ここ数年、隣町にあるレストラン&バー「モーガンズ」に土曜日ともなるとJazzミュージシャンたちが集まり、熱いJamセッションを繰り広げていた。
私もしょっちゅう、その中に交じっていた。
ところが2年前のある日、このレストランが何の前触れもなくいきなり閉店。
従業員にも前もって告げられない突然のクローズに、出演していたミュージシャンたちもびっくり。うわさによると、「壊れた全館エアーコンディションシステムを修理するお金がなかったから」だとか。あまりにも、とほほな理由。
その後、行き場を失ったミュージシャンたちは別の店を見つけてJamを続けていたのだが、なんとここの店主の実の弟が宝くじで一発当て、あのつぶれた店を買って再びレストランをオープンするという噂が一気に広まった。
この展開も、いかにもアメリカ。
かくして、「クーパーズ・コーナー」と名を改めてあの店にまた灯りがともることになり、郊外のJazz好きは大喜び。
私のところへも歌いに来い!と昔の歌仲間たちから催促電話が毎週のようにかかってくるようになり、ここ最近毎週木曜日にはこの店で歌うようになった。
毎週木曜日は、ピアニストのジョニー・ガボァーによるピアノナイトだ。
ジョニーは、60~70年代のJazz全盛時代、シカゴで毎晩のように演奏をしていたベテランピアニスト。
フランク・シナトラがシカゴのBarに立ち寄って飛び入り演奏をするときなどは、必ず彼の伴奏をしていたというキャリアの持ち主。
シカゴにはこういうミュージシャンがそこらじゅうにゴロゴロしている。彼のように昔腕を鳴らしたプロたちが、シカゴのナイトクラブから引退して今は郊外あたりで趣味的に演奏をしているのだ。
初めてジョニーのピアノで歌ったとき、「ああ、この人はピアニストだな」と感じた。変な表現だが、ジョニーのピアノは歌い手をきちんと持ち上げてくれるのだ。
こちらに何も聞かずに自分勝手なテンポでイントロを弾きだしたかと思うとエンディングも自分で決めてしまう独りよがりなピアニストがたまにいるけれど、ジョニーはさすがにシンガー慣れ(それも超一流の)しているのを感じる。
こんなピアニストのバックで歌うといい勉強になるし、今まで歌ったことのない新しい歌にもどんどん挑戦しようという勇気が湧いてくるのだ。
かくして、ほぼ毎週木曜日は「歌う日」と決めて、どんなに気が向かない時でも鞭打って(?)でかけることを自分に課している。そのおかげで、この数か月でレパートリーがぐんと増えた。
もうひとつここに歌いに行く大きな理由、それは、素敵な歌仲間が待っていることだ。
仲間といっても平均年齢はゆうに75歳を超えでいる。彼らは元プロ、現在もノンプロで活躍する腕利きのシンガーたちだ。
彼らと知り合うきっかけは、5年ほど前。あの、前のつぶれた「モーガンズ」でのJamセッションで一度勇気をもって飛び入りで歌わせてもらったところ大層気入られ(一番若かった、しかも唯一の女性シンガーだったせいか?)それ以降、なにかというとPちゃんともどもよくお誘いを受けるようになったのだ。
その「重鎮」の方々も、決まって木曜日はちゃんと全員集合。
なにしろ皆さんハッピー・リタイア組、お金も時間もたっぷりある。たまに誰かが欠けていると「あの人は最近来ないから電話してみよう」などとサポートし合う、まるでちょっとした老人クラブのようなのだ。
もちろん、私は最年少。
もし本気で自分の腕を試したいのなら、シカゴあたりの有名クラブに出張っていくのがいいのだけれど、たまにそんなところに行くとJazzミュージシャンの卵たちが目をぎらつかせて黙々とセッションしているのに出くわす。演奏のクオリティーは素晴らしいのだが、私のような“ハッピー素人”にとってはそのギラギラぶりが痛いことがある。
その点、この静かな郊外の小さなBarでは人生経験豊富な仲間たちが集まってわいわいおしゃべりしながらお互いの歌を聴かせ合う。批評も批判もしない。
