Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

雨つづき。

2006-03-31 06:55:09 | アメリカ生活雑感

ここのところバークレーは雨つづき。しかも寒い。
3月にはいってから、ずっとこの調子だそうでかなり異常。
せっかくの連休にサンフランシスコに来た観光客はさぞかしがっかりして帰ったことだろうな。

話はさかのぼって、先週の金曜日。
Pちゃんのホスト教授であるハーブ教授と奥様のエミリアが、私たちとDedeを“お帰りなさいディナー”に招待してくれた。ご夫妻とDedeは昨年末の私たちのWedding Showerパーティーで知り合って以来、いいお付き合いを続けているそうだ。
この日もえらい雨。Dedeと私がPちゃんの職場に彼を迎えにいくはずが、道を迷ってたどり着けず結局1時間以上も遅刻してハーブの家に到着。
エミリアは典型的な“ヴァヴァリアン(ドイツ南部地方)ハウスワイフ(専業主婦)”で、家はきっちりと片付き色とりどりのおいしそうな食事を作って待っていてくれた。
彼女のそのおおらかで温かいところが私は大好きで、ドイツなまりの英語はあのHODAを思い起こさせて懐かしい。
ハーブのウィットの効いた話にDedeは夢中で、うれしそうに会話を楽しんでいる。

コトバは時代と共に変わりつづけている、という話題でDedeが、
「最近の若い女の子たちの会話を聞いていると、いったい何語なんだかわからないわ。1分に何回も"~like""~like"を連発するのよね”。ちょっとうんざりだわ」
これには同感で、バスの中での学生の会話なんかは日本のバカ女子学生を連想させる。どの国も同じだなぁ。
しかも“~like”っていうのは直訳すれば“~みたいなぁ”ということになり、これは不思議な偶然の一致だ。
日本の女学生はアメリカの流行を知っていて直訳したのだろうか?(んなわきゃない)
“はやりのコトバを覚えて連発するとアホに聞こえる”のは、日本に来ている外人にも、外国でみかける日本人にも言えること。カッコいいつもりでもたちまち時代遅れになってしまう。美しい自国の言葉をきちんとしゃべれる国民がいかに多いかが、「国の教養」を計るめやすになると思う。

11時をまわって楽しかった宴もお開きに。来週は彼らの姪がドイツから3週間やって来るというので、ドイツ語の練習もかねてまた遊びに行くとしよう。


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消費者の声を聞け!

2006-03-30 04:51:09 | アメリカ生活雑感

Pちゃんはお買い物が嫌い。
正確に言えば、“ストレスフル”なのであまり好きじゃないらしい。
なぜストレスフルなのかというと、目的のものを買うのにいろいろ比較検討したり迷ったり価格に見合うかどうかを精査するのに疲れるからだそうだ。
すべてを満足させるものが見つかるまで、彼は絶対に妥協しない。
そんなことで時間を取られていたら、人生の大半の部分を無駄にしちゃうんじゃないかと心配になるくらいだ。

「ちょっとパン買ってくる」といって出かけたPちゃんが1時間も帰ってこない。やっと帰ってきたので何があったのかと聞いてみると、パンは問題なくみつかった→そういえば野球の記事が見たいと私が言っていたのを思い出し、新聞を買おうとしたらスポーツ欄がなかった→違う店に行って新聞を捜したがそこにもなかった→新聞はあきらめたがボディシャンプーがないのを思い出してまた店に→ボディシャンプーのチョイスがないのに愕然として店を転々とする・・・
こういうことだったらしい。
「シャンプーはあほほど置いてあるのに、ボディシャンプーときたらたった1種類、しかも8ドルもするものしかない。しかもどこにいってもその状態。いったいどういうことなんだ?」
「アメリカ人て石鹸しか使わないんじゃないの?」
「前にもシカゴのある店でボディシャンプーあるか?と聞いたらハンドソープを渡されて、コレで手も顔も髪の毛も洗えるよと言われたんだ。アンビリーバブル!」

