のこのふたりが、いけしゃあしゃあと大統領候補に名乗りを上げる、そんな国なんである。

とこんなことを考えていたら、昔見た『Idiocracy』(邦題:『26世紀青年』)という映画を思い出した。

<ストーリー>
“平均的アメリカ人”の代表として軍人ジョー・バウアーズは、米国国防総省の極秘プロジェクト「冬眠プログラム」の実験台に選ばれた。売春婦リタとともにタイムカプセルに入り冷凍保存されたのである。しかしいつしか忘れ去られ時は過ぎ……目覚めたときには西暦2500年となっていた。あまりにレベルが下がった26世紀のアメリカは、バカな大統領率いる“ばかたち”による“ばかたち”のための合衆国となっていた……。
平均レベルだったジョーは「今までにないハイレベルのIQ人物」としてあがめられ、大統領にまつりあげられる・・・

この映画、ただのおバカ映画とバカにすることなかれ、なかなか奥深いアメリカの“今”が描かれている。
副大統領になりそこねたかと思ったらTVのリアリティー・ショーホストになっていい気になっているサラ・ペイレン、
自分の下半身を写真にとってTwitterに流したことがばれた、NYのアンソニー・ワイナー議員、
家政婦に隠し子を産ませていたシュワルツネガー、カリフォルニア知事、・・・とまぁ、映画を自で行くような滑稽な人たちが政治家なのだから。

これを見ながら2012年の大統領選を観戦すると、何倍も楽しくなること請け合いだ。
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リックに捧げるチャリティーラン。

2011-08-15 13:36:13 | アメリカ生活雑感
今からちょうど2週間前、テリー&ビル夫妻の古い友人であるリックが筋萎縮性側索硬化症(ALS)により亡くなった。

ALSという病気は、いまだ有効な治療法が見つかっていない現代における難病の一つ。
筋肉の萎縮と筋力低下をきたす神経変性疾患できわめて進行が早く、発症後3年~5年で患者の半数が呼吸筋麻痺により死亡するといわれている。
(かのスティーブン・ホーキング物理学博士もこの病気と診断されているが、彼はなぜか途中で進行が止まり40年以上生き続けている)

リックは2年前にいきなりALSと診断され、以来投薬による治療を受けながら最期の時までの時間を家族と共に安らかにすごしていた。
多くのアメリカ人がそうであるように、彼は保険に入っていなかった。
アメリカの保険料は目が飛び出るほど高額で、保険を完備した企業に勤めていない限り個人で保険に入ることは不可能に近い。
保険に未加入の人がいったんこのような病に侵されると、病院に入ることもできず死を待つしかないのがアメリカの現状だ。

リックもそのひとり。
治る見込みがない以上、無駄に病院に入ることを拒み自宅治療を選んだ。
しかし、多額の薬代を払える財力ももはや家族にも残っておらず、彼が亡くなったあとも数千ドルの未払い分があるという。
そこで、親友であるテリーとビルが彼らを助けるために立ち上がった。
ハーレー仲間たちに呼びかけて「チャリティー・ラン」を提案。
リックに関係ある人もない人も、バイク仲間たちがまたその仲間たちに声を掛け合ってみんなでツーリングを楽しみ、有料くじの販売やミニポーカーゲーム、商品オークションなどの売り上げをすべてリックの奥さんのドナに寄付するというものだ。
ハーレーには関係のない私たちだが、かねがねテリーからリックの話を聞かされていて何とか力になりたいという思いはあったので
今年は“プリウス”でツーリングに初参加させてもらうことにした。

★ ★

8月14日(日曜日)
最高気温26℃という絶好のバイク日和に恵まれ、「Run For Rick(リックのためのバイクラン)」が始まった。
私たちは最初から参加することができなかったので、4か所あるミーティングポイントの3つ目のBarでバイク軍団の到着を待ち、そこから最終のポイントまで一緒にツーリング。
最終区間は、テリーに代わって私がビルのハーレーに乗り込ませてもらった。
我が家からさほど離れていない場所なのに、ツーリングコースはまるで別世界のよう。
古い南部の町に来たかのような、牧場付の邸宅が延々と広がる絶景にため息が出る。
それになんといっても、肌に直接感じる風は車の中ではとても味わうことができない。
やっぱりバイクはいいなぁ。来年までには絶対免許取ろうと心に誓うのだった・・・・。




