Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

Taste of Chicago ~初日~

2008-06-30 04:11:23 | music/festival
1980年。シカゴ市内の何店かのレストランが当時の市長に、7月4日独立記念日にシカゴ市内で「食の祭典」を開こうと持ちかけて始まったのが“Taste of Chicago”。
“build it and they will come(それを作れば彼らはやって来る)”の精神にのっとり、15万ドル(当時のレート$=250円計算で約3,750万円)の予算でスタートしたこの祭典には、初年度には25万人が訪れ、33万ドルの売り上げをあげて大成功のうちに終了した。

初年度のあまりの人出の多さに、翌年からは場所をこれまでのミシガン通りからグラント・パークに移し、以来、“食”のみならず各ジャンルの音楽、加えてファミリーが楽しめるミニ遊園地などのエンターテイメントの要素も加わり、今では“America’s City Picnic”と呼ばれるようになった。

今年で27年目を迎えることとなったこの“Taste of Chicago”。
満を持しての初日、二日目のレポートでござります。

そもそもアメリカで“食”に対する期待はまずもっていない私。
一番のお楽しみはなんと言ってもオールフリーのライブミュージック、そして今が一番美しいシカゴの夏を満喫することにあり。

6月27日(金)
初日は今にもストームが来そうな雲行き。
でもかえってすごしやすく、風が肌に気持ちいい。


摩天楼をバックにこんな自然植物園があることは、あまり知られていない。


地元の人たちは、こうやって喧騒を離れ涼を求めてゆっくりとすごしている



一歩イベント会場に入ると、もうそこはお祭り。
クッキングショーのライブもあってぶらぶらとみているだけでも楽しい。


インターナショナル・パビリオンでMuntu Danceというアフリカンダンスを見る
人間の肉体は、本当に美しい。

そして、いよいよ今日のお目当てチャカ・カーンを見にメインステージへ。
チャカ・カーンはシカゴの黒人街で生まれ育ったローカル歌手なだけに、地元での人気はものすごい。どこを見渡しても、観客は黒人一色。もちろん、アジア系などいやしない。
今日はひとりなので、芝生ではなくフロントステージ席にチャレンジ。開演前30分ほど並んだだけで難なく入れた。


運よく前から10列目くらいに席を見つけることができた。
遠くかなたの芝生席まで埋め尽くした人・人・人・・・


前座をつとめた、Angie Stone


え?これがチャカ・カーン?と目を疑うほど巨大化していたチャカ。
昔(といってももうかれこれ25年も前だけど)から比べると3倍にはなってるかも。
それだけにパワーは増していた。


ステージ横でず~っと観客に手話で歌詞を伝えていた彼女。
アメリカでは、教会に行ってもどこに行ってもかならずといっていいほど手話トランスレーターが舞台の片隅で一語一句を伝えている。
大変な仕事だ。彼女の表情や動きがあまりにも美しくて、見とれてしまう。


Angieと一緒に

最後はもちろん往年のヒット曲↓を全員で歌う。




最後まで見ていたら、思わず電車の時間ぎりぎりになってしまった。
あわててタクシーに飛び乗りプラットフォームに滑り込んだその瞬間、電車が出て行った・・・そして、1時間待ち。
「乗り過ごした~」とPちゃんに泣きの電話を入れ、11時前に家にたどり着いたのであった。

さぁ、下見はバッチリ。
明日はスティービー・ワンダーだ。

(つづく)
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暗闇に後退するアメリカ

2008-06-29 08:05:56 | アメリカ生活雑感
アメリカが、また誤った方向へ歩を進めようとしている。
体の芯から、得体の知れない恐怖と怒りがこみ上げてくる歴史的出来事が起こった。

先週の木曜日、6月26日。
こともあろうに連邦最高裁が、ワシントンの銃規制を違憲とし市民の銃所持の権利を認める判決下したのだ。

ことの発端は、首都ワシントンD.C.でのある裁判だった。
ワシントンD.C.では、1976年に「拳銃所持禁止法」が制定されて以来30年間、それ以前に登録されたものを除いていかなる拳銃の保持も禁止してきた。
これに対し、自衛目的で自宅での銃所持を主張する市民6人が連邦高等裁判所に訴えを起こし、2007年3月、同裁判所は「個人が自宅で銃を保有することも禁じるワシントンD.C.の法令は違憲」との判断を示した。(屋外での銃所持の禁止は合憲とした。)
ワシントンD.C.のAdrian Fenty市長は高等裁判所の違憲判決を不服とし、最高裁に控訴。今回判決は、憲法で定められた「銃を保持する権利」について、米最高裁が1939年以来初めて判断を下すものとして注目されていた。

ここで争点となっているのは、アメリカ国修正憲法第2条のあいまいな一文。

"A well regulated militia, being necessary to the security of a free state, the right of the people to keep and bear arms, shall not be infringed."
(規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、市民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない)

