Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

走れ、Pちゃん。

2007-06-29 06:53:18 | ダーリンはドイツ人
バークレーにはもう長くないかもしれないと思い始めた理由、それはPちゃんの仕事。この8月末で今働いている研究所との契約が切れるため、その後の新たな仕事先を見つけなければならないのだ。二人とも外国人である以上、ビザの切れ目がアメリカとの縁の切れ目。アメリカで次の仕事が見つかなければ即効で国外に出なければいいけない。アメリカを離れドイツに帰ることが死ぬより怖い彼は、今度こそ自分の力で次の行き先を決めなければならない崖っぷちに立たされている。

もともとPちゃんがバークレーに来たのはドイツの大学(教授)からの紹介だった。ある有名財団から奨学金をもらい意気揚々とやってきたものの自分の思うようなチームや研究に恵まれず、希望が絶望に変わるのにはさして時間はかからなかった。アメリカに来る外国人のポスドクの間でよく聞く話だが、外国から来るポスドクが優秀で期間限定なのをいいことに安月給で犬のように働かされるのだそうだ。もっとも問題なのは、その後のキャリアに有益な研究を十分にさせてもらえなかったことだ。
それでも、人種の差別(いわゆる白人同士では)のないアメリカの風土とカリフォルニアの陽気にすっかり心を奪われたPちゃんは、どうしてもアメリカを離れたくない。そのためには、優秀なフィジシストがごまんといるアメリカで、高い競争を勝ち抜いて次の仕事先を見つけださなければならないという試練が待ち受けている。

そう、これは必ず通らなければならない道。今度は誰も手を差し伸べて「ここにおいで」とは言ってくれない。自分で悩み、自分で選び、自分で殴りこまなければならない。

Pちゃんはいわゆる“社会人になるための就職活動”というものを経験したことがない。人生でそれを今、初めて経験している。
もちろん、これは自分といやがおうにも向きあわなければならない苦しみを味わう。自分にはどれほどの能力があるのか、自分は何で生きていきたいのか、いけるのか、それは世の中に有益なことなのか、それでお金がもらえて食って(家族を食わして)いけるのか・・・疑問がいちどに押し寄せて頭がパンパンになる。不安がどっと押し寄せる。
Pちゃんはまさに今、そういう状態。人生でかなり遅い就職活動初体験中。もともとピュア(というか一途)な性格なうえ、妥協を全く知らない人。「自分はこれでしか生きていけない。そうじゃなきゃ死んだほうがましだ」とまで言い切るタイプ。かなり危険だ。
こういうタイプに「何寝ぼけたこと言ってんの。まずは食っていくことが大事でしょ。少しは妥協すれば?」は禁句。それは私自身が一番言われたくなかった言葉だから。

―大学4年の夏。
男子学生は寝ていても企業やOBから誘いがきていたバブル初期の時代、女子学生にはまだまだ氷河期だった。均等法すらまだだった。「女子」であるだけで平気で電話を切られた。しかも「自宅生のみ。下宿生お断り」という、その人物の能力にはなんら関係ないばかばかしい差別がまかり通っていた。焦りと憤りの毎日。自分は社会にとって不必要なんだろうかと落ち込んだ。別段興味もない企業にかたっぱしから資料請求したところで、それは何のため?そこまで安売りしなきゃいけない程度の人間なんだろうか。そんな扱いを受けるために親は私を4年間大学に行かせたわけじゃなし・・・
いやになって、部屋に閉じこもった。クラブの仲間が心配して訪ねてきてくれたり電話をくれたりした。そんなとき、何度も何度も誘ってくれた当時無名の会社に結局は就職することになった。「自分を欲しいと思ってくれる会社にいったほうが幸せになれるかもしれない」と思ったから。
今から思えば、それこそこの世の終わりのように悩んだ日々だった。でも、それがあったから今がある。

だから、苦しいだろうけれどPちゃんには気のすむようにやってほしい。家族を食わせにゃなどという気負いは(あるとすれば)今すぐ捨ててほしい。今すぐ死ぬわけじゃなし、あたしゃ大丈夫。夢があるなら何年かかってもそれに向かって進むのみだ。“これでしか食っていきたくない”と言い切れる職業があるというのは、何の専門分野も知識も持たない私からみればとてもまぶしい。

Go ahead, P-chan! 
あたしゃ黙って応援してるぜ。
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太鼓は歌う。

