Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

アカデミー

2007-02-27 06:25:33 | movie
特に映画好きでもないくせに、妙にオスカー授賞式だけはテレビの前に座りっきりの恒例行事になっている私。
アメフト好きでもないのに、スーパーボールだけは見てしまうのと似ている。もっとも今年はプリンス見たさ一心だったからだけど。

さて、菊池凛子が日本人として48年ぶりに助演女優賞にノミネートされて日本では大騒ぎになっていたようだが、惜しくも、というかやっぱりというか、オスカーは『ドリーム・ガールズ』のジェニファー・ハドソンが持っていった。
このジェニファー、『アメリカン・アイドル』というアメリカで大人気の“スター誕生”(古)番組出身者として一躍有名になった人。
実は私、大の『アメリカン・アイドル』好きで、毎年シーズンが始まると火曜日の午後8時はきまってテレビに釘付けになる。何しろ全米を巻き込む大規模なオーディションを経て、TOP24に選ばれハリウッドでさらに絞り込まれるまでのプロセスがやらせなしで面白いのだ。TOP24からは、毎週それも全米中の視聴者投票によって次週勝ち残り組が絞りこまれていく。「なんであの人が」というような実力者が容赦なく落とされていくのも見所のひとつだ。
その、「なんであの人が」の代表選手だったのがこの、ジェニファー。3年前のアメリカンアイドルで、ベスト12に残りながらvote offされた。このときの彼女の「えっ?どうして私が?」という表情を今でもはっきりと覚えている。
今から思えば、彼女はあまりにも“できすぎて”いたのだろう。歌はカンペキ、ステージワークもカンペキ。とにかくうますぎる。素人勝ち抜き番組のキャラクターとしてはあまりにもpushy(押し強すぎ)なところが裏目に出てしまった。
しかし、ここで落とされたことが彼女を強くした。「どうしてもプロのシンガーになるんだ!」という一念から、その後ブロードウェーをはじめ各種オーディションを受けまくり、ついにこの映画の出演をつかんだ。
オーディションを受けた彼女に、監督はこう言ってダメだしをしたそうだ。「君はすばらしい歌手だけれど、もっと体を絞り込む必要があるね。」
その後も数え切れないほどの黒人歌手のオーディションが行われたが、彼をウンといわせる人材は見つからなかった。そして唯一、彼の心に残っていた彼女に再びオファーの電話を入れた。6ヵ月後に現れたジェニファーは、「女の子から大人の女性に驚くほど変貌していた」(監督談)という。
そして、この日のオスカー。まるでシンデレラ物語を地で行くような話だ。

オスカー授賞式の直後放映された、ノミネート者への事前インタビュー番組『BARBARA WALTERS OSCAR SPECIAL』の中で「もし“アメリカン・アイドル”に選ばれていたら?」との質問に彼女は、「・・もしそうなっていたらこの映画の役を得ることはなかったでしょうね」(If I had won America Idol, I probably would not have gotten the role of Effie in Dreamgirls.)と答えていた。
“アメリカン・アイドル”に選ばれたけれど、その後泣かずとばずで忘れ去られている人たちは大勢いる。一時の栄光と脚光が、その人の人生を狂わせてしまうのだ。
その意味でも、あのときジェニファーが落とされた意味は大きい。それ以上にそれでも這い上がった彼女の「シンガーになりたい」という気持ちの強さに、オスカーが吸い込まれていった気がする。まさにアメリカンドリーム。

授賞式でも「ボーイフレンドに感謝したい」と、無邪気に言ってのけた彼女の表情は、まだあどけない少女のようだった。
「だって、(彼は)“アメリカン・アイドルの”でも“ドリームガールズの”でもない、ジェニファー・ハドソンを、十年以上も前から知っているんですもの」。




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ナンシー梅木。

2007-02-25 13:39:06 | movie
明日はいよいよアカデミー。
日本では謙さん以来盛り上がっているようだが、supporting actressというのはある意味主演女優賞よりも渋くてかっこいいものであってそう簡単ににお鉢が回ってくるとは思えない。興行成績・人気両面から言っても、『ドリーム・ガールズ』が圧倒的といったところ。あまり期待しすぎないほうがいいと思う。