これを「銃を所持する権利」と解釈するならば、ワシントンD.C.をはじめ、「銃の所持禁止法」を厳しく定めているシカゴ、ニューヨーク、デトロイトなどの各都市にも影響が起きるのは必至だった。

最高裁は、5-4という僅差ではあるもののこれを“違憲”と判断した。つまり、市民の銃所持の権利に軍配をあげたのだ。
この判断が何を意味するか。

翌日の新聞“シカゴ・トリビューン”は、市長リチャード・M・デイリーの怒りの雄たけびを一面に載せている。


「なぜ我々は"古き西部時代"に戻らなければならないのか!」

意外に思うかもしれないが、シカゴ市は銃の保持を禁止している都市のひとつだ。
とはいえ、ギャング同士の闘争は後を絶たず、近頃は子どもが巻き添えになるケースが目立つ。昨年8月以来、シカゴ市の公立学校に通う子どもたちの24人がすでに銃の犠牲になっている。つい最近も、8歳の子どもがギャングの闘争と思われる銃撃に巻き込まれた。こういった一連の事件を重く見たシカゴ市は、「子どもたちを銃から守れ」という大規模な決起大会を開いたばかりだった。
子どもたちを銃の犠牲から守るため、そしてなにより市民の安全のために銃の規制に向けて戦おうと決意を新たにしたこの時期に、こともあろうに国は銃所持の“お墨付き”を与えたのだ。

この判決が、銃所持支持派の追い風になることは間違いない。
すでに、全米ライフル協会(National Rifle Association)はシカゴ、サンフランシスコなど銃所持を禁止している都市に訴訟を起こす準備に取り掛かっている。イリノイ州ライフル協会は、判決の数時間後にシカゴ市と市長を相手取り、銃所持規制法の撤回を求める訴えを起こしている。

話をもっとややこしくしているのは、シカゴ市は銃所持を禁じているものの、イリノイ州は禁じていないという「抜け穴」システム。シカゴ市民は自宅で銃を所持してはならないのに、一歩郊外(たとえば我々の住んでいるカウンティ)には規制はなく、罰せられることもない。新聞の折込チラシに堂々と銃の広告が入っていたことがあってぶったまげたものだ。
これでは規制などできるはずもない。かえって「自分たちだけ持っていない」という人々の恐怖をあおっているだけかもしれない。


今回の判定をめぐっては、当然次期大統領候補のリアクションもとりざたされているている。
問題がこと合衆国憲法にかかわることだけに、さすがのオバマ氏も慎重な発言をしている。


「オバマ氏は言葉を濁す」

オバマ氏は「個人が銃を持つ権利は憲法で保障されていると信じてきた」と、述べる一方で「犯罪の蔓延するコミュニティーが、常識的で効果的な安全対策によって街を悩ませる暴力から子どもたちを守らなければならない、ということも認識している」と規制派、賛成派両方の立場をまたいだ(straddle)立場を慎重にとっている。

一方、共和党のマケイン氏はついに本性を剥きだしこの判決を絶賛、“a landmark victory for Second Amendment freedom”(アメリカ国修正憲法第2条の自由への画期的な勝利)と表明。態度をあいまいにしたオバマ氏を「次期大統領候補がこんな簡単な質問にも答えられないのか」と痛烈に批判している。

銃を持たない社会を作る大統領の時代が、いったい何時になれば訪れるのか。

私たちはアメリカ人ではない。しかし、アメリカで生活している以上、アメリカ政府の判断に生活全てがゆだねられている。
自分の国でもない国の横暴な判断に我慢してまでここで生活を続けなければならないのか。そんなリスクを負いたくはない。

また、アメリカが嫌いになった。


photo by http://news.sky.com
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Taste of Chicago

2008-06-29 02:00:16 | アメリカ生活雑感
シカゴ最大のフリーイベント、“Tast e of Chicago”が、いよいよ開幕。
6月27日(金)から7月6日(日)までの10日間という長期間にわたっておなじみのミレニアム・パークで開かれる、食と音楽とエンターテイメントの世界。

ショーもすごいぞ。
今年は、チャカ・カーン、スティービー・ワンダー、ボニー・レイエット、ファンタジア、シカゴ・ブロードウェー・・・、7月4日はんもちろん独立記念日大花火大会だ。

ええ、行きますとも!
この様子はまたじっくりと。
ああ、忙しい!
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子どもをなめちゃいないアメリカ。

2008-06-26 13:25:09 | アメリカ生活雑感
毎週水曜日の午後7時から、近所の図書館主催のフリー・アウトドア・コンサートなるものが図書館横の小さな公園で行われている。
水曜日はジムの日なので、その帰り何気に音のするほうへ行ってみたら・・・

 (courtesy by Ac・Rock)
えらい盛り上がり。
しかもこんなに子どもたちが一堂に会したところをおらが町で見たことがなかった。
私もよいしょと芝に腰を下ろして一緒に楽しむことに。


