Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

"Game Change"にサラ・ペイレンの狂気を見た

2013-01-27 11:32:50 | movie


怖いもの見たさで、“Game Change”を見た。
2008年の大統領選で共和党の副大統領候補として一躍有名になった、アラスカ州知事(当時)サラ・ペイレンの選挙戦を描いたポリティカルドラマ。
当時、民主党のオバマ候補の人気にいかに太刀打ちしようかと考えあぐねていた共和党大統領候補、ジョン・マケイン陣営が一か八かの“大博打”として選んだのが女性候補、しかも危険な“スター性”を秘めていたペイレン。
2010年に出版された同名のベストセラー本をもとに、その後ライターが関係者への取材を重ね事実に基づいてて作り上げた作品だ。


映画の見どころはいくつかやってくる。
まず、マケイン陣営がペイレンを選び出すにいたったプロセス。
オバマのカリスマ的人気に危機感を感じていたマケイン陣営は、マケイン側に女性人気が不足していることに着目する。
これを打ち崩すには“色物”で対抗するしかないとふんだ選挙参謀のスティーブ・シュミットは、女性候補に絞り人選を始める。
それも、敬虔なクリスチャン票をとりこむために「プロ・ライフ」、いわゆる人類の誕生は神の手にゆだねられている(もちろん中絶反対派)という思想を貫く人物に的を絞り、ポリティカルな立場や、副大統領にふさわしい教養を備えているのかなどは度外視。

そしてあるとき、ペイレンの演説ビデオを見て彼女に白羽の矢を立てる。
「彼女はスター性を持っている。これならいけるかも」
心配するマケインに向かって「これは大きな賭けだ、でもやるだけの価値はある」と急かすスティーブ。これが国の副大統領候補を選ぶときのセリフかよ、とまず笑ってしまう。

それからは、一夜にして有名人になって有頂天のペイレンの独壇場だ。

次の見どころは、ペイレンの化けの皮がはがれて行くさまと、本人がそれに焦って心身ともにズタズタになっていくプロセス。
世界のことも経済のことも何も知らないただのミス・アラスカ、ホッケーママが勢いだけで知事になり、あろうことか副大統領候補に指名されてしまった悲劇、としかいいようがない。
熟練のジャーナリストたちとのインタビュー番組や、ジョー・バイデン民主党副大統領候補とのディベートなど、彼女にとっての試練が続く。

彼女の“教育担当”になったニコールは、ペイレンのあまりの無知さに自分のやっていることの意義について悩み始める。
「彼女は何も知らな過ぎる。北朝鮮と南朝鮮(韓国)が別の国だってことも知らないのよ」とスティーブに訴える場面ではもう笑うことさえできない。
何度も言うが、これは証言に基づく事実である。

CNNのインタビューでロシアとの外交政策について問われたペイレンが、調子に乗って
「ロシアはアメリカの隣国。アラスカの家からはロシアが見えるのよ」と答えたのはあまりにも有名で、「サタデー・ナイト・ライブ」のパロディーでも何度も使われアメリカ中の笑い草になった。
そのほかにもアフリカを「国」だと思っていたとか、ヨーロッパの国の名前をまともに知らないとか、中学生レベルの地理を知らないという信じられない事実が次々とでてくる。
それでもなんとかディベートを乗り切ろうと、彼女はカードをつかって一生懸命に丸暗記を試みる。
参謀本部も、「わからない質問には答えるな。話を切り替えて時間を稼げ」と指示する。が、そんなもので乗り切れるはずもなかった。
ディベートのたびに無知をさらけ出し、マケイン側の支持率はじりじりと下がっていく。

それでもペイレンは決して自分の無知を嘆かない。
「私は悪くない。私に協力しようしない周りが悪いのよ」

高額な衣装代が問題になるや即刻自分の衣装担当だった女性を首にし、教育係のニコールにも心を閉ざすペイレン。
17歳の娘の妊娠問題や家族の会社のずさんな経営など、次々と暴かれていくプライベートに、怒りを爆発させていく彼女に、陣営は悟るのだった。
やはり彼女を選んだのは間違いだった、と。しかし時すでに遅し。




