Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

スランプ

2013-04-30 16:43:57 | アメリカ生活雑感
長いスランプのあと、久々にピアノのレッスンに行った。
練習というより、どうやってスランプを乗り越えるか、どうやって今後の「ゴール」に向かっていけばいいのか、という精神論を先生と滔々と交わした。

彼が言うには、一番怖いのは自分で勝手に目の前に高い壁を作ってしまってできないと思いこむこと。
「音楽はみんなシンプルなんだ」
そのことに気づいて(いや、頭ではわかっちゃいるんだが)少しずつやっていくしかないと。
一足飛びに山は越えられない。4小節ずつ、間違わないようになるまで何度も何度も繰り返し、そして次の4小節に行く。そして全小節を完璧にしていけばいいんだと。

「日本人はまじめだから、練習しないと、うまくいかないと罪の意識を感じるだろう?そのカルチャーはとても尊敬するよ。でもここではそんなこと気にしなくていい。自分がよし、やろう、やりたい、と思ったらすぐにおいで。いつでもドアは開いているからね」
ちょっと泣きそうになった。

今日はその先生のコンサート、そして、折しも「International Jazz Day」
今夜は彼のライブを頭を空っぽにして堪能してこよう。

http://www.jazzshowcase.com/upcoming_shows/pianist-frank-caruso-trio/

乗り越えられない壁はない。
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国家の危機管理

2013-04-16 18:26:33 | アメリカ生活雑感
ひとつ前のポストで、「女の執念」と書いたが、映画『ARGO』の主人公、CIA工作本部技術部のトニー・メンデス(ベン・アフレック)も「人質を救い出す」という執念に燃えていた。
要するに、CIA、つまりアメリカという国は危機に対して誠にしたたかで執念深いということをまざまざと見せつけられる。
国内の犯罪、特に銃犯罪などにはその規制をめぐっていつまでももたもたしているくせに、(4月17日、銃規制に関する法案が上院で否決された。この期に及んでまだ銃社会を守りたいらしい)、外からの、例えばテロなどの攻撃に対しては徹底して戦う準備ができているのだ。
“9・11”の直後、あっという間にアメリカの空から飛行機が消えた時のことを思い出す。
数時間で、この広い国の端々にまで厳戒態勢があっという間に敷かれるのである。
大災害を前にもたもたして被害を倍増してしまった日本政府とは雲泥の差、つくづく日本は平和ボケしただらしのない国に成り下がったなぁ、と思う。


そんなことを考えていた矢先、またテロ事件が勃発した。

("Chicago Tribune", 4/16/2013)

4月15日午後2時半過ぎ。ボストンマラソンのゴール地点で2つの爆発が起こり、3人が死亡、180人余りが重傷を負った。
私がこの事件を知ったのは、フェイスブックの後輩の投稿からだった。

「ゴールして20分くらいたった時、後ろの方でものすごい爆音が聞こえた。白い煙がもくもくと立ち上っていた。私は大丈夫だから心配しないで」

一瞬何のことだかわからず、あわててネットでニュースを見て事件のことを知った。
彼女は大学の剣道部の1年後輩で、近所の女子大からわざわざ、しかも初心者なのにたったひとりうちの大学に通っていた根性の持ち主だ。
大学卒業後アメリカに渡り、日本語教師の資格を取って今はアメリカの大学で日本語を教えている。
名うてのマラソン好きで、時間さえあればアメリカ中のマラソンを走るランナーでもある。

彼女にとってボストンマラソンは今年で連続10回目だった。
3時間44分というタイムでゴールし、ゴールから500メートルくらい先のところにいたちょうどその時、1回目の爆発が起こったという。
その時は何が起こったのか全く分からなかったらしい。