第1週目のパフォマーは“Ac・Rock”という4人組のアカペラ・ロックグループ。
ロックの名曲をすべてアカペラで聴かせてくれるのだが、しゃべりも楽しくて一瞬たりとも観客を飽きさせない。
楽しすぎて子どもたちもわれを忘れて体を動かしてしまうほどだ。

(courtesy by Ac・Rock)
やっぱり、いい音楽は子どもにもちゃんと伝わるんだなぁと実感。
子どもだからといって子ども向きに妙にアレンジしたりしないのだ。
アメリカに比べて日本は、“子ども扱い”がすぎるよな。

個人的にこのグループの大ファンになってしまった私は、翌週お隣町の図書館イベントにもわざわざ見に行ってしまった。


プレスリーも、ボブ・マーリィーも、子どもたちは知らないけれど、この人たちは真剣にやってくれる。もちろん親は大喝采。
しかもプレスリーのおっさんはでっぱったおなかをさすったり、ボブ・マーリィーのお兄さんは「昔はボクもこんなに(髪が)あったけれど、今は全てなくなっちゃった」といって笑わしてくれる。
極上の“バンド漫才”を見ているかんじ。そう、私の大好きだったあの“玉川カルテット”を髣髴とさせてくれるのだ。


このノリ!


こっちのお父さんは、子どもとよく遊ぶ。
だいたい、7時過ぎにはちゃんと家に帰っているところが日本(人)と全く違う。


2週目は、1960~2000年代という50年間(!)の幅広い音楽を原曲に忠実に聞かせてくれる“スポークン・フォー”
Rock、Pop、 R&B、Hip-Hop、CountryからFunkまでその時代を代表するヒット曲をまるでジュークボックスのように演奏してくれる。
もちろん子どもたちは知る由もないのだけれど、彼らの完コピバージョンは当然親たち(当然私も)を十分に楽しませてくれる。
サム・クック、アースウィンド&ファイヤー、マイケル・ジャクソン、ヒューイ・ルイス、ジャーニー、ボストン・・おおおお


子ども相手であろうが、超真剣なところがいい。
その音に、子どもたちも自然に踊りだす。

3週目は、“リトル・ナッシュビル”。カントリーの出番だ。(ストームの予報が出ていたので、残念ながら場所は体育館に変更。)
カントリーといっても、バリバリのウェスタンではなくロック・カントリー。大人には聞きなれたロックがカントリー調にアレンジされている。
ボーカルのお兄さん(おっさん)とお姉さんはさながら、歌のお兄さんとお姉さん。子どもたちは体中でリズムを感じて体育館の中を走り回る。
ドラムはジャック・ブラックみたいなおっさんで、誰も見ていないのにしっかりスティックをくるくる回していた。えらいぞ、おっさん!




誰も座っちゃいない。
アメリカは親も一緒に歌うし踊る。世界が一緒なのだ。

このイベント、今後はJazz(シナトラの世界!)、ギターと歌のおねぇさん、と続いていく。
いちばんはまっているのは、ひょっとして私かもしれない。

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ある本屋さんの最期。

2008-06-26 11:54:53 | アメリカ生活雑感
バークレーの“良心”の象徴として、半世紀以上にわたって学生たちや町の人々に愛され続けてきた本屋さん"Cody's" が、ついに最期のときを迎えた、とDedeから悲しいメールがきた。
(Cody'sの歴史は以前にもここで述べた)



Euclidの一号店

1956年7月9日。UCバークレーのキャンパス近く、Euclid通りにフレッド&パット・コーディ夫妻が小さな本屋さんを開く。これがCody'sの誕生だった。
当時は、今と違って独立系の本屋さんが市場の40~50%を占めていた。Cody'sもアメリカ激動の時代の波に乗り、学生街のど真ん中テレグラフ通りに顔ともいえる店舗をオープン、1977年7月9日にはアンディー・ロスがCody'sを買収して2代目のオーナーとなり、ますます商売は繁盛していった。
しかし、その後独立系の本屋は大型チェーン店との競争に敗れ、次々と撤退していく。インターネットの普及も、本屋に訪れる人の足を遠ざけていった。

2006年、日本で最大の洋書取り扱い書店である「洋版」が、経営の悪化したCody'sを買収。残ったサンフランシスコ、バークレー(4th Street)の2店舗に最後の望みをかけたが、商況は依然厳しく、2007年4月にはサンフランシスコ店閉店、最後に残った4th Street店も3倍に跳ね上がった家賃に悲鳴を上げて2008年4月にシャタク通りに移転、これが最後の店舗となった。

そしてこの、6月20日。バークレーにその名を刻んだCody's Booksは、ついに姿を消した。

"a heartbreaking moment(断腸の思い)" だが、"unfortunately, my current business is not strong enough or rich enough to support Cody's.(Cody'sを維持し続ける資金力ももはやなかった)"( 最後のオーナーとなった洋版社長のカガワヒロシ氏)。

"Cody's is my treasure and more than that, Cody's is a real friend of (the) Berkeley community and will be missed"(Cody'sは私の宝だったし、それ以上にバークレーの人たちの心の真の友だった。寂しくなるでしょう)(カガワ氏)



C.P. Snow signing copies of his book in the courtyard of the Euclid Avenue store, 1960.