2007-06-28 05:54:56 | アメリカ生活雑感
先日の日曜日、マサコさんのうちにお出かけする道すがらなにやら音楽が聞こえてくるのでふと外を見ると、シニアセンターの前でなにやら見なれた人たちが・・・


太鼓のJimiさん(右)とギターマン・ヒデオさん(中)と尺八の不思議な取り合わせのトリオが演奏中。こりゃ見ないわけにはいかんというわけで、急遽車を止めしばし演奏に聴き入った。
演奏していたのは日本の童謡やJazz。尺八の音がときにはフルートのようにも聞こえ、太鼓の音は心臓にずしんと響き、ギターもいつもながらソツのない音色。こういう取り合わせは今まで見たことなかったけれど、日本人の私には懐かしく、気持ちがやすらぐ音だった。
特に感動したのはJimiさんの太鼓。“リズム楽器”の粋を超え、どんなメロディー楽器よりも歌っていた。Jimiさんのソウルが体全体を通してこちらにずしずし伝わってくる。まるで会話をしているようだった。極めるとこうなるというプロの技を見た気がした。
いやぁ、いいものを見せていただきました。



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寄せ集め晩めし。

2007-06-26 12:19:21 | cooking
冷蔵庫に買い置きがだんだん少なくなってくると、前の日やその前の日の残りやちょっとした残り野菜をかき集めてこんなお皿になる。でも意外と、気合入れて作たっときよりもかえっておいしかったりする。

[今日のお皿]
さば塩焼き、ブロッコリー炒め、レンコンの豚挽き肉はさみ黒酢ソースからめ、ほうれん草胡麻和え、ゆでいんげん、ポテトサラダ+ミニトマト。ごぼうとわかめのお味噌汁
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祝!退院

2007-06-25 08:23:00 | アメリカ生活雑感
先日大きな手術をして自宅で安静しているマサコさんのところへ、お見舞いついでにちょっとした自宅ジャム・セッションでもして景気づけしようと、ベーシスト・セイヤさんとふたりで出かけた。
アメリカの病院ちゅうのはひどいところで、患者がまだふらふらの状態だというのに手術2日後にはもう退院させられる。もし延長したとしても入院費だけでどえらい請求がくるのでおちおちと安心して寝ていられない。しかも夜中シフトのナースは明らかにナースの資格を持っていないらしく、呼んでも来ない状態が続いていやになったそうだ。まったくこれが先進国なのか!と驚くことばかり。(医療費に関する話はまた後日詳しくレポートします。)
退院後はしばらく痛み止めの副作用で食欲がなく、すっかり体力が落ちてしまったといっていた彼女だったけれど、約1ヶ月ぶりに会ってみると意外と元気で安心した。

土曜日の昼間からまったりとビールを飲みながらポールの自慢のjazzコレクションを聴き、軽くジャム(というより酔っ払い宴会)をやり、最後は退院祝いにパエリアを作って4人で食べた。

そのあと調子に乗って最近練習しているJapanese フォークソングなぞをやって盛り上がり気がつけばもう11時!お見舞いのつもりが、かえって疲れさせてしまったかも。
早く全快して、またジャムやろうね。




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Gunの悲劇。

2007-06-21 16:37:12 | アメリカ生活雑感
比較的平和なバークレーに、週明け早々衝撃が走った。
"絵に描いたようなHappy Family ”と周りの誰もが信じて疑わなかった一家が心中するという痛ましい事件が起こった。月曜日の午後7時過ぎ。地元ファミリーに人気の公園チルデンパークの駐車場で、夫(51歳・アメリカ人)、妻(40歳・日本人)とふたりの娘(8歳・6歳)が銃で頭を打ち抜かれ死亡していた。夫のジャケットから遺書が見つかり、一家心中と断定された。

原因は夫婦が経営していたクリニックの経営苦。妻のM子さんはアメリカの大学を卒業して医師免許を取り、ベイエリアに住む日本人の間でも人気の気立ての優しい優秀なドクターだった。数年前に独立してスキンケアクリニックを開業し、それ以降は夫が経営をしきるようになったという。
ふたりの子どもたちはエルセリートの日本人コミュニティー教会が主催する英語と日本語のバイリンガルクラスに通っており、皆の人気者だった。事件前日の日曜日はくしくも長女の誕生日、そして父の日が重なって一家ではにぎやかなパーティーが夜遅くまで開かれていた。しかしそのときすでに、父親は死への準備をすすめていたのだろう。家族の誰にもわからないように。

