今月と来月の2ヶ月間、地元の図書館が主催して週に一度“Writing & Publishing”と題したフリーレクチャーが行われている。
シカゴローカルの作家たちがさまざまなテーマで行うこのレクチャー、9回シリーズの今日は第2回でKelly James-Enger女史による「The Basis of Writing for Magazine」。これは面白そう。
ああ、でもこんな日に限って大雪。しかも強風。あきらめかけていたらPちゃんが職場からいったん戻って送ってくれるという。おお、ありがたや。
さてこのKelly氏、弁護士の職を辞めてフリーランスライターになり、今では各雑誌に多くのコラム・記事を連載し年収9万ドル(約1千万円)を軽く稼ぐ人気ライターだそう。早口で2時間休みなくまくしたてるのにはかなり閉口した(メモする暇もない)が、「情報ソースの集め方」「どうやって自分の記事を売り込むか」「編集者と付き合う法」「同じような記事を違う読者に使い回しする法」などなど、なかなか面白い実用的な内容を自身の体験談をたっぷり紹介しながら話してくれた。
私は長い間Editor(編集者)側だったので、ライターさんの売り込みなどは逆の立場からよく理解できる。これは自分が書く立場になっても役立っているように思う。なので彼女の言っている“秘訣”も別段へぇ~と驚くようなものでもなかった。
つまり私の課題はただひとつ。「自分の言語でない言葉でどこまで何ができるのか?」ということ。日本語で日本人読者を対象に書くことに苦労はないけれど、アメリカで暮らしている以上、アメリカのメディアに英語で書いてみたいものだ。でも、自分のライティングレベルが追いついていないというネガティブな気持ちがいつまでも壁になって実現をみないまま。
このあたりのことをレクチャーのあと正直に彼女に聞いてみた。
(英語が外国語である)自分にはどんなチャンスがあるのかどうか、どうやってソースを調べればいいのか。彼女は私の目をじ~~っと見つめてこう言った。
「もちろんチャンスはあるわよ。それに他のライターと違ってあなたはUniquly Qualified(独特の差別化)されるし。どんな分野を書いているの?そうね、まずは本屋に行って自分の得意分野の雑誌をリサーチしてみることね。そして編集者に積極的に連絡を取ってみることよ」
予想どおりの回答ではあったけれど、誰かに背中を押されたという意味ではわずかに前進したかんじ。
もともとアメリカ人は自分の実力以上に「自分はいけている」と勘違いしている人が多い。日本人は120%くらい人に勝っていないと「自分はまだまだ」と足踏みしてしまう癖がついている。ここはつまらないmodestを捨ててひょいと踏み出すことが必要なのかも。
** ** ** ** ** ** ** **
この間ある人にこんなことを言われた。
「ブログはじめようかと思うんだけどなかなか時間がなくって~。よく続けられますねえ」。
時間がなくてそれが重荷になるのならおやめなさいな。
何でで続けられるのかと聞かれても、書きたいことが起こるからとしか答えようがない。どんなに忙しかろうともこれだけは放っておくわけにはいかないので止められない。
じゃぁ、なぜ書くのか?
今でこそ世の中みなブログの時代だけれど、そもそも私は日記魔で小学校のころから日記をつけている。だから書くことは“習性”なのである。そのときに感じたことや人から言われた印象的な言葉など、書いておかないともったいないから。
もちろん毎日欠かさずつけているわけではなく、心にほんの少しでも変化があったときに思わずペンを握ってノートに書きなぐるだけ。長く途切れているときもあれば毎日欠かさずつけている時期もある。特にルールはなし。
悲しいときは悲しい文字、うれしいときは大きく踊るような色文字・・・手書きの日記は感情が丸出しになっているからあとから読み返しても面白い。
手書きの日記がインターネットになった、それがブログなのだが、昔の日記と大きくちがうのはブログには読者がいるということ。最近ではどこからともなく入ってくる読者もいる。知らない読者がいるとあまり過激なことは書けない。どんなにむかついたことがあっても日記のようにすべてを吐き出すことはできない。そういう理由もあって、本当の意味での“影の日記”はあくまで存在し続けるわけである。
実はこの“影日記”のほうが数倍面白いんだな、これが。