この映画自体、共和党やペイレンをこき下ろすためではなく、実際に起こったことを関係者の証言をもとに忠実に再現して作られたものだけに、余計に表現しようのない恐ろしさが湧いてくる。
なんといっても、その風貌から独特のアラスカ訛りの英語から何から、恐ろしいほどペイレンになりきったジュリアン・ムーアの怪演は絶賛に値する。




映画を見終わって感じたことは、共和党は過去に何も学んでいないということだった。
2012年の選挙ではまたもや副大統領候補に「超保守派」のポール・ライアンを指名して敗れ去った。

しかし決して忘れてはならないのは、依然として45%を超える国民がこんな共和党を支持しているというホラーである・・・。



★2012年のエミー賞では4部門を制した。
Outstanding Miniseries or TV Movie
Julianne Moore( as Sarah Palin):Outstanding Lead Actress in a Miniseries or a Movie
Jay Roach:Outstanding Directing for a Miniseries, Movie, or Dramatic Special
Danny Strong:Outstanding Writing for a Miniseries, Movie, or Dramatic Special



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Eddy "The Chief" Clearwater バースデー・ブルース・パーティー

2013-01-22 12:21:42 | music/festival
1月19日(土)

シカゴの老舗ライブハウス「SPACE」で行われた、シカゴ・ブルースの重鎮、Eddy "The Chief" Clearwater(エディ・クリアウォーター)の78歳の誕生日パーティーにふたりで行ってきた。
昨年11月の「Buddy Guy・ケネディーセンター名誉賞・受賞祝賀パーティー 」でご本人と知り合い、
奥さんのリネさんからも「来年の誕生日ライブには是非いらっしゃい」とご招待をいただいていたのだ。
12月には彼のおうちにも招待されて、とてもすてきな時間をすごさせていただいた。
出会ったばかりなのに何故か古くから知っているような気持ちにさせてくれる、とってもきさくで温かいご夫妻なのだ。


エディーは、いわゆるシカゴ・ブルースの“第1世代”。
若い頃、サウス(他州)からシカゴにやってきた最後の叩き上げ世代、ともいわれている。
今シカゴで活躍している若手ミュージシャンたちは、もうほとんどが生まれも育ちもシカゴという第2世代に世代交代しつつあるので、彼のようなレジェンドはとても貴重な存在だ。

1935年の 1月10日、ミシシッピ州 Maconで生まれ。78歳。
父親の影響で、幼いころからゴスペルのギター伴奏を耳で学び育った。
1950年、15歳のときシカゴのウエストサイドに移ったともゴスペルグループのギタリストを務めていたが、リトル・リチャードやチャック・ベリー、ファッツ・ドミノなどのロックンロールの洗礼を受けることになる。(チャック・ベリーとの共演も経験している)
このときの影響があってか、ブルースに転向していったあともいまだに彼の演奏スタイルの中には古き良きロックンロール魂が残っているようだ。


そのエディーときたら、休憩をはさんで2ステージ、約3時間を弾きっぱなしの歌いっ放し。
とても78歳とは思えない体力だ。
びっくりしてリネに
「ほうっておいたら一晩中でも演ってるね。すごいエネルギーだね」と言うと、
「いつもそうよ。彼は本当に音楽が好きなのよ。だから私も毎年これ(バースデー・ライブ)がやめられないの」とうれしそう。
こうやって40年以上も連れ添って夫婦で好きなことを極めているというのは、素敵だなぁ。



Eddyといえばこれ、酋長(The Chief)のド派手な衣装。
彼のルーツでもある。

 


  お誕生ケーキタイムではおじいちゃんの顔に

 
ド派手な衣装の着こなしははんぱない。
この人をみるたび不思議と「杉良太郎」を思い浮かべてしまうのだった・・

 
飛び入りしたデイブ・スペクター(Gt)

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“For The People”

2013-01-19 10:40:31 | music/festival
シカゴで活躍するトランペッター、Pharez Whittedの新しいCD "For the People"のリリースライブに行ってきた。