「このマラソンのために練習をしてきた人たちの多くがゴールすらできなかったことが悔しい」と彼女は言う。
そして、ボストンは最も大好きなマラソンのひとつ。こんなことで絶対に走ることをやめない、と決意を新たにしていた。
彼女の名前を目にした日米あちこちのメディアから取材が殺到した。その彼女が最も怒っていたのは、ある日本の大手新聞の報道だ。
マラソンに参加していた日本人ランナーの「アメリカは安全じゃないからもうボストンもほかのアメリカのマラソンも今後は走らない」というコメントを載せていたことだった。
彼がどんな気持ちを抱こうが勝手だけれど、それを日本人ランナーの総意のように報道する日本のメディアに腹が立つ、という。
いかにも日本のメディアのやりそうなことだ。
本当のランナーたちはこんなことくらいで簡単に走ることを止めたりはしない。


事件から2日たち、彼女はさっそくこんな投稿をしていた。

 (Photo by Yoshiko Jo)
「If you, or you know someone, especially first timer, could not finish the race due to the explosion, please let me know. This 2013 medal belongs to him/her. I have 9 Boston medals and I have only one neck. Please share this post to reach to someone! 」(Yoshiko Jo, April 17, 2013)
(もしあなたのお知り合いでこの爆発事件のためにゴールできなかった人、特に初参加の人がいたらお知らせください。
この“2013年完走メダル”はその人のものです。私はすでに過去9個のメダルを持っています。どうか想いが届くようこの情報をシェアしてください。(2013年4月17日・城佳子)


事件後彼女は“完走メダル”を子供病院に送る活動のコーディネーターのボランティアを始めた。
するとさっそく日本のランナー仲間から「ボストンで被害にあった方や救助活動のボランティアの方にメダルを贈りたい」と合計50個のメダルが彼女のもとに届いたそうだ。
この50個のメダルは“Medals 4(For) Mettle”(人々から寄付されたメダルを福祉のために利用しているボランティア団体)のボストンの支部に送られた。

国家の危機管理能力もさることながら、この国は有事の際に人々がひとつにまとまり行動を起こすのが異常に早い。
精神論を唱えるより先に、手足が動き今自分にできることをやろうと動けるのだ。
今回、彼女の行動を見ていてつくづく感じた。



ボストン大学では半旗が掲げられている (Photo by Yoshiko Jo)
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『Zero Dark Thirty』と、女の執念。

2013-04-16 17:22:20 | アメリカ生活雑感
今年のアカデミー賞ノミネート映画、『Zero Dark Thirty』を今頃やっと、DVDで見た。
この映画は、ウサマ・ビン・ラディンの捕獲・殺害ミッションに挑むCIA特殊部隊を描いた作品だ。

主人公は、ビン・ラディンを探し出すという使命に燃えるCIA女性調査官、マヤ。
CIAというと派手なスパイ映画を連想しがちだが、調査官の仕事は実に地道だ。
集められた膨大な資料の中から、文字通り情報を嗅ぎ分けて行く。
“藁の中から針を探し出すような”気の遠くなるような作業を何年も続け、それでも情報に一歩近づいたと思ったらまた振出しに戻る・・・この繰り返し。
次第に周りは「ビン・ラディンはもうこの世にいない」との思いを抱き始め、Bossでさえ「ビン・ラディンよりも明日迫る危機対策をするべきだ」と言い放つ。
しかし、彼女は絶対に諦めない。
上司を脅しすかして、ビンラディン捕獲こそがアメリカの平和につながる、と食らいつく。

そしてついに、彼女はある筋からビン・ラディンの居場所らしき住まいを突き止める。
しかし、そこには確たる証拠がない。確証のない場所への襲撃をためらう上層部と、時間だけが過ぎて行くことにいらだちを隠せないマヤとの間に流れる緊迫した空気。

アジト発見から3か月。襲撃を決める最終会議の席で彼女は「ビンラディンは100%そこにいる」断言する。
一方、自分の発言の責任を恐れて中途半端な返答を繰り返す男たち―このの対比が、この映画の一番の見せ場だったように思う。
こうと決めた人間の執念は鬼気迫るほど凄まじい。
CIA長官は、彼女のこの恐ろしいほどの自信に賭けて襲撃を決意する。

