Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

カトリーナ1周年。

2006-08-31 14:13:18 | アメリカ生活雑感
ハリケーン「カトリーナ」でニューオーリンズが壊滅してから、今日(8月29日)で丸1年。
今日はテレビやラジオから、ひっきりなしに「カトリーナ・アニバーサリー」という言葉が聞こえてくる。夕方テレビをつけると、カトリーナに関する2時間の特番をやっていた。

皮肉なことにカトリーナでその“無能さ”が全世界の注目を集めることになった連邦緊急事態管理局(FEMA)のブラウン局長(当時)や、対策の前面に立って指揮をとったニューオーリンズのネーギン市長(黒人)など、関係者へのインタビューや、取材班が現地で遭遇した5人の被害者の、当時と現在の様子をショートドキュメンタリーにしたものなどから構成されていた。
去年の今頃は日本でこのニュースを知ったのだけれど、当然ながらここまで生々しい内容は知る由もなかった。

番組の冒頭で、現地レポーターが現在のニューオーリンズの電話帳と当時のものを比べていたが、厚さは半分。住まいを失って町を出た人々はまだ、ニューオーリンズに戻っていない。
「戻ってきても同じ生活はもう戻ってこない」---カトリーナ後、職も失い妻とも離婚をしたという60代の男性は途方にくれ、がっくりと肩を落とす。
避難所となったスーパードームの細部を収めた映像も流されたが、もう人間のいられる空間ではなかった。まるでconcentration camp。「収容された人々を究極に追い込んで暴徒化するのを待っていた」というぶっそうな説もある。

先進国のはずのアメリカが、過去幾度かの経験で学んでいるはずの自然災害にいともあっけなくやられ、しかもその後も“見捨てた”本当の理由は、1年たっても釈然としない。
そもそも「地球温暖化」対策には断固として異議を唱え、消極的だったブッシュ政権。そのバックには、アメリカ最大の勢力(票数)を誇るキリスト教原理主義(fundamentalst)がいる。聖書を一語一句、何の疑いもなく解釈して信仰するファンダメンタリストたちにとって、一番の敵は「科学」らしい。(ということは、科学者にとっての敵は、fundametalistってこと。)
「人工中絶」や「同性愛」は神への冒涜、「進化論」はアメリカの教科書から(一部の州)排除され、そして「地球温暖化」はそもそも人間の手には負えないものと突き放す。

そして、自然はアメリカに牙をむいた。
数度の科学者たちの警告にもかかわらず、ハリケーン災害対策に向けられるべきだった予算は、すべてイラク戦争へと流れた。そういう意味では「アルカイダは(テロ並みに)アメリカに大打撃を与えることにgood jobを果たした」ということになる。

あれから1年がたち、ニューオーリンズは少しずつではあるけれど復興がすすみ音楽も戻り始めているが、ほかの町に避難した地元のミュージシャンたちは、その町で人気者となり地元に戻ることをためらっているという。
カトリーナはアメリカの“Jazz map”をも変えてしまおうとしている。

この次にニューオーリンズに行けるのはいつの日だろうか・・。


8月29日の夕日。(Fermilab)

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ルーツ。

2006-08-29 03:07:25 | アメリカ生活雑感
昨日のラテンフェスティバルを見ながらつくづく感じたことだが、人間にとって「ルーツ」っていったい何だろう?
異国で生活をしているせいか、“○○人”であるということに過敏になっている自分に気づくことがある。カリフォルニアでは日本人だからとじろじろ見られることはないけれど、ヨーロッパの小さな国に行けば、東洋人は完璧にエイリアンだ。
どっちがエイリアンかは、もちろん誰を主語にするかで変わる。コロンブスが最初に発見した“アメリカ人”は、当時のヨーロッパ中心主義の史観からすればエイリアンだった。

