Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

Hoy hizo menos 17 grados! (今日はマイナス17度)

2008-01-31 12:24:25 | アメリカ生活雑感
朝は生ぬるく感じるほどだったのに、夕方からスノー・ストーム。
1時間半のスペイン語教室(?)のあと外に出ると、強風で目の前が真っ白。車も真っ白に凍り付いていた。
恐るべしこの変わりよう。ここは冬山か。

今晩はついに、おでん登場!


Esta es "oden".

イリノイ運転免許

2008-01-29 04:39:06 | アメリカ生活雑感
ずっとカリフォルニアのままになっていた運転免許をやっと、イリノイ免許に変更した。
数日前にすでに変更に行っていたPちゃんは「筆記試験で知らない道路標識が出て焦った」と、イリノイの「ドライバーズライセンスガイドブック」(無料配布)を持って帰ってきてくれていたのでそれでさっくりとにわか勉強。

カリフォルニアでは筆記試験は英語のほかにスペイン語、日本語から選択できたので、私はいつも「日本語バージョンください」とお願いして楽をしていたのだが、ここではさすがに日本語はなし。面倒くさいけどはじめて英語で筆記試験を受けることになった。
予習の成果で道路標識は満点、そのほかの選択問題ではいくつか間違えたもののなんとか合格。無事、イリノイ免許を獲得。
受付から試験終了、写真撮影~免許発行まで全部で1時間ほど。かかった料金はたった10ドル。この早さには驚いた。
ここでもアメリカ人の無駄話好きは例に漏れず、カリフォルニアの免許を見せると「まぁ、カリフォルニアからよりによってこんな寒いところになんでまあ」。これにももう、すっかり慣れた。

アメリカで免許を取得・更新するたびにいつも、日本の免許制度の煩雑さはいったい何なんだろうと思う。カリフォルニアで免許を取ったときは、筆記・実技試験(なんと車は自分で用意して市中を走る)を受けて免許発行まで全部で26ドルだった。
私は日本での運転免許の更新を忘れていて長い間失効していたことがある。いったん失効すると一から自動車学校へ行き直すか、飛び込みで試験を受けに行くしかない。そんなヒマもお金もなかったのでほとほと困りはてていた。
その後渡米し、ラッキーなことにアメリカ免許を日本に“逆輸入”して発行してもらうという裏技でいとも簡単に日本の免許をもらうことができたのには大助かりだった。ただ、このとき用意させられた、天下りの役人の判子をもらうためだけに用意させられた書類たった一枚に3000円も払わされたのにははほとほとあきれたものだ。

免許発行までのプロセスが異常に面倒くさい日本。しかし、免許は簡単に取れるが交通違反や事故に関する処分の厳しさは日本の比ではないのがアメリカ。
日本もこのシステムだけは見習うべきかも知れない。

おしゃべり好きのアメリカ人。

2008-01-26 12:15:24 | アメリカ生活雑感
アメリカでお買い物に行くと、いろんな人から声をかけられる。
お茶でもどう?というお誘いの声ではなく、買い物の“ブツ”に関してああだこうだといわれるという意味。
「My God!それすご~くおいしいわよ」「それ、どうやって調理するの?」「卵、割れてないかどうか中を見たほうがいいわよ」・・・。
日本では人の買い物にあれこれ言うのはヘンな人だが、とにかくアメリカ人はちょっかいがお好き。しかもこれをきっかけに長~い長い立ち話が始まり、レジで長蛇の列ができるなんてこともざら。

今日、久しぶりにぶらっと買い物に行った。
丈夫で見た目もいいテーブルクロスが欲しいなと思いながらもずっと放置していたのを思い出し、たまたま立ち寄ったワールドマーケットでいいあんばいのがしかも半値になっていたのを発見し、うれしくなって購入。レジに持っていくと私の前に並んでチェックをしていたご夫婦がお店の人と息子の話をしながら長話になって盛り上がっていた。ふと、私の買ったテーブルクロスを見てそのおっちゃんがすかさず一言。
「Good choice!」
ありがとーさんと言いかけたとき、おっちゃんが自分の袋の中身を自慢気に見せた。覗き込むと私と同じものを買っていたのだった。
「You too!」と思わず言い返して苦笑い。
(げっ、今日からこのおっさんと同じテーブルクロスか・・

