Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

アメリカ縦断・ミシシッピの旅~その6(Dubuque~Bellevue~Camanche~LaClaire~Davenport~Burlington)

2013-10-29 11:23:32 | 旅行
10月6日 

久々の晴れ日。
夢のような、でもあっという間だった「カポネ・スゥィート」での一夜が明け、今朝も半分寝ながら7時朝食。
天気もいいので、Debuqueの街を一望できるという展望台から一日をスタート。

 
 


この「Fenelon Place Elevator(ケーブルカー)」が最初に作られたのは、1882年。
この絶壁の上に住んでいたため毎日通勤に馬車で片道1時間半もの時間を費やしていた当時のGrave市長が、最初に自家用にケーブルカーを建設したのが始まり。
その後、数度の火災で焼失したが、1977年に完全に再建されて今も崖の上に住む人たちに愛用されている。



ここから見た街並みは絶景。




★午前9時、ミシシッピを南下しつつ次なる街、ベルビュー(Bellvue)の「バタフライガーデン」へ。
もちろん、こんな寒い時期に蝶々なんていやしない 
今回のツアーでは、「あと少しでこれが見られたのに」とか、「ああ、ちょうど終わっちゃいましたね」とか、「今の季節は見頃じゃないんですが・・」なんてことが続いていて、なんだか非常に残念。



ご案内をしてくださったウォルトさんも、見るからに「日曜の朝っぱらからめんどくさいなー」という感じ。(すみませんでしたー)


蝶々のいないバタフライガーデン=ただのプレイリーを見学した私たちは、「ミシシッピリバーエコセンター」へ。

 

ここではミシシッピ川上流に生息する野生動物などが(不気味に)展示されており、また川の支流の周囲はログハウスが完備されたミニキャンプ場になっていて、この日も多くのキャンプ客が秋の川遊びを楽しんでいた。
いかにもアメリカらしい光景だ。



★お次は、少し南に下った小さな街、レクレール(Le Claire)の小さなバーボン醸造所を見学。

 

 父娘で経営している


いろいろ、いっぱい試飲させてもらった。バーボン、おいしかった




次に訪れた町、ダベンポート(Davenport)で、初めてセグウェイに挑戦。
最近、あらゆる町で見かけることが多くなったこのセグウェイ、人体の加重だけで操縦することのできる電気2輪車で、ちょっとした距離を移動するにはもってこい。
・・・だが、新品で買うと約60万円と中古車より高いのがネック。


しかし、この日は風が強くて寒かったのなんのって・・・



午後5時、やっと今日の最終目的地、アイオワ州バーリントン(Burlington)に到着。
あいにくの雨模様で、しかも日曜日とあってダウンタウンはまるでゴーストタウン。


 

 

街の名物、スネイク・アレイ。
くねくねと曲がりくねった坂道は、世界一曲がりくねった道”として有名なサンフランシスコの、あのロンバードストリートを思い起こさせる。



本日のお宿「Catfish Bend Inn & Spa」に到着。

遊園地、カジノ、二つのホテル(家族用・カジノ客用)を有する、巨大リゾートだった。
またもや落ち着かないほどムードたっぷりの部屋に宿泊。。。

 
 



★本日の移動ルート










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アメリカ縦断・ミシシッピの旅~その5(Dyersville~Galena~Dubuque)

2013-10-24 23:03:14 | 旅行
10月5日

アメリカ中西部にどっかりと腰をおろした気圧の谷の影響で、ここ数日間はずっと雨か曇り。
せっかくPlatteville名物の“M”サインを見に行ったのだが、厚い霧に覆われて何も見えず。

 

1937年に地元ウィスコンシン大学工学部の学生たちが面白半分で岩を積み上げて作った巨大な”M”の文字は、この街のシンボル。
同大学の前身であった“School Of Mines”の頭文字“M”を意味している。


