Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

Happy Birthday, Anne & Nigora!!

2007-05-30 06:02:59 | アメリカ生活雑感
なぜか5月はバースデーラッシュだ。5月のカレンダーには「○○バースデー」と書かれた日が他の月に比べてやたらと多い。
2002年に初めてアダルトスクールに通い始めて以来のクラスメートで、今でも時々リユニオンをしているニゴラ(ロシア)の誕生日が24日、そしてあの伝説の(?)グレートティーチャー、アンの誕生日はきのう(27日)だった。そこで今回は1年半ぶりのWedding Shower感謝会もかねて、私がホストを買って出、みなさんを初めて我が家にご招待することにした。

この日(5月28日)はアメリカではメモリアルデー・ホリデー。
大集合したのはアン、ガリナー&ハイム夫妻、ニゴラ&フィリス夫妻。私も入れると合計6人。
ニゴラは今、バークレーから車で1時間ほど南、シリコンバレーの近くのMountain Viewという街に住んでいる。目下大学で看護の勉強中。あと1年半で卒業した後は、さらにマスターコースへと進む予定だという。「私、本当にこの道が好きなの」と、大きな目をきらきらと輝かせて言う。昔からがんばり屋さんで、優等生。なのにとても謙虚な彼女は今もまったく変わっていない。
誕生日の前日に前期の試験が終了したので、ご主人のフィリスと一緒にラスベガスに飛び、久々のバカンスを楽しんできたという。

もう一人のロシアンフレンド、ガリーナ&ハイム夫妻。
先日、一人息子のセルゲイが結婚してしまいちょっと気が抜けた(?)ところ。セルゲイはふたりにとって“人生のすべて”。アメリカの大学に留学・就職してずっとアメリカ暮らしをしている彼のそばで暮らしたいと、7年ほど前に何もわからないアメリカに夫婦で移住してきた。「比翼の鳥」「連理の枝」とはまさに彼らのこと、というような夫婦。
ガリーナは今、週に2日アダルトスクールでESLのビギナークラスで教えている。そのクラスのとあるロシアの男性が目下彼女に“ほの字”らしい。(と全世界に打電してしまった!)


さて、この6人がくつるげるようと狭いリビングにありったけの椅子を運び込み、食事はキッチンでのバイキング形式にした。



キッチンのミニバイキング。
(今日の献立)うなぎ巻き、チキンテリヤキ、出し巻き卵、インゲンのゴマソース和え、かぼちゃの甘煮、しいたけのたいたん、さば味噌、ポテトサラダ。そこにガリーナ特製のビーツサラダ。大好物!!




(左)ガリーナ、アン、ニゴラ (右)ハイムとフィリス。このふたりはまるでさわやかな空気のよう




こんなときに盛り上がるのはやはり、あの人この人の“今どうしてる”話。
もうひとりのSHOKO(ブラック)の家でしょっちゅう集まってはパーティーをしていたあの頃のクラスメートたちのその後の消息や、アンのクラスには個性的な人が集まるという話で妙に盛りあった。個性的だからこそ時々起こるのがクラスメート同士での小さないざこざ。和を重んじる日本人には考えられないような、主に国の威信をかけたような発言がたま~にあるのもまた文化の違いを見るようで面白かった。(面白がってはいけないんだけど)
少し前にアンのクラスにチベットの女性が来ていたときの話。彼女がクラスでチベットのことを話し始めたとき、同じく中国出身のクラスメートが「チベットなんて国は存在しないのよ!」と大反論し、チベタンは号泣しクラスが騒然となったという。アンはクラスではポリティカルな議論は持ち出さないことにしているので、この事件にはかなり動揺したと振り返り、「それにしてもWhy me??なんで私のクラスでばかり起こるんや!」と絶叫。おおウケしてしまった。

そんなこんなで語り、笑い、飲み、歌い(アンのリクエストでまたあれ)の楽しい時間があっという間にすぎ、午後9時半にお開きに。
次回のリユニオンはニゴラをたずねてみんなでMountain Viewに行くことに決定!!