第3ポイントのBarで。いかつい中高年の不良たち。


「次はオレのマシンに乗っていけよ」とあちこちから熱烈なお誘いを受けにわかに不良のおっさんたちにもてる私であった。
ふふ。。あんたら、私のトシ知らんやろ。

 
最終区間はビルの愛車に乗り込む。ハーレーはまるで“動くソファー”のように座り心地抜群。



ハーレーのオーナーたちは普段から自分のバイクを見せびらかせて走る機会を欲しがっているので、
この「チャリティー・ラン」はそんな人たちの自尊心を満足させることができて一石二鳥。
アメリカ人は自分たちも楽しみながら人助けをしてしまう​のがとても上手い。


 
最終到着地のBarで。ここで、ハーレー商品や野球のチケットなど様々なオークションが行われた。
私もラッフル(有料くじ)でハーレーのセクシーTシャツが当たった
本日の売り上げは予想をはるかに上回る2000ドル超え。すべてがドナに寄付された。
テリーたちは来年も引き続き、ALSに苦しむ患者のためのバイクランを計画している。
来年、ライダーのひとりとして参加できればいいな。
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国を導くものの責任。

2011-08-09 13:03:32 | がんばろう、日本。
原爆投下から今年で66年―
戦後日本は瞬く間に復興を遂げ、経済大国となりすっかり生まれ変わったかのように見える。
しかし、国の“根っこ”はまったく変わっていなかったことに愕然となった。


NHKスペシャル「原爆投下 活かされなかった極秘情報」を見た。
日本にとって全く想定外の“奇襲攻撃”だった、とされてきた原爆投下。
しかし実際は、日本軍の諜報部隊がアメリカの特殊任務(原爆)作戦を2か月前から察知しており、原爆投下の当日には広島に危険が迫っていることが軍上層部に報告されていたにもかかわらず何の手も打たれなかったという衝撃の新事実が、元軍関係者への取材やわずかに残されていた機密文書、当時の軍幹部の日記・肉声テープなどから次々と明らかにされた。
それだけではない。
3日後、長崎への原爆投下の5時間も前に諜報部隊が広島の時と同じ電波を発して基地を飛び立つB29の電波を傍受。その情報はすぐさま軍参謀本部中枢に送られたが、参謀本部はまたしても何ひとつ行動を起こさなかった。
空襲警報すら出されないまま無防備な状態で失われた20万以上もの命。
彼らの死は何だったのだろう?

いったい何故、軍上層部は「極秘情報」を無視したのか?
66年も経った今になって何故これらが明らかになったのか?
見終わった後も心の中がざわざわしてまとまりがつかない。


番組では、今まで固く口を閉ざしていた当時の軍関係者らあらゆる人々へのインタビューが試みられ、当時の状況を生々しく伝えていた。
アメリカ軍に対する諜報活動を任されていた、堀栄三参謀本部少佐(故人)
原爆を搭載した特殊任務機のコールサインを突き止めた、陸軍特殊情報部元少尉の長谷川良治さん(88歳)
軍に命じられ日本での原爆の開発に携わっていた科学者のひとり、木越邦彦さん(92歳)
その原爆の開発に必要となるウランの採掘作業に学徒動員されていた有賀究さん(80歳)
広島の軍司令部で連絡係として学徒動員されていた岡ヨシエさん(80歳)
特殊任務機の存在を突き止めたことへの陸軍からの“褒賞”の表彰式に参加していた特殊情報部の元大尉、田中国夫さん(90歳)
長崎に投下された原爆を積んだB29のコールサインを実際に傍受し「数時間後に日本のどこかで第2の原爆が落とされる危険大」と報告した、諜報部隊中尉の大田新生さん(90歳)
九州全土の防衛を任務としていた大村飛行隊元パイロットの本田稔さん(90歳)