そのついでに連れて行ってもらったワイナリーは、家内制手工業丸出しの超原始的なワイナリーで、
ワインを発酵させているすぐ傍でハエがわんわん飛び交っていて、もうなんだかなーってな感じ。
どうしてこのワイナリーがツアーに入っていたのか、いまだもって謎(時間つぶし)としか言いようがない。。。

 
現在75歳、退役軍人のテッドさんが、60歳で始めたワイナリー。
「なんでワイナリーを始めたんですか?」と聞くと、「若いころヨーロッパのやいろんな国々に行って、ワインが大好きになったから」というごく単純な理由。


気を取り直して、次に向かうは今回最も楽しみにしていた場所の一つ、あの映画『フィールド・オブ・ドリームズ』の撮影の舞台となった、アイオワ州ダイアーズビル。
映画にはこの街の名前こそ出てこないが、セットはここのトウモロコシ畑のど真ん中に作られ、撮影が終了した後もいったんは取り壊されたものの熱狂的なファンの声に応えて再度球場が作られたという。
映画から約30年が経った今も、世界中からひっきりなしに映画ファンがここを訪れるのだそうだ。




私たちの到着を待っていてくれたのは、この映画セットの管理マネージャーであるデニースさんと、そしてなんとあのゴースト・プレーヤーのおふたり

うおおおおお・・・・!!!

あああああ・・!!!

あまりの興奮に、「すみませんが外野のトウモロコシの中から(映画みたいに)出てきてもらえますか?」と注文をつけたら、



喜んで何度もやってくれた。
意外とノリのいいおふたり。


ここでキャッチボールをするためにグローブをもって訪れる親子も多い



映画撮影中に、主役のケヴィン・コスナーがベンチに掘った“落書き”も、そのまま残っている


映画でもたびたび登場する、自宅から見た球場の景色・・・
この「自宅」は旧オーナーから買い取って、今は映画サイトの運営事務所として利用されている。


 
近い将来、この球場のとなりに、子供たちが地域の野球リーグ戦をできるための球場をいくつか建設するという計画が進んでいるそうだ。
映画一本のおかげでものすごい経済効果だ。



ピッチャーマウンドに立ってごきげんさん


★後ろ髪をひかれながらダイアーズビルをあとにし、一路イリノイ州Galena(ガリーナ)へ。
この街は、最近イリノイ州が一押しの観光スポットで、今年初旬「めざましテレビ」で特集されてから、日本でも知名度があがっているらしい

街の特長は、どこかヨーロッパのにおいの漂う上品な街並み、レストランやショップがかわいい、治安が良く清潔、自然に囲まれていて、年間を通して家族で楽しめるいろんなアクティビティがある・・・といったところか。
ただ、シカゴから車で3時間半はかかるうえ電車も近くの町にまでしか通っていないので、車を持たない観光客がわざわざこの街を目指していくというのは少々無理がある。
シカゴに住んでいる人たちが、週末旅行などで行くにはもってこいの街だろう。



  

オーガニックの食材を使った人気のレストラン(左)と、久々においしいものを食べた実感を味わったイタリアンレストラン(右)



そういう意味では、次に訪れたアイオワ州のDubuque(デュビューク)という街もそこはかとなくヨーロッパの香りのするこじんまりとした素敵な街だった。
この二つの町は、近いうちにぜひまた訪れよう。



到着が遅れたせいで中を見ることができなかった「ミシシッピ・リバー・ミュージアム」。
とっても興味深い博物館だったのだが残念だ。
一日の最後はいつもこうやって時間がおしてしまう・・待っていてくださった方々にも申し訳なくて仕方ない。
ここもまた、近いうちにまたゆっくり訪れてレポートしようと思う。


そして今夜のハイライトは、何と言っても宿泊したホテルだ。
ミシシッピ川のほとりに建つ、豪華リゾート&スパホテル、「Hotel Julien」。
そしてなんと、私とKさんは今夜女二人で「カポネ・スィート」に宿泊することに。
この部屋、実はその昔、あのアル・カポネが定宿にしていたそうだ。
こんな贅沢、いいのか????