たしかにアメリカでは“あって当たり前”なものが驚くほど品薄だったり、あったとしてもばか高かったりする。それに消費者の“使い勝手”なんて考えちゃいない。シャンプーはいまだにポンプ式ものもがないし、洗うとキューティクルが剥がれ落ちそうなbadクォリティ。サランラップは絡みつくし切りにくいこと限りない。ストッキングはばか高いわりに一日でひきちぎれてしまう。
これが日本だったら、すぐに改良品が市場に現れまたたくまに消費者はそれに飛びつくだろう。これが市場の競争原理というもの。なのにアメリカは驚くほど何も変わらない。
いったいどうなっていくんだろうね、この国はいったい。


今晩のおかず。ちょっと体が疲れてきたので質素に。


・豚のしょうが焼き/いかなごの釘煮入り卵きんちゃく/アスパラチーズ焼き
・豆腐とわかめたっぷりの味噌汁
・白身魚ときゅうりの巻きすし
最近お気に入りの赤ワイン<ジンファンダー>
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SPANISH PAELLA(パエリア)初挑戦

2006-03-26 15:51:19 | cooking

今日の夕食は、「バークレーボウル」で仕入れた具をいっぱい仕込んで
フライパンでパエリアに初挑戦してみた。
初めてのわりにはうまくいって、赤ワインとの相性もばっちり。
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テレビをチェック!

2006-03-25 09:21:27 | アメリカ生活雑感
先日、たまたま立ち寄ったライブハウスで収録が行われていたJazz Liveが放映されます。興味深いのでご覧下さい。(ちなみに私はカウンター席に座っていました)

3月26日(日) 23:15~23:45
TBSテレビ 情熱大陸「天使の声!世紀を超えて魂を揺さぶる沖縄のジャズ歌姫」

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イラク開戦から3周年。

2006-03-25 08:29:40 | アメリカ生活雑感

今晩、興味深いレクチャーがあるよ、と職場のPちゃんからメールがきた。
いかにもバークレーらしい、「Speaking the Unspeakable: Is the Bush administration Guilty of War Crimes and Crimes Against Humanity?」(ブッシュ政権は戦争犯罪と人権に反した罪において有罪か?)
http://worldcantwait.net/

パネリストは、2004年に息子をイラクで失って以来、ホワイトハウスの前でキャンプをはって戦争の罪を訴え続けている反戦家のCindy Sheehan氏,元CIA、アメリカ政府が戦争中に行った“拷問”に対して猛烈に異議を唱え、27年間のキャリアで政府から与えられたVIP称号を返納したRay McGovern氏,ジャーナリストで『Oil, Power and Empire』の著者、Larry Everest氏というそうそうたるメンバー。

インターナショナル・ハウスという、巨大な学生寮のホールで行われたにもかかわらず、参加者のほとんどは40歳以上とおぼしき人たち。
会場は200人を超える、いかにも「活動家」という風体の人たちに埋め尽くされていて一種異様なムードがただよっていた。ホールには「ブッシュをやめさせろ!」と書かれたTシャツや、イラクとの戦争がいかに政府のうそに固められて始まったかを暴く本が所狭しと並べられている。イラク兵士の「拷問」写真もパネル展示されている。
「この中で“活動家”じゃないのは、ボクらふたりだけかもね」とPちゃんが耳打ちする。

話の内容は、特定の固有名詞が名指しで出てきたりして、一般の人たちにはなかなか理解できないものが多かった。特に元CIAのMcGovernの話は難解で、ついていけなかった。
そのなかでもさすがにジャーナリストのEverest氏の話はとても明確で解りやすく印象的だった。
彼はブッシュ政権の「戦争責任」だけにとどまらず、彼らが招いた数々の“罪”~学者たちの再三にわたる警告を無視して地球温暖化を放置したあげく、ハリケーン・カトリーナを招いて国を混乱に陥れた罪、そこでばらばらになった南部の黒人家族を別々の州に引き離し、人種の「撲滅」を図った罪、HIVに対する無策・・など~を熱く語ってくれた。。