@JAZZ SHOWCASE

彼とは昨年10月末、シカゴのJazzクラブ「Andy's」のJam Sessionで知り合った。
彼はここで毎週日曜日、Jamのホストを務めているのだ。
初めてこのJamに参加すべくサインナップをしたのにかかわらず、最後まで存在を忘れられるという“事件”が発端。
そのときは落ち込んだけれど、その1か月後に再び行く機会があって彼は私の顔を覚えてくれていた。1か月前私の名前を見落としていたことをひどく気にしていて、こちらが恐縮するくらい何度も「ごめんね」と謝ってくれた。

今回リリースされた彼の新作CD、"For the People"は、全曲が彼の作曲によるもの。
作曲家、プロデューサーとしての彼の腕がいかんなく発揮されている。
Jazz Recordランキングでは15位。発売以来常に上位ランキングをキープし続けており、評価も高い。

1stステージが終わったあとCDを買うために彼に挨拶に行ったら、
「あー、君のことよく覚えてるよ。たしかあの時“I Thought About You”を歌ってくれたね。あれはよかった」
そう言うと、CDの協同プロデューサーでもあるギターのBobby Broomを呼んで紹介してくれた。
Bobbyは
「君のことは彼から聞いてるよ。あの晩僕はいなかったんだけれど、翌週Jamに行ったら彼が君のことを話してくれたんだ」
「あれ以来、プツリと来なくなっちゃったね」とPharazが恨めしそうに言うので、いやいやまた絶対に行きます、と挨拶して別れた。
2か月も前のことなのに、歌った曲名までちゃんと覚えていてくれたことに驚くとともにちょっと感激。
彼のトランペットで再び歌えるよう、また修行をつんでいかなくちゃ。




Pharez Whitted (trumpet)

Eddie Bayard(sax)

Bobby Broom (guitar)
ソニー・ロリンズのバンドメンバーとしてツアーにも参加しており、
今回のCDの協同プロデューサーでもある。

Greg Artry (drums)




Ron Perrillo (piano)


★ ★



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雪のないシカゴの冬と餃子パーティー

2013-01-18 17:25:14 | アメリカ生活雑感
最後に“測定範囲の”雪が積もったのは、去年の3月4日。
それから以降、シカゴでの「積雪なし記録」更新中。
積もりすぎるのも嫌だけど、全くないのもなんだか冬らしくなくて寂しい。
このまま春が来てしまうのか??いやいや、そんなことはあるはずがない。
ちかいうちにまた、体感気温-20℃なんていう日が突如としてやってくる、これがシカゴなのだ。

※ "measurable" defined as 0.10 inches or more.


★ ★

そんな生暖か~い1月、郊外日本人主婦仲間のMちゃんから「餃子ランチ」のお誘いをいただいた。
Mちゃんの手作り餃子は、それはもう天下一品。
総勢16名の日本人主婦たちが持ち寄った豪華かつヘルシーなメニューをいただきながら、2013年最初のかしましいニホンゴおしゃべりをたのしんだひととき。

それにしても、ひとり10コ計算、しかもお土産まで持たせてくれたということは、軽く200コは作ってくれたことになる。
Mちゃん、いつも本当にありがとう!



今日の具は、ターキー(七面鳥)のひき肉入り。しょうがとニンニクもたっぷり入って
ジューシーでうんまい

  
お豆のサラダや炊き込みご飯も

 
デザートもみんな手作りの持ち寄り


私が持っていったのは、ごぼうとにんじんのきんぴらとかぼちゃの甘煮。写真にないけどの葉っぱの浅漬けの3品。



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Otis Clayで2013年の幕開け 

2013-01-13 16:27:59 | music/festival
1月5日(土曜日)

2013年最初のライブ鑑賞は、この人と決めていた。
オーティス・クレイ (Otis Clay)
シカゴ・ソウルの代表的な歌手のひとり。ゴスペル畑出身らしくその表現力豊かな歌唱法で、ディープ・ソウルとも呼ばれる。

彼の人気は、意外にも最初日本で火がついた(らしい)。
1978年にO.V.ライトの代役として初来日した時のステージがソウル・ファンをとりこにしてしまい、以来“ディープ・ソウルといえばオーティス”と方程式に書き込んでしまったのだ。
2007年には、 "Walk a Mile In My Shoes" で、グラミー賞「ベスト・トラディショナル・R&Bヴォーカル・パフォーマンス」にノミネートされている。