最後の店舗となったシャタク店の前には、閉店の知らせでがっかりする人たちが


*** Milestones in the life of Cody's Books ***

July 9, 1956: The store is founded by Fred and Pat Cody in a small shop on
Euclid Avenue, near the UC Berkeley campus.

November 1960: Cody's moves to larger quarters on the 2400 block of
Telegraph Avenue.

December 1965: Cody's moves to the big store farther up the block to the
store that became its most famous locale.

July 9, 1977: Andy Ross buys Cody's.

July 9, 1983: Fred Cody dies.

February 1989: the store is firebombed during the controversy over Salman
Rushdie's book "The Satanic Verses."

November 1997: A branch of Cody's is opened on Fourth Street in Berkeley.

September 2005: Another Cody's branch opens on Stockton Street in San
Francisco.

July 10, 2006: The flagship store on Telegraph Avenue closes.

September 2006: Andy Ross sells Cody's to a Japanese firm.

April 2007: The San Francisco branch closes.

March 2008: Berkeley's Fourth Street branch closes.

April 1, 2008: Cody's opens its only remaining store, on Shattuck Avenue in
Berkeley.

June 20, 2008: Cody's Books closes.




Comments (2)
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THE GOD DELUSION

2008-06-23 12:59:06 | アメリカ生活雑感
「あなたは神を信じますか?」
こう問われれば、場合によっては返事は「はい」にも「いいえ」にもなる。
自分やチームが絶体絶命のピンチに立たされたとき、愛犬が瀕死の状態に陥ったとき・・今までの人生の中で、「カミサマ」と一心に祈った経験は数え切れない。と言いつつ、普段は何の信仰もなく、自分を「無神論者」と呼ぶ。神もあきれるいいかげんさだ。

日本人にとって一番難しい話題は「宗教」だと思う。
アメリカに来たばかりの頃、日本人の宗教観を聞かれて答えに窮した記憶が生々しい。過去何十年、何も考えずに生活してきたし、別に特定の宗教がなくても生きてこられたからかもしれない。日本人の多くは似たようなものだろう。
いったい、宗教とは、神とはなんぞや?
人類がそのために殺し合ってしまうほどの力とは、いったい何なのか。
アメリカで暮らし始めてからとみに、無神論者の私でも深く考えさせられるテーマでもあった。

ところで、奇しくも昨今Pちゃんとの会話のほとんどを占めているのが、この「宗教」、特に「神」に関する話題。というのも、今彼が夢中になっている本が、これ。

 
リチャード・ドーキンス博士の「THE GOD DELUSION」(日本語訳本タイトル『神は妄想である』

イギリスのethologist(動物行動学者)でevolutionary biologist(進化生物学者)、ドーキンス博士が2006年に発表して世界中に議論を巻き起こした本だ。
まだ読んでいないので中身に触れることはできないが、このドーキンス博士は熱烈なatheist(無神論者)として知られる人物でもある。
動物行動学者としてダーウィンの思想を受け継ぐ第一人者である氏の研究を真っ向から批判し立ちはだかったのが、ダーウィニズムを「神への冒涜」として受け入れないキリスト教原理主義者たちだった。科学を否定する彼らの批判や脅しに一切ひるむことなく書き上げたこの本はいわば、ドーキンス博士からのキリスト原理主義者、果てはtheist(神の存在を信じる人々)全てに宛てた痛烈な反論であり、戦いの記録であり、新たな挑戦状ともいえる。


Pちゃんはこの本を絶賛しながら読んでいる。
理由を聞くと、これは単なる一方的な批判本ではなく、ドーキンス博士の学者としての豊富な知識や十分な調査に基づくcritical thinking(批評的思考)によって書かれているからだという。ドーキンス氏が受け取った読者からの熱烈な批判や手紙なども引用されていて、それに丁寧に(かつ辛らつに)答えているのもとても好感が持てるというのだ。しかも氏はいかにもイギリス人らしいウィット(ブラックジョークともいえる)に富んでいるようだ。(受け取り方には個人差があるのでいい悪いは言えない。もちろん。)

そのうえ、Pちゃんはatheist(無神論者)だ。
私みたいなのを「中途半端なatheist」(多分ほとんどの日本人がこれ?)と呼ぶとすると、彼は「完璧なatheist」。
その理由のひとつは、ドーキンス氏と同じ立場であること、つまり「存在を証明できてこそ真実。証明できない限り真実にあらず」という科学者の基本的姿勢にある。(もちろん、神を信じる科学者も多く存在するので科学者全てがこういう考えというわけではない。それに、私個人的にはこういう科学至上主義的考えが好きではない。大体、世の中証明できないことだらけじゃないか。UFOもゴーストも、ただ科学の証明が追いついていないだけ。人間の歴史、科学の歴史などちっぽけなものにすぎない。)
そしてもうひとつは、彼の“宗教的歴史”、つまり生い立ちやキリスト教教育、そして何より彼の性格に深く関係している。