アメリカがアフリカからの奴隷や移民によって国家の基礎を形作り、イギリスから独立して230年。「自由・平等・幸福の追求」をうたったはずの同じ国で今、ヒスパニック移民という“エイリアン”を排除する動きが蠢きはじめている。
自由と富を求めて貧しい南米諸国から希望を抱いてやってきた移民たち。彼らは、貧しいながらも賃金格差や差別にも負けずに懸命に働き、アメリカ経済と自分の家族を支えてきたのだ。

アメリカの大都会のど真ん中でサルサミュージックに熱狂し歌い踊る彼らに、同じ文化と言語を持つもの同士が手を携えて異国での苦難を分かち合い、少しでも柔らげようとする、健康的な一体感を感じた。
「健康的ナショナリズム」の祭典、とでも言おうか。

Pちゃんは「ナショナリズム」(もしくはそれを髣髴させるような言動)が嫌い。
ナショナリズムがつまらない領土争いや宗教問題に火をつけ、殺し合いに発展するのだという。確かにそうかもしれないが、それはあくまで極端な場合。
ナショナリズムは程度の差こそあれ、誰しも持っているものじゃないだろうか。いや、もってしかるべきもの、それが異国に暮らす外人たちの“ルーツ”=心のよりどころだと私は思う。
Pちゃんがナショナリズムに冷めているのは、彼が“愛するべき祖国”を持たないからかもしれない。
純血のスペイン人なのに、ドイツで教育を受けドイツ人もビックリのドイツ人になってしまった。でもドイツ人の子供たちからはガイジン扱いされ傷ついた暗い過去がある。自分でも自分のルーツがはっきりしない、どこを祖国として愛せばいいのかわからない・・・だから国対抗で盛り上がるものに対して冷めている。
オリンピックにもワールドカップにも興味ないのは、このあたりが原因なのかと自己分析している。

ナショナリズムをどう訳すかでも、ニュアンスがビミョーに違ってくるのも面白い。
「愛国精神」「国家主義」「国粋主義」「民族主義」・・だんだんとアブナさが増してくる。

先日久々にJapan Townにヘアカットに行った。
近所でいろいろなお店を試したが、結局日本人じゃなきゃわからないセンスや技術があるという結論に達したのだ。(この信頼感も、小さなナショナリズム?)
担当してくれた店長(40代後半男性)と盛り上がったのは、くしくもこの「愛国心」についてだった。
彼は日本を離れて10数年になるそうだが、毎年研修で帰国するたびにその無防備さに危機感を感じると言っていた。先日もつい帰国したばかりらしい。
「空港で、今この瞬間に誰かが突然銃で暴れだしたら日本じゃ誰もそれを止められないですよね。韓国じゃ機関銃を装備した警官が当たり前のように立っている。見栄えは良くないけれど、少なくともそれが攻撃の抑止力になっているし国を守っているというシンボルでもあるわけでね」
「良くも悪くも、日本人は人類はみな自分たちと同じ常識と判断力を持っていると信じてますからね。いい人すぎ。ニッポンの常識が通じない国や人が、一歩国の外に出ればいくらでもいるってことを認識しないと、国が危ないよね」
「ほんとほんと」
「ここいらで鎖国しますか(笑)」
(・・・な~んて、髪切りながらする話か!?でも、日本で若い人たちが髪の毛切りながら日々こんな話をしていたら、本来の意味で平和でいい国になると思う)

平和ボケよりももっと恐ろしいと同感し合ったのは、この議論にまじめに切り込もうとすると「戦争への第一歩」とすぐに議論をすり替えて大騒ぎする輩がいるということだ。
「国を守る」=「戦う」やないちゅーねん。独立国家ならば政策のひとつとして当たり前のことなのだけれど、戦争に負けてへろへろに骨抜きにされちゃったニッポンは、そんな議論をすることにすら卑屈になってしまった。