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突撃となりの晩ごはん。

2007-05-28 08:52:58 | アメリカ生活雑感
来週から3ヶ月、ヨーロッパ(ドイツに里帰り)に旅立ってしまうハーブ教授&エミリア夫妻のご招待で、今日はまたまたおしかけ晩ごはん。
本来ならばこちらがご招待しなければならないところなのだけれど、「(旅行前に)冷蔵庫に残っているものと庭のハーブを片付けたいから手伝って」といわれ、それにもしかしたらこれがしばしのお別れになるかもしれない、という思いからほいほいとお言葉に甘えておじゃました。
何といってもこの家でご馳走になるものは例外なくうまい!エミリアは“The・主婦の鑑”みたいな人で、毎日クッキングとお庭の手入れと健康のことばかりを考えている人。子どもがいないせいかPちゃんのことを実の息子のようにかわいがっていて、時々仕事で煮詰まっている彼を心配しては「ペドロは大丈夫?」とこまめに電話をしてくれる。彼女のおかげで、この1年間私もだいぶ助けられた。

さて、今日の献立は18種類のお豆入りスープ(エミリア作)とハーブ・パスタ(ハーブ作)。
スープはどこか、ガンボを思わせる深くこってりとした味わい。そしてパスタはあっさりしているのにコクがあって、塩味もちょうどいいかげんで本当においしかった。


これが裏庭の自慢のハーブガーデン。
うちのばあちゃん(97歳)もそうだけど、土いじりをしている人はとても元気。
毎日自然のエキスを吸い取っているせいかも。




食事の後は、男どもはなにやら真剣に将来の話し合い。
Pちゃんは8月には今の職場との契約が切れるので、この先の身の振り方は私たちにとって最重要懸案事項だ。やりたい仕事とお金をもらえる仕事との間でどうやって解決策を見出していけるか・・・
とにかくこの数ヶ月間が私たちにとって正念場。がんばれ!Pちゃん。私はどこへでも行くで。


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ビジネスクラス終了

2007-05-27 05:24:09 | アメリカ生活雑感
3月から約2ヶ月間、毎朝えっさほいさと自転車こいで通ったアダルトスクールのbusiness preparationコース(Writing, Speaking, Telephoning in a multicultual business)が本日無事終了。めでたく卒業証書兼Certificaticate(証明書)をいただいた。
はじめはちょっとかったるいかなぁ~とナメてかかっていたけれど、授業が進むにつれ「明日も来なければ」という気持ちにさせられるいいクラスだった。
最後の授業となった本日の内容は、“Job Interview(面接)の心構え”。「採用されるだろうか?という考えを捨てろ」「自分のライフヒストリーを整理しよう」「面接官をリラックスさせよう」「ネガティブな質問には正直に、かつ“それをどうやって乗り越えたか”を説明しよう」「長すぎず短すぎない返答を心がけよう」「サラリーのことはこちらから聞くのはご法度」「あくまでポジティブに!(特に過去の経験)」・・・などなど、なかなか面白い11箇条を伝授された。
私がこれを使うことはもうないかもしれないけれど、これはきっと今後Pちゃんに役立つにちがいない。伝授しておこう。

いただいた卒業証書の裏には、「こんなことを学びました」という内容が一覧になっていて、それによると、“終了”したのは次の通り。
1.ビジネスコミュニケーションのプラニング、2.指示の与え方、受け方、3.ビジネスコールの受け方、4.電話メッセージの取り方、5.e-mailでのコミュニケーション、6.ビジネスメモ・レターの書き方、7.口頭での情報伝達の仕方、8.グループミーティングでの問題解決、9.Webサイトや印刷物からのリサーチ・分析、10.ビジネスエチケット、対人リレーション、顧客リレーション

まぁ、そう言われてみればやったような・・・。しかもこうして文字にするといかにもそれっぽくて大げさで、なんだかおもはゆい。
ともあれ、10週間飽きずにせっせと何かを学び、課題を仕上げ、無事に終了証明書をいただくという行為がなんとも久々の快感(?)で、ちょっとうれしかった。
そして何よりも、このクラスでまた友達が増えだ。2~3人の仲良しグループで“Bookクラブ”というのを結成、課題図書を選んで読んでどこかのうちに集合して感想を述べ合うという(ただのガールストーク会という説もあるが・・)オフ会を開いている。