ところで、日本人がノミネートされるたびに名前が出てくるナゾの人物“ナンシー梅木”。私が彼女を初めて見たのは、1957年作のハリウッド映画『SAYONARA』(DVD)だった。
朝鮮戦争帰りのアメリカ兵(マーロン・ブランド)と、今で言うならタカラヅカのトップスターという役どころの日本女性、ハナオギとの恋物語。といえば美しいがまぁ、そのこれでもかといわんばかりの“多分こんな国だろう日本描写”のすさまじいこと(笑)。
この映画で日本人として初の助演女優賞を獲得したというくだんのナンシー梅木(Miyoshi Umeki)は、マーロン・ブランドの部下であるアメリカ兵といい仲になっている貞節そのものな日本人女性を演じている。しかし彼女がしゃべるシーンはほんのわずか。しかもセリフは棒読み(爆)。当時のハリウッド映画は日本人俳優ではなく日系二世や中国人俳優を使っていたというけれど、それにしても演技は学芸会レベルでこれも笑える。
さらにここに登場する日本女性はいつも着物姿で男性の後ろについて歩き、文句ひとつ言わずに尽くすタイプ。そのあたりに当時のアメリカ男性のファンタジーを感じる。
この映画が作られた背景には、敗戦後の日本に対してアメリカ国民の感情を“敵国”から“友好国”に向けることにあったという。

とにかくシュールでオススメしたい作品です。


絶対に笑えるって!
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奇跡のような出来事。

2007-02-25 09:32:11 | アメリカ生活雑感
自分でもあきれるほど、ネガティブキャンペーンをはってしまった1週間だった。
これもすべて、勉強不足と不徳のいたすところ。これを反省材料にしてこれからはもっともっと世の中を広く深く勉強していかねばと思う。

自己嫌悪でしょんぼりした気分の金曜日、私の心をパッと明るくさせてくれる出来事があった。それは、この1通の封書。



先週のことだ。
デュランゴ空港を後にして直後、マサコから預かっていたデジカメのメモリーカードがないことに気づいた。確かにデジカメのカバーに入れたのに・・・。もしかして飛行場の屋外から飛行機に乗る直前、機体を写そうとカメラを取り出したときに落としたのかも。いや、そうに違いない。だとすると、あんな豆みたいなものに誰が気づいてくれるだろう。しかも今晩はストームが来るといっていたし。自分のものならいざ知らず、よりによって人の大切な思い出が詰まったものを失くしてしまうなんて。ああ、どうしよう。

あわててあちこちに連絡先を聞くがどこもたらいまわし。空港に電話を入れてもアンサーホンでたらいまわし。夜になって雪に埋もれたり踏まれたりしたらおしまいだ、と焦りまくる私。
当のマサコは半ば諦めた様子で、逆に私を慰めてくれた。でも私は絶対に諦めない!
翌日、空港に再度電話を入れ、あちこちまわされながらもやっと「忘れ物オフィス」に電話がつながる。
「メモリーチップを飛行場のタラップの手前に落としたはずなんですが。」
応対してくれた男性いわく「他のものに聞いてみて、連絡を入れましょう」とのこと。そうはいってももうないだろうなぁ、あったとしても2GBのメモリーカードだったら見つけた人が自分で使ってしまうかもな、と諦め半分。
そこに、空港から電話が!
女性の声で「私の同僚がみつけて届けていました。送りましょうか?」
このときの驚愕と歓喜はもう言い表しようがないほどだ。こんなことが起こるのね。本当に諦めないでよかった!
「めちゃくちゃ大切なものだったんです。ほんまおおきに、アイラブユー!!」と表現できる限りのお礼を言いまくりこちらの住所を告げた。
しか~し、何せよく郵便物が紛失する国のこと、無事に届くまでは安心できない。
首を長くして待つこと1週間、本日無事に封書が届く。メモリーカードは大切に紙ナプキンに包まれていた。

旅の間もコロラドの人たちの温かさを感じていたけれど、やっぱり最後までコロラドは私に温かかった。
心から、ありがとう!!

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「硫黄島からの手紙」

2007-02-23 11:13:56 | movie
昨日からずっと、Dedeとの議論を思い返していた。

マイケルさんは奥様のダイアンとともに大の日本通であり、私などが言うのもおこがましいが親しくさせていただいているいい友人のひとりでもある。行ったことも生活したこともないくせに、エラソーな批評ばかりならべる学者さまとも大違いな、立派な人だ。それは百も承知している。
しかし問題は、彼の指摘が正しいかどうかではないのだ。
私の心のもやもやは、心の奥底にふつふつと眠っていた「所詮、味噌もクソも一緒なアメリカ人に日本の何がわかる?」というかなり過激な感情から沸いてくるものなのだ。
戦争でコテンパンにやられて価値観を根底から覆され、必死で這い上がった日本人の魂を誰が知るものか、と。
誰に言われるより、本土を焼き尽くされた経験のない人たちに言われることに無性に腹が立つのだ。
こんなことを言ってしまう私は、いけない人間なのだろうか・・・。