国外にいるとかえって、国を憂う気持ちが高まってくる。
これはとても不思議なこと。一方で、憂う国があるという意味では幸せなのかもしれないけれど。

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ラテンミュージック・フェスティバル

2006-08-28 13:06:54 | アメリカ生活雑感


日曜日。今日も朝からいまひとつすっきりしない曇天。
1週間の疲れ(Pちゃんのみ)がでたのか、だらだらと昼ごろやっと起床。今のところ、この家には私たち以外の滞在者がいないので貸しきり状態だ。
バークレーとちがって、夜中に酔っ払った学生たちが外で叫んだりタバコを吸ったりすることもなく、静かで落ち着くのが何よりうれしい。
ただ、Pちゃんは暑いのが大の苦手。すぐにクーラーをつけて歩き、私はそのそばからそれを消していく。こんな暑さ、私にとってはへのかっぱなのに。

午後3時ごろから、気晴らしに今回初めてシカゴ市内に行ってみることにする。
週末ごとにダウンタウンの中心にあるミレニアムパークという大きな公園でフリーコンサートが行われており、今週末は「Latin Music Festival」というのをやっていた。
ミュージシャンも、集まった観客も、ほぼみ~んなヒスパニック。会話は当然スペイン語。英語なんてどこからも聞こえてきやしない。ここはいったいどこ?状態だ。こうやって移民後も自分たちのルーツを忘れず、文化を大切に守り続けている彼らの力強さを感じた。
アメリカを支えているのは、間違いなく彼らだ。
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田舎生活1週間。

2006-08-27 03:53:02 | アメリカ生活雑感
シカゴにきてから1週間。
“村”を出たのは食糧を買いに近所のスーパーに行った、その一度だけであとは半径1キロ以内でのんびり。例のごとくだちょうは我がもの顔で家の周りを歩き回っているし、セミや虫の鳴き声だけが響いていてまるで小学校のサマーキャンプみたいな生活。
夜は歩いてすぐのところにある、Barや卓球ビリヤードなどの設備があるリクリエーションセンターにピアノを弾きに行くのが日課。昨晩は数家族がそこで遊んでいた。聞こえてきた言葉はポルトガル語。ブラジリアンだろう、というわけでボサノバの練習をしたら「Oh~、なんでブラジルの曲を知っているの?」と喜ばれた。

こっちはベイエリアと比べるとかなり蒸し暑いとはいえ、日本の夏とは比べものにならないほどのすごしやすさ。夜は冷房なしで十分。


これを殺すと一羽につき500ドルのfine(罰金)。
私が近づくと殺気を感じて逃げるやつら。
う~む、うまそうと思っているのがばれるのか!?


せっかく天気がいいので、お昼に帰ってきたPちゃんと
裏庭に出てランチのタイカレーを食べた。まるでピクニック。
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サンダーストーム

2006-08-25 03:53:14 | アメリカ生活雑感
シカゴ(Fermilab)に来て3日目。
ベイエリアと違って、肌にしっとりまとわりつくような湿気と暑さはまさに日本の夏のようでちょっぴりうれしい。夏を取り戻した感じだ。などと言うと日本で「この暑さいいかげんにせー!」とおこっている人たちに申し訳ないけれど。
ある夜中、すごいサンダーストームで起こされる。雷なんてかうぃいものじゃなく、なんか戦争が勃発したのかと思うような大砲を撃つような轟音。
ともするうちに、部屋に設置されているアラームがピコピコと鳴り始めた。滞在している社宅(のようなもの)には「トルネード・アラーム」なるものがついていて、トルネードの危険が迫るとこうやって近くのシェルターへの避難をうながすのだ。
どうせすぐおさまるだろうと眠くてうろうろしている私と違って、Pちゃんは即、服を着替えて戦闘体制に入っている。
あまりに雷がきれいなので、写真を撮ってみた。


(右)これは光った瞬間。決して昼間ではありません。


避難はしなくてすんだものの、おかげで今朝は寝不足。
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ライブレコーディング