観衆の圧倒的なスタンディングオベーションで迎えられたのが、「アメリカで最も有名な母」Cindy。
彼女がどんな話をするのかかなり興味深かったが、つまるところは「どんな戦争にも正義はない。家族を失った悲しみはイラクの人たちもアメリカ人も同じだ。ブッシュ政権のうそによって何の罪もない人たちが毎日殺されている。今すぐブッシュ政権を終わらせよう、そのためにみんながもっとspeak outすることが大切だ」という内容だった。
話の途中で彼女は活動の“寄付”を呼びかけ、係員がダンボールを持って回り始めた。とたんに彼女は失った息子との思い出話を涙ながらに語り始める。
コトバは悪いが、なんだか新手の宗教集団みたいだ。Pちゃんもそう感じたのか、
「いかにもアメリカってかんじだね」とささやく。
「この人はこうやって毎日どこかで講演しながら泣いてるんだろうか?」と、ちょっと皮肉っぽく私が聞くと、
「この涙は真実だと思うよ。子どもを失ったというトラウマは決して消えないはずだからね」
それはそのとおりだ。




講演が終わってパネリストが質疑に答える時間が設けられた。
そこで、さっき涙ながらに語っていたCindyが一心不乱に壇上でお金を数えているのを見てなんだか一気に覚めてしまった。
「アレはあかんやろ~?」
「しかたないじゃない。彼女はすぐに金額を報告したいんだろう、きっと。」
「でもあそこでするべきじゃないでしょ?もしくは誰かに頼むべき!感じ悪い」
目の前でお金を数えるという行為を礼儀に欠ける、不愉快な行為だと思う私と、多分誰もなんとも思っていないよというPちゃんの“文化の違い”もまた、面白い発見だった。

それにして、もこういうポリティカルな活動ひとつをとってもアメリカという国ではすべてが「よくできたイベント」に見えてしまうのはうがった見方だろうか?
参加者を見ても、しょせんは「活動家の、活動家による、活動家のためのイベント」でしかなかったように思う。


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「宮川泰艦長に、敬礼!」

2006-03-23 14:32:22 | アメリカ生活雑感

日本の良き昭和が、またひとつ去っていった。
戦後の復興期を音楽で支え、「ザ・ピーナッツ」の『恋のバカンス』などで一世を風靡した作曲家、宮川泰氏。
私たちの年代にとってはむしろ「宇宙戦艦ヤマトの」といったほうがいいかもしれない。ストーリーもさることながら、“ヤマト”は全編を通して流れるあの壮大にして雄雄しく、時には切なく心をえぐられるようなメロディーが見る者すべてを熱くした。
小学生から中学~高校とヤマト熱は覚めやらず、我が家には「宇宙戦艦ヤマト」「さらば宇宙戦艦ヤマト」「ヤマトよ永遠に」「宇宙戦艦ヤマト・完結編」「交響組曲・宇宙戦艦ヤマト」のLPをはじめ、ジュリーのうたう「ヤマトより愛をこめて」(これは宮川さんではない)などが家宝のように並んでいる。何度聴きこんだか計り知れない。
当時は楽譜などなかったので、この頃の私はこれらをピアノで“耳完コピ”することに夢中だった。
私の音楽の基はすべてヤマトだった。

数年前のある日、知り合いに誘われて、銀座のジャズハウスに宮川軍団のライブを見に行った。
軽妙なトークと共に繰り広げられる往年の大ヒット歌謡曲ナンバー。途中から曲はヤマトメドレーへと変わり、私は初めて目の前で聞く“生ヤマト”にただほろほろと涙したのだった。
ライブが終わってからどうしても「私の音楽のルーツはヤマトでした」と伝えたくて、楽屋に宮川さんを訪ねた。
「そう、うれしいねぇ。」

その後、何度か行きつけの銀座のBarで宮川さんををお見かけする機会があった。興に乗った氏がピアノにすわり「真っ赤なスカーフ」を演奏してくれ、私がその伴奏に合わせて歌うという暴挙も、今ではなつかしい自慢話。
また、ご自分で作曲したものの細部までは思い出せないとまごついていた宮川さんに、「先生、ここはこうです」と僭越ながら“教えて”さしあげたこともあった。
とにかく飾らない人だった。音楽と、心から人を楽しませることをこよなく愛していた。70歳を超えてなお、若いおねぇちゃんが大好きだった。
そんな氏の、あまりにも突然の旅立ち。

『寺内貫太郎一家』の久世さんといい、宮川さんといい、「僕らの世代のある意味、原点である昭和がどんどん遠ざかっていきますね」と、友人からメールがきた。まさにそのとおりだ。

今日はイスカンダルに旅立った宮川艦長に哀悼の意を表して、静かに飲もう。




「違う!・・断じて違う!!
宇宙は母なのだ、そこで生まれた生命はすべて平等で
なければならない・・それが宇宙の真理であり、宇宙の愛だ!
・・お前はまちがっている!それでは・・宇宙の自由と平和を
消してしまう者なのだ・・俺たちは戦う!・・断固として戦う!」
                        ・・古代 進

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真のサムライを見た。

2006-03-22 05:22:03 | アメリカ生活雑感

5日前、韓国との負けられない戦いに敗れた瞬間、イチローが「F○○K」と吼えた。
ウィニングランをする選手たちを見ながら「不愉快ですね」と吐き捨て、「自分の野球人生の中で一番屈辱的な日」とまで言い放った。
その煮えたぎるような思いが、すべてこの一瞬で吹きとんだ。
「世界一、おめでとう!!」

午後6時。
いよいよ決戦のときをむかえ、テレグラフのスポーツバーへ。しかし、スクリーンに映し出されるのはバスケットの試合映像ばかり。キューバ対日本の試合なんて、アメリカにとってはどちらも“敵国”、who cares(かまっちゃいねぇ)だ。
1時間あまりうろうろと“スポーツバー難民”をしたあげく、結局日曜日と同じくShattukのベケッツでやっとスクリーンが野球チャンネルになっているのを発見し落ち着くことにした。

すでに2回キューバの攻撃。スコアは4-1で日本のリード。うう・・・だから初めから見たかったのに。
カウンターに座り、ビールを飲みながら松坂の快投(まさに)に酔う。2回のオリンピックで辛酸をなめつくした彼は、国際舞台でひとまわりもふたまわりも成長していた。アメリカの放送局は、ストライクゾーンを際どく攻める松坂の投球を何度も何度も繰り返し賞賛していた。コレを見ればメジャーがほうっておくわけがないな、きっと。おめでとう、松坂。



5回、日本が追加点でスコアは6-1。このあたりではビールもすでに2杯目を終え、勝利を確信していた。
イチローがスクリーンに大きく映し出されると、なんだか涙が出てきた。
アメリカで孤軍奮闘しながらついにメジャー記録を更新し、それでもなお目に見えない差別と戦わざるをえないイチローの気持ちの奥をいったい誰が知るだろう。
世界の王を世界一とは認めないメジャーの世界。それを知っているイチローだからこそ、王監督を真の“世界一”にすることが彼の夢でありゴールだった。「王さんを男にする」とはそれを意味していたはずだ。
そう考えると、一見過激ともとられがちな彼の発言などごく当たり前のこと。そう、「スポーツはケンカ」なのだ。勝たなければ意味がない。サムライは切られたらそこで死ぬのだ。
「30年間勝てないと思わせたい」。彼だから言える、ステキなコトバじゃないか。

渡辺、藤田とつなぎ1点差に迫られたところで、バーテンが
「日本を応援してるのかい?日本人?」と聞いてきた。
「うん。でも今ちょっと危ない状況なんだ」
オンナがひとり、ビールを飲みながら何時間もただテレビ画面の野球だけに全神経を集中させているのがよほど奇異に映ったんだろうな。

今日の王さんは動きが早い。すばやく大塚を投入したところでこちらもほっとする。
9回。イチローのヒットと好スライディングで追加の4点をもぎとる。もう決まりだ。


スライディングを決めたイチローはカメラに向かってポーズを決める


大塚が最後のマウンドにあがり、守備に着いたイチローが目頭を押さえている。ぐっと熱いものがこみ上げてくる。最後のバッターを三振に取った瞬間、全身に鳥肌。
アメリカ戦での“世紀の大誤審”、韓国戦でのまさかの敗退(イチローがライトスタンドの韓国人観客にファウルボールキャッチを邪魔されなかったらどうなっていたかわからない)、誰もが終わったと思ったその崖っぷちから這い上がってきたこのチームが今、目の前で初のWBC世界チャンピォンになった。誰からも文句を言わせぬ強さで。


勝利の瞬間!!


熱いものを抑えきれないままに家に帰ると、ちょうどそこにPちゃんが帰ってきた。
「野球、どうだった?」
「・・・(涙)・・・」
「え?負けたの?」
「・・・勝った(涙)・・」
「うれしくて泣いてんの?(笑)」
「感動した。だってさー、ここ来るまではもうタイヘンだったんだよ。それを話すと3時間くらいかかる」
「とにかくめでたい!おなか空いたでしょ?何か食べに行こう」

かくして近所の中華テイクアウトで晩御飯をゲット、このときすでに酔っ払っていた私は今日のゲームを一方的にまくしたてバタンキュー。
ああ、本当に世界一になったんだ。
感動を本当にありがとう!!久しく興味が離れていた日本のプロ野球にも、これで俄然興味がわいてきた。

                   

Japan's Matsuzaka a deserving MVP
Right-hander tallied a 3-0 record in inaugural Classic
By Jim Street / MLB.com

SAN DIEGO -- The confidence manager Sadaharu Oh showed in right-hander Daisuke Matsuzaka paid huge dividends Monday night for everyone connected with Team Japan.
Matsuzaka pitched so well against Cuba in the World Baseball Classic championship game at PETCO Park that he captured the Most Valuable Player award and the accompanying trophy.
No surprise there as Matsuzaka had a 3-0 record and 1.38 ERA during the three-week tournament.
But it came as a little bit of a surprise to the right-hander when he was told two days earlier that he would start the Classic's championship game.
"I knew by rule that [Shunsuke] Watanabe was available, but when [Oh] selected me as the starting pitcher, that really fired me up," he said.
The adrenaline flowed so freely that Matsuzaka threw more heat than even Oh anticipated.
"He was throwing his pitches harder than ever in first four innings," Oh said after the 10-6 victory over Cuba. "That was something I haven't really seen in the past."
The extra effort Matsuzaka put into the game led to an earlier than expected departure. There is a 95-pitch limit in the final round of the tournament, but the starter threw just 62 pitches -- 43 for strikes.
When the bottom of the fifth inning started, Watanabe was on the mound, not Matsuzaka.
"As I saw him at that time, at the pitching change time, I really thought it would be better if I sent another pitcher in," Oh explained. "Of course, he might have pitched a little more, he might have been able to pitch some more, but today that was my decision to take him out at that moment and switch him with the other pitcher."

Japan led, 6-1, at the time and there was some heavy-duty second-guessing when Cuba stormed back and erased all but one run of Japan's seemingly safe lead.
"I never thought about a pitch count or anything," Matsuzaka said, "so from the beginning, I was throwing the hardest pitches possible. This was the first time for me to face the Cuba team since the Athens Olympics (in 2004), but they always have these intimidating hitters."
Matsuzaka said fear of the Cuba lineup never entered his mind and his game plan was to challenge the fastball-hitting team with fastballs.
"I heard they are really good fastball hitters and my good pitch is also a fastball," he said. "So I really wanted to try my fastball against those good hitters and really didn't care about the location. I wanted to overpower the Cuban hitters."

Mission accomplished. He struck out five and didn't walk anyone. The only glitch on his pitching line was a solo home run surrendered to Eduardo Paret leading off the bottom of the first inning.

Matsuzaka got even in the third, striking out the Cuban shortstop.
Cuba manager Higinio Velez put the credit where it belonged.
"All those who are well-acquainted with baseball, and who have followed this closely and know a lot about baseball, know that when you have a good pitcher, a top quality pitcher as you did with Japan, it is very difficult to hit, very difficult to bat," he said.

With the Classic now in the history books, and his uniform on its way to the Hall of Fame in Cooperstown, N.Y., Matsuzaka had a chance to reflect on the past month or so.
"To me the Olympic games were the only opportunities to decide the world's No. 1 baseball team in the past, and actually I participated in two Olympics, but both times the team I participated in finished short of earning the gold medal," he said.
"This time I heard about this plan of World Baseball Classic, and I looked at the list of the players, and I thought at that moment I was probably most excited in my career that I might have a chance to play on the best team ever.
"We all aimed at winning the championship here, and in the last game, with the world championship on the line, I was named as a starter of the game, and I'm really proud of the fact that I was able to start and I also did a decent job to contribute to the win. So I'm really satisfied with that."
"At the time of winning the championship, like Ichiro said, this will be the end of this great journey with these great teammates, and I've experienced this sadness in the past with the Olympic teams, but still, I feel really hard that we have to part from each other.
"Throughout this tournament, all the teammates became real good friends and good buddies."

Good friends, good buddies and champions of the World.


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初「家メシ」

2006-03-21 06:28:01 | cooking

うららかな日曜日。さっそくふたりでバスに乗ってオークランドの韓国「プサンマーケット」に食料の買出し。
昨日の韓国戦に勝ったので、気分は上々。


今日の晩御飯

頂き物の器やグラス、そして“おだしの基”を早速使わせていただきました。
Pちゃんもステキなプレゼントに心から感謝しております。



・具だくさんの豚汁。(かぼちゃ、じゃがいも、しめじ、しいたけ、わかめ、おねぎ、豚肉)
友人からいただいた大ぶりの塗りのお椀が、具沢山にぴったり。
・小エビと玉ねぎのかき揚げ~ごはんに盛って食べると天丼に。
・出し巻き卵
・ほうれんそうのおひたし

いやぁ、うまかった。食べ過ぎて食後はふたりともしばらく放心状態に。
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I'm Home!

2006-03-21 06:08:57 | アメリカ生活雑感

話をやっと元に戻して・・・(この前の分は過去ブログにアップデートしました)、3月18日、無事にバークレー入り。
この町はいつ来ても同じ。よく言えば落ち着く場所、悪く言えばタイクツ。
でも今日からは今までとは違う生活が始まるわけで、焦らずにやるべきことを見つけていこう。


Pちゃんは部屋をすっかり片付けて、
お花とバースデープレゼントで出迎えてくれた。
誕生日のプレゼントはエラとサラ・ヴォーンのDVD。
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WBCセミファイナル&誕生日。

2006-03-18 06:39:58 | アメリカ生活雑感

順不同ですが、あんまり興奮しているので先に書いてしまいます。
今日のWBCセミファイナルは本当に勝ててよかった!
ちょうどこの日にアメリカに来てしまったので世紀の対決を生で見ることができないと落ち込んで食事に出たけれど、ダウンタウンバークレー駅前にあるスポーツ・アイリッシュ・ライブバー“バケッツ”でついに日本-韓国戦を放映しているのを発見。飛び込んでスクリーンに釘付けになって見た。
ちょうど会は7回。日本の猛攻撃が終了した直後でスコアボードは5-0。
Pちゃんと祝杯のビールを飲みながら勝利の瞬間を見ることができた。アメリカが負けて以来、もう放映はしないんじゃないかと恐れていたけれど、本当によかった!
誕生日よりも食事よりも、どうしても野球が見たい!と騒いだので、Pちゃんは私のことを「クレイジー野球ボーイ」と呼んでいる。


9回ツーアウト(左)、そして勝利の瞬間!(撮影:Pちゃん)


さっそく飲んだくれてます。(タイレストランで)

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