専門家によると、このような“Familicide”(一家心中)の多くは父親の“経済苦”が原因だと報告されている。自分の感じる不安や苦難がそのまま家族の苦難だと信じ込み、彼に残された唯一の選択はwipe out the whole family(家族全員を消し去ること)だと。
父親はふたりの娘たちを溺愛していたという。いったいどんな気持ちで引き鉄を引いのだろう。

この事件に使われたのは、またもや銃だった。そしてそれは、すでに4月に購入されていた。何の障壁もなくいとも簡単に銃が買え、それが人の命を奪う。
銃の規制さえあれば、4人は死なずにすんだかもしれない。銃による事件が起こるたびに、アメリカの銃社会が憎くていたたまれなくなる。

San Fransicso Chronicle

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韓国からの手紙。

2007-06-20 08:07:37 | アメリカ生活雑感
4年前のアダルトスクール時代のクラスメートでソウルメート、サンミから手紙が届いた。
彼女はご主人の勉強のため渡米し7年間バークレーに滞在したのち、2005年に韓国(康津市)に帰国。以来、ふたりの息子の子育てをしながら病院で働いている。つい最近、アルコールカウンセラーの資格を取得したそうだ。帰国前には、アメリカにすっかり慣れ親しんだ息子たちが韓国社会になじめるだろうかと心配していたけれど、どうやらそれも杞憂に終わったとほっとした様子。長男のジョンミンはピアノとテコンドーに夢中で目下foreign language high schoolを目指している。アメリカにいるときからそうだったけれど、彼女は主婦にあぐらをかくことなく常に自分のキャリアを考えて努力している人だった。(まったく、爪の垢でも煎じて飲まなければ・・
ご主人のJunは市内で一番大きな教会のprime assistant priest(アシスタント司祭)として超多忙らしく、家族でゆっくりくつろぐヒマもほとんどないらしい。

世界のどこかでこうして元気でがんばっている友人からの頼りはやっぱりうれしい。
e-mailも早くていいけれど、たまにはこうして写真を同封した手紙をもらうとさらにうれしさが倍増しちゃう。
いつの日か、きっと韓国に彼女を訪ねよう。


一瞬、「えっ、誰?」と目を疑ったのが長男のジョンミン(右)。
ここにいるときは丸々としていたのにすっかり“ティーンの少年”になった。
今ではサンミよりも背が高いというから信じられない。

ちなみにこれは3年前。帰国直前のショット。


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ワインと映画の日

2007-06-19 14:31:40 | movie
炎天下で一日過ごしたせいか、翌日は体がまだぐったりしていた。
どこへもでかけず、ふたり無言で勝手に自分のやりたいことをしてまったりすごした日曜日。夜8時前になってやっと、外に出ようと近所に買い物。ついでにDVDを借りてきて今日は映画の日にすることにした。
そうと決まると、なんだかワインが飲みたくなり、そうするとチーズが食べたくなり、で勢いサラミやグレープやメロンやハムを買いこみ、作っておいたポテトサラダを丸めて、煎ったパン粉にまぶして即席コロッケなんぞも作り、いざ用意万端。


メロンのハム巻きバルサミコソース(Pちゃん作)、油のいらないコロッケ(SHOKO作)その他もろもろ


今日の映画は『Babel』。やっと見た。
いやぁ、最近見た映画の中でまちがいなくいちばん心をわしづかみにされる映画だ。何回見ても、新たな場面で泣ける。シーンを思い出しただけでじわ~っときてしまう。だめだ。なぜだかわからないけれど。
そしてすべてのキャストがベストキャスト。ブラッド・ピッドに、はじめてきゅんときた。


“Pain is universal...but so is hope.”


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12 Anual Russian River Blues Festival (June16)

2007-06-18 07:52:51 | music/festival
4年ぶりに行ってまいりました!Russian River(ロシアン・リバー)Blues Festival。
バークレーから北に約1.5時間、川くだりとキャンプの小さな田舎町で毎年行われる恒例のブルースのお祭り。しかし、あなどることなかれ、毎年出演者の顔ぶれは超豪華。今年は一日目に友達のベーシスト・セイヤさんの所属するエド・バンドが、エルヴィン・ビショップのバックバンドとして登場するというので、セイヤさん、陶芸家ナオさん、Pちゃんと私の4人で日がな一日、川べりでののんびりピクニック&ブルース鑑賞に出かけた。
特にこういうイベントは人数が多いほうが俄然楽しい。日が近づくにつれウキウキ。何を作って持っていこうかとワクワク。まるで遠足の前日の小学生のようだった。それに前からPちゃんをこういう野外の音楽イベントに連れ出したかったので、彼が「行く」と言ったときは心底うれしかった。