以下、Pちゃんの話をまとめてみると **  **  **  **  **  **  **  
子どもの頃のPちゃんは、当時住んでいたドイツの田舎町の子どもたちとまったく同じように、親に連れられて教会に通う“普通の”カソリックの家庭の子どもだった。
ドイツのエレメンタリースクール(小学校)には必ず「宗教」の授業があり、近くの教会の神父が先生として教えに来ていた。この神父は特に厳格で近寄りがたいタイプで、Pちゃんはこの人のことが個人的に怖かったことを覚えている。
さらに、Pちゃんは何でもまじめに真正面から受け止めて考えてしまうタイプの子だったので(今も変わらんが)、この先生がしきりに繰り返し脅かす「sin(人間の犯す罪)」に関しては心底恐怖心を植え付けらた。
この頃、子どもたちは教会で「懺悔の時間」を持つように命じられる。
「ものを盗みました」「友達の悪口を言いました」「親に口ごたえしました」・・・どんな小さなことも罪として懺悔しなければならない時間が、無垢な子どもだったPちゃんの恐怖心を一層あおることになった。
そもそもスペイン人の子として異端視されてひとりぼっちだったPちゃんの孤独に輪をかけるように、恐怖と不安感におびえる宗教・・なんだかおかしいと思い始めたのもこの頃だった。
十代になったPちゃんは、14歳のときいよいよconfirmation(キリスト教の堅信式)を迎える。しかし依然としてもやもやとした不安感をは拭い去れないでいた。
転機が訪れたのは高校に入ってからだった。高校の宗教の先生のひとりは、今までに会ったことのないとてもリベラルな先生だった。「聖書にもいろんな矛盾点がいくつもある。文字通り受け止めることはない」とある日クラスで言ったそのひとことに、Pちゃんは大きな衝撃を受ける。と同時に、重くのしかかっていたものから解放された気がした。
「なんだ、やっぱりそうなんだ。それでよかったんだ・・・」
この時期、Pちゃんは科学にのめりこんでいく。神などという観念に左右されず存在し続ける宇宙の絶対的な美しさ、自然の原則や底知れぬパワーにどうしようもなく惹かれていくと同時に、所詮人間の作ったものにすぎない「神」に長い間恐れおののいていた自分がばかばかしくなってしまった。
16歳のとき、自分はこれ(物理の道)で生きていこうと心に決める。それは、神の呪縛から自らを解き放つ道を選び歩き始めることでもあった。・・・

**  **  **  **  **  **  **  **  **

Pちゃんのように、神についてとことん学び、考え、思いつめ、追い詰められて悩んだプロセスは私にはない。それが「中途半端なatheist」である私と彼との決定的な違いだ。その葛藤の歴史を経て、自ら神を捨てたPちゃんにはそれなりの決意や確信があったに違いない。両親はそのとき、そんな彼に何も強要せずに自らの選択を尊重したという。これは大切なことだと思う。
「ほとんどの無神論者はほとんどの有神論者と同じように無害である」と彼は言う。
宗教を持つこと、持たないことはお互いの自由に基づいた選択であり批判し合うことではない。(その意味では、ドーキンス博士の宗教を批判する態度をめぐっては科学者の中にも批判者が存在する。)
ただ、一番やっかいなもの、これからの社会の発展を妨げる諸悪の根源になるものが、「信仰によってのみ科学を否定しようとする一部の狂信的な人たちによる考えや圧力だ」とPちゃんは力説する。

アメリカでは、「無神論者の大統領候補には投票しない」と答えた人が「ゲイの大統領候補に投票しない」よりも上回る。無神論者は社会悪であり、愛国心のないやつらの象徴だと考えられているからだ。そのため、ほとんど100%の政治家は敬虔なキリスト教徒のふりをしているという。
また、いまだにダーウィンの進化論を学校で教えることを禁じている州もある。ここで教育を受けた子どもたちはやがて、戦争を平気で“聖戦”と呼ぶようになるのだろう。
科学を正しく理解し、critical thinking(批評的思考)ができてこそ、国に、世界に相互理解が生まれ、平和がもたらされる。そのためには、移民や低所得層などの子どもたちにも、きちんと教育の機会を与え、宗教によるバイアスのかからない正しい教育を受けさせることがいかに大切であるか、それしか世界を救える方法はないんじゃないか・・・私たちの議論は、いつもここに落ち着く。