そんな思いからというわけでもないが、「Letters From Iwo Jima (硫黄からの手紙)」を見に行った。前から早く見なければと思っていたが、今週はPちゃんがシカゴに行って留守なのをいいことに近くの映画館に走りこんだ。平日の夕方にもかかわらず、映画館はほぼ満員。

見ている間中、胸の奥のほうからずんっと重く熱いものがこみあげてきて止まらない、そんな映画だった。
「硫黄島を日米両方からの視線で語りたい」というクリント・イーストウッドの想いが、多くを語らず凝縮されているように感じた。コアを共有したあとは、各々の俳優に任せる・・彼の信頼度に真のディレクターを見た気がした。「サムライ」をあほみたいにハリウッド仕立てにした「ラスト・サムライ」とは両極をいく映画だ。彼の知性にリスペクトしたい。

しかし反面、そんな私の想いとは裏腹な観客の心無い反応が気になってしかたなかった。
「そこ、笑うところやないやろ!」という場面で大きな笑いが起こったり、逆に変なところで悲鳴が起こったりするのだ。
例えば、赤紙を渡された西郷(二宮クン)に「ご出征おめでとうございます」と隣組のご婦人が告げるシーン。「Conratulations. You will go to the war.」という英訳もいかがなものかと思うけれど、どっと笑いが起こる。“おめでとう”と言わざるをえない女たちの気持ちのひだなど感じるすべもない。
さらに、勇ましく特攻を試みた兵士が無数の死体とともに夜を明かすうちに死に切れず生き残ってしまい、ついには生きて捕虜になってしまう。その彼の間抜けともいえる悲しい姿にも笑いが起こる。“生き残ってしまった”彼の心の葛藤などとうていわかるはずもない。(私はもう、ただ泣いていた。)
かと思えば、空爆でかわいがっていた馬が死んでしまうシーンでは、「Oh, No...」という悲鳴のような声が起こるのだ。

分かり合うということは、難しいことなのか。
どうか映画を見た方、ご意見をいただきたく。




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“Shutting Out The Sun”の余韻

2007-02-22 07:00:37 | アメリカ生活雑感
久々にDedeとお茶ミーティング。
忙しい彼女の時間をもらうのは至難の業で、だからこそそんな貴重な時間を無駄にさせてはいけないという緊張感もよぎる。
今朝もさっそくジムで汗を流したという彼女、自己管理もパーフェクトだ。

今日の話題はもっぱら、彼女の友人でもあるマイケルさんが最近出版した問題作“Shuttin Out The Sun”について。
この本は、日本滞在中に彼が直面したある「引きこもり」青年の話をイントロに、「問題をオープンにしない閉鎖的な日本社会と、解決策も講じない体たらくな政治家」、「日本の家族はいまや崩壊状態にある。夫婦は会話もせずほとんどの妻は孤独でdepression(うつ)状態にある」「若い女性はパラサイトシングルを謳歌し、結婚もしたがらず、ブランドを買いあさる」・・という、まぁ全否定はしないがそれが社会の全てではないというようなことを、綿密なリサーチデータを引用しながら証明している(らしい)。

最近この本を読み終えたというDedeは、「正直、内容があまりにもネガティブでexaggerated(誇張された)で、もう辟易としてしまったわ」と、かなり消化不良な様子。実際、どこまでが本当でどう感じるかを、日本人である私に問いただしたくてうずうずしていたらしい。
「もしここに書いていることが全て事実で日本社会がdysfunction(機能不能)なのだったら、じゃぁどうして今だに日本は世界第二の経済大国なの?って聞きたいものだわ!」と鼻息も荒い。

Dedeは、ひとつの事例を取り上げてあたかも全てのように語ることが大嫌いな人。
以前、私が本の中で「アメリカ人は(日本人と比べて)子どもの独立が早く個人主義なので、子どもの結婚や離婚にはあまりかまわない」と書いたことに「too much generalization(一般化しすぎ)」と突っ込まれたことがある。
全編にわたって「だから日本社会はダメなんだ」といわんばかりのマイケルさんのアプローチは、彼女にとってよほど不快だったのだろう。

この本を読んでいない私にコメントのしようはないが、少なくともマイケルさんの講演での口調を知る限り、辛らつさを売りにしているジャーナリストであることは確かだ。それに、とかく“売れる”本の条件は挑発的かつ辛らつであることも事実だし、私はノーコメントを決め込んでいた。