今日の出演バンドは
・Elvin Bishop
・Lowrider Band
・Koko Taylor & Her Blues Machine
・Little Richard

なんてったって、ナマLittle Richardを見るのが楽しみで楽しみで
以下、一日の様子。

朝10時半に到着。4年前は荷物チェックで1時間待たされ
最初のバンドが見られなかったという苦い経験があったけれど、
何と今回は超スムーズに入場と同時にベストポジションに場所取り成功。





肥えまくった体を平気で人目にさらすアメリカ人・・。
Pちゃんと密かに「クジラ・フェスティバル」と名づけた。


AM 11:30
最初に登場した地元のエルビン・ビショップバンド。去年シカゴで見て以来だ。
エルビンの奥さんは日系アメリカ人で彼も大の日本びいき。
「一緒に和食弁当でもどうですか?」とセイヤさんが誘ったらあとから食べにくるという。(でも結局疲れて帰っちゃった)

 
お楽しみのお弁当タ~イム。
今日の献立は、爆弾梅干おにぎり、チキンから揚げ、きんぴらごぼう、さばの味噌煮、出汁巻き卵、
うなぎ蒲焼とにら炒め、かぼちゃ甘煮、ほうれんそうおしたし、ポテトサラダ。
ナオさん特製ソーセージとズッキーニ炒め、浅漬け。
前の晩から冷凍しておいた水3リットル、麦茶3リットル。


ビールがうまいぜ、のポーズ。
やっぱ、ビールは野外がイチバン。


何せ炎天下。逃げ場なし。川で水遊びしながら音楽を楽しむ人たち


お昼食べたら眠くなって爆眠。


あぢー


あぢー


ココ・テイラー・バンドのギタリストは日本人のShun Kikutaさん。
シカゴで暮らしてもう17年。ココ・テイラーバンドの一員として世界中をツアーで回っている。
シカゴに行ったらまた会いましょね、とごあいさつ。

 
PM 4:45
今日のトリはLittle Richard。何と今年で75歳だと!
どうしたのか松葉杖をついて登場。テンションは相変わらず。
突然歌いだして突然終わるのでバンドの人たちも気が抜けない。
出てくるだけで場の雰囲気がぱっと変わるところがさすがスターのカンロク。



遊びに来てくれたShunさんと一緒に記念撮影




PM 7:00
は~楽しかった!カラスが鳴くから帰りましょ。
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Book Clubという名の、夜遊び妻クラブ

2007-06-16 12:38:26 | アメリカ生活雑感
ついこの間終了したビジネスクラスのクラスメートの有志が集まって、「ブック・クラブ」というのを結成している。
課題図書を決めて、月に一度誰かのうちに集まって感想会を開きましょう、というのが目的。読書感想よりもガールズ・トークがメインという説もあるけど・・・。ともあれ、月に一度なら負担にならないし、みんなが同じ本を読んでいると思えば途中でやめてしまいがちな読書も続けられる(かもしれない)。
というわけで、木曜日の夜、先月と同じくアントネラ(イタリア)のおうちでそのブック・クラブの第2回会合が開かれた。今回は、映画(DVD)鑑賞会。さらに彼女が特製のピザを作ってくれるというので、興味しんしん。イタリアっ娘の焼く本場の味に期待むんむん。めったに人の作ったものを食べる機会がないので今日はいい息抜き&料理の勉強になる。

午後6時半。今晩のPちゃんの夕食を作り終え、「ブッククラブに行ってきま~す。遅くなるのでおひとりでごゆっくり~!」と書き置きを残して、同じくクラスメートのマリア(ブラジル)の車で一緒にお出かけ。マリアは私と同い年。ご主人の研究の仕事(大学)でバークレーに一年の予定で滞在中。ふたりの子どもたちはもうティーンネージャー。まさに絵に描いたような平和な家庭の奥さん。

さて、今日見た映画はリチャード・ギアの『Primal Fear』(2006)。
ある殺人事件の容疑者の少年の弁護をすることになった弁護士(ギア)はあるとき、少年が全く違う人格に変わることに気づく。そして判決は・・・。あっと驚く結末に一同息をのみ、その後も話に熱中しているうちに何と時間は11時半!とんでもない夜遊びになってしまった。