さて、この日のライブは新しくリリースされたCD「Truth Is」のリリース記念ライブ。
シカゴ北部の高級住宅街、エヴァンストンにあるライブハウス「SPACE」。
開演45分前には中に入り、立ち見のテーブルをゲットしてビールを一杯。
ふと横を見ると、横の小さなテーブルはCD即売コーナーになっていて、ちょっと小汚いジャージを着たおっさんがクレジットカードのマシンをガシャガシャ音をたててチェックしていた。
そこに第1号のお客さんがやってきて、そのおっさんと談笑、なんとサインを求めているのに驚いてよーく見たら、なんとオーティス本人だった(笑)
あまりにもイメージがかけ離れていたので全く気付かなかった。
終演後は混むだろうから、私も彼のあとに1枚購入したのは言うまでもない
それは正解だった。
午後8時の開演時間にはもう立錐の余地もないほどの混み具合。

"Trying to Live My Life Without You"、"Trying to Live My Life Without You"、 "Walk a Mile in My Shoes "と立て続けにヒット曲を歌い、新しいCDからもほぼ全曲。
途中ではミラーボールがまわり、80年代のバブリーな時代にタイプトリップした気分に。
短い休憩をはさんで約3時間(30分前座あり)のステージはとても70歳とは思えない迫力だった。
それにあの力強い声。やっぱりゴスペル畑の人たちは根本から違う。
2013年の素敵な幕開けにふさわしい夜だった。



















Soul Man: Live in Japan [Live]





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「時道中江戸芝居(タイムトラベルえどしばい)」

2013-01-05 11:59:57 | アメリカ生活雑感

昨年末亡くなった十八代目中村勘三郎を偲んだ特別番組「時道中江戸芝居(タイムトラベルえどしばい)」
を、故人を偲びつつひとり飲みながら見た。

江戸の庶民にとって最大の娯楽だった歌舞伎。
四国香川のこんぴら歌舞伎は、その江戸時代、天保6年(1835年)に建てられた、現存する日本最古の芝居小屋だ。
このこんぴら歌舞伎を復活させ初回公演を実現させたのが、勘三郎(当時の勘九郎)だった。
番組では、2009年の座頭を務めた勘三郎を密着取材しながら、彼のこんぴら歌舞伎に対する思いや、父(十七代目勘三郎)との思い出、そして二人の息子たちに寄せる期待や愛情などを映し出していた。




私がこのこんぴら歌舞伎を始めてみたのは、かれこれ20年くらい前になる。
こんぴらさんはお隣の県。桜の咲くころ、帰省を兼ねて歌舞伎好きの母と一緒に見に行った。
これぞ「芝居小屋」という佇まいの小さな木造の小屋。館内は柔らかな自然光。客席照明はろうそくの灯。
役者の息づかいや化粧の匂いまでが間近に感じられる、ライブ感覚にどきどきした。

そもそもこの金毘羅歌舞伎が復活したのは、歌舞伎俳優、中村吉右衛門・澤村藤十郎・中村勘九郎が出演するテレビ番組「すばらしき仲間」ロケが発端だった。
ロケは昭和59年7月5日、6日の2日間行われたが、3人の役者はこの「旧金毘羅大芝居」にすっかり魅了されてしまった。
「これこそ歌舞伎の原点」「是非この舞台を踏みたい」「何よりも客と一体感を感じる、舞台と客席の距離がすばらしい」と、35年ぶりに「こんぴら歌舞伎」を復活させようとの思いを強くする。
旧金毘羅大芝居での歌舞伎公演実現に向かって官民一体となって全力を注いだ結果、ついに翌年の昭和60年6月に記念すべき「第1回四国こんぴら歌舞伎大芝居」が復活した。