2006-08-23 05:45:13 | music/festival
別世界のあとは、急いで地上にもどって次のアポイントへ急ぐ。
あの「スシ・カル」で、ギターマン・ヨシオさんとその仲間たちによるライブレコーデングがあった。
大失敗だったのは、あまりにも別世界で時間をとりすぎたため駆けつけたときにはすでにライブは終わっていたこと。
「なんだ、終わっちゃったよ~。せっかく一緒にやってもらおうと1曲用意して待ってたのに」とブルースマン・ヒデオさんに言われ、もうがっくり。
お誘いしていたマサコさん夫婦とディビッドも、知らない人たちの中でずいぶんと待たせてしまった。

ライブのあとは、お店はいつものように飛び入りジャムセッションタイムへ突入。沖縄民謡やらフォークソングやらジャズやらの音楽ミックスなんでもあり状態だ。
驚いたことに、普段はシャイなデイビッドが突然誰かのギターを借りて飛び入りで弾き語りを始めた。人の歌を聴くうちに、彼の中の何かに火がついたのかも!?

見知らぬもの同士が集まって、お互いの音楽を愛で楽しむこんなひとときは、どんな時間にも変えがたい。それもこれも、すべて店長のリョウジさんの人柄のなせる業。
ああやっぱ、ハイソなお呼ばれよりも歌って踊ってどんちゃんさわぎのほうが落ち着く。



三線にあわせて沖縄民謡が鳴り響く。



Pちゃんもマサコも、ポールも、デイビッドも踊る踊る!
店中が踊りの渦に・・。ここはいったいどこ?

そして、明日からシカゴ。
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別世界。

2006-08-23 05:11:11 | アメリカ生活雑感
オークランドの剣道仲間だったタカシくんのお母さまから、「お友達を呼んでティーパーティーをするのでいらしてね」とお電話をいただく。
お宅へは2年前に一度お招きいただいたことがあったが、オークランドヒルの上からベイエリアが一望できる素敵なお住まいと手入れの行き届いたお庭の美しさに、思わずため息が出たものだった。
ご主人は現在東大の教授で、以前UCバークレーで勤務していた際にこのお宅を購入、日本へ転勤になった後も子供たちの教育の関係上ご主人だけが単身赴任されて10年以上にもなるらしい。
22歳で結婚、ご主人の赴任先のスウェーデンで二人の子供を産み、アメリカにわたって20数年。その子供たちもすでに20歳を過ぎて家を出、奥様は今、一人で自由を謳歌中といったところだ。近所のスクールで趣味のバレエを続けて20年、“現役バレリーナ”でもある奥様は、年に2回大きな舞台に立つのが楽しみ。
夢見る女の子がそのまま大きくなったような、チャーミングな方だ。



ご招待に預かったのは、(右から)剣道仲間のサチコさん、カヨコさん、バレエ友達のマチコさんとアメリカ人のご主人。
それに私の5人。手前右が奥さまのチホコさん。


独身のサチコさんと、私をのぞいて皆、子育て一段落、自分の時間を楽しむモードに入っている世代。話題といえば、子供の大学生活や結婚の話。なかなか興味深かった。
アメリカで産まれた、もしくは小さいころからこちらで育った子供たちは親から見ればすっかりアメリカ人。日本語のコミュニケーションレベルも親には追いつけず、話をしていても「別の人種ですよね~」と一同。
こういう話を聞くたびにちょっとフクザツな気分になる。子供と同じ言語でコミュニケーションできないというのは親として不安じゃないのだろうか。そんなギャップを埋めようとしてか、子供が小さいころから一緒にバレエ教室に通ったり、剣道を始めたりしたのかもしれない。「子供たち(男の子二人)がまだ小さいころ、3人で太鼓のファミリーソロで共演したころが一番でしたね」と、カヨコさんもしみじみ。