部屋の入り口からダイニングに続く廊下


ダイニング


リビングスペースからダイニングを見る


 
寝室に大きなジャグジーバスが


もちろん今夜は、このジャグジーにゆったりつかってこの馬鹿でかい寝室で、おやすみなさいー。
(寝るのがもったいないっす)


★本日の移動ルート

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アメリカ縦断・ミシシッピの旅~その4 (Prairie du Chien~Cassville~Potosi~Platteville)

2013-10-22 16:15:49 | 旅行
10月4日 

移動に次ぐ移動で、そろそろ第1回目の疲れのピークにさしかかってきた。
しかも昨日から雨が降ったりやんだりのあいにくの天気。この時期にしては予想よりもはるかに暖かいものの、時折寒風にあおられて気持ちも萎える。
とにかく体調だけは壊さないよう無事に旅を終えなければ・・と気持ちを引き締めて、今日も早朝から民族大移動開始。

7時半には朝食を終え、といっても安モーテルのマフィンとコーヒーのみだが、この街で有名なビクトリアンスタイルのお屋敷、「Villa Louis」へ。
ここの家主はミシシッピ川に生息するビーバーの毛皮をフランスなどに輸出して大儲けをした貿易商。
前日たまたまビーバーの毛に触る機会があったのだが、それはそれは今までに経験したことがないくらいのさわり心地で、人を病みつきにさせてしまうのもわかる。
しかし、この時期の乱獲によってミシシッピのビーバーは激減したらしく、こういう話を聞いた後にこのお屋敷を見学すると、どんなに素晴らしくてもただの“ビーバー成金”の屋敷としか思えなくなってちょっとげんなり。






この“オーブン”はいまも現役。クッキング教室で使われているという。


執事さんのお部屋。北部の州にはもちろん黒人奴隷はいなかったので、召使いは皆白人。
しかも、ひとりひとりに素敵な個室があてがわれていて、待遇の良さがうかがわれた。




Prairie du Chienから約45分南下して、次なる町Cassvilleへ。
文字通りMiddle of Nowhere(何にもない)の中に、こつ然と現れたのが、Stonefield Historical Site(ストーンフィールド・ヒストリカル・サイト)

もともとは、ウィスコンシン州の最初の知事だったNelson Deweyが1868年に完成させた邸宅を、1879年にWalter Cass Newberryが40エーカーの土地ごと買い取って新たに建て直したもの。
今はこの建物が「Stonefield's State Farm Museum(ストーンフィールド農業博物館)」として、地元の農業の歴史を展示する博物館になっている。


この農業博物館は、ウィスコンシンでも最大数の農業ツールや機械コレクションを展示しており、農業の歴史が手に取るようにわかって実に面白い。


農業以外の変なコレクションでも有名。
これは、「葬儀馬車」。中に見えるのは棺。当時はこうやって遺体を運んだそうだ。

博物館の横には、郵便局や歯医者さん、印刷屋、消防署まで当時そのままにそっくりそのまま再現された村があった。
このあたりのアメリカ西部の田舎町には、こういう“ミニチュア再現村”というのは珍しくはない。



そして、お昼はCassvilleから30分ほどの町、Potosiへ移動。
この街は地ビールが有名だそうで、工場&レストランの建物内には「ビールのことなら何でもそろう」不思議なビール博物館があった。





ビール博物館館長のRickさん。この方自らが、“ビールなんでもコレクター”




第二次大戦中、兵隊が飲んでいたビール缶。目立たないように炭で焼かれたような色でカムフラージュされていた。


併設内のレストランでランチ。初めて昼間っからビール。これもお仕事の一環ということで



ビールでちょっと気持ちも持ち直し、次なる町Platteville(プラットビール)へ。


出迎えてくれたPlatteville商工会議所の方々




ここではまず、ウィスコンシン特産のチーズ工場「Monte Cherve Cheese」を見学。(写真撮影不可)
このあたりのスーパーで売っているチーズ類は、ほとんどすべてここで生産・加工されているといっても過言ではないほどのシェアを誇るそうだ。
実際に、普段よく買っている「Trader Joe's」や「ALDI」のチーズ製品ラベルが生産ラインに積まれていた。
部屋中に漂う発酵したチーズのにおいに終始頭クラクラ、しかも案内役のJeanさんの超フランス語なまりの英語がさっぱりわからず、何が何だかわからないうちに終了。