カソリック教徒であるオバマ氏は「大統領は、国の法律を決めるときに宗教的な議論を持ち込むべきではない。国の方針はあくまで正しい調査や考えに基づいて議論され、決められなければならない」ときっぱりと表明している。ブッシュはいつも個人的宗教論を持ち込み、国を混乱に落とし入れた。正しい教育を受けた人とサルとの大きな違いだ。

宗教を知らずに世界を知ることはできないし、真に分かり合うことは不可能だと思う。
人とかかわることは宗教とかかわることと同義語である。
日本で何も宗教を持たず知らずで育ってきた無知な人(私)は、世界に出たとき必ずこの壁にぶち当たる。
そういう意味では、この『THE GOD DELUSION』は、今世の中で最も熱い議論がどのように繰り広げられているのかを知る重要なヒントになるのではないだろうか。

私もこれから読んでみなければ!

(つづく)
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Geneva Swedish Festival

2008-06-22 13:26:35 | music/festival
車で20分、お隣のGenevaで行われている“スゥエーデン祭り”を冷やかしに行ってきた。


なんでスゥエーデン?なんでもこのあたりはスウェーデンからの移民が多い町なのだそうだ。

でも、これといってスゥエーデン色を押し出しているわけでもない。
特設ステージでビートルズのトリビュートバンドをやっていたり、ガレージセールをやっていたり、食べ物の屋台が出ていたり、ただの町の大きなお祭りといったかんじ。


これはちびっ子たちによるパイの早食い競争。手を使わずにパイを完食する競争なのだが、
ブルーベリーが顔中にべっとりついて、みんなオカルト映画みたいな形相。


なにかスゥエーデンらいいものはないのかよ!と思っていたら、地元の教会でRosemalingの展示会をやっていた。
Rosemalingというのは、北欧に古くから伝わる伝統工芸のひとつで、主に木工品に油性の絵の具で手描きの模様を描いていくもの。日本で言えば漆器工芸のようなもの。



これがその、Rosemaling。


こちらで長くRosemalingを日本人に教えているYukoさんにいろいろご案内いただいた。
何でも、習い事に熱心な駐妻の間で人気だそうだ。


と、そのときPちゃんの緊急ポケベルが鳴った。
実験施設に何か異常が起きたときは、休日だろうが夜中だろうが呼び出されるのだ。


「いまいくで~」(by うめぼし食べてすっぱマン(P)
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歌でワインを釣る。

2008-06-20 07:56:39 | アメリカ生活雑感
先週の日曜日の出来事。

いつも食料の買出しに行く近所の韓国マーケット、Hmartに一人でお買い物に出かけたときのこと。
食料を買い込んで店を出ようとしたとき、店の奥のほうからカラオケらしき男性の歌声が聞えてきた。
「誰や、スーパーで歌っとんのは?」と不思議に思った私は、カートを引いたまま歌声に釣られるように奥のほうへ・・。すると、店のアルバイトの男の子がひとりで退屈そうにカラオケを歌っていた。
私に気づいた彼は「どうですか、一曲歌っていきませんか」という。

なんでやねん!なんでここやねん!!

丁寧にお断りしてその場をすごすごと出ようとしたそのとき、お店のマネージャーがすれ違いざま向こうからニコニコしてやってきた。
「今、イベント中なんですよ。カラオケで90点以上出した人に、ワインほかいろいろな商品を差し上げているんです。」

ぐぐぐ・・ワイン・・・ほ、欲しい・・でも恥ずかしいし、やめとこ。

そんな私にすかさずたたみかける。
「100点が出たらお米ですよ!」

ぬおおお・・・おこめ・・・それは欲しい。
どうせ一人やしな。誰も見てないし。急いでるわけでもないし。

そして私は決意した。
「やります。」

韓国の歌は知らないんですというと、マネージャーはすかさず英語、日本語、中国語のカラオケブックをどさっと持ってきた。
しかし、こういうときに困るのは選曲。何でもいいっちゃ何でもいいんだが、いろいろ見ているうちに混乱してきた。歌謡曲なんてとんと歌うことがなかったのですぐにぱっと選べない。
かといって英語の歌は点数出なさそうだしな(←けっこう本気)
見かねたマネージャーが「これならボクも知ってますよ」と「こいびとよ~」と口ずさみ始めた。

あ、じゃ、それにしときますわといってあっさり決めたのが、五輪真弓の『恋人よ』。
異常にドラマチックなイントロが場違いなスーパーの片隅に響き渡る。
こんなところでカラオケに盛り上がる3人の存在など、買い物客のいったい誰が知ろう・・。

そして、緊張の結果発表。
ダララララララ・・・「96点!!!」

おめでとうございま~す!!!!!
やった~、ワインだワインだ!!ちょうどお客さんもいるし欲しかったんだよな~。
でも本当はお米ねらってたんだよな。



安もんのオーストラリアワインだけどね

家に帰って報告したらPちゃんバカ受け。一緒に行くんだった、と悔しがっていたけど、一緒だったら多分やらなかったから、これでいいのだ。
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ルーツ。