第一回(1985年)公演
演目:『再桜遇清水』、『俄獅子』
出演者:二代目中村吉右衛門、九代目澤村宗十郎、二代目澤村藤十郎など。

以降、28年間にわたって「こんぴら歌舞伎」は脈々と続いている。

◆ ◆

番組の中で紹介されたのは、勘三郎(当時・勘九郎)座長の2009年の第25回公演。
演目は、『俊寛』、『新口村』、『身替座禅』、『沼津』、『闇梅百物語』。
勘三郎が、二人の息子、勘太郎、七之助と金丸座で共演を果たした記念すべき公演だった。
特に、『俊寛』は勘三郎にとって特に思い入れが強かったという。

勘三郎はこう語る。
「父(十七代目中村勘三郎)は初め“金毘羅歌舞伎”に出たくなかったんですよ。あんな田舎まで行くのはいやだ。それに狭いし、って言ってね。でもそこをなんとかなだめすかして第3回(1987年)の公演に出てもらった。そしたら舞台の挨拶で感動して泣いちゃってね。またきっと出たい、戻ってきますからって。」

しかしその先代勘三郎もその翌年4月にこの世を去り、来年もう一度こんぴら歌舞伎の舞台に立つという願いはかなわなかった。
その父の生前最後の演目が『俊寛』だった。(1988年(昭和63年)1月歌舞伎座)
十七代目の当たり役としても知られている。

『俊寛』あらすじ:
平家全盛の平安末期。法勝寺の僧都、俊寛は平家打倒の陰謀を企てた罪科により、同志の藤原成経(ふじわらのなりつね)、平康頼(たいらのやすより)とともに、薩摩潟(鹿児島県南方海上)の鬼界島に流される。つらい流人生活のなかでも二人の同志を頼りに穏やかな日々を送っていた俊寛。
ある日、都から恩赦を伝える使者が船でやってくる。しかしその赦免状には俊寛の名前だけがなかった。
絶望に打ちのめされる俊寛。一人島に取り残され、船を見送りながら俊寛は最後の力を振り絞ってこう叫ぶのだった。
「未来で・・・」


未来で、とは「あの世で会おう」という意味だ。
当時、重い病をおして舞台に出演していた先代勘三郎が、振り絞るようにして発した「未来で・・」。
これを離れ行く船の上から聞いたのが、息子である勘九郎(当時)だった。
これが共に立つ最後の舞台と覚悟を決めていた息子に「あの世で会おう」と心の中で絶叫する父。
勘三郎は当時をこう振り返る。
「死は誰にもやってくる。いつか自分もこれを息子たちに言う日が来るんでしょうから」


その日はあまりにも早く訪れた。
父の当たり役、俊寛を演じるにあたって、勘三郎は楽屋に俊寛のいでたちの父の写真を掲げて毎日舞台に向かっていた。

今頃、勘三郎は天国で先代にしかられているかもしれない。
「お前の『未来で』は、まだ若すぎる」と。



2009年、金毘羅歌舞伎の「お練り」。
中村屋!








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なんちゃってお節

2013-01-03 10:39:29 | アメリカ生活雑感



新年、おめでとうございます


というわけで、今年も形だけのお節を用意しました。
見た目の美しさは感動してもらえるけど、決して「食いつき」はよくないことを知ってしているので
今年はなんだか気合が入らず腑抜けた感じのお節になっちゃった。

本当は立派なハマグリもあったのだけれど、朝から焼く気分にもなれず、写真にはありましぇん。残念。
夜のほうがもっと豪華だったかな。





壱の重 
弐の重
参の重


 
御雑煮は手作りのおもち(もち米を炊飯器で炊いてホームベーカリーでついた)入り。

 


器やテーブルセッティングは和洋折衷。洋皿に盛るおせちもなかなかきれい。



ちなみにこれが去年のお節。
今年は「数の子」がばからしいくらい高くて買わなかった。
あとは変わり映えしてないなぁ(がっくり)

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New Years Eve,そしてHappy New Year!