家に帰ると、Pちゃんがジョギング姿のまま机に向かっていた。何にも食べてな~いと言うので、こんな夜中に作っておいた夕食を温めなおしてあげたのでした。
もー!人で食えよ!!(by 鬼嫁)とぶつぶつ言いつつも「楽しんだみたいで良かったねぇ」とってくれたので許してやろう。




さすがイタリアン。パスタを作る道具はすべて揃っていてすでにピザの台が出来上がっていた。


具をのせのせして→390度(華氏)でチーズがとろけるまで焼く。


今日のメンバー。右からマリア、アント、リン(中国)
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身の毛もよだつ映画。

2007-06-13 06:35:04 | movie


2006年に封切られ、大センセーションを引き起こした問題の映画『Jesus Camp』をやっと見ることができた。
「ジーザス・キャンプ」の名の示すとおり、「キリストに我が身を捧げ、キリストの“聖戦士”として“神の国”アメリカを取り戻そう」というサマーキャンプその名も“Kids On Fire ”を追ったドキュメンタリーである。
どんな宗教を信仰しようが自由なのだが、問題はこのキャンプが主に6歳から9歳までといういたいけな子どもたちを対象にしていること、そしてその内容が“洗脳”以外の何ものでもないことだ。参加している子どもたちのほとんどはhomeschooled children(学校に行かず在宅教育を受けている児童)。アメリカのhomeschooled childrenの75%がいわゆる福音派キリスト教徒(超原理主義とも呼ばれる)Evangelical Christians(エヴァンゲリカル・クリスチャン)の家庭の子どもたちで、彼らは産まれたときから両親によって「聖書は誤り無い神のことばであり、世界はすべて神の手にある。学校で教える進化論などの科学はでたらめで危険思想である」と洗脳されて育てられている。

映画にこんなシーンがある。
Leviという少年(13歳)が家で母親から教育を受けている。母親が彼にこうたずねる。「ここ数年でアメリカの平均気温は上昇しています。このことから地球温暖化は存在するといえるでしょうか?」Leviは即座に答える。「上昇といっても0コンマいくつの話。それは温暖化といえないよ。」母親は満足気に言う。「そのとおり!これはきわめて政治的な議論であって政治家が(ささいな事実を大げさに)利用して惑わそうとしているのよ。良く覚えておくようにね」。

もちろん、クリスチャンの大多数は自由派(リベラル)であり、beliefとevidenceの違いをわきまえた人たちである。しかし、このアメリカの人口の25%(なんと800万人)がこのような極右的なファンダメンタリストで占められている。ブッシュが2期も大統領に当選できたのは、厖大な彼らの票を取り込んだからというのは周知の事実。国の憲法を改正して同性愛や中絶を禁止しようとするブッシュ政権の動きも、彼らの思想が後ろにある。キャンプでも、ブッシュの等身大パネルに向かって子どもたちが英雄のように忠誠を誓うようなシーンがある。アメリカの政治とキリスト教原理主義者はもはや切りはなせない関係にある。

しかし昨今、若者を中心に原理主義から離れていく信者が増えはじめたことに危機感を感じた教団関係者が「このままでは神の国アメリカがくだらない信仰心のないやつらにのっとられてだめになってしまう。そうならないうちに子どもたちを未来の戦士に育て、将来アメリカ政治の中枢に送り込もう」と考え始めた。それがこのジーザス・キャンプというわけだ。
「ジーザ~ス!」と絶叫し、涙を流し、そして気を失う子どもたちの様はどんなホラー映画よりも恐ろしい。

このキャンプの主催者であり講師を務めるベッキー・フィッシャー女史はカメラに向かって平然と言う。「モスラムの子どもたちは5歳からイスラム教の教育を叩き込まれているのよ。こっちも早くやらないと世界はおかしくなってしまうわ」
(“I wanna see young people who are as committed to the cause of Jesus Christ as the young people are to the cause of Islam. I wanna see them as radically laying down their lives for the Gospel as they are over in Pakistan and Israel and Palestine and all those different places, you know, because we have... excuse me, but we have the truth! ”)
そしてキャンプで子どもたちにこう叫ぶ。「あなたたちは世界を変えることができるのよ!」

彼女は気づいているはずだ。自分たちが育てているのは間違いなく「第3次世界大戦」の兵士たちであるということを・・。
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