歌は、歌い手の年齢(人生経験)によって意味や深みや説得力が違ってくるものだから、彼らの解釈を聞くことで私自身も大いに勉強になるし、この雰囲気が今の私にとてもしっくりくる気がするのだ。
いつもの仲間たち。
一番右は、ハーヴィー。私は密かに「植木等」と呼んでいる。
いつもみんなを沸かせる明るいミュージカルナンバーを足取りも軽くステップを踏みながら披露してくれる。
昨年の今頃、娘さん(49歳)を突然亡くし、傷心のためしばらく姿を見せなかったが、仲間たちが電話をして励まし続けやっと明るい顔を見せてくれるようになった。
彼にとってこの仲間たちはどれほど心強かったろうと思う。
前列中央は、シルビア(80)とリチャード(86)ご夫婦。
お互いに40歳を過ぎての子持ち再婚同士で、結婚35年以上のおしどり夫婦。リチャードがメル・トーメのような甘い声を聞かせてくれ、それをシルビアがいつも見守っている。
シルビアはいつも私に「聞くたびによくなっていくわね。あなたの歌には心があるわ。その調子でどんどん歌い続けなさいね」と励ましてくれる。
後ろにいるのはブルース(左)とゲーリー(右)、共にセミプロ。
70歳を過ぎているゲーリーは、老人訪問に慰問して歌っている。
私の横は、このあたりに君臨する“ボス”、パット。
昔はNYあたりで歌っていたらしく、今もよくギグをやっていてそのたびに「歌いにおいで」と誘ってくれるとってもいい人。
90歳をこえているというピアニスト。
毎回素敵なJazzピアノを聞かせてくれ、その音色にじーんとするときがある。
彼の奥様はオペラのようにJazzを歌ってくれる。
私の顔を見るたび、「私の義理の娘はチャイニーズなの。あなたを見るたびに彼女のことを思い出すのよ」といってハグしてくれる人。
リチャードは歌うバイブルのような人。
この歌は何年に誰が初めて歌った、という歴史解説をいつも聞かせてくれる。
たまにやってくるポーレット。黒人独特のパンチの利いた声が彼女の魅力。
正反対の互いの歌声にいい刺激を受け合っている私たち。
私もリラックスして歌わせてもらっています♪
リラックスしすぎ・・・
先日はジョニーの誕生日だったので、みんなでお祝い。
私もしょっちゅう、その中に交じっていた。
ところが2年前のある日、このレストランが何の前触れもなくいきなり閉店。
従業員にも前もって告げられない突然のクローズに、出演していたミュージシャンたちもびっくり。うわさによると、「壊れた全館エアーコンディションシステムを修理するお金がなかったから」だとか。あまりにも、とほほな理由。
その後、行き場を失ったミュージシャンたちは別の店を見つけてJamを続けていたのだが、なんとここの店主の実の弟が宝くじで一発当て、あのつぶれた店を買って再びレストランをオープンするという噂が一気に広まった。
この展開も、いかにもアメリカ。
かくして、「クーパーズ・コーナー」と名を改めてあの店にまた灯りがともることになり、郊外のJazz好きは大喜び。
私のところへも歌いに来い!と昔の歌仲間たちから催促電話が毎週のようにかかってくるようになり、ここ最近毎週木曜日にはこの店で歌うようになった。
毎週木曜日は、ピアニストのジョニー・ガボァーによるピアノナイトだ。
ジョニーは、60~70年代のJazz全盛時代、シカゴで毎晩のように演奏をしていたベテランピアニスト。
フランク・シナトラがシカゴのBarに立ち寄って飛び入り演奏をするときなどは、必ず彼の伴奏をしていたというキャリアの持ち主。
シカゴにはこういうミュージシャンがそこらじゅうにゴロゴロしている。彼のように昔腕を鳴らしたプロたちが、シカゴのナイトクラブから引退して今は郊外あたりで趣味的に演奏をしているのだ。
初めてジョニーのピアノで歌ったとき、「ああ、この人はピアニストだな」と感じた。変な表現だが、ジョニーのピアノは歌い手をきちんと持ち上げてくれるのだ。
こちらに何も聞かずに自分勝手なテンポでイントロを弾きだしたかと思うとエンディングも自分で決めてしまう独りよがりなピアニストがたまにいるけれど、ジョニーはさすがにシンガー慣れ(それも超一流の)しているのを感じる。