2013-01-02 13:28:51 | music/festival
さて、大みそかは日がな一日こまごまとした家事やお節(もどき)の準備に明け暮れた。
今年も最後まで雪景色のないまま年明け。
最初の年が豪雪だっただけに、なんだかさびしい。

★ 

おとつい、歌い納めのつもりで行った"Morgan's"で大みそかにも年越しJamをやるから絶対おいで、と誘われていたので、
気の乗らないPちゃんをなだめすかして午後10時過ぎに出かけてみた。

午後11時過ぎ。店は超満員。
しかも平均年齢はかるく70歳を越している感じ。
なんだここは!まるで老人ホームのリクレーションセンターじゃないか。
聞きしに勝るアメリカ人の老人パワーがさく裂していて、私たちはカウンターの隅ほうでたじたじ。

いつも仲良くしてくれているおなじみの常連さんが次々に声をかけにきてくれた。
この人たちのお蔭で、今年私は随分と助けられた。
今年の初めくらいからPちゃんは退屈だといってもう一緒にきてくれなくなったので、毎週のように私だけでここにきて歌っていた。
そんな私をいつも楽しく仲間に入れてくれたのがこの人たちだった。


 
ビルと、彼女のメアリー。互いにバツイチ同志
 
  
毎週決まってダンスをしに来ているふたり。
右の紳士は第2次大戦のベテラン(退役軍人)で、92歳!
左の淑女は妻でも彼女でもなく"ダンスパートナー"だそう。彼女も80歳近いお年。
この年齢とは思えないほど、激しいダンスを披露してくれるので驚く。


(左)シルビア76歳、(右)リチャード(86歳)夫妻もここに通い始めて30年だという。
もう50年以上連れ添っているのかと思いきや、バツイチ子持ち同士の再婚だそうだ。さすがアメリカ。
リチャードは毎回メルトーメのような甘い歌声を聞かせてくれ、その音域の広さと息の長さにはびっくりさせられる。
真ん中は、この日特別に遊びに来てくれた夫妻のお友達でもある、シカゴのJazzシンガー、Frank D'rone


同じくここの〝主″、パット(右)
二回りも年下の彼女、リンダをいつも連れてきていたが、つい最近ブレークアップ。
リンダはこの夜、さっそく新しい彼を連れて登場。早い!



そのリンダと新しい彼のロン。リンダはこうみえても53歳。
スタイル抜群、まるで“アメリカの由美かおる”

 
Frankが特別に「The Shadow Of Your Smile」を歌ってくれた。
シカゴのNo.1ジャズ・ヴォーカリストに選ばれたこともある彼の歌声は、派手さこそないがしっとりと情感あふれるものだった。
「Emotionのない歌は歌じゃないよ」とFrank。



午前零時、「Happy New Year!」の声が一斉に響き、店からシャンパンが振る舞われあたりかまわずみなさんと新年のハグ。
間違いなく人生で一番平均年齢の高いハグだった(笑)
その後元気なご老人たちは疲れたそぶりもなく、午前1時過ぎまで元気に飲んで騒いで踊り狂っていた。


2013年はこうして賑やかに明けた。
今年はいろんな意味で勝負の年!
老人パワーに負けずに突っ走るぞ!
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今年最後のゲスト

2013-01-01 22:52:56 | アメリカ生活雑感
今年もあと二日を残すのみ、という年末30日。
去年の夏、アイオワに引っ越して行ったお向かいのアダム一家が帰省のついでに我が家を訪ねてくれた。
こうやっていいつまでも忘れないで訪ねてくれる友達がいることは、とてもうれしい。
今日はアダムがピザを持ってきてくれるので、私も気が楽。

Pちゃんの長~いスペイン旅行土産話を聞きながら久々に食卓を囲んで、楽しかったなぁ。
ふたりだと最近これといって盛り上がる会話もなかったし、ゲストが来ると家の中が明るくなる。


 
シカゴ名物、Deep Pizza。ケーキのような厚さが特徴。

ロージー姫もこんなに大きくなりました。
⇒ ⇒
2011年3月(6か月) ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ 2012年12月


子供が苦手のGOROはなぜかロージーには甘い。


こちらはすっかりお兄ちゃんぽくなったヘンリー坊

⇒ ⇒
2010年10月 ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ 2012年12月

・・・けどやっぱり私の顔を見るととびかかってきてプロレスごっこ。
「10歳になっても遊んでくれる?」と聞くと
「10歳になんかならないもん」だって。

 
今日は静かにi-Podで遊んでいた。文明の利器とは素晴らしい!



アダムとレベッカ。また来てね!


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