これに気をよくして、今度はさっそくサマーコースに申しこんじゃった。今度の目標は“Adobe In-Design”。この間のパンフレット制作の苦い経験から、今後のために最新ソフトを使った簡単なレイアウトデザインの基礎はマスターしておきたいから。
バークレーにいるうちに、利用できるものは利用しておかなくちゃ。


中央がGary先生。このクラス、本当におススメ。しかも無料!!
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あっさりばんごはん

2007-05-26 03:10:50 | cooking

どうも撮影がうまくいかないので、キッチンの明るい光で撮ってみた。


ジューシーハンバーグ(中にケチャップをひとつまみ詰め込んだ)とかぼちゃ炒め、あさりと豆苗のおすまし、中国野菜と干しえびの中華風煮びたし
*ハンバーグは一人分ではありません。
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愛と夢は子どもを救う

2007-05-23 06:29:31 | アメリカ生活雑感
今週月曜日、サンフランシスコのミッション地区のとあるレストランで行われたとあるイベントに招待されお出かけしてきた。
このイベントというのは、Missionハイスクールという地元の高校が毎年行っている大学サマーキャンプへの派遣&4年制大学へのスカラーシッププログラム(通称“ASAP”:The Athletic Scholare Advancement Program)が主催するパーティ。

Mission地区というと、比較的治安のいいサンフランシスコの中でも「一人で歩いてはいけない区域」というのがガイドブックの決まり文句。ここを歩くと聞こえてくるのはほぼ100%スペイン語。メキシコや南米からの移民や不法滞在者労働者の多い、ちょっとやばやばなエリアなのだ。
この地区のど真ん中にあるMissionハイスクールに通う生徒の多くは、不法滞在や低所得の移民の家庭の子どもたち。経済上の理由から家業を手伝わざるをえなかったりして満足に学校に通えないというハンディキャップや英語をうまくしゃべれないというコンプレックスから、社会から足を踏み外す子どもたちが多いのが悲しい現状だ。

そんな子どもたちを劣悪な犯罪社会から守り、人生の“Next Step”を考えるきっかけを与えようと、夏休みを利用して彼らを大学のスポーツ・サマーキャンプに送り込むのがこのASAPのファーストステップ。ひと夏の“模擬大学生活”を経験した子どもたちは、これをきっかけにスポーツの魅力、団体生活やコミュニケーションのルール、教育の大切さに見ざめすさまじく変貌するのだという。
ASAPの第2のステップはそれを受けてのその後の大学進路指導。スポーツをきっかけに今度は将来どういう専門分野を学びたいか、また彼らにはどんなポテンシャル(潜在能力)があるかを丁寧にカウンセリングしていくのもASAPのミッションだ。
そして最も重要なのが彼らの進学資金のドネイション(寄付)を集めること。経済力のない親に代わりこの寄付金こそが唯一の進学資金となるわけだ。こういった一連のASAPの活動を全面的に支えているのは、ハイスクールの教師陣となんと一般のボランティアメンバーたち。アメリカは「ボランティア文化」が根付いているとは感じていたが、この一筋縄ではいかないプロジェクトにも一般の人たちが我が身を削って参加しているということにただただ、頭が下がる思いだ。

さて、どうして私がここに参加することになったかというと・・
きっかけは、このASAPのボランティアとして活動しているDedeから1週間前にきた“S・O・Sメール”。
「今、たのまれて(ASAPの)パンフレットを作っているんだけど私のパソコン技術とデザインセンスでは限界。助けて!」
本職がライターということもあり、Dedeは昨年度このプログラムに参加した子どもたち7人のインタビュー記事を執筆し、それをこの日のパーティー出席者に配布するために20ページのミニパンフレットにまとめようとひとりで悪戦苦闘しているというのだ。
急遽ふたりでランチミーティングを行い、ページネーションを決め、コピーやタイトルといった要素をもらい、コピーセンターに行き表紙の紙を選び、パンフ制作を開始した。パーティーに間に合わせるにはわずか1日しか制作時間がないというタイトなスケジュールだったが、運よくこれといった予定も入っていなかったのでこの仕事に集中することができ、とりあえず格好はついた。しかし、100人以上もの来客に配って募金を募るという目的からしてせめて表紙だけでももっと気の利いた体裁にしなければと不安になり、長年の仕事仲間兼友人のグラフィックデザイナーJ子さん(東京)にダメもとで泣きついた。彼女は半日しかないところを快く引き受けてくれ、あっという間に思い通りのデザインに仕上げて送ってくれた。おお、神様!!(彼女にはず~っとこうして助けてもらってばかり)
いやぁしかし、インターネットってすごいなぁ。これで日本→アメリカの仕事も意外と簡単ということがわかり、何かできそうな予感もわいてきた。



日・米共同合作でできあがったパンフレット。
Dedeによるインタビュー記事にもほろりとさせられる。


パーティー会場はMissionのレストランのルーフガーデン。
ダウンタウンのこぎれいなツーリストエリアよりも、私はむしろMissionのざわざわとした感じが大好き。
穴場のBarやクラブなどもこのあたりに密集している。


受付に並んだパンフレット。来客は真剣に読んでくれただろうか・・心配。


来客の中には地元SFの49's(プロアメフトチーム)のコーチやメンバーもいた(ようだ)。
その方面にはちょっと疎いものであまり積極的に写真を撮らなかった。



ASAPを支える重要なふたり。
(左)この地区の行政執務官(Borad of Supervisor)を勤めるBevan Duftyさん。彼は自らゲイであることをオープンにしており、“家族”を作るためにレズビアンのートナーの間に子どもをもうけているというお人。彼の地域を愛する心と子どもたちに注ぐ無償の愛が、このハイスクールを大きく変えたそうだ。
(右)ASAPの共同設立者であるJudy Grossmanさん。ボランティアでありながら子どもたちの進学指導をするscholarship programの責任者を務める。Dedeいはく“歩くホスピタリティー”。自ら3人の子どもの母親でもある。


ASAPのスカラーシップを受けてカレッジに通うことになった息子のスピーチをうれしそうに見つめる母親(右)と、
Missonハイスクールの校長、Kevin Truitt氏(左)


“お涙頂戴コーナー”のハイライト。スピーチ後にハグする母と子。
当初「大学に行くというなら私の屍をまたいで行きなさい」とまで言って反対していたいた母親は、「大学は“行かなければならないもの”でも“なんとなく行くもの”でもなく息子が自分の意思で学びたいことを決めて行きたいと言ったことがうれしかった」とスピーチ。ほろりとした。
子どもの教育を通して親も成長していく。我が子に自分よりも高い教育を受けさせることに否定的な親もまだまだ多いと聞くにつけこの親子のような例が少しでも増えてくれれば、とつくづく思う。


招待されていたシャイな学生にインタビューを試みるDede。「ここしばらくパンフレットのことで頭がいっぱいだったけれど、本当に助かったわ」と何度もお礼を言われた。
「お礼を言うのはむしろこちらのほう。アメリカって社会がどうやってお金(寄付)を集めるのかいい勉強になったわ(笑)」


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4th Street Jazz Festival (Berkely)

2007-05-22 07:02:19 | music/festival
この時期のベイエリアは、週末ともなるとフリーイベントがいっぱい。
子供向け、大人向け、音楽好き向け、アスリート向け・・・と、年齢や目的に合わせて各種さまざまなイベントがてんこもりだ。しかもこの時期はめったに雨が降らないので野外のイベントにはもってこい。

というわけで、今日は地元の商店街で行われるJAZZフェスティバルというのに行ってきた。
今年で11回目を迎える“4th ストリートJAZZフェスティバル”は、バークレーのちょっとおしゃれなショッピング・ストリートとして知られる4thストリートで毎年行われるJazzイベント。ライブステージはたったふたつ。しかも同時に演奏が行われることはないので参加グループはプロ3グループ、アマチュア2グループ、合計たったの5グループという、じつにこじんまりとした、でもそれが売りのイベントなのだ。

マサコ&ポール夫妻が車で家に迎えにきてくれて、Pちゃんと4人で正午きっかりに出陣。ステージは始まったばかりだった。
まず、ハラペコだったPちゃんと私は久々にジャンキーなものが食べたくなってメキシカンレストランでなにやらおいしそうなものをゲット。



午後から大好きなマーカス・シェルビー・クァルテット(MARCUS SHELBY QUARTET)を堪能し、そのあとはベイエリアのブルースバンドと伝説のソウルシンガー、シュガー・パイ(sugar Pie)との共演を見る。
なんなんだ!この恐ろしいほどのソウルは!
歌は聞こえど小さすぎて姿が見えない。なのに、この会場を包み込む迫力の歌声に思わず身震い。
やっと手を伸ばして撮影してみると・・


いたいた!このまんなかの白髪の女性がMs.シュガー・パイ


おちゃめなベーシスト


デブもたまらず踊りだす


何とおん歳、71!!超弩級のど迫力。どんな巨体のバックミュージシャンも彼女の迫力の前ではかすんでしまうほど。


演奏後のサインタイム。
近くで見ると本当に小柄なおばぁちゃん、といういう感じだった。
さっそく図書館でCD借りてこよう、シュガー・パイ。名前もすごいな。


そしてトリを飾ったのは、地元のホープ“バークレー・ハイスクール・Jazz Combos”(Berkeley High Jazz ensemble and combos)
このハイスクールバンド、1965年から始まったJazz教育のおかげで今では全米でも数々の賞を総なめにするほどのレベルの高さ。モントレージャズなどのジャズフェスやYoshi'sなどにも出演する本格的なJazzコンボ(ビッグバンド)で、David Murray, Craig Handy, Josh Redman, Benny Green and Peter Apfelbaumなど、有名Jazzミュージシャンも多く輩出している。
この夏には夏休みを利用して日本に演奏旅行の予定で、日本公演中は日本の家族にホームステイするという。アメリカはこういった若い芽を見出す文化的な教育が本当に盛んでうらやましい限りだ。

このビッグバンドの演奏は、とにかく若さがみなぎっていて、下手な大人のような小細工がなくて、とにかくすばらしかった。若いとちょっとしたスキルにおぼれてしまいがちだけれど、彼らは何が一番大切かをちゃんとわかっていてそのコラボレーションの妙が実にすがすがしかった。
いい指導者に恵まれると若い才能はこうやってぐんぐん伸びていく。うらやましい。


ベースくん、ドラムくん、ビブラフォンくんの3人は特にすばらしかった。



ディレクターのPhil Hardymon氏。
彼がこの学校を全米一のレベルに引き上げた。
見た目はレイ・チャールズみたい。


見るほうも真剣。


祭りのあと。現地で会ったセイヤさんと友人のブレンダ(右)と一緒に。

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Happy Birthday, Dede!!

2007-05-20 07:19:42 | アメリカ生活雑感
先週の母の日は、Dedeの誕生日。
思えば5年前に初めて出会ってから、私のアメリカ生活、いや人生においてもはや彼女はかけがえのない存在になっている。彼女のおかげでいろんな人脈を広げることができたし、学校に通っているときはいろいろなアドバイスもいただいた。最近では彼女がボランティアをしているある教育プログラムのお仕事をご一緒していて、いい勉強をさせてもらっている。今の私があるのも彼女のおかげだといっても過言ではなく、いくら感謝してもしたりないほど影響力のある存在。

そこで今日は、日ごろの感謝の意をこめてDedeを我が家にお招きして1週遅れの誕生会をすることにした。あまりおおげさにされることが好きではない人なので、あくまでも手作り感を大切にしたささやかなディナーを企画した。

午後6時。
Dedeが初めて我が家を訪れた。前の家も含めて彼女が家に来るのは初めてのこと。我が家は人を呼ぶにはあまりにも狭いのでいつもこちらからおしかけてばかりだった。
まず、Dedeの好物のほうれんそうのゴマソース和えとかぼちゃの甘煮をつまみに、早めに帰宅したPちゃんと3人でワインをあけて食前のおしゃべりタイム。3人で話し始めると次から次へと話題が尽きず、ついつい時間を忘れてしまう。
このあとディナー、食後のデザート(近所で評判のケーキショップで買ったケーキ)と続き、最後はバースデープレゼント贈呈。スペイン語でエッセイを書くことが趣味のDedeを意識して、プレゼントは“古くからジプシーに伝わる歌”のスペイン語の歌詞と英語の対訳つきの本にした。

こうして楽しく温かな時間はあっという間にすぎ、お開きは午後11時をまわったころだった。



食前のおしゃべりタイムを楽しむふたり。
PちゃんはDedeが大~好き。彼女とおしゃべりするのも久しぶり、
しかも今日は彼女を貸切りにできるとあっていつもより飛ばし気味。



今日のディナーは、“カタプラーナ”。もちろんDedeは初めての経験。
テーブルをリビングに運び込んで、ちょっとしたレストラン個室ムードを演出してみた。


年齢を感じさせない人だなぁ・・。


一夜明けて。
Dedeが持って来てくれたチューリップ
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「ブッシュ暗殺」

2007-05-17 04:45:45 | movie
ついこの間、最近見た映画のひとつとしてここで紹介したばかりの『Death of a President』について、asahiに面白い記事が出ていた。


「ブッシュ暗殺」映倫がNG 配給元は再審査求める (2007年05月17日02時04分)

 米国大統領の暗殺をフィクションで描いた英国映画に、日本の配給元が「ブッシュ暗殺」という邦題を付けたため、映倫管理委員会(映倫)が、この映画を審査で退けたことが16日、わかった。審査を通過しない映画は事実上、大半の映画館で上映できない。
 映画は原題が「Death of a President(大統領の死)」で、元々はテレビ用に作られた。「ブッシュ大統領」が遊説先のシカゴで銃撃されて死に、「チェイニー副大統領」が後任に就く。
 日本の配給元「プレシディオ」では今年10月に公開を予定。担当者によると、映倫側は今回の邦題が、映画倫理規程の「あらゆる国の主権を尊重し、元首、国旗、国歌及び民族的慣習の取り扱いに注意する」という条項に触れると見なしたという。映倫幹部は邦題を理由に審査を退けたことは認めたが、「それ以外は担当者不在で答えられない」としている。
 映倫は「映画の倫理性の保持」などを目的に、映画業界が自主的に作った第三者組織。だが、映倫の審査を通過しない作品は、映画館の業界団体が「上映しない」と取り決めているため、無審査の作品は上映機会が極めて限られる。
 海外の元首の名が邦題に付いた映画の例には、80年代の「食人大統領アミン」(英題「AMIN THE RISE AND FALL」)があり、この邦題は映倫も認めた。「プレシディオ」はこうした事例を引き、映倫に再審査を求めている。




「食人大統領アミン」(あのウガンダの独裁者、AMIN大統領のこと)のほうがよっぽど “元首の取り扱い”の配慮に欠けると思うけど。
アメリカ大統領の扱いには慎重で、その他にはゆるいのね、映倫って。
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Jazz ざんまいDay。

2007-05-15 06:08:10 | music/festival
つい先日、たまたまスシカルでゲストとしてベースを弾いていたKさん(日本人)と知り合いになった。
実はこの方、バークレーの隣町エルセリートにある100円ショップ“壱番館”のオーナーで、何と恐ろしいことに同じ町出身それもご近所同士ということが判明。
このたび壱番館が開店3周年を迎え、Kさんがお仲間たちとJazzトリオライブを店の前でやるというので、マサコ夫妻とPちゃんと4人でおにぎわしに見に行くことにした。


ライブはこんな感じで店の前でひっそりと行われていた。
Pちゃんはどちらかというと100円ショップに夢中で、所帯じみたものを買い込んでいて、みんなに「主婦」と呼ばれていた。


セイヤさん、セツコちゃんも登場。あとでセッちゃんの歌も始まったが、このあと私たちはそそくさと、とあるライブに向かった。

それは・・・

Mark Murphy。
イーストコースとを中心に活躍する“もっともhippiestな”男性ジャズヴォーカリストのひとりで、この日はJazz Schoolの主催するヴォーカル・ワークショップの講師として招待されていたのだった。おしくもそのワークショップに参加することはできなかったが、ポールも彼の30年来の大ファンということもありこの後のライブのチケットを購入しておいたのだった。

彼の歌声は、いわゆる「きれいなお手本どおりのJazz」とは対極にある、“浪花節・ヴォーカル”。自由自在なスキャット、観客に語りかけるような歌詞表現、そしていつ始まっていつ終わるかわからない不思議な“間”が独特の世界を醸し出していて、観客は何か不思議な魔法にかかったかのように固唾をのんでただ彼の世界を聴いていた。


Mark彼の奔放な世界をきっちり支えたのが、このトリオ。

Larry Dunlop(piano), Seward McCain(bass), Eddie Marshall(drums).

完璧なリズムセクション、歌の邪魔をせず欲しいときに欲しい音(トーン)のみを出してくれる謙虚なピアノとベースのコンビネーション。
演奏に自信があるプレーヤーほど、とかく自分をshow offしたがりヴォーカリストの歌伴を邪魔してしまうものだが、このトリオにはそのかけらもない。これぞプロ!Markが選ぶだけのことはある。
とにかくぞぞ~っと鳥肌の立つような最近見た中で一番心を打たれるヴォーカル伴奏だった。


一枚だけ持っていた彼のCDにサインをしてもらい、一緒に記念撮影。
両手の指にはどでかい宝石。髪の毛はもろカツラ。
エルトン・ジョンとロッド・スチュアートをたして割ったようなというゲイまるだしの風情。
近づくと顔の大きさに圧倒される・・・



夜、飲みながら聴くのにオススメです。
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シルビアおばぁちゃん。

2007-05-13 06:02:20 | アメリカ生活雑感
約1年ぶりにシルビアを訪ねた。

彼女との出会いは5年前。あのHODAの住んでいた大きな一軒屋のオーナーで、HODAがいなくなった後も長く親交を続けている。
出会ったときは彼女は86歳。りんとして、かくしゃくとして、日本で言うなら典型的な“明治女”の貫禄をただよわせていた。
そのシルビアも今年で91歳。数年前から持病の心臓病を患い、ここしばらくは寝たきりになっているときいていた。心配はしていたもののなかなかひょっこりと訪ねるわけにもいかず、病状をときたまDedeから聞いては歯がゆい思いをしていた。

そんな矢先、Dedeからこんなメールがきた。
「週に何度かシルビアの身の回りの世話をしてくれる人はいないかしら?」
この家に店子としてもう20年も住んでいるクリストファー教授がこれまでまるで我が子同然に一切の世話を続けていたのだが、どうもそれも限界になり週に何日か手伝ってくれる人を雇おうとしているらしい。

せっかくご近所になりながらまだ何の挨拶もできていない自分にずっともどかしさを感じていたこともあって「お金はいらないから私にも手伝わせてほしい」とDedeに頼みこんだ。97歳で一人暮らしをしている田舎のおばぁちゃんも、シルビアにだぶった。
週に3日手伝ってくれる人がすでにみつかっていたので、その他の日は私とDedeが交代でシルビアを訪ねて食事の支度をすることになった。

かくして昨日、かつてシルビアに作ってあげて以来彼女が忘れられないという大好物のお味噌汁と、もうひとつの好物チキンテリヤキを作って久々に彼女を訪ねた。ここ数ヶ月はずっとベッドに伏せたきりだとはいえ、私の手をしっかりと握りながら温かな目で見つめ、会いたかったよという。去年、ペドロをここに連れてきて紹介をした日のこと、ドイツでHODAに会ったことなどいろいろと報告。ひとときのおしゃべりを楽しんだ。
あんなにしゃんとしていたのに今では話した内容がすぐに記憶から飛んでしまうのは少し悲しかった。この日は作ってきた食事をキッチンに用意し、クリストファーに挨拶をして早々に引き上げたが、これからは毎週こうやって訪ねることになる。胸につかえていたものがとれてほっとした。


前日の晩ごはんは、翌日シルビアに作って持っていくものの味見をかねて。
チキンテリヤキ、インゲンのごまソースあえ、かぼちゃの甘煮、椎茸とわかめと白菜の味噌汁(にんにく入り。
チキンテリヤキの下味に八角(スターアニス)を入れるのがコツ。味がぐっとプロっぽくなる。
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