2008-06-17 12:27:46 | アメリカ生活雑感
今回ウィルヘルムがアメリカに訪れた目的のひとつが、今まで会ったことはないアイオワに住むという遠縁に会うことだった。
話は10年前、この“遠縁”からメールをもらったのが始まりだった。

「私の苗字はGoerdt(グァート)といいます。私の先祖はドイツの○○という地方からアメリカに移住してきましたが、あなたのルーツに心当たりはありませんか?」

その人は家に伝わる家系図や家族の話をもとに“Goerdt”を含むメールアドレスに片っ端からこのメールを送ったという。メールによれば、彼の4代前のご先祖が1850年ごろアメリカにわたりアイオワに移住、今でもこのGoerdtファミリーが脈々と続いているというのだ。
アメリカ人は元をたどればみな外国人。苗字を聞けば、たいがいどこにルーツがあるかがわかる。この人のようにアメリカ人は自分の“ルーツ探し”にとても熱心で、ルーツ探し専門の商売まで存在するという。

そして、このメールを受け取ったひとりがウィルヘルム。彼の苗字もGoerdtだ。
ドイツでも珍しい姓だったことや、メールに記されてあった地方が彼のおじいさんの出身地の小さな田舎町であったことから、どうやら二人の先祖に関係があるらしいことがわかり、調べていくうちにお互いのご先祖が一致したという。
こんなことってあるんだと、話を聞いた私たちはびっくり。

お互いの存在は知りつつも、ドイツとアメリカとでなかなか会うチャンスがなかったところ、今回仕事でアメリカ出張が決まり是非会いましょうという段取りになったという。

さて、いよいよ遠縁同士の運命の再会の日。
ウィルヘルムが向かうというシーダーラピッズ(Cedar Rapids)は、ここのところの大雨でミシシッピ川か決壊し町のほとんどが水没中という悲惨な状態だと毎日ニュースで報じられていたので私たちは心配していたけれど、彼らが実際に住むのはそこから60キロほど離れたダイアーズビル(Dyersville)という町で、被害はないとのこと。

ダイアーズビルで待ち受けていたのは、ロブ(ロバート)という男性(37歳)とふたりの息子たち。(あいにく奥さんはシカゴに行っていて留守中)
彼らの第一印象は、ウィルヘルムいはく「いかにもアメリカ人でびっくりした」。
興味関心のほとんどは「野球」と「軍隊」という、典型的なアメリカ人。シカゴやNYのような大都会とちがって、人口4000人ほどの小さな田舎町に行くとたいがいはそうだ。やたら信仰深く、政治のことなどどうでもよく、もちろん支持する正統はキリスト教原理主義寄りの共和党というコンサバな人々で町は形成されている。

それよりなにより、このダイアーズビルという町は、あのケビン・コスナー主演の映画「フィールド・オブ・ドリームズ」("Field of Dreams"(1989年)の舞台となった町だというではないか!この映画が大好きな私はかなり興奮。

★ ★

One of Pedro's old good friends in Germany, Wilhelm, is visiting us for a while.
He visits the U.S. for business, but another important purpose is meeting his "relatives" in Iowa.

About ten years ago, he got an e-mail from a guy.
"My last name is also Goerdt. My ancestor immigrated from a certain region in Germany. Do you know about my roots?"

After all, Americans are all "foreigners" from other countries.
Most of Americans know where their family came from, and they often are so enthusiastic about searching for their roots.

Wilhelm's last name is Goerdt and his grandfather also came from the region which this mail indicated. It turned out that both of their ancestors matched.
They have been keeping in touch each other since then, and finally the chance comes to meet together!

The guy's name is Rob (Robert.)
He is living with wife and two kids in Dyersville in Iowa. This small city is famous for the movie "Field of Dreams."

★ ★



映画のロケ地跡は今でも残っていて観光客が絶えないらしい。
もちろん、ここに案内してくれたそう。
Movie's site is preserved and open for the visitors.






そりゃぁ、野球小僧になるはずだわね
Good form! Future MLB stars!



やっぱりドイツ人にとって野球は未知のものらしい。構えがヘッポコ・・・
German has no idea about baseball...What a form...




このあと4人が向かったのは、Goerdt家のお墓。
Then they went to Goerdt family's grave.


Goerdt家のお墓はまことにもってご立派。あっちもこっちもGoerdt家。
さぞこの地で繁栄したのだろう。
右側のFATHER、MOTHERとあるのが最初に移住した夫婦だと思われる。
このKARL(カール)さんがロブにとって4代前(曾曾じいちゃん)にあたる。

Goerdt family's grave are all so gorgeous. They might be so successful in this city.
FATHER, MOTHER in right, means the first couple who came here.
KARL is the person four generations before Rob.