次にふらりと立ち寄った店で、クリスマス関連商品が50~90%オフで投売りされていたので思わず今年のクリスマスに買うであろう本物のツリーのためにとオーナメントを購入。こういう何の変哲もないものがオン・シーズンでは驚くほど高いのでこのチャンスに買っておくと超オトクなのだ。


ちなみに今日買った5点、定価では総額55ドルのところ、なんと9.4ドルだった。

レジのおねぇちゃんは、レジを打ちながら驚嘆の声をあげる。
「たったの9.4ドルよぉ~。すごいわね!」
わかっとるがな。

*** そして翌日・・・

家に帰って戦利品を得意気にPちゃんに見せると、Pちゃんひとこと
「もっと買ったらよかったのに」。
で、またこの店に立ち寄りわんさかご購入。
これで今年のクリスマスは万全だ。


物好きな私はまた計算してみた。
これを全部定価で買うと97ドルのところ、11ドル!
さぁ、クリスマス製品を買うなら今だ!

ホームオーナー・フィーリング

2008-01-25 04:17:21 | アメリカ生活雑感
家のオーナーになると大変なことも多い反面、初めて経験することもいろいろあって面白い。
家の損害保険選び、車の購入&保険選び、雪かき(自分の家の前の歩道で人が怪我をすると訴えられる)などなど。
なかでも面白かったのは自治体からもらった「ルールブック」。ペットは2匹まで、Holidayイルミネーションはいつからいつまでの間のみ、エアコンを窓に設置してはならない、衛星放送の皿は正面から見えない場所に設置する、バスケットネットの設置のしかた・・・そんなことまで、というようないかにもアメリカらしい決め事がいっぱいで読んでいるだけで結構楽しめる。

さて、Pちゃんがいちばん「オーナー」気分を味わう時間、それはゴミ出し。
アメリカのゴミ処理は有料だが、家のオーナーに支払い義務があるので今まで私たちに請求はこなかった。けれど、これからは自分たちで支払わなければならない。
イリノイのゴミ出しシステムは、まず生ゴミとリサイクルにゴミを分別、別々の容器に入れてそれを朝家の前に出しておく。その際、あらかじめ役所で購入した“ゴミチケット”を容器に貼っておくとごみ収集車がこれを収集してくれる。
Pちゃんはゴミ容器にこのチケットを貼るとき「ああ~~ I'm home owner!」としみじみ感じてニヤニヤするらしい。へんなやつ。
でもゴミ出しは寒くていやな私にとってはとっても助かる。


朝のゴミ出し風景

最近の食卓。

2008-01-25 03:41:31 | アメリカ生活雑感

Pちゃん大好物のタイカレー。
いつもはチキンだけど今回はじっくり煮込んでふにゃふにゃにした豚バラを角煮風にしていれてみたらけっこういけた。


Pちゃん作。メロンのプロシュート(ハム)巻き
これにバルサミコ酢とオリーブオイルのたれをかけます



いいプロフェッショナル、悪いプロフェッショナル。

2008-01-23 02:45:19 | アメリカ生活雑感
『栗原はるみの挑戦~和食の心を伝えたい』という番組を見た。
料理家の栗原はるみさんがアメリカ南部の町アトランタの大学に招かれて和食についての講演を行った模様を追ったドキュメンタリーだ。
栗原さんといえば今や知らない人はいない日本を代表する料理研究家。自慢のレシピを英語で紹介した『Harumi’s Japanese Cooking』は、2005年に「料理界のアカデミー賞」といわれるグルマン世界料理本大賞で大賞を受賞し、彼女の名は世界に知られるところとなった。

そんな栗原さんの長年の夢は「和食の良さを世界の人たちに直接英語で伝えたい」。
英語がまるっきりダメな栗原さんは、分刻みのスケジュールの合間をぬって数年前から基本的な会話テープを聞き流す訓練をしたり、調理に関する英単語をつぶさに帳面に書き留めたりと努力を続けてきた。その彼女に舞い込んだ大きな舞台―それがアメリカでの講演だった。
現地についてからも彼女は精力的だ。地元のオススメレストランに出かけて“現地の味”を体感する。日本語を学ぶ大学のクラスに飛び入りして料理教室を開く。領事館主催のレセプションパーティーでは一生懸命覚えた英語のスピーチをメモなしにこなす・・・。とても60歳とは思えないしなやかで軽やかな彼女の姿に驚嘆してしまう。
現地の日本人奥様方にも助けられ、当日のレクチャーは大成功。彼女の夢は一歩前に踏み出した。