この日初めてお会いしたマチコさんは、離婚後4歳の娘を連れてアメリカにわたり根性でマスターを取得。こちらで就職して10年後に今のご主人とダブル子連れ結婚をしたという。
「あのときは若くてパワーもあって、とにかく必死だったから。けど今じゃできないわね」と語る飾り気のない笑顔がとても素敵な方だった。傍らのご主人は、物静かでとても包容力のありそうなお人柄。こちらも再婚したときは17歳と19歳の息子がいたらしい。
お話を聞いていて面白かったのは、子供たちの“両親の再婚”のとらえ方。再婚相手は新しいお父さん、お母さん、ではなく、「お父さんのガールフレンド、お母さんのボーイフレンド」と割り切ってつきあっているそうだ。このあたりが自由で独立の早いアメリカの子供たちらしい。




気の毒だったのは日本語がわからないうえにオトコ一人で参加させられた(?)マチコさんのご主人。横に座っていた私は、気をつかってなるべく話かけてはいたものの、そうそう何時間も続くわけもなく途中でぐったり。ほかの人たちはおかまいなく日本語で怒涛のおしゃべりに花を咲かせ・・。
3時ごろから始まったお茶会も、気がついたら6時をとうに回っていた。

特に関係ない話だけれど。
「絶対に手ぶらでいらしてね、絶対よ!」と事前に何度も念を押されたので本当に手ぶらで行ったのに、他のどなたかは何か手土産を持参したらしく「まぁ、本当にごちそうさまでした」などとご挨拶を交わしていたのが最後まで気になった。
なんだか居心地悪かった。こういうときはどうしたらいいのでしょうか?(主婦の本音の付き合い方はどうもわからん。)
素敵なおもてなしに感謝をこめてお礼状は書いて出すことにした。
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writingの余波。

2006-08-20 05:52:49 | アメリカ生活雑感
来週からまた、2週間Pちゃんと一緒にシカゴ(Fermilab)に行くことにした。
喧騒を離れてまたしばらく、あのど田舎の静かな環境にいけるのはちょっとうれしい。
Dedeもまた、来週から南米・アルゼンチン~ブラジルへの旅に出るという。アルゼンチンではアパートをサブレントして、語学学校(スペイン語)に通うというから、本当に彼女のあくなき探究心には頭が下がる。
というわけで、10月までしばらく会えない私たちは久々にお茶をすることにした。

もちろん、今回のエッセイがうまくまとまったのはすべて彼女のおかげ。彼女も開口一番「どうだった?」と聞いてきた。
HODAのキャラクターの面白さおかげで、クラスには大うけだったこと、彼女のカンペキな校正のおかげで本当に学ぶところが多かったこと、など改めてお礼を言うと
「どんな形容詞を並べるよりも、強い事実ひとつあれば十分に伝わる、これがWritingのルールよ」と改めてアドバイスをいただいた。
そうなんだよなぁ。わかっちゃいるけどこと英語のエッセイになると私の表現力で十分に伝わっているかどうかが心配でついつい書きすぎてしまう。いかんいかん。

スペイン語を猛勉強中のDedeは、スペイン語の会話パートナーとジャーナルを交換して添削しあっているそうだ。なるほど。
これからも時間の許す限り、書いたものをDedeに見てもらって添削してもらうことにした。


それにしても、今回みんなが書いてきたテーマ「生い立ちの告白」のようなシリアスなテーマが多かったのはなぜだろう?
Dedeも、数年前あるライティングクラスに参加したときはまるで「セラピークラス」のようだった、と言っていた。自分の赤裸々な男性遍歴を告白した人もいて「ちょっと異常」だったらしい。
そのときDedeは「私の義母について」というテーマで彼女の破天荒なキャラクターについて例をあげて朗読し、そのあまりの面白さにそれまで深く沈み込んでいたクラスが明るくなって、クラス終了後はDedeは一躍人気者になってしまった、という。
「アメリカ人は日ごろいかに自分を主人公に物ごとを考えているか、っていうことじゃない?だからこういうときに知らない人を相手に吐き出そうとするのよ、きっと(笑)」
なるほど。