「こうと決めた人間の執念」は、先日大学で講演を行ったビルマのアウン・サン・スーチー女史の言葉の中にも見て取れる。

女のほうが我慢強く執念深い生き物なのかもしれない。

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じぇ じぇ じぇ

2013-04-13 19:06:19 | アメリカ生活雑感
朝ドラの「純と愛」をずっと惰性で見続けていた。
最後は「Talk To Her」のパクリのようになって尻切れトンボで終わってしまい、なめんなよという気持ちがむなしく残っただけだった。
で、続く「あまちゃん」を見ようか見まいか、初めの1週間を見て決めようと思っていたら
最初の2話ですでに見続けることに決定。これは面白いかも!
さすがクドカン、テンポがいい。

お約束の“元気いっぱいのヒロイン”が、最初から前面に出ないのがいい。
今のところ、ヒロインはばあちゃん(宮本信子)と母(Kyon2)である。これがいい。
「お客様を笑顔にします」とか「周りの人を幸せに」とか、意味不明のセリフを言わないものいい。
信じていれば~きっと伝わる~というあの白々しい主題歌をもう聞かなくてもいい。
Kyon2世代にはたまらない昔の(とくに流行った歌)の回想シーンがいい。
脚本がいい。
なんてったって配役がいい。この人しかいないというくらいのキャスティングセンスだ。

これからますます楽しみ。

個人的趣味では小池徹平くん、やっぱかわいいわー
Comments (3)
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追悼、マジック・スリム

2013-04-05 15:29:50 | music/festival
昨今、ブルースマンの死去やら病気やらのニュースが多い。
いわゆる第一世代と呼ばれているブルースマンたちはみな高齢になり、こういうニュースと向き合わざるをえなくなってきたとはいえ、やはり寂しい。
もっと前から彼らの演奏を聞いておくんだった、とそのたびに悔やまれる。

2月に亡くなったマジック・スリムもそのひとりだ。まだ75歳だった。
彼の演奏を直に最後に聴いたのは、2011年のシカゴブルースフェスティバルだった。
その後も精力的にクラブに出演していたので、まだまだ聴く機会はあるだろうと高をくくっていたら突然の死。
ああ・・。

マジック・スリムとは、2011年の「Japan Blues Festival」のオープニングに流すビデオメッセージを撮影するために一度お会いしたことがある。
うらさびれたモーテルの一室でのインタビューは15分くらいの短いものだったけれど、丁寧にメッセ―ジを語ってくれて「また日本へも行きたい、呼んでくれ」と言っていた。
温かい人だった。

その彼に捧げるトリビュートコンサートが、3月28日の夜シカゴのとあるライブハウスで行われ、シカゴのブルースマンたち(ほとんどオールスターと言ってもいい)が、次々と会場に駆け付けてのべ6時間にも及ぶJamを繰り広げた。



チケットの売り上げはみな、故人の家族に寄付されるという。
先日のエディ・キャンベルのチャリティライブもそうだが、仲間が困ったときのブルースマンたちの結束はとても固い。
はたからは華やかに見える世界だが、ごく一部の人たちをのぞいてはほとんどが保険も加入できていない貧しいブルースマン。いざ病気になったり事故に合って怪我をしたときの医療費はその支払い能力を軽く超えてしまうのだ。
だから仲間になにかあるとこうやってチャリティーで支え合うことが当たり前のように続いてきたのだろう。

この心遣いはなにも仲間に対してだけではない。
2011年の東日本大震災の直後にも、シカゴのブルースマンたちが日本のためにとチャリティーライブを開いてくれた。
そのとき、ブルースマンたちの人間としての素朴で謙虚な温かさをつくづく感じたものだ。