他国の悪いところ、へんなところは簡単に目に付きやすいものだ。
けれど、それはどの国にもある「性質」のひとつであり、他国が否定したり非難したりできるものではない、と私は思っている。外国に住む外国人が非難したところで、じゃ、アンタに何ができるの?というのが私の冷めた見方。
その国独特の地理や長い歴史に基づいて形成されたものが“ユニークな”文化であり、それを否定するにはかなりの根性が必要だ。特に信仰や宗教に言及するとなるとそれこそ命がけでなければならない(世界の紛争のほとんどはこれなのだ)。
マイケルさんは教養も知性もある人なので、彼がこの本で本当は何をしたかったのか、私はむしろこの一点に興味がある。
今度会う機会があれば是非直接これをぶつけてみようと思う。

結局、フラストレーションのたまったDedeによる“インタビュー”は延々3時間近くにも及んだ。しゃべりすぎてへとへと。でもなんだか最後はお互いすっきりしていた。
この議論は当分続きそうだ。

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Leaving on a jet plane

2007-02-20 11:04:57 | music/festival
去年の10月に行われて大盛況だった、オークランド・アーティストサロンの第2弾が、アーティストでもあるカレンさんのスタジオで開催された。
去年以上の盛況ぶりで、集まったアーティストも実にインターナショナル。ポエムを読む人、楽器を演奏する人、自作のスクリプト(脚本)を読み上げる人、自作アートの展示・・など次から次へとパフォーマンスが続いていく。

そう、昨年はここにヨシオさんがいていつものプレスリーで会場を興奮の坩堝に陥れてくれたっけ。あの日のヨシオさんのパフォーマンスを覚えている人も多いはず。
そこで今回はブルースマン・ヒデオさんにギターを、セイヤさんにベースをお願いして、ヨシオさんを偲んで1曲歌うことにした。
曲は、昔ヨシオさんとよく一緒に歌った“Leaving on a jet plane”。

コーラスの部分では、そこにいたみんなが大合唱。歌いながらその歌声に思わずうるっとくる。
この空間のどこかでヨシオさんが笑っている気がした。



今日のファッションのテーマは、“ウェスタン”。
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サンフランシスコ紀伊国屋で発見!

2007-02-16 17:06:58 | 「たのもう、アメリカ。」
久々にサンフランシスコのJapan Townに行ったついでに紀伊国屋書店へ寄ってみた。
そこで、うれしはずかし自著を発見!
実は、昨年店長に電話して自ら売り込んだのでした。ここの店長はとてもいい人で、さっそく日本の取次ぎから仕入れてくれていた。なんと売値は23ドル。(高いよ~)
 

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お熱いうちに・・

2007-02-15 15:15:17 | アメリカ生活雑感
話は古くなったけれど、今年のバレンタイン。
去年は東京とアメリカで別居していたので、今年が実は結婚後はじめてのバレンタインということになる。(だからどうよ、というかんじだが)
日本では女性から男性に、が慣わしだけれどアメリカや西洋では男性が女性にお花やプレゼントを送る日として認識されている。
街ではバラを持った男性をちらほら見かけた。

今晩のメニューはこんなかんじで。
久々に頂き物の名前入りのワイングラスを出してきた。

カタプラーナ鍋を利用して、鯛の丸ごとワイン蒸しをやってみた。
野菜もありったけ放り込む。けっこういけた。


実はPちゃんは、このチョコには目がない。普段はチョコ禁止だけれど今日くらいは与えてあげよう。
添えたカードは「Good lovin' is like cookin'.(いい愛は、いい料理のごとし)」そのココロは
「It's better served HOT.(お熱いうちがよろし)」
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アメリカ的生き方。

2007-02-15 15:15:15 | 旅行
2月12日(月)
コロラドでの夢のような滞在を終えて、1週間ぶりにベイエリアに帰還。
バークレーにいるとあっという間に時間がたってしまうのに、ど田舎でしかもインターネットもなく生活しているとまるで1ヶ月以上過ごしたかのような錯覚に陥ってしまう。
実を言うと、4日目くらいからは手持ち無沙汰でちょっとバークレーホームシックにかかっていた。やはり、田舎隠遁生活は私にはまだまだ早すぎるらしい。