そんでもってお次は、「Mining Museum(炭鉱博物館)」へ。(今日はなんて忙しい日なんだ!)
しかも、失礼ながら今日訪れた町はどこも「これといった特徴のない」田舎町ばかりなので、ちょっとモラルダウン・・・。スケジュールをこなすだけで精いっぱい。(ごめんなさい)

 


そして今夜も宿はモーテル、「Super8」。
ひとりなのに暖炉まである不気味に広い部屋で、落ち着かない一夜を明かすのだった・・・。


★本日の移動ルート・・・気分的にも一番疲れた日

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アメリカ縦断・ミシシッピの旅~その3 (Wabasha~Pepin~Prairie du Chien)

2013-10-20 15:16:05 | 旅行
10月3日 

南下が始まって、スケジュールもだんだんせわしなくなってきた。
一つの町に滞在する時間が約1時間という、まるで演歌歌手のどさ回り状態だ。

午前8時過ぎ、レッド・ウィングの幽霊ホテル(結局何も出なかった。ホッ)を後にして、向かったのはWabasha(ワバシャ)のナショナル・イーグルセンター。アメリカの国鳥であるハクトウワシ(Bold Eagle)の保護・研究施設である。



ハクトウワシはその名の通り、真っ白い頭と鮮やかな黄色いクチバシ、鋭い目が特徴。
1960年代はじめ、強力な殺虫剤DDTの使用が広がったことによりは激減したが、その後その殺虫剤が禁止され徐々に数は増加、2007年には米国絶滅危惧種リストから完全に除外さたという。


幼鳥でも羽を広げると全長1.5mはあるので、巣もこの通り。後ろにある普通の鳥の巣と比べてもサイズがわかる。

【ハクトウワシトリビア】
1)指(爪)1本あたり、どれほどの力があるでしょう?
2)ワシの平均体重はどれくらい?



答え:
1)なんと400パウンド(約181Kg)!
一瞬にして小動物を一撃してしまうのはこの力のおかげ。2)平均体重は約10パウンド(約4.5Kg)と軽量。空を悠々と浮遊するには、重すぎてはいけないのだ。

ハクトウワシが好んで飛来するのが、このWabasha流域。
このあたりは川の流れが急で冬場でも川面が凍結しないため、彼らにとって格好の餌場になっているのだ。
沿岸の木々の上に止まっている魚を狙っているハクトウワシの数は、多いときには800羽にもなるという。


その後送っていただいた写真。56羽のワシが飛来している様子。


こじんまりしてかわいいWabashaの町。この名もネイティブアメリカンの酋長の名に由来する。




Wabashの次に向かったのは、これまた小さな小さな田舎町Pepin(ペピン)。目指すのは、あの「大草原の小さな家」。
このローラ(インガルス一家)の家、もともとはここにはなかったものを当時さながらに再現しているらしい。
これがまた、驚くほど小さくてびっくり。
この大きさに一家6人が暮らしていたのか??

 

2階はなし。小さな小部屋2つと屋根裏部屋があるだけだ。
冬はさぞ寒いだろうな・・・。


   
ローラ博物館には、国内外から寄せられたファンレターや会報誌(日本のファンクラブからのも)、
当時このあたりの生活の中で使われていたドレスや暮らしの用具などが展示されていた。




顔に刻まれた深いしわが渋すぎる、館長のデイブ・スミスさん。





「ローラ」一色、いわばこれしかないPepinを後にし、次に訪れた町はOnalaska(アナラスカ)。
しかし、これまでのスケジュールがおして約束の時間を大幅に遅れての到着になってしまった。
せっかく市長がランチでお出迎えしてくれていたというのに、最悪。しかもあいにくの雷雨で、予定していた街の見学すらできなかった。本当にごめんなさいっ。