午後7時、会場は超満員のお客さんが入っていた。まるで3日間のブルースフェスを6時間でやり終えるような豪華メンバーなのだから、シカゴ中のブルースファンがやってくるのも無理はない。
出演者もこれほどの観客の前で演奏することもそうそうないせいか、いつもよりハイテンション気味だ。
顔見知りのミュージシャンたちが次々に声をかけてくれたり、何かを食べようにも場所のない私にお客さんが少しの間席を譲ってくれたり、やっぱり出演者も見に来ている人たちもほっこりと温かかった。


 
2番手で登場した女好きじいさん、いや、リンゼィ・アレキサンダー。70歳。
最後まで会場をうろうろしてはちょっかい出していた(笑)

 
エディ“ザ・チーフ”クリアウォーター(78歳)と、Shoji Naito(普段はベース担当だが、この夜はハーモニカ)


メルヴィン・スミスはこの晩ほぼ出ずっぱり。私に気づいて笑顔でポーズ


Grana Louiseのど迫力

 
やっぱりこの人たちを聴くとホッとする。大好きなジョン・プライマー(68歳)とビリー・ボーイ・アーノルド(77歳)
 
ドラムはMagic Slimのバンドメンバーとして長年連れ添ったBJ(ブライアン・ジョーンズ)
ギターはリコ・マクファーランド。こういう組み合わせを見られるのも妙。


ウェイン・ベイカー・ブルックス、ロニー・ベイカー・ブルックス兄弟。
この日のウェインはよかった!これまでお話したことはなかったけれど、近くにいたので「今日は最高だったよ」と声をかけたら喜んでいた。
先日、シカゴ観光協会の仕事で日本で演奏をしてきたばかりだったのでその話題をふると、
「日本の人たちはブルースをとても愛していて、ミュージシャンをリスペクトしてくれるから本当に大好きなんだ」とウェイン。
今年にはまたツアーを予定しているそう。


御大、オーティス・クレイ(71歳)と、J.W.ウィリアムスというこれまた不思議な顔合わせ。
オーティスに、「今度はいつ日本に行くんですか?」と聞いたら、新しいCDが出たら行くよ、とのこと。
日本にもこの人の根強いファンが多いのだ。


大好きなドラマー、ウィリー・ヘイズ。
この晩も奥さんのデビーががっちりと彼をガードサポートしていた。
なぜか彼女は私にはとってもよくしてくれて、この晩もミュージシャン関係者だけに立ち入りが許されるサロン(バルコニー)に案内していろんな人たちを紹介してくれた。


そんでもって、その中のひとり、御年84歳のジミー・ジョンソン。
この晩で一番心を動かされたパフォーマンスだった。この声の張りときたら!
長生きしてください。


御大数珠つなぎで、ジミー・バーンズ(70歳)登場。

 
“パチパチパンチ男”(と私だけが呼んでいる)カール・ウェザースビーとビリー・ブランチ



そしてルリー・ベル、マシュー・スコラーの登場。
彼らが店にやってきたのは11時ごろ。いったい何時からなの?と聞くと「11時15分って聞いてるんだけど」。
結局始まったのは12時すぎだった・・・。
このあとベースのメルヴィンは「はー疲れたよ~」といいながら帰って行った。


オオトリで登場したのは、デイーヴァ、ゾーラ・ヤング。待ちわびたのか余裕のど迫力。
この頃(1時ごろ)にはお客さんもめっきり減って(というか関係者だけ?)ちょっとさびしかった。

この“ブルース・マラソン”が終わった後は、見ている方ももうぐったりだった。
外に出たらすっかり人気も少なくなっていて、少しの距離とはいえ車まで歩くのがちょっと怖かったので、ちょうど店から出てきたウィリー・ヘイズ夫妻に一緒に車まで歩いてもらった。
私が車に入るまでちゃんと見ていてくれた。いつもやさしいふたりなのだった。

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