デュランゴでの一日は、お日さまとともに明けるのが日課。
まず、Jerryさんと一緒にヨガで体と心をゆっくりとほぐしたあと、各々勝手に朝食をとり語らう。おかげで今まではあまり知ることのなかった他州の歴史や文化などをいろいろと教えてもらうことができた。
普段なら、朝Pちゃんを送り出してからはほとんど一人で会話相手のいない生活だったので、この1週間は「英語をしゃべる」という基本的なことを改めて学んだ気がする。こんなにしゃべったのは久しぶりかもしれない。しかもポールもJerryさんもネイティブなので、知らない単語や言い回しがあると即座に教えてくれる。おかげでボキャブラリーやスラングもたくさん覚えた。(アメリカ人のご主人を持つと英語が上達できてうらやましいなぁ・・。)

また、この年になって人生初めての経験もあった。
Jerryさんに教えてもらってクロスカントリーに初挑戦。


一方でJerryさんの暮らしを通じてアメリカ人のリタイア後(60歳以降)のライフプランというものもつかめてきた。
「トシをとったら、やりたいことをやる」という生き方だ。
彼らは日本人のようにいつからともわからない老後のために“備える”“貯める”というスタイルではなく“元気な今を楽しむ”のだ。
田舎暮らしがしたいと思ったら都会の家を売って田舎に家を買う。もう体がついていかないと思ったらポンと売ってその現金でまた別のところに住処を作る。もともと日本人のように、家や土地に対して執着がないのだろう。何かを残さなければ、という焦りも義務感も日本人に比べれば薄い気がする。実に自由だ。


別れの朝、みんなで記念撮影。

長い“休暇”をいただいて家に戻ると、なんか身も心もリフレッシュしてまたがんばろうという気持ちがわいてきた。
我が家での私の役職は“外交官”。こうやって人脈を広げてPちゃんができないことをやるのが私の役目だと調子よく思っているので、そういう意味でも今回のコロラド旅行はとても実り多いものだった。
Pちゃんも、怒涛のように土産話を聞かせる私に「おしゃべりになった」とビックリしながらも「いろんな体験ができてよかったねぇ」と我がこのように喜んでくれた。
やっぱり、私にはこの家がいちばん。
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Durango散策

2007-02-15 15:15:13 | 旅行
2月10日(土)
まだまだポカポカ陽気が続く週末、今日はDurango市内観光にでかける。
とはいっても5ブロックくらいに何もかもがきゅっと集まったとてもコンパクトサイズな町なのだった。

最初は1881年に創業していまだに走り続けている蒸気機関車の始発駅、Durango Stationから。
DurangoからSilverstonまでの山越えルートを毎日走り続けているこの蒸気機関車は観光の名所になっていて、毎年5月には“Anual Iron Horse Bicycle Classic”という自転車対機関車のレースが開催され全米から自転車野郎が集結する。実はJerryさんも今年参加するらしい。すごすぎ。






冬と夏のイメージ(HPより)


ちょうど夕方、Silvertonから戻ってきた機関車をキャッチ。
手旗信号のみで踏切がない!

駅舎の中にはレトロなものがいっぱい。まるで時が止まったかのよう。
 


今晩は4人で外食&夜遊び(といっても老人タイムだけど)。
レストランまでの時間つぶしに、町で一番古いBar“The Diamond Belle Saloon”で軽く飲む。ここでは毎日ブルーグラスやラグタイムミュージックのライブが行われていて、今日もカウボーイルックのお兄さんがカントリーをいい調子で演っていた。
この店に入ってくるお客さんもなんだか「カウボーイ」調。カルチャーショック!




レストランに場所を移すと、今度はここものすごい人たちを発見。
私たちのすぐ後ろの席に、まるで200年前からやってきたような人たちが当時の衣装そのままで食事を楽しんでいるではないか!
気になってなんだか食事にならん。
たまらず食事が終わったのをみはからって写真撮影をお願いする。聞けば「歴史的文化を残す会」の人たちで、月に一度こうやって町に繰り出しているという。



衣装は全て手作り。ファスナーなどは一切使っていないというから驚きだ。


食事の後は、ポールの友人が経営しているライブBarへ繰り出す。
今晩はなんとカラオケナイト(アメリカでもカラオケはkaraoke)。ここでも出るはカントリー。こっちもジョンデンバーで対抗だ。
午後10時半、いつもなら消灯の時間にほろ酔い気分で帰宅。あ~面白かった。


オーナーのスティーブさん。この人、お客をさばきながも、自らターンテーブルを回し、
J.BからE.W.F、カントリーまで、とにかく信じられないほどのレパートリーで客の歌が途切れないように間を埋めてくれる。
声はジョー・コッカーそのもの。参りました。


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