ご用意いただいたレストランのテラスでのランチも、雨でいまいちな感じ。
晴れていたらミシシッピ河畔の素晴らしい景色を望めたのに、残念。


とっても気さくなジョー市長。お待たせしてすんもはん。。。


罪ほろぼしにアナラスカの宣伝を・・・
まずこの街が誇るのは、世界的にも有名な医療施設「Mayo(マヨ)クリニック」。先進の医療技術・設備の整ったアメリカ有数のクリニックで、海外からもさまざまな難病を抱えた患者さんがひっきりなしに治療に訪れるという。
なぜこの街にこんな世界的に有名な医療施設があるのかは、謎。
ちなみに、ジョー市長はオバマケアには「反対」だそうだ。(げげっ、余計なことを聞いてしまった



嵐の中、車は今日の最終目的地Praire du Chien(プレーリー・ドゥ・シーン)へ向かう。
今日はこれからミシシッピリバー・ボート・ツアーに出かける予定だ。ラッキーにも雨はすっかりやんでいた。

 

雨上がりのミシシッピ河畔は、絵のように美しい。

船長の説明によると、このあたりミシシッピ川北部は小島だらけだがダベンポートより南になると小島はなくなるそうだ。
説明通り、ボートは小島の間を縫うようにして進んでいく。


あと1週間遅かったら、この両岸の木々はすべて秋色に染まって実に美しいそうだ。
一年で一番いい時期を見逃すのは残念だが、こればかりはどうしようもない。。。


右がAnn船長、左がファーストメイトのカーラさん


  
沿岸には今朝見たばかりのハクトウワシの姿も。飛び立ったところを思わず激写



本日のDinnerは、人気のレストラン「The Barn Restaurant」で、
地元歴史学者のマイケル・ダグラスさん(!)とご一緒に。お話し上手の楽しい方だった。

そして今夜の宿は、今回のツアー初、安モーテル。
もちろん私たちはまったくOKなのだが、ツアーリーダーのCさんは部屋に入るなりいきなり「うげっ」。
安モーテル独特のカビ臭さががまんできなかったらしい。その“意外なお嬢様ぶり”が、こう言ってはなんだがすごく微笑ましかった。



★ 本日の移動ルート


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アメリカ縦断・ミシシッピの旅~その2 (ミネアポリス~レッド・ウィング)

2013-10-19 13:30:51 | 旅行
10月2日 

昨夜の宿は、私なんぞには身分不相応にゴージャスな「Raddison Hotelin Bloomington」。
毎日違う町に移動する旅なので、こんなにもゴージャスすぎる部屋に実質数時間しか滞在できないことが無念の極み。
これが、今回の旅のなかで一番の、贅沢な悩みだ。
今朝も後ろ髪をひかれながらせっせとパッキングをすませ、バンに荷物を放り込んでミネアポリス市内へと出発。


 
昨日見た源流のせせらぎとはまったく違った表情を見せるミシシッピ川。
もうこんな大きな流れになっていることに、一同密かに感動


ミネアポリスは、ミシシッピ川流域最初の大都市として栄えてきた町。
川を利用したカナダからの木材輸送や、小麦粉貿易がさかんで「全米の穀物倉庫」とも呼ばれ、今でもその当時の小麦倉庫が保存されている。

 
昔の製粉工場は、火災・爆発を経たあともなおそのままの姿を残し、今は博物館(ミルシティ博物館)に再利用されている。
このような発想は日本ではまず見られない。(原爆ドームなどのメモリアル以外は)