インタビューの最後で彼女が行った言葉が印象的だった。
「40代50代の頃は“来年はもっといい年にしよう”って思っていたの。でも60歳になるとそれが“明日は今日よりもいい日にしよう”になって」
一日一日がもったいない、だから何かに挑戦し続けたいと思うこの気持ちが彼女を内面から美しく若く輝かせているのかもしれない。

彼女はいわば“素人”からふとしたきっかけて有名になった人。肩書きやキャリアを重視する日本社会ではずいぶんいやな思いもしてきただろう。でも彼女からは「どうせ私は」「今に見ていろ」的ネガティブなアグレッシブさは感じられない。

そもそも“素人”って何だろう?
長年出版社で営業をしていた友人が面白いことを言っていた。
「一番タチが悪いのは、“作家気取り”の素人です。僕はできるだけそういう人と関わりたくないので(痛い目にたくさん会いました…)できるだけ、ビジネス書を作りたいと思っています。社長さんやコンサルタントの人は、“本は副業。会社や自分の宣伝になれば印税収入はそんなに気にしない”という人がほとんどなので、割り切れていて楽です。」
割り切りとはすなわち確かな“軸足”を持っているという自信だろう。
栗原さんの軸足は主婦であり、家族やそのお客様においしいものを食べて喜んでもらいたいという気持ちが彼女の原動力だった。プロになって対象が無限に広がった今も家族が大切だということにぶれはない。だからこそしなやかでいられるのだと思う。
逆に言うと、軸足が決まらない人ほど“プロフェッショナルを気取る素人”から抜け出せず、周りにネガティブでアグレッシブな牙を剥く。

同じ“素人”から大ヒット映画の原作者にまでなった、ある友人の作家から先日届いた手紙の内容に愕然とした。
「私はしょせん高卒の“学”も“知”もない女ですから」「英語もできない非インテリ女には(アメリカに来ても)お勉強などできません」「インターネットや英語ができなくても生きていけますから」
一年の半分をアメリカで過ごす彼女にとちょっとした提案をしたことが、とんだ嫌味に聞こえてしまったのだ。
アメリカでは年齢や人種に関係なく友人関係を築くことができ率直な意見交換ができる。これに多少慣れすぎてしまった私の不覚だったのか、はたまた“偉大なる素人”を過大評価した私の人を見る目がなかったのか。

元『ダ・ヴィンチ』編集長の長薗さんから聞いたお話を思い出す。
『ダ・ヴィンチ』が創刊してまだ間もなく、世間がまだこの雑誌を認知していなかった頃、編集部に一本の電話がかかってきた。それはなんと五木寛之氏ご本人からだった。若者の本離れを危惧していた氏は、常日ごろからいろいろな情報を収集しご自身のプロモーションの方策を日々考えていた。そしてあるとき『ダ・ヴィンチ』を見つけ、これは面白いと自ら売り込みの電話をかけてこられたのだという。
「この一本の電話で、これ(『ダ・ヴィンチ』)はいけると自信がついた」(長薗さん)。

真のプロフェッショナルは常に謙虚で勉強熱心だ、ということを学んだ逸話だった。
知性、品性とはかくあるべきとも。


来た~!マイナス20度。Aquí estamos a veinte menos grados

2008-01-21 13:06:56 | アメリカ生活雑感
今週末、大寒波がシカゴに襲来!
このニュースを聞いた金曜日、篭城覚悟で買出しに出かけた。もし何かあっても当分生きていけるように(というのもの大げさだが)。
というわけで、今晩は水炊き。


Esta es "Nabe"

実はこの水炊き、「ためしてガッテン」で博多の水炊き名人がやっていた方法をそのまま真似てやってみた、「ガッテン流 博多風水炊き」。
これ、激うま!!簡単だし栄養たっぷりだし、とにかく超オススメ。昆布だしではなく鳥(手羽先ともも)からスープをとってキャベツを死ぬほど入れるのがコツ。
Pちゃん、感動で言葉にならず。