Dedeは、情熱の国アルゼンチンでどんな体験をしてくるのかな。
今からそのおみやげ話が待ちきれない!
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最終日。

2006-08-18 10:18:06 | アメリカ生活雑感
6週間にわたったWritingクラスが、今日で終了。なんだかあっという間だった。
今日は、クラスの全員が自分のショートストーリーをみんなの前で朗読することに。先週、HODAをテーマに内容をがらりと書き換えてから少し気持ちが楽になった。そうはいってもボキャブラリーが乏しいせいか何だかいまいちヴィヴィットさやパンチに欠けるなぁ・・。
と、そこで“救世主兼秘密兵器”のDedeにproofreading(校正)をお願いすることにした。
私の書いたHODAストーリー(A4用紙5枚分)は、あっという間に真っ赤になって戻ってきた。しかもその絶妙な、かゆいところに手の届く校正。さすがプロのライターだ。
しかも彼女はHODAのことも私のことも熟知しているので、私が表現不足に陥っていた部分を即座に感じ取り、これ以上ないという適切な表現に直してくれていた。
Dedeのカンペキな校正(というか、ほとんど直されたけど)のおかげで今回は珍しく前日には完成、あとはどうやってエンディングで落ちをつけるかをじっくり考え、水曜日の午前中に見事完成。
余裕をこいて、7時からのポトラック・クラスに備えてたこ焼きを焼き始める。


このたこ焼き器、“大阪を忘れたらあかん”ということで友人から数年前にプレゼントしてもらったもの。アメリカにまで持ってきたかいがあった。
たこは苦手な人が多いので、中にチーズとねぎをいれて、ソースはとんかつソースとケチャップを合わせたものを使った。

さて。運命の最終クラス(おおげさ)。
あとは読むだけ、とはいえやっぱりキンチョーする。とにかくゆっくりと、はきはきと、それでもってHODAのせりふのところは彼女になりきって熱演。一同爆笑。
あとから「HODAに会ってみたい」と言われた。ごめん、HODAよ、君のアメリカでの行動はすべてばれてしまったけど時効だから許せ。

今日のクラスは4人ほど欠席者がいた。
初回にドラックアディクトから立ち直った過去を激白して涙した彼女も、先週から来なくなってしまった。勇気をもってあえてそのテーマを選んだのに、なんだかとても残念。
総じて言えば、年齢も職業も人種(インドネシア、イラク、韓国などなど)も違う16人の人たちが集まった面白いクラスだった。これからも連絡を取り合えるといいな。
一方でつくづく、「締め切りがないとだらだらしてしまう」己が性格を再確認した次第・・。
せっかくいい勉強をしたのに何とか書き続けなければ。といいつつ、翌日はもうだらけている私であった。

<完>

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週末は音楽漬け。

2006-08-15 03:39:27 | music/festival
穏やかに晴れた週末。
土曜日は、またまたマサコさんのところでギグ。
そして翌日曜日は、音楽仲間が集まるポトラック・ギグパーティーにPちゃんともども招待されてでかけた。
ジャズあり、ブルースあり、バンジョーとバイオリンでのブルーグラスあり、となんでもありの音楽ガンボ状態。新たなミュージシャン人脈も広がって、いやぁ、久々に楽しかった。



ホストのフィルさんは、もろヒッピー世代。


デイビッド兄弟(ギター)、ブライアン(ハーモニカ)、ポール(ドラム)、フィル(オルガン・ベース)
そのほか、アルトサックスにテナーサックスも遊びに来て、にぎやかなジャムセッションに。
ご近所を気にすることもなく音出し放題。まさにうらやましい環境。

歌のバックですばらしいハーモニカを聴かせてくれたブライアン。(左)
マサコさんのピアノは力強くてエモーショナル。(右)


デイビッド(右端)の双子の兄、エディ(左)もケンタッキーから遊びに来ていた。
顔は見分けがつかないのに、性格は正反対。まん中はマサコ&ポール夫妻。
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