こんなピアニストのバックで歌うといい勉強になるし、今まで歌ったことのない新しい歌にもどんどん挑戦しようという勇気が湧いてくるのだ。
かくして、ほぼ毎週木曜日は「歌う日」と決めて、どんなに気が向かない時でも鞭打って(?)でかけることを自分に課している。そのおかげで、この数か月でレパートリーがぐんと増えた。
もうひとつここに歌いに行く大きな理由、それは、素敵な歌仲間が待っていることだ。
仲間といっても平均年齢はゆうに75歳を超えでいる。彼らは元プロ、現在もノンプロで活躍する腕利きのシンガーたちだ。
彼らと知り合うきっかけは、5年ほど前。あの、前のつぶれた「モーガンズ」でのJamセッションで一度勇気をもって飛び入りで歌わせてもらったところ大層気入られ(一番若かった、しかも唯一の女性シンガーだったせいか?)それ以降、なにかというとPちゃんともどもよくお誘いを受けるようになったのだ。
その「重鎮」の方々も、決まって木曜日はちゃんと全員集合。
なにしろ皆さんハッピー・リタイア組、お金も時間もたっぷりある。たまに誰かが欠けていると「あの人は最近来ないから電話してみよう」などとサポートし合う、まるでちょっとした老人クラブのようなのだ。
もちろん、私は最年少。
もし本気で自分の腕を試したいのなら、シカゴあたりの有名クラブに出張っていくのがいいのだけれど、たまにそんなところに行くとJazzミュージシャンの卵たちが目をぎらつかせて黙々とセッションしているのに出くわす。演奏のクオリティーは素晴らしいのだが、私のような“ハッピー素人”にとってはそのギラギラぶりが痛いことがある。
その点、この静かな郊外の小さなBarでは人生経験豊富な仲間たちが集まってわいわいおしゃべりしながらお互いの歌を聴かせ合う。批評も批判もしない。
歌は、歌い手の年齢(人生経験)によって意味や深みや説得力が違ってくるものだから、彼らの解釈を聞くことで私自身も大いに勉強になるし、この雰囲気が今の私にとてもしっくりくる気がするのだ。
いつもの仲間たち。
一番右は、ハーヴィー。私は密かに「植木等」と呼んでいる。
いつもみんなを沸かせる明るいミュージカルナンバーを足取りも軽くステップを踏みながら披露してくれる。
昨年の今頃、娘さん(49歳)を突然亡くし、傷心のためしばらく姿を見せなかったが、仲間たちが電話をして励まし続けやっと明るい顔を見せてくれるようになった。
彼にとってこの仲間たちはどれほど心強かったろうと思う。
前列中央は、シルビア(80)とリチャード(86)ご夫婦。
お互いに40歳を過ぎての子持ち再婚同士で、結婚35年以上のおしどり夫婦。リチャードがメル・トーメのような甘い声を聞かせてくれ、それをシルビアがいつも見守っている。
シルビアはいつも私に「聞くたびによくなっていくわね。あなたの歌には心があるわ。その調子でどんどん歌い続けなさいね」と励ましてくれる。
後ろにいるのはブルース(左)とゲーリー(右)、共にセミプロ。
70歳を過ぎているゲーリーは、老人訪問に慰問して歌っている。
私の横は、このあたりに君臨する“ボス”、パット。
昔はNYあたりで歌っていたらしく、今もよくギグをやっていてそのたびに「歌いにおいで」と誘ってくれるとってもいい人。
90歳をこえているというピアニスト。
毎回素敵なJazzピアノを聞かせてくれ、その音色にじーんとするときがある。
彼の奥様はオペラのようにJazzを歌ってくれる。
私の顔を見るたび、「私の義理の娘はチャイニーズなの。あなたを見るたびに彼女のことを思い出すのよ」といってハグしてくれる人。
リチャードは歌うバイブルのような人。
この歌は何年に誰が初めて歌った、という歴史解説をいつも聞かせてくれる。
たまにやってくるポーレット。黒人独特のパンチの利いた声が彼女の魅力。
正反対の互いの歌声にいい刺激を受け合っている私たち。
私もリラックスして歌わせてもらっています♪
リラックスしすぎ・・・
先日はジョニーの誕生日だったので、みんなでお祝い。