見学に訪れていた地元の中学生たち

その倉庫のすぐ横には、2006年オープンのダイナミックな「ガスリー・シアター」がミシシッピ川に突き出すようにそびえ建つ。日本でも東京汐留の電通本社ビルなどを手がけた有名なフランス人建築家、ジャン・ヌーベルの設計による、演劇界でも権威のあるシアターだ。
ここでは新しい発想のオペラやミュージカルなどが毎日のように上映されている。
ユニークなのは、この劇場で上演する演目の小道具や衣装はすべてこの中で手作りされているということだ。つまり、文字通り“自作自演”。その道のプロが存在し、このシアターを職場として日夜仕事をしている。
また、不要になった衣装や靴などはバザーに出されたり、アマチュアの劇団に貸し出されたりしているという。
シアター内には自由に入れることができるので、したガラス張りの回廊「エンドレス・ブリッジ」からミシシッピを見下ろしながらゆっくりとランチを食べにやってきたり本を読んで日がな一日過ごす人も多いそうだ。
普段は敷居が高そうな劇場も、こうやって日常的に一般に開放することによってより親しみが湧くに違いない。
このような発想はぜひ見習いたいものだ。


ガスリーシアター

 
同じ風景も、ガスリーシアター内のセピア色のガラスを通すとこのようにレトロに見える。


ミシシッピの流れとともに街としての進化を刻んできた、古きアメリカと新しきアメリカが融合している町、ミネアポリス。
私はもちろん、かのプリンスの故郷ということだけでこの街にあこがれ続けてきたのだけれど、実際に足を運んでみてそれ以上に魅力的な街だった。
建築、アート、演劇、音楽、メジャーリーグなどのプロスポーツ、緑多き公園、水辺の散策路・・・とすべてにおいてトップレベルのものがコンパクトな町にまとまっているところなどは、シカゴに似ている。
惜しむらくはもっと時間があれば・・・(と、これはこれから毎日口にすることになるセリフ)
ただ、こうやって短い時間の中でも重要なポイントを見て回ることができたので、今度来るときには間違いなくこの経験が役に立つことだろう。



全米でも最大規模の都市型彫刻庭園、ミネアポリス彫刻庭園。(Sclupture Garden)
名物、「チェリー・オン・ザ・スプーン」。



ミネアポリスに住むこと20年超。ミネアポリス市観光協会国際関係部マネージャーの宮本さん。
とても魅力的な忘れがたい方だった。何と言ってもみんなの目をくぎ付けにしたのは、サソリの標本が入った超弩級リング。 この方しかこれを着こなす人はいないだろう。


★★

わずか3時間余りでミネアポリスをあとにし、一行はブルーミントンの「モール・オブ・アメリカ」へ。
520もの店舗とレストラン、ホテル、映画館、水族館、そして屋内遊園地まで有する、アメリカ最大級のショッピングモールだ。
先日お隣さんがわざわざ車で5時間かけて行ってきたと自慢していたけれど、ショッピングならシカゴで十分なのにいったい何がそんなに魅力なの?と密かに思っていた。
しかし、今日その謎が解けた。
そう、ここではすべてが(一部宝石店や靴店を除く)免税なのだ。
大きな買い物をわんさかしてくる分には、飛行機代を払ってでも安くつく。そのうえ、エンターティメントも充実しているのでこの中だけで2~3日は十分遊べる。もちろん家族連れにももってこいだ。
実際、シカゴから朝イチ、最終の飛行機で買い物ツアーに出かける人も多いそうだ。さすが、買い物好きのアメリカ人。




ここで私たちは2時間の自由時間をもらったものの、買い物にあまり執着のない私たちは結局何も買わずに待ち合わせ場所に舞い戻ってきたのであった・・・。
私はというと、せっかくいただいた水族館無料入場料と遊園地乗り物盛り放題券を利用して、遊びまくった。
(あとから他のライターさんに「ナガノさん、一人でジェットコースターに乗ってましたね」と冷静に言われて赤面)


こんな遊園地まである


レゴコーナーは子供たちに大人気


全長5mはあろうかというこの巨大ロボットはすべてレゴでできている!


