バークレーにはもう長くないかもしれないと思い始めた理由、それはPちゃんの仕事。この8月末で今働いている研究所との契約が切れるため、その後の新たな仕事先を見つけなければならないのだ。二人とも外国人である以上、ビザの切れ目がアメリカとの縁の切れ目。アメリカで次の仕事が見つかなければ即効で国外に出なければいいけない。アメリカを離れドイツに帰ることが死ぬより怖い彼は、今度こそ自分の力で次の行き先を決めなければならない崖っぷちに立たされている。
もともとPちゃんがバークレーに来たのはドイツの大学(教授)からの紹介だった。ある有名財団から奨学金をもらい意気揚々とやってきたものの自分の思うようなチームや研究に恵まれず、希望が絶望に変わるのにはさして時間はかからなかった。アメリカに来る外国人のポスドクの間でよく聞く話だが、外国から来るポスドクが優秀で期間限定なのをいいことに安月給で犬のように働かされるのだそうだ。もっとも問題なのは、その後のキャリアに有益な研究を十分にさせてもらえなかったことだ。
それでも、人種の差別(いわゆる白人同士では)のないアメリカの風土とカリフォルニアの陽気にすっかり心を奪われたPちゃんは、どうしてもアメリカを離れたくない。そのためには、優秀なフィジシストがごまんといるアメリカで、高い競争を勝ち抜いて次の仕事先を見つけださなければならないという試練が待ち受けている。
そう、これは必ず通らなければならない道。今度は誰も手を差し伸べて「ここにおいで」とは言ってくれない。自分で悩み、自分で選び、自分で殴りこまなければならない。
Pちゃんはいわゆる“社会人になるための就職活動”というものを経験したことがない。人生でそれを今、初めて経験している。
もちろん、これは自分といやがおうにも向きあわなければならない苦しみを味わう。自分にはどれほどの能力があるのか、自分は何で生きていきたいのか、いけるのか、それは世の中に有益なことなのか、それでお金がもらえて食って(家族を食わして)いけるのか・・・疑問がいちどに押し寄せて頭がパンパンになる。不安がどっと押し寄せる。
Pちゃんはまさに今、そういう状態。人生でかなり遅い就職活動初体験中。もともとピュア(というか一途)な性格なうえ、妥協を全く知らない人。「自分はこれでしか生きていけない。そうじゃなきゃ死んだほうがましだ」とまで言い切るタイプ。かなり危険だ。
こういうタイプに「何寝ぼけたこと言ってんの。まずは食っていくことが大事でしょ。少しは妥協すれば?」は禁句。それは私自身が一番言われたくなかった言葉だから。
―大学4年の夏。
男子学生は寝ていても企業やOBから誘いがきていたバブル初期の時代、女子学生にはまだまだ氷河期だった。均等法すらまだだった。「女子」であるだけで平気で電話を切られた。しかも「自宅生のみ。下宿生お断り」という、その人物の能力にはなんら関係ないばかばかしい差別がまかり通っていた。焦りと憤りの毎日。自分は社会にとって不必要なんだろうかと落ち込んだ。別段興味もない企業にかたっぱしから資料請求したところで、それは何のため?そこまで安売りしなきゃいけない程度の人間なんだろうか。そんな扱いを受けるために親は私を4年間大学に行かせたわけじゃなし・・・
いやになって、部屋に閉じこもった。クラブの仲間が心配して訪ねてきてくれたり電話をくれたりした。そんなとき、何度も何度も誘ってくれた当時無名の会社に結局は就職することになった。「自分を欲しいと思ってくれる会社にいったほうが幸せになれるかもしれない」と思ったから。
今から思えば、それこそこの世の終わりのように悩んだ日々だった。でも、それがあったから今がある。
だから、苦しいだろうけれどPちゃんには気のすむようにやってほしい。家族を食わせにゃなどという気負いは(あるとすれば)今すぐ捨ててほしい。今すぐ死ぬわけじゃなし、あたしゃ大丈夫。夢があるなら何年かかってもそれに向かって進むのみだ。“これでしか食っていきたくない”と言い切れる職業があるというのは、何の専門分野も知識も持たない私からみればとてもまぶしい。
Go ahead, P-chan!
