Life in America ~JAPAN編

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豊竹若太夫 襲名を祝う会

2024-03-25 23:26:21 | ニッポン生活編


人形浄瑠璃「文楽」で途絶えていた大名跡、豊竹若太夫(わかたゆう)が57年ぶりに復活する。
文楽太夫の第一人者で御年77歳の豊竹呂太夫さんが、祖父で人間国宝だった先代、十代目豊竹若太夫から300年以上継承されてきた若太夫を受け継ぐ。
「豊竹若太夫」は、文楽界においては「竹本義太夫」に次ぐ大名跡だ。

その襲名を祝うパーティーが、大阪のホテルニューオータニで盛大に開かれ私も末席に加えていただいた。
私のようなものが何故出席したかというと、毎年淡路で行われている「浄瑠璃素義大会」に呂太夫さんが審査員として来てくださっているというご縁からだ。
私はその素義にコロナが明けてから3年間、ださせていただいている。
誰にでも気さくなお人柄で知られる呂太夫さんは、嫌 な 顔 一つせず2日間朝から夕方まで私たち素人の語りを真剣に聞いてくださり、 アドバイスもくださる。
ぶっ続けで聴かされるのは正直たまったもんじゃないだろうとお気の毒に思うのだが、それでも毎年、素敵なお帽子をお召しになって淡路にお出ましくださるのだ。





3月24日
大阪のホテルニューオオタニに集まったのは、そうそうたる顔ぶれの発起人を入れて約350人。
お着物姿の女性が場をおおいに華やげていた。
私もこの日はお着物。
母が残してくれた付下げをこの日とばかりに箪笥から引っ張り出し、帯、帯揚げ、帯締めを選んで朝からスタンバイ。
淡路と徳島からは総勢30人が呂太夫さんの晴れ姿を一目見ようと、バスをチャーターして駆け付けた。

  








会場を埋め尽くす大勢のお客様


発起人の一人、コシノヒロコさんはさすがの目力。
小さいころから伝統芸能に親しまれてきたというコシノさん。名前を継承することが意味すること、その意義を熱く語っておられた。


呂太夫さんに語りを習って15年、噺家の桂南光さんが楽しい乾杯の音頭
「私はちゃんと太夫について習っています。米朝師匠は芸者さんに教えてもらっただけ」と笑いをとる。


記念撮影


ご挨拶で思わず感極まる呂太夫さん。
その傍で、ビシッっときめて微動だにしない素敵な奥様の姿が。
高校の同窓生とのこと。この奥様あっての呂太夫さんなのだと納得。





会の最後には会場内をごあさつしながらぐるりと歩く呂太夫さんと奥様。


NHK大阪放送局長林理恵さんの、この帯は注目の的!
「壇浦兜軍記」から阿古屋の頭を大胆にあしらったデザイン。見台まであって素晴らしい。(黙って撮ってすみません。)

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二月逃げる。

2024-03-05 17:36:14 | ニッポン生活編
「一月往ぬる二月逃げる三月去る」とはよく言ったもので、
2月はまさに走って逃げた月だった。
でも、短い期間にさまざまなことを達成した感のある良き月でもあった。

月初は父の1回忌の準備もろもろ。
もう1年もたつのか・・・と去年の今ごろの、いつブザーでたたき起こされるかわからない不安な夜間同居生活を思い出す。
もう少し長生きしてれば、WBCも、38年ぶりのタイガース優勝も一緒に盛り上がることができたのにね。
・・・と言うてもせんないこと。
これからはただ、体に気を付けて両親の残してくれた心やものを大切に人生を生きていこうと思うのみ。

そして。

父の命日当日には、もうひとつビッグイベントがあった。



師匠が続けてきた義太夫節の会「阿波路会」の10周年記念公演。
この公演に向けて、昨年末からツールを用意したり、特別配布用の「10年史」を編さんしたり、公演の宣伝・広報をやったりともう大忙し。
その効果もあってか、2月11日の徳島公演は超大入り満員、立ち見も出るほどの盛況だった。







ぶっ続けで約80分の演目の始まり。


いつもは語りと三味線だけの素浄瑠璃形式なのだが、今回は特別に人形がつき、舞台も華やか。
(注)許可を得て撮影しています。



この準備とほぼ平行して夜中はシカゴと仕事のやり取りが続き、自分の舞台なども重なり結構ハードな月だった。
さぁ、3月は「去る」というが、うまく去ってくれるだろうか。 
どうなる!どうなる!?



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