★ ★

午後3時。
いよいよウィスコンシン南下プロジェクト開始だ。
ブルーミントンに別れを告げ私たちが向かうのは、次なる町、Red Wing(レッド・ウィング)。
人口16,000人ほどの、ミシシッピ川沿岸の小さな田舎町だ。
Red Wingの名は、ここを統治していたネィティブアメリカンの酋長のニックネーム(彼がまとっていたwar bonnet:頭につけている羽根がたくさんついているあのかぶりもの)に由来するそうだ。


高台から見下ろしたレッドウィングの町。
赤レンガの建物が立ち並ぶ様子は、小さなヨーロッパの町のよう。




 
地元産業の陶器工場ではほのぼのとした手作りの陶器が即売されている。



 
この街の名物は、世界にその名をとどろかせるアウトドア・シューズブランドの“Red Wing Shoes”。
これはその本社建物の中にある世界一大きな靴。牛8頭分の本革を使っている。


案内をしてくださった、レッド・ウィング観光局のKathyさん。
その昔、うちの近所の町(イリノイ州 St. Charles)でバーテンダーをしていたことがあるそうで「そのときしこたまお金を稼いだのよ」と自慢してくれた。
「そのお金、どうやって使っていたの?」と聞くと
「シカゴへ行くと一晩でなくなっちゃうわよあなた、あったり前田のクラッカーよ、kidding me?」と豪快に笑われた。
「人と会うことが大好きだから、この仕事は天職みたいなもの」だそうだ。
そういえば、今回お会いした方々はみな、これが天職のような方々ばかりだった。


今夜の宿は、1875年開業というアメリカでも「もっとも歴史的なホテル」のひとつ、“St. James Hotel”

 

古くてとてもいいホテルなのだけれど、部屋に入った途端に鳥肌ゾゾー。しかも電気が急に点いたり消えたり。
ここは絶対に何かいると感じたので電気をつけて音楽流して眠りについた。
それもそのはず、ここには数々の幽霊伝説があるそうで、Kathyさんからも別れ際「クララ(亡くなったここの女主人)によろしくね」と言われた。勘弁してください。


幽霊伝説が本になっていた(汗)




★本日の移動ルート

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アメリカ縦断・ミシシッピの旅~その1

2013-10-17 14:56:39 | アメリカ生活雑感
9月30日 

気持ち悪いくらい暖かいシカゴから、ミネアポリスへ。
そこで、さっき日本から到着したばかりの、今回旅を共にする各メディアの方々3名とオーガナイザーのCさん、ドライバーをしてくれるアランと合流。
合計6名を乗せた車は休む間もなく一路北へと向かった。

向かった先は、ミネアポリスから車で約3時間半ほど北、ミネソタ州の小さな町Bemdji(ベミジ)。
ここは、ミシシッピ川の源流がある町として知られている。
その恵まれた自然環境を利用して、夏は釣りやハイキング、冬はヒルスキーやクロスカントリー、アイスフィッシングなどを楽しむ観光客が世界中からひっきりなしに訪れるそうだ。
Bemdjiの名は、ネィティブアメリカンの言葉で「Lake with Crossing Water(水の交わる湖)」を表し、“ミネソタ”、“ミネアポリス”などに使われている“ミネ”という言葉は「水」を意味するいう。
ミネソタ州の地図を見れば一目瞭然だが、この州は氷河期からの地形変動の影響で、大小合わせると2万以上の湖が存在する、水の州なのだ。

「ふつう、流域の町はミシシッピ川の東側、西側(にある)って言うでしょう?でもここは唯一、ミシシッピの“北側”の町なのよ」
出迎えてくれたBemidji観光局のDenelleさんが夕食のときに話してくれたこの言葉が、今日一番印象深かった。
私たちは今、“ミシシッピ川の北”にいるんだな。
これって何気にすごい。



今晩はここで宿をとり、移動だけで終わった1日目は終了。



10月1日 



Bemdjiから車で約30分のPark RapidsにあるItaska State Park(アイタスカ州立公園)へ。
この公園がオープンしたのは1891年と、ミネソタでは一番古いという。
曲がりくねった林道沿いには、いくつもの小さな湖が点在していた。この中に、あのミシシッピ川の源流があるというのだ。