あたしゃ黙って応援してるぜ。
もともとPちゃんがバークレーに来たのはドイツの大学(教授)からの紹介だった。ある有名財団から奨学金をもらい意気揚々とやってきたものの自分の思うようなチームや研究に恵まれず、希望が絶望に変わるのにはさして時間はかからなかった。アメリカに来る外国人のポスドクの間でよく聞く話だが、外国から来るポスドクが優秀で期間限定なのをいいことに安月給で犬のように働かされるのだそうだ。もっとも問題なのは、その後のキャリアに有益な研究を十分にさせてもらえなかったことだ。
それでも、人種の差別(いわゆる白人同士では)のないアメリカの風土とカリフォルニアの陽気にすっかり心を奪われたPちゃんは、どうしてもアメリカを離れたくない。そのためには、優秀なフィジシストがごまんといるアメリカで、高い競争を勝ち抜いて次の仕事先を見つけださなければならないという試練が待ち受けている。
そう、これは必ず通らなければならない道。今度は誰も手を差し伸べて「ここにおいで」とは言ってくれない。自分で悩み、自分で選び、自分で殴りこまなければならない。
Pちゃんはいわゆる“社会人になるための就職活動”というものを経験したことがない。人生でそれを今、初めて経験している。
もちろん、これは自分といやがおうにも向きあわなければならない苦しみを味わう。自分にはどれほどの能力があるのか、自分は何で生きていきたいのか、いけるのか、それは世の中に有益なことなのか、それでお金がもらえて食って(家族を食わして)いけるのか・・・疑問がいちどに押し寄せて頭がパンパンになる。不安がどっと押し寄せる。
Pちゃんはまさに今、そういう状態。人生でかなり遅い就職活動初体験中。もともとピュア(というか一途)な性格なうえ、妥協を全く知らない人。「自分はこれでしか生きていけない。そうじゃなきゃ死んだほうがましだ」とまで言い切るタイプ。かなり危険だ。
こういうタイプに「何寝ぼけたこと言ってんの。まずは食っていくことが大事でしょ。少しは妥協すれば?」は禁句。それは私自身が一番言われたくなかった言葉だから。
―大学4年の夏。
男子学生は寝ていても企業やOBから誘いがきていたバブル初期の時代、女子学生にはまだまだ氷河期だった。均等法すらまだだった。「女子」であるだけで平気で電話を切られた。しかも「自宅生のみ。下宿生お断り」という、その人物の能力にはなんら関係ないばかばかしい差別がまかり通っていた。焦りと憤りの毎日。自分は社会にとって不必要なんだろうかと落ち込んだ。別段興味もない企業にかたっぱしから資料請求したところで、それは何のため?そこまで安売りしなきゃいけない程度の人間なんだろうか。そんな扱いを受けるために親は私を4年間大学に行かせたわけじゃなし・・・
いやになって、部屋に閉じこもった。クラブの仲間が心配して訪ねてきてくれたり電話をくれたりした。そんなとき、何度も何度も誘ってくれた当時無名の会社に結局は就職することになった。「自分を欲しいと思ってくれる会社にいったほうが幸せになれるかもしれない」と思ったから。
今から思えば、それこそこの世の終わりのように悩んだ日々だった。でも、それがあったから今がある。
だから、苦しいだろうけれどPちゃんには気のすむようにやってほしい。家族を食わせにゃなどという気負いは(あるとすれば)今すぐ捨ててほしい。今すぐ死ぬわけじゃなし、あたしゃ大丈夫。夢があるなら何年かかってもそれに向かって進むのみだ。“これでしか食っていきたくない”と言い切れる職業があるというのは、何の専門分野も知識も持たない私からみればとてもまぶしい。
Go ahead, P-chan!
あたしゃ黙って応援してるぜ。