**  **  **  **  **  **

明くる土曜日は予想通り、マイナス21度。外は晴天。
今日は絶対外に出ないことにしていたのに、プリウスちゃんに乗りたくて仕方ないPちゃんがおでかけをねだるのでしゃぁない、これを利用して散髪でもするべかと少し遠出をしてアーリントンハイツまでドライブ。
バークレー以来かれこれ3ヶ月以上も切っていない髪はまるで落ち武者。前髪はだら~りとあごにまでかかり鬼太郎のようだった。
年末にPちゃんが飛び込みで行ったあの韓国美容室に行ってみようと近くまで行くと、日本の理髪店を発見。言葉が通じる分ここのほうがいいかと飛び込んでみた。
店内ではおっさんが1名、じょりじょりとバリカン中。
「あの~、男性専門ですか?」と聞く私に、年配のおばちゃんが愛想なしに
「女性やりますよ」。
ここで逃げ帰ると感じ悪いし入っちゃったものは仕方ないので、そこでいっちょ“散髪”してもらうことにした。
おっちゃんの横でざんぶとシャンプーをしてもらい、じょりじょりとはさみで伸びた髪をカット。シャンプー台もエプロンも、洗いざらしのタオルの風情も100%「散髪屋」。小学生以来だこの感覚。終わった頃にはすっかり気分はおっさん。
でも意外とちゃんとリクエストどおりにやってくれ(失礼!)、おまけに散髪屋お決まりの「頭皮マッサージ」も天に上るほど気持ちよかったので私はすっかりご機嫌。若い女の子は絶対来ないだろうから空いていること間違いなし。今度からここに来よう!

さっぱりしたところで、この間買った不良品のデスクランプの交換にIKEAへ。
ここへ来るときまって長くなる。案の定、Pちゃんはずっと気になっていた本棚をさんざんああでもないこうでもない、と比較検討した挙句ご購入。


車に載るかなぁ、とドキドキのPちゃん。何しろ今までには痛い経験がある。
でもプリウスくんはすごかった。コレがぜ~んぶきれいに収まりPちゃんは超ご満悦。
「あああああ~。プリウスってなんてすばらしいんだ!!」と大絶賛。

さあ、いったん買い物モードに入るとこの人はすさまじい。
勢いに乗って前から気になっていたダイニングのダウンライトをついでに買いに行こうとこのあと近所のDIYセンターへ。このときすでに夜の9時だった・・。
そしてお買い上げして無事に付け替えたのがコレ。

 
けっこう気に入ってます

なぜ書くの?

2008-01-17 15:37:51 | アメリカ生活雑感
今月と来月の2ヶ月間、地元の図書館が主催して週に一度“Writing & Publishing”と題したフリーレクチャーが行われている。
シカゴローカルの作家たちがさまざまなテーマで行うこのレクチャー、9回シリーズの今日は第2回でKelly James-Enger女史による「The Basis of Writing for Magazine」。これは面白そう。
ああ、でもこんな日に限って大雪。しかも強風。あきらめかけていたらPちゃんが職場からいったん戻って送ってくれるという。おお、ありがたや。