私たちの案内役をしてくださったローレンさん
「この公園全体が私の事務所よ。最高のJobでしょう?」
アメリカではこういう人たちが一番生き生きしている。


 

公園内に点在する宿泊ロッジ。文字通り“自然以外何も対峙するもののない”環境に惹かれ、毎年ここで静かにクリスマスや記念日を過ごそうとする人たちの予約が絶えないそうだ。
また、「源流」ということから、人生の新たな始まりとして結婚式をあげたり、ある時は第2のスタートといって、離婚の決意を胸に訪れた人もいるとか。
人生いろいろ。


そしていよいよ、Mississippi Headwater(源流)へ。

 200フィートごとにもったいぶるサインが

これが源流だよ、おっかさん!




2550マイル(約3800キロ)の旅を経てはるかメキシコ湾に大河となって流れ込むミシシッピ川は、こんな小さなせせらぎから始まることを知っている人は、実はアメリカ人でもそういない。
そしてこの源流はミシシッピ川の流れのなかで唯一「歩いて渡れる」場所なのだ。
歩数にしてたったの12歩。


向こう岸に渡るときに願いをかけるとその願いがかなうとか。


私は今、あのミシシッピを歩いて渡っている!うおおおおおお~


"Here the 1475 Ft above the ocean, the mighty Mississippi River begins to flow on its winding way 2552 mile journey to the Gulf of Mexico"


もちろん一同は大はしゃぎ。
いきなり旅のメインイベントがしょっぱなに来てしまった感。






人生で二度と得られがたい経験をした私たちは、また3時間かけて南下、ミネアポリス近くのBloomingtonのホテルにチェックイン。
この街は言わずと知れたアメリカでも有数の巨大ショッピングモール「Mall of America」で有名だ。(この話はまた後ほど)

今夜は、ミネアポリス市内の自然食レストラン、「Firelake Restaurant」で夕食。
ミネソタで採れた食材のみを使ったさまざまな創作料理が、今市民に大人気だという。お店の雰囲気もクールで、この晩もデートらしきカップルや家族連れなどで相当混み合っていた。


ところで私たちが夕べから注目していたのはある魚の存在。
その名はWalleye(ウォールアイ)


「ウォールアイ:スズキ目スズキ亜目ペルカ科ザンダー属の1種の大型淡水魚である。英語ではイェローウォールアイ、ピッカレル pickerel、イェローピッカレルとも言うが、日本語では希である。 ウォールアイの名は、猫のように光を反射する大きな目から来ている。(By Wikipedia)」

ミシシッピ川上流でのみ採れる白身魚で、地域によってはネイティブアメリカンにしか捕獲が許されていないというが、ミネソタでは超ポピュラーでどのレストランでも必ずといっていいほどメニューにその名があがっている。
夕べBedmjiのレストランで試してみたところ・・・・う~ん、超大味・・・。正直言ってさして旨いというほどでもなかった。

我々日本人たちならこの魚をどうやって調理するかをいろいろ(暇つぶしに)話し合ったところ、
①南蛮漬け、②天ぷらにして塩かけて食べる、または天ぷら茶漬け、 ③いっそのこと濃いたれをつけてかば焼き、④蒸し料理にしてわさび醤油・・というアイデアが出た。
アメリカ人は“ムニエル”か“ディープフライ”しか思いつかんから魚料理が敬遠されるじゃないだろうか?


そしてビールは、ミネソタのビールサミット。オクトーバー・フェスバージョン。


明日はミネアポリス市内プチ見どころ観光~そして南下の旅が少しずつ始まります。

★ 本日の移動ルート


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帰還

2013-10-12 11:48:08 | アメリカ生活雑感
9月30日から10月11日まで、12日間の長い車の旅が無事終了、
昨日、今回の最終目的地だったセント・ルイスからシカゴに飛行機で無事帰還しました。

各地でいただいた膨大な資料を整理しながら、あれやこれやと旅の思い出にひたりつつ、これらをどうやってまとめていこうかなとわくわくしながら考え中。
このブログでも少しずつ紹介する予定です。お楽しみに・・・・。


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