彼らもまた、「どうしても負けるわけにはいかない」「負けに向かうことすら認めない」軍の独裁の犠牲になった人たちだった。
すでに高齢となった証言者は皆、それでも当時のことを驚くほどはっきりと覚えていた。それほど、忘れようにも忘れられない重い荷物だったのだろう。
そして、皆同じ言葉を口にするのだった。

「悔しい」


国民の命に係わる重大な報告を無視され20万人の命を救えなかった軍人、日本の原爆開発を諦めるために「アメリカも不可能だから」と根拠のない口実をつけられた科学者、原爆機が近づきながらも警報を解除していたことを悔やむ連絡係の少女、B29の追撃命令さえ出されていれば九州に到達する前に身をもって制しただろうと泣く元パイロット。
66年経っても悔やみきれない「怨念」が、彼らを生かしている気がした。

66年後。
再び日本は放射能汚染に直面している。
あのとき軍によって情報が操作されたように、福島の放射能漏れ情報は日に日に詳細情報を得ることが難しくなっていった。
「明らかに不審な敵機が迫っているのに情報を素通りさせた軍参謀本部」が、「最大20m級の津波に備えるよう科学者から再々進言があったにもかかわらず、無視し続けた東電」、
「広島壊滅の知らせを受けてもそれが原爆によるものだと認めようとせず、会議の場では“非常に威力の強い普通の爆弾”だと言い張った陸軍」が、「放射能漏れは人体に影響がない程度と主張し続けた日本政府」と重なって見える。

1945年8月11日。原爆投下の情報をつかんだ事実がなかったことにするため、軍は諜報記録はじめ全ての記録の焼却、隠滅の命令を下した。
これと同じようなことが、おそらく今回の事故でも起こっているのではないかと疑わざるを得ない。

民があってこそ、国。民を守ってこそ、政府。
その民に危険が迫っていることを開示しないばかりか隠ぺいしようとする力は、どうやったら働くのかどうしてもわからない。


番組はこう締めくくっている。
「危険が迫っていることを知りながら、最後までその重大な情報を伝えなかった軍の指導者たち。二度にわたる悲劇は国を導くものの責任の重さを今の時代に問いかけています」

<iframe frameborder="0" width="480" height="323" src="http://www.dailymotion.com/embed/video/xkev97"></iframe>原爆投下 活(い)かされなかった極秘情報 by gataro-clone
約1時間のプログラム。ぜひじっくりと時間をとって見てもらいたい。
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犬の日。

2011-08-08 12:50:46 | アメリカ生活雑感
8月6日(土曜日)

近所にある植物園&公園「Cantigny Park」で、一日だけ犬の入園を認める“Dog Day”イベントが行われた。
普段はペットの入園は禁止されているけれど、今日だけは犬も限られたエリア内を自由に走り回ることができるのだ。
天気もいいし、ここのところクーラーのきいた家の中で怠けきっているGOROの運動のためにも出かけてみるとしよう。
たまたまこの日は、テリーからAJの散歩を頼まれていたので、柴犬2匹を連れていくことに。


兄貴分のAJ(左)と一緒でめちゃうれしそうなGORO(右)


そうはいっても今日も日中は30℃を超える蒸し暑さ。
放し飼いエリアでは、プールに飛び込む犬たちが続出。

 



「芸もち」の犬たちは障害物競走に参加。ウチは関係なし。


余りの暑さにばてばて。あっぢ~


同じように振り向く双子ちゃんは飼い主募集中。
この日は多くのレスキュー団体に連れられてシェルター犬たちもやってきていた。
アメリカではペットショップよりも捨てられて処分させられそうになっているシェルター犬をまず救うのが一般的。
いい飼い主さんが見つかりますように。




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