さてこのKelly氏、弁護士の職を辞めてフリーランスライターになり、今では各雑誌に多くのコラム・記事を連載し年収9万ドル(約1千万円)を軽く稼ぐ人気ライターだそう。早口で2時間休みなくまくしたてるのにはかなり閉口した(メモする暇もない)が、「情報ソースの集め方」「どうやって自分の記事を売り込むか」「編集者と付き合う法」「同じような記事を違う読者に使い回しする法」などなど、なかなか面白い実用的な内容を自身の体験談をたっぷり紹介しながら話してくれた。
私は長い間Editor(編集者)側だったので、ライターさんの売り込みなどは逆の立場からよく理解できる。これは自分が書く立場になっても役立っているように思う。なので彼女の言っている“秘訣”も別段へぇ~と驚くようなものでもなかった。
つまり私の課題はただひとつ。「自分の言語でない言葉でどこまで何ができるのか?」ということ。日本語で日本人読者を対象に書くことに苦労はないけれど、アメリカで暮らしている以上、アメリカのメディアに英語で書いてみたいものだ。でも、自分のライティングレベルが追いついていないというネガティブな気持ちがいつまでも壁になって実現をみないまま。
このあたりのことをレクチャーのあと正直に彼女に聞いてみた。
(英語が外国語である)自分にはどんなチャンスがあるのかどうか、どうやってソースを調べればいいのか。彼女は私の目をじ~~っと見つめてこう言った。
「もちろんチャンスはあるわよ。それに他のライターと違ってあなたはUniquly Qualified(独特の差別化)されるし。どんな分野を書いているの?そうね、まずは本屋に行って自分の得意分野の雑誌をリサーチしてみることね。そして編集者に積極的に連絡を取ってみることよ」
予想どおりの回答ではあったけれど、誰かに背中を押されたという意味ではわずかに前進したかんじ。
もともとアメリカ人は自分の実力以上に「自分はいけている」と勘違いしている人が多い。日本人は120%くらい人に勝っていないと「自分はまだまだ」と足踏みしてしまう癖がついている。ここはつまらないmodestを捨ててひょいと踏み出すことが必要なのかも。

** ** ** ** ** ** ** **

この間ある人にこんなことを言われた。
「ブログはじめようかと思うんだけどなかなか時間がなくって~。よく続けられますねえ」。
時間がなくてそれが重荷になるのならおやめなさいな。
何でで続けられるのかと聞かれても、書きたいことが起こるからとしか答えようがない。どんなに忙しかろうともこれだけは放っておくわけにはいかないので止められない。
じゃぁ、なぜ書くのか?
今でこそ世の中みなブログの時代だけれど、そもそも私は日記魔で小学校のころから日記をつけている。だから書くことは“習性”なのである。そのときに感じたことや人から言われた印象的な言葉など、書いておかないともったいないから。
もちろん毎日欠かさずつけているわけではなく、心にほんの少しでも変化があったときに思わずペンを握ってノートに書きなぐるだけ。長く途切れているときもあれば毎日欠かさずつけている時期もある。特にルールはなし。
悲しいときは悲しい文字、うれしいときは大きく踊るような色文字・・・手書きの日記は感情が丸出しになっているからあとから読み返しても面白い。

手書きの日記がインターネットになった、それがブログなのだが、昔の日記と大きくちがうのはブログには読者がいるということ。最近ではどこからともなく入ってくる読者もいる。知らない読者がいるとあまり過激なことは書けない。どんなにむかついたことがあっても日記のようにすべてを吐き出すことはできない。そういう理由もあって、本当の意味での“影の日記”はあくまで存在し続けるわけである。
実はこの“影日記”のほうが数倍面白いんだな、これが。



素敵なNeighbors。

2008-01-15 15:39:23 | アメリカ生活雑感
先週から通い始めたSpanish-English Exchangeクラスの、今日は第2回目。
もともとこのクラスは繰り返し開かれているので、生徒たちはすでに顔見知り。当然ご近所さん同士なので“近所の寄り合い”的なほんわかとした雰囲気があたたかい。

一応テキストはあるものの別に買う必要はなく、持っていない人には先生が貸してくれるのもうれしい。スペイン語を習うたびに教科書を買っていたら“教科書コレクター”になってしまうので、なるべく新しいものは買わないように自習もかねてノートにせっせと書き写すようにしてしばらく様子をみることにした。
今日お隣に座ったのはこのあたりには珍しい黒人のご婦人。お名前はパトリシア。何でもお隣の町からわざわざ通っているという。
「前期は途中でドロップアウトしちゃったので、今回は最後までちゃんと出ようと思って」となかなか熱心。見るからに穏やかで信心深そうなご婦人だ。
クラスが終わり、彼女が急に私にこう話しかけてきた。
「Merry Christams!」
(もう新年やねんけど・・)「メ、メリークリスマス」
「私がそのテキストをプレゼントしてあげるわ」
(なんでやねん?)「あ、ありがとう。でも大丈夫、自分で買うつもりだったし」
「ノープロブレム、私からのプレゼントよ」
「・・・Thank you...but why??」
「Because, Merry Christmas!」
(わっけわからんがな・・でもここはありがたく受け取っておこう)「本当にありがとう!I really appreciate.」

彼女はすばやくチェックを切って先生に支払いを済ませてしまった。(注:アメリカではまだ古い世代の人たちはこうやって小切手を使っているのです。)
私がノートに書き写しているのを見て不憫に思ったのか、それとも神の思し召しか!?
急なことでびっくりしたけれど、なんだか心のそこからもぁ~っと温かくなる事件だった。

それと。
このクラスで最高齢の78歳のご婦人のことが先週から気になっていた私。見るからに品があって場をなごませるジョークも絶妙なこのご婦人、とにかく素敵なのである。
78歳で新しいことにチャレンジしようとするその気持ちにも頭が下がる。どんなお人なのだろうと思っていたところ、私の気持ちを察したのか彼女が急に席を立ち上がってまっすぐ私のほうに歩み寄ってきたかと思うと私の手を握りこう言った。
「やっとお話できたわね。私はフェイよ。よろしくね。」
その微笑にまたしてもノックアウトされた。

彼女はこの町にもう長く住んでおり、知る人ぞ知る人物らしかった。
「私はシカゴで生まれ育ったの。その頃からいろんな人種の人たちが住んでいたけれど、ジューイッシュもイタリアンもチャイニーズも自分たちのコミュニティーの中でだけ暮らしていたからあまり知り合うチャンスはなかったわね。でも子供たちの代になって同じ学校になったり結婚するカップルも出てきてようやく交じり合うようになったの。この町にも多くのヒスパニックの人たちが住んでいるでしょ?私はそんな人たちをもっと表舞台に引っ張り出したいの(笑)だからここへ来たのよ。それに、遠い記憶の彼方にあるスペイン語もまた思い出せるじゃない?」

実は年末にあるいやなことがあって、それも“友人”がらみのことだったのでずっと
気分が落ち込んでいたのだけれど、このホスピタリティーあふれるご近所の人たちに思いがけず温かい言葉をかけてもらった今日のクラスのあと、家路に向かいながらちょっとほろっとしてしまった。
捨てる神あれば拾う神あり。
それもアメリカで拾われるとはまた、皮肉なもんよ。
日本人は病んでいるのかな?

わが町のお祭り。(175 años anual de Warrenville)

2008-01-14 15:53:17 | music/festival
2008年は私たちが住んでいる町Warrenvilleができてちょうど175周年。
今年はこれを記念してさまざまなイベントが予定されているということで、先週末の土曜日は区役所周辺でそのキックオフイベントが行われた。
思いもかけず住み始めることになった町だけれど、住むほどにふたりともここが大好きになってくる。大きすぎず小さすぎずのほどよい規模、いかにも古いアメリカンサバーブという牧歌的な風景があちこちに見られ、都会で忘れ去られたホスピタリティーを感じることができる。人生の中でこんな機会でもないとなかなか住むことができない町だ。

イベントは午後5時からライティング・パレードで始まり、ダウンタウンにある図書館やレクリエーションセンターなどでマジックショーやダンス教室などが行われ、区役所では町の古いフィルム映像が流されるなかフリードナッツが振舞われていた。
シカゴもいいけど、こういう“素顔のわが町”にむしろほっとさせられる。



いかにも手作り感あふれるこんな車がパレードしたりなんかして


リクリエーションセンターではアメリカン・ダンス教室が開かれ
ご婦人たちが楽しげに踊る


地元の高校生ビッグバンドの演奏。
古いビッグバンドJazzナンバーをやったかと思うと、60~80年代のアメリカンロックメロディーなどもあり、思わず全部口ずさんでしまった。
「Material Girl」(マドンナ)、「I'll Be There」(ジャクソン5)、「Bad」マイケルジャクソン、ビリージョエル、オリビア・ニュートン・ジョン・・・
もちろん演っている本人たちは生まれる前なので、きっと対象は親たちなのだろう。
指揮をしている先生ももちろんこの年代。


カリフォルニアと全くちがうのは、黒人・ヒスパニックの子供たちがまったくいないこと。
バークレーだとハイスクールは人種の坩堝なのにこれは新鮮な驚きだった。
いかにも育ちのよさそ~なのが髪型からうかがえる。


お客さん、もう終わってますよ。


最後はお決まりのFireworks(花火)で締めくくり。