これがこの子たちのおじいちゃん(故人)とおばあちゃんのお墓。
おばあちゃん(DONNA)はまだ存命なので、没日が黒く塗られている。

This is the grave of the grandfather and grandmother of these kids.
"The year of the grandmother's death" is painted in black because she is still alive.




そのおばあちゃんのおうちがこれ。ここもまるで“フィールド・オブ・ドリームズ”の世界。
This is the grandmother's house. Looks like "field of dreams."



そして、もちろん一番大切な場所。教会へ。
一方のウィルヘルムは全くのatheist(無神論者)
The most important place, church. (Wilhelm is atheist...)



教会にあったという珍しい古い「免罪符(Ablass)」。
自分の犯したSin(罪)が許されるための興味深い“メニュー”が書かれているらしい。(ドイツ語なのでPちゃん訳)
This is the rare old Ablass written in old German.


わずか1日たらずの短い再会の時間をすごし、再び我が家に戻ってきたウィルヘルムの話を聞きながら、私たちはなんだかまるで自分たちの祖先にめぐり合ったような感動に包まれたのだった。
フィールド・オブ・ドリームズの町で、なんだか映画のまんまのような奇跡が起こったのだから。

いいお話をありがとう!ウィルヘルム。
Danke, Wilhelm!!!

★ ★

After the exciting visit of the relatives in America, Wilhelm explained all stories to us.
We are also impressed to hear his own "Field of Dreams" story.

Danke, Wilhelm for sharing your story!
Comments (2)
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初のお泊りお客様。

2008-06-16 10:43:53 | アメリカ生活雑感
陽気に誘われて、最近出歩くのに忙しい。
先週の金曜日、お友達でライターのT子さんと久々に怒涛のおしゃべりをするため、またもやシカゴに出かけてきた。
ミシガンから吹く風が肌に心地よい午後のミシガン通りには、多くの観光客とおぼしき人たちがショッピングを楽しんでいた。こんな時間にひとりでぶらぶらすることは滅多になかったけれど、お気に入りのレコード屋で中古のお気に入りJazzレコードを4枚買い込み、急いで約束の場所に向かう。
日本語で思い切りおしゃべりをするのも久しぶり、何をしゃべったかも思い出せないほど話が次から次へと飛び火してしゃべり通しだった。家では変な英語しかしゃべらないせいかストレスになっていたけれど、こういう時間は本当に脳の活性化になった。

まだ明るい午後8時半ごろ、近くの駅から家に電話を入れると、すでにPちゃんが帰ってきていた。
なんと、明日我が家に来るはずだったお客様が予定を変更して今晩やってくるというではないか!
お客人というのは、Pちゃんのドイツ(学生)時代の友人。実際に会うのは何と15年ぶりという。お名前はウィルヘルム(笑っちゃうほど、もろドイツ人!)
ビールとワインだけ買ってあわてて帰宅。Pちゃんはきれ~いにゲストルームの用意を整えていてくれた。
本当に役に立つわ。

午後9時ごろ、ウィルヘルム到着。先週電話でお話したせいか、なんだか昔から知っている親戚のお兄ちゃんみたい。
雰囲気もなんだかほんわかしていて、空気みたいな人だ。
こういう人なら、何日いてくれても全く気にならないかも。


さっそくビール片手に話し込むふたり



そんなに腹ペコではなさそうだったので、今晩は我が家自慢のカレーでかるーく晩御飯、といってもすでにこのときは10時を過ぎていた。
このあと3人でしゃべり続け・・結局寝たのはは2時半ごろ。


一夜明けて、Two idiots(あほあほコンビ)
ふたりが仲よしの理由がなんとなくわかった。



ウィルヘルムは我が家に荷物を置いて、一泊でお隣のアイオワに住む“遠縁”を訪ねに出かけて行った。
この遠縁、実は今回初めて会うのだという。あまりに面白かったので、この話はまた次回に。


**  **  **  **  **  **  **  **  **  **  **  **  **

日曜日の夜9時。
ウィルヘルムがアイオワからたくさんのお土産話を持って帰ってきた。
さあ、まずは夕食!


本日のディナー
その1.お好み・焼き・そば
お好み焼きと焼きそばが一体化した、スーパーボリューム。
関西風の焼きそばソースをかけてみました。


その2.スゥィートサワーシュリンプ
この2品は「今日の料理」の大皿料理特集から。自分で言うのもなんだけど、めちゃくちゃうまかった。
簡単だし豪華そうに見えるし、ゲストが来たときには効果抜群。




盛り上がってます。
このあと私は2時過ぎお先にとっとと寝てしまったけれど、ふたりは明け方近くまでしゃべっていたらしい。
朝起きたら、先に起きてまたふたりでしゃべっていた。元気な人たち。



午後から、うちの町や近所の自然保護区なんぞを案内したあと・・


Pちゃんの職場(Fermilab)へ。
うれしくて夢中で説明するPちゃん。



そして、名物の「バイソン」を見に。
この季節、たくさんの赤ちゃんが